125話【VS.】後悔に溺れる凶獣 にゃにゃにゃのニーヤ
白鳥は膝をつき
獣は喉に食らいつかんとする
蒼の力
信頼
夢
もう臆病ではない
飛沫を上げて空を宿した鏡面の如き地を駆ける。戦場へ向かう足どりは、勇ましい。
向かう先には、翼を怪我した白鳥が、なお舞い続けている。
剣聖は聖水に膝を沈めている。ズタズタに切り刻まれたドレスは鮮血によって端々を朱色に染め、安物の剣は3分ほど先が欠けており、息は荒く華奢な肩を上下させている。
相対する少女は、頭に乗った三角の耳をピンと立てて虚ろげに佇んでいた。様々な種族をコピーしたかのような同一個体内に異なった遺伝情報を持つかの如き姿は、あまりにもいびつで、無惨。
「ッ!」
操縦士は、重機を捨てて単身で乗り込む。
間に合ったという安心感、これからはじまるであろう命のやりとりの双方が胸中に渦を巻いた。しかし、明人はもう震えない。
手にもった空のシリンジと首筋から血管を通してじわりと広がっていく暴力的な快楽。赤らむ視界と反比例し恐怖心が薄らぐ。
蒼の力の開花薬、フィラメントが体に馴染んでいく。
パイロットスーツのさらに上を覆う蒼の陽炎。発現はなるべく薄くを意識する。もし精霊祭の夜のように表面に露出させればすぐに尽きてしまう。自らの体に秘められた力の一端、切れっ端程度なら理解をしている。
「グゥゥゥゥ!!!」
ニーヤは、沈み込んだ。
ワーウルフのように鋭く獰猛な手と白いネコのような手、そのどちらもを聖水に浸す。
絵筆のような形の太い尾を揺らし、背に生えた鷹の翼を羽ばたかせる。そして、兎のような両足で最後の一撃だといわんばかりに牙を剥いてリリティアへと飛びかかった。
刹那。青き閃光が真横から疾風の如くニーヤの脇腹を穿つ。
「――ぎっ、にゃッ!?」
驚きを孕んだ語尾に癖のある声だった。
「あっ……!」
同様にリリティアも驚愕の音を漏らす。
明人は3段跳びの勢いまかせに掌打を放った。
それは獣の速さにすら負けぬ俊足からのクリティカヒット。ばしゃばしゃと水を散らしてもんどりをうちながらニーヤが吹き飛んでいく。
蒼の明人は、左腕に装着している蛇が絡んだ不気味な腕輪を突きだしてリリティアとニーヤの間に割って入った。急停止の勢いでざぶりと波立った聖水がキラキラと宙を舞う。
堂々と佇む男の背を見つめながらリリティアは、目の色を変えて瞬いた。
「あ、きとさん……? い、今の力は……ふ、ふれっくすですか?」
「だと思う。待たせてごめん。ちょっと手間どった」
指の骨を鳴らしながら明人は、注意深く吹き飛んでいった敵を睨みつける。
意識しての攻撃力の向上。初挑戦での効果は、上々。
手にはワーカーよりひっぱり出した鉛入り、ケブラー製の魔改造グロープ。ジャハルとの試合で獣族の異常な身体能力を学んだ。勝ちを得るには、道具のひとつやふたつは当然必要となる。
武器は己の技術と力のみ。だからこそのフレックスとグローブ。散弾銃では命を奪いかねない上に、目的はにゃにゃにゃの魅了解除。そのため殺傷力のあるRDIストライカー12はあまりにもリスクが高すぎた。
ともなれば重機は必要なく、別の任務につかせる。
「ワーカーを追従モードにしてリモコンをもってるユエラのほうに向かわせた。あとはピチチがあまったのポーションで回復させてるはずだ」
リリティアがぴくりと眉を傾けた。
「ゆ、ユエラは無事なんですか!?」
どうやら回復という言葉から重症を連想してしまったらしい。
明人は薄く笑みを作る。
「大丈夫。ユエラは勝ったよ。今はちょっと疲れて休んでるだけだ」
離れていたのは僅か数分。それでもなぜか久しぶりの再会のような不思議な感覚だった。
無事とはいかずとも生きて再会できたという喜びが胸いっぱいにあふれた。
「そうですか……よかったです……」
無事の一報を聞いてリリティアも花咲くように笑顔を浮かべた。
破れたスカートから伸びる滑らかな腿にも小さな傷があった。普段凛としている姿からは想像できない、痛々しい姿。2つ名は、にゃにゃにゃ。敵はLクラスである。例え世界最強の剣士と名高い剣聖であっても長期的な防御は難しいのだろう。
「ここからはオレも協力する」
「了解です。とっても心強いです」
この勝負の勝敗を決する鍵は、魅了解除の腕輪を装備した明人の有無である。
いつもならば策を張り巡らせるのが明人で、リリティアは剣。ユエラはサポートの立場。
