115話【VS.】縛る希望と真実の絶望 理想郷への神槍門
夢を見る
甘美な夢
闇に浮かぶ赤い瞳
響き渡る悲鳴
それぞれがなにかを背負い
それでもきっと
「……ちゃ……にい……」
なにかの駆動音と聞き覚えのある馴染み深い声がする。
その音色は琴のようにしとやかで、遠慮がち。徐々に視界がクリアになっていく。
明人は自身が眠っていたのだと自覚した。
鼓膜を引っ掻くようなけたたましい音がブースターの噴射音だと気づけたのは、染みついた技術者としての経験であろう。
狭苦しい室内は暗く、鉄の臭いに満ちている。赤色灯の明かりがぼんやりと照らし、陰影を僅かに作りだしていた。
首をもたげた明人は、夢のなかで目覚める。
「う、ううん……」
鉛のような気だるさを覚え、身じろぎするも体はなにかに締め付けられていた。
座の姿勢。硬い角ばったイス。両肩と腰に貼りついた黒色のバンド。これはシートベルト。
虚ろげに状況を把握することが出来た明人は、対面にも誰かが座っていることに気づいた。
ぼんやりとおぼろげ。小さな影がぐいっと近づき焦点が合った瞳に映し出される1人の少女だった。
「すごいうなされてたよ……大丈夫? お兄ちゃん?」
纏まった黒い髪は、飾りっ気なく、素朴であれど清楚さをかもしだしている。
純粋な黒い瞳がぱちくり瞬いて長いまつ毛を扇がせた。
悪辣な環境において各木蓮の如く咲き誇る、1輪の和花。パイロット適正である蒼の不確か、F.L.E.Xを開花させ、勤勉でなお容姿端麗。非の打ち所がない少女は、汚れなき思想と汚されぬよう強く生きた明人の生の象徴でもあった。
明人は、少女の名を知っていた。
明人は、見送ったはずの宝物を垣間見ていた。
舟生夕がいる。
「どうしたのそんなにぼんやりしちゃって?」
パイロットスーツに包まれた腕を伸ばして心配げに整った眉をよせる。
かしげた方角へ、眉で切りそろえられた髪が浅い川のようにさらさらと流れた。
そして、明人は骨髄に鉄筋を突き通すが如く急速に伸び上がる。
「ゆ、ゆうっ!? お、おまえ、な、なんでここにッ!?」
「なんでって……これから私達は方舟に乗るところじゃない?」
現実感のない現と夢の峡谷に明人は立たされた。
ただ魂を抜かれた人形のように目を白黒させて親愛の妹を見つづけた。
「はっはーん、さてはお兄ちゃん寝ぼけてるのね。寝起きはいいほうなのにめずらしー」
そう言って、夕は悪びた笑顔を作る。
鈴のような音色で笑うも優美さが勝った。
小馬鹿にして明人の顔の前でぐるぐると指を回す。
「お、オレが……?」
白くよくしなった指、透き通るような肌。パイロットスーツは、めりはりの良い均衡のとれた体が凹凸を豊かにきわだたす。
すべては操縦士である兄が身を削って作りあげた傑作だ。
妹を思い、救われるように。身の振り方から勉学、すべてを調律された才色兼備という完成品こそが彼女なのだ。
よって、次世代へ人類の運命を繋ぐために選ばれた人間となった。
宙間移民船の登場条件は、優秀な人材のみ。優秀でないものは地球にとり残され襲撃に怯えつづけている。
夕は、やれやれとおどけるようにしてなだらかな肩をすくめた。
「はぁ……お兄ちゃんも特別に選考されたじゃない。技術者としての特別枠で」
「そ、そんな……バカなこと……」
「まだ信じられないの? だったらコレを見れば現実味も増すんじゃない?」
そう言って、夕は見もせずに自身の後ろの壁にあるボタンを押す。
電子音がひとつ。そして、壁が徐々にせり上がると透明な窓が現れた。
透かして見える、抜けるような青空と陽光を散りばめたオーシャンビュー。周囲でブースターをふかしながらホバリングしているのは幾百もの小型艇だった。
そして、見下ろす先には青い海に浮かぶ大きさの想像すらかなわないほどに超巨大な船がある。
「ほら、今はアルド・ノアの搭乗待ちよ。上にくっついてる白い船が衛船のノアでしょ。それで下の赤茶の船が居住区のアルドだってさ」
今は合体してるけどね、と付け加えて夕は頬を緩める。
絵に描いたような空を背負った大和撫子である。兄である明人でさえ芸術と思えてしまうほど確定した美があった。
「…………理想郷」