しかし、今回は大きく異なった。人間によって抜かれた聖剣は盾に、聖剣を操る人間は剣となる。
明人がオフェンスで、リリティアがディフェンスというはじめての構図が生まれようとしていた。
「さぁ、寝起きのユエラが少しでも楽できるように少しでも反撃しておこう。……立てるか?」
そう言って、明人は傷ついた白鳥に手を差し伸べる。
まるで初めて出会った黄金色の草原で涙したあのときとは真逆かのような光景。
「ふふっ、ありがとうございますっ」
とても剣を握っているとは思えない柔らかな感触。
リリティアは、差し伸べられた手を包むように掴んで立ち上がるといつもの笑顔で微笑んだ。
しかし、ここで驚きの言葉が飛びだした。
「魅了のおかげで正気がないため他愛もない相手なのですが……ふぁぁう、ちょっと眠くて結構かすってしまいました」
ピタリ。1人とひとりの間で時が止まる。
敵に注意する事も忘れて明人は、油をさし忘れた機械人形のようにぎこちなくリリティアに詰め寄る。
「眠い!? 眠いから被弾してたの!? あれだけカッコつけておいて!?」
「はい……。もうここ数日一睡もしてないので……ふぁうぅ……」
そう言って、リリティアはマイペースにふにゃふにゃとあくびをする。
さらに目端に滲んだ涙を呑気に袖でぐしぐし拭う。
家主の目覚めの悪さは折り紙つきである。そして、当人もそれを理解している。だからこそリリティアは戦闘区域であまり寝ない。
エルフとドワーフの戦争時も同じで決して戦争中は気が張って目覚めがよくなるわけではない。ただ寝ていないだけ。
立ち寄った町や村でぐつぐつの朝風呂なぞ焚く時間ない。その上、休憩をとればいいのに今回はずっとストーカーをしていた。
心配してフレックスを使ってまでやってきたのにこのていたらく。がっくりと肩を落とした明人のなかで緊迫感が音を立てるように崩壊していく。
「はぁ、心配して損したぁ……。どうりで最強の剣士の癖にそこそこ攻撃受けてるなぁ、って思ったんだよぉ……」
「あらっ? 心配してくれてたんですか?」
意外そうな顔でリリティアは、ぴょこっと後ろ手に前かがみになる。
それと同時に綺麗を保ったままの青いリボンもぴょこんと跳ねた。
「……んまあ、そこそこには?」
「うふふふふー」
「……なにがオカシイんだい?」
しゃくれてぶすくれる明人を見ながらリリティアは、破れ汚れたスカートをくるりと翻らせる。
そして、くすくすと愉快げにそれでいて上品に笑った。
「明人さんが私のことを心配してくれるなんて珍しいなー、って思っただけですよぉ。おかげ様でいい眠気覚ましになりましたっ」
「……そりゃよかった。後で見てろよ」
いつもの調子で語らう、1人とひとり。
しかし、肩を並べても眼だけは敵を見つめたまま。和装の袖を揺らしながらニーヤがてふらふらと立ち上がろうとしている。
身をかがめて4つの足で大地に立つ野性動物の如き体勢だった。周囲の音を拾うようにしきりにきつね色の三角耳が頻繁に動いている。
「……さて、にゃにゃにゃ、か」
てっきり語尾やフザケた2つ名の関係でロリっ子であると考えを固定していた明人は、同い年くらいの少女を冷静に分析した。
晴れ着のような花柄の着物から生えた様々な毛むくじゃらの手足。足は多産と繁栄の恵みをもたらしそうな兎のもの。手はどちらも攻撃的な爪のある白と茶。さらには、額に水晶の如き赤い眼が4つ。
「ぎ、ぎぎぎ、ぎぎぎぃ……!」
そして、灰を溶かしたような瞳と焦げた茶色の瞳だ。
この世界にやってきた異世界の人間には、体内からあふれるマナというものが見えない。だから常に見た目で判断する。
予感の類であれ拭い去れぬ不安。ひとつの可能性。
「にゃあああぐッ!!」
様子を見飽きたのか。その白い毛に覆われた足でニーヤは、飛沫を上げた。
猛然と駆る姿はまさに魔獣か。
――きやがれッ!!
同時に明人も抑えていたフレックスを発現させる。
心が沸き立つような、脳が研ぎ澄まされていくような謎の感覚が芽生えた。それを今まで使用者ですら気づがつかなかったフレックスの特性、とは思わない。なぜなら、隣に折れた剣を構えた剣聖がいる。
「剣と鞘か。意外に悪くないかもな」
この世界にやってきて、守られることはあれど肩を並べて敵を迎え撃つのは初めてだった。それだけで心が躍る充分な答えになっている。
数々の苦難によって研磨された人間は、もう臆病者ではない。