明人は、これが夢だと理解した。
理解してなお、この覆水が盆に返ってしまった完全なる世界を閉じたくないと思った。
生命が朽ちるまで夢はつづく。妹と共に訪れなかったはずの未来を歩む。そんな理想郷。渇望すらおこがましいモノがすべて許容されたような快楽がここには存在している。
「華やかで……希望ある……偽りの未来」
明人は思った。そして、未来を、起きて見る幻想の如き夢を見た。
妹と共に超過技術のゆりかごに揺られ、妹の晴れ姿を見て笑い、静かに天寿を全うする。
そんなすべての欲望が満たされ、苦しまない最高の未来を脳が描きだす。
「どうせ死ぬのならッ……!」
残酷な現実に折れていく心。
「どうせオレがいたってッ……!」
甘美な誘惑に揺らぐ信念。
「どうせ……! どうせ……! どうせ……! どうせ……! どうせ……!」
落ちていく。
明人は、どこまでも落ちていく。
深く、深く奈落の底まで一直線に。
「――ッ!!」
そんな両の肩に、2人分の手が、置かれた。
一方は骨ばっていて年の割に小さく、ケロイド状の傷跡のある手である。
もう一方は海苔のように毛が生えたそぼった頼りがいのある大きな手なのだ。
「なーにぶつくさいってんだよっ! にひひひひっ、オマエは嬉しいときもビビんのかぁ?」
耳にタコができるかと思うほどに聞き慣れた陽気な声だった。
脳が揺さぶられる。落とした視線が明滅するほどの衝撃が全身を疾走する。
「ったく……締まらねぇ野郎だ。ビビるときはビビっていいが、喜ぶときはせめて笑え」
低く諭すように。それでも優しさが滲む声だった。
胸の中央辺りからぬるりと粘度の高いものが全身に渡って広がっていく。そのものの正体は、後悔でしかない。
明人は、静かに世界を閉ざした。
「そうだった……《汝、生涯を賭して勇猛な盾であれ。我らは盾。天上に至りて世に個の歴史を刻む者。汝と共にあらんことを》……」
消え入りそうな声で紡ぐのは、約束の詩だった。
そして、明人は選択する。
「オマエラはもういないんだよッ……!!」
押し殺した悲痛の叫びと同調するようにドクン、とだ。
世界がうねり、さらにうねり、津波の如き衝撃を発した。
「ここでオレが……この世界を受け入れたらオマエらを否定することになる……!! オマエらが存在した世界を……!! 2人が地球で生きたことをオレは忘れちゃだめなんだッ……!!」
感情の猛りと共にその体が蒼に包まれていく。
フィラメントを使わずしてF.L.E.Xが発現する。
すると世界はあっけないほど容易に消し飛んだ。まるでガラス片の如く砕け散り、肩を掴んでいた手は腕から先が崩れ落ちる。妹の愛らしい横顔も溶岩のようにぼこぼこと気泡を浮かべ、溶けていく。
「クソッタレ! クソッタレ! クソッタレ! クソッタレ! クソッタレ! クソッタレェェ!!」
イスの上で頭を抱え明人は、霧散する唾に忌み事を籠めて何度も吐き捨てた。
世界は残酷であり、誰もがみな等しく狂っている。
「――ッ」
希望のメッキが禿げた後は、うねるような闇のみ。
ここで絶望が幕を開けたこと知る。
渦巻くような、粘りつくような、不快な黒のなか。ボリュームのつまみをあげるように徐々に大きくなっていく声と声。
「……た……っけて……」
「い……い……い……た……!」
すえた血の臭いと粘度の高いなにかをかき混ぜるような音だった。
とある研究者の残したメモによれば、対応せねばならない事象だとか。
「……っ!」
過去の惨劇が脳裏をよぎり明人は、身が総毛立つのを感じた。
血管は氷水を巡らせ、わなわなと慄きだす。体は己で抑えきれない恐怖を体現し、感情がまっさらに吹き飛ぶ。
巣のなかで、イスに座った1人の人間が取り残されていた。
「――――――――――――――――――――――――」
それを見つめる真っ赤なおどろおどろしい1つの巨大な瞳である。
円盤状の膜が伸縮を繰り返し、まじまじと明人を正面から見据えていた。
「くっ……くくっ……ククククククッ」
しかし、臆病者のなかで圧伏していた激情が化学変化をおこして、笑う。
「そうだよなぁ……! オマエのいない世界がァ! 現実のはずがないよなあ!?」
たび重なる戦争と恐怖の連鎖は、確実に変化をもたらした。
覚悟を鈍らせ判断を下せず異世界へと渡った臆病者は、ゆっくりと前を向いて、その瞳を睨みつける。
うちで炸裂した怒りが漏れでるように、その表情は幾多のシワを刻み込み。明人は、声を裏返して、その名を呼んだ。
「ア ン レ ジ デ ン ト オ オ オ ! ! !」
途端に、白熱灯が点灯するが如く世界が入れ替わる。
白を基調にした綺麗に加工されている木目調の石壁と大理石のようにブチの入ったツヤのある硬い床。寝かされて等間隔に延々と並ぶ古ぼけた四角いオブジェがある。
明人は、不意に我へと返った。急速に沸騰した脳が冷えていく。
「こ、ここは……んっ?」
冷え切って反転した素面が向いた先には、ユエラとリリティアが見えた。
ふたりとも身を寄せ合って手を握り合い、ぷるぷると震えている。
「なにしてんの?」
「あきとさんこわいですぅ……こわかったですぅ……」
「びっ、びび、びっくしたよぉ……りりてぃあぁぁぁ……」
すでにふたりは理想郷への神槍門を踏破していたということか。
そして、遅刻者の到着を待っていたらあの絶叫である。驚いてもなんらオカシクはない。
青ざめた泣きっ面を見た明人は、ぼりぼりと頭をかいて謝罪する。いつの間にか纏った蒼もなくなっている。
「あー、なんかごめん。流石、神より賜りし宝物だな。ヴァーチャルリアリティーがゴミ箱いきになるくらいメチャクチャ楽しんだよ」
「た、楽しみすぎでしょぉ!? なんなのよいきなりっ! もおおおびっくりさせないでよ!」
そう言って、ユエラは腰に手を添え頬をぷっくり膨らませた。
余程怖かったのか、芯が抜けたように長耳が力なく下をむいている。
それ以上の言及は特になく明人は、ぐるりと首を回して辺りを確かめた。
「ここが混淆の祠か? 名前からしててっきり和風建築かと思ってたけど、ずいぶんとまぁ神殿ちっくだな」
祠という割に空は緑の茨がくんずほぐれつ天幕を作り、隙間から陽光と思わしき輝きが斜めになって奥行きのある廊下を照らしている。
特筆する点があるとするならば、やはり等間隔に寝かせられたオブジェ。
その質問にリリティアは、ぴんと指を立てて答えた。
「ここはまだ混淆の祠ではないと思います。おそらくここは棺の間へとつづく道でしょうね」
「棺の間?」
「はい。通常ですと選別された優れた魂、英魂は、天界に送られ天界で新たな生を受けます」
リリティアのげしやすくも度し難い解説を耳に、誰ともなく歩きはじめる。
そして、ワーカーも飼い主につづく犬のように意気揚々と4つ足を繰り出す。
棺は左右の壁際に二列になっており、中央は僅かに広い。環境破壊がはなはだしい重機にも優しい設計になっていた。
「しかし、英魂であるにも関わらず素行不良や僅かに選別の線引きに届かぬ魂は、ここの棺に保存されるのです」
目標は、にゃにゃにゃのニーヤの解呪であり観光ではない。各々、試練を越えても目的は忘れてはいないだろう。
白細い指を指揮者の如くくるりくるり。そうやってリリティアは、薄い胸を張って解説に勤しむ。
「そしていざとなったらその英魂を目覚めさせて――」
「いざとなったらって?」
ふとリリティアの言葉に疑念を覚えた明人は、頭を傾けた。
軽い口調でもその瞳には、これを聞き逃すほどアホではないという気持ちがこめられている。世に疎い人間とて薄々はなんらかの気配にだって勘づく頃合いだった。
戦争勃発の原因となる神より賜りし宝物の出現だけでなく減っていく魂の上限なんてものも聞かされている。そして、種の絶滅を願う救済の導と神の存在まで。これらは明らかにこのルスラウス世界で異常が起こっていることを示唆していた。
「……うー、えいっ!」
「うおっ!?」
答えを待つ明人の腕に突如リリティアが飛びつく。
白いドレスは雨に濡れておらず、安心するほのかな香りが明人の鼻腔をくすぐった。
たじろぐ男に気にもかけた様子もない。リリティアは、頬をすりすりと腕に擦り付ける。
「明人さんはぁ、どんな希望を見たんですかぁ?」
目が細まった粘っこい妖艶な笑みに猫なで声だった。
そして明白なまでに明らかな話題転換でもある。
答えたくないのであれば答えないのがリリティアの常というもの。
明人も察して話題転換に応じてやることにする。
「勇敢で優しい、ハッピーエンドな感じの夢だったよ。そういうリリティアは?」
コツコツ、というスニーカーとふたりの足音が岩壁に響いていた。ぺたぺたとストラップ付きのサンダルと小気味の良い革のブーツ。
果ての見えぬ荘厳な廊下は、いっこうに変化を見せず。同じ場所をぐるぐると回っているような錯覚を与えるほどに長い。
「私は、死んだ方も生きている方も平和になった世界で、みーんなを誘いの森に招待してご飯を食べる夢でしたっ」
「ほぉん。それは素敵だねぇ」
やけにべたべたしてくるリリティアに微かな違和感を思えつつ。明人は、ほどほどにいなした。
そんな組み付く男女をよそにユエラは、押し黙ったまま冷たい石床に目を落としている。
物憂げな彩色異なる目は赤く、額には前髪が貼り付くほどに汗が滲んでいた。
「ユエラ? どうした?」
「……私は見なかったの」
ぽつり。弱々しくこぼれる不安げ。
「え? 見なかったって――」
「私は、きっと混血だから絶望のほうだけを見たのよ……」
思い出したくないもの思い出したのか。ユエラは自身の肩を抱いてぶるりと大きく震えた。
顔はみるみるうちに血色が失せ、吐息は荒々しい。
それを見た明人は、リリティアがやけに接触してくる意味をようやく理解する。全員があれほどの絶望を体感したのだ、と。
ユエラのように表情にはださないが、ここにいる全員の心が憔悴しているのだろう。
明人がひっついてくるリリティアを拒否しない理由も語るに及ばず。みな相応に。
しかし、ここでリリティアが口を開いた。
「それはたぶんですけど……」
明人の腕にしなだれかかり、歩幅を合わせて小鳥のようにちょこちょことつづく。
「ユエラの願いが叶っているからじゃないんですか?」
ピタリとユエラの足が止まり、明人に合わせてリリティアも停止する。
ユエラの夢は、エルフたちに認められることだった。
ヒュームの血が流れるばかりに覇道の呪いによって妨げられ、仲間の輪に入り込めなかった孤独。
一転して今は、エルフたちの感謝されて生きている。複数の友人もいて、ちょくちょく家に遊びに来るちびっ子、シルルもいる。
戦争が終われば、混血はきっともっと幸せになるであろう。
「……叶ってる? じゃあ混血だから幸せな未来がないってことじゃないの?」
「神より賜りし宝物ですよ? そんじょそこらの魔法とはわけが違いますからね?」
一瞬リリティアを見る目が広がり、すぐにユエラはなめらかな唇に指を添え、こくこくと頷いた。
「……そっか。確かにそうね……叶っちゃったんだ……。――うんっ! きっとそうよっ!」
段階的に喜びに満ちていく声色。
そしてユエラは石床を蹴って明人の腕に飛びかかる。
「――てえいっ!」
「うぉっ、と!? ……なんなんだいキミたち?」
「私から希望を奪った罪は大きいわよっ!」
そう言って、ユエラは「にひっ」と歯を見せて笑った。
誰も絶望の夢を問おうとはしない。
いつもの面子は、いつものようにぽくぽく歩く。
ただいつもよりもほんの少しだけ楽しげで、会話が弾む。
まるで恐怖を押し止めるかのように、または傷を舐め合うが如く。
○○○○○
物語の根幹が明らかになり始めても語ってしまうSSのコーナー
……………
「あの、ユエラさんリリティアさん。歩いていただけますか?」
「体力のセーブ中ですぅ」ズリズリ
「いや絶対普通に歩いたほうが楽だろ!?」
「なによー? 女の子に重いっていうの?」ズリズリズリ
「いいかいユエラ? テンプレみたいなことをいってるけどもだ。10キロ以上は重いよ? すべからく重いよ?」
「両手に花ですねー」ズルズル
「ほんと約得じゃなーい」ズリリリリ
「…………片手に板」ボソ
「あ”ぁ?」
「おーリリティアってそういう般若みたいな顔もするんだね……ちょーこえーっ。顔が近い、近い近い近い」
「もう一回。もう一回だけ聞かせて下さーい。両手にぃ?」
「いた――いたたたたたたっ!? 折れる折れる折れるぅ!!」
「そうですか痛いのいい間違いでしたか。これはシッケイシマシター」
「棒よみぃッ!」
「勇気あるわねー。アンタ」ズルズルズル




