110話 それから口づけは甘く、せつない
すれ違い
そして告白
未来から逸した瞳は
青いリボンのように
揺れ動く
明人の脳内でけたたましい警告ブザーが鳴り響く。ロジックが枝分かれするように数多の可能性を描きだす。
椅子の上で泣いていたはずの消えたヘルメリル。そして、そろりそろりと慎重に逃走を図るリリティア。
「お、オマエ……ヘルメリルを……!」
まずいとでも言いたげに、リリティアは手首猫のようにまるくしつつギギギと首を回して明人の方をを向く。
導き出した結論はひとつ。
「食ったのか!?」
「はーーーあっ!? どーーうやってその答えに行き着いたのか聞かせてもらえますか!?」
「食ってないのか!?」
「食べるわけないじゃないですかッ!! とっくにメリーは大扉で帰りましたよ!!」
そう言って、リリティアは片頬をぷくっと膨らませて足音高めに明人に詰め寄る。
そして、これこそが導き出した結論。
明人は間合いを目測し、もう逃すまいという固い意志とともに近づいてきたリリティアを力いっぱい抱きしめた。
「みゃああ!?」
顔に胸板を押し付けられたリリティアは最初だけ力のない腑抜けた抵抗をしたが、やがて消沈する。
「あぁぁ……ぅぅ……」
余裕がないのか。頬を胸板に押し付け、されるがままにだらりと両腕を垂らした。
「ひゅーう♪ じゃあ後は若い者同士でしっぽり語り合っちゃてくださいなー!」
わざとらしくユエラは手で口元を覆い隠し、もう一方の手でひらひらと手を振って茶化す。
そして、小躍りしながらそそくさと部屋から退散していった。
パタンと扉が閉じる音を最後に耳が痛くなるほどの閑静がたち込める。
窓から入ってくる夕暮れ薄ばむ一室。長い影をひとつに重ねた男女。互いの高鳴る心臓の鼓動が感じ取れてしまうほどの距離。
日光のように安心する香りがふわり鼻孔を撫で、華奢な体は力を入れてしまえば折れてしまうのではないかと思うほどに細い。そして、暖かく火照った柔らかな甘い感触。
「…………」
そして、明人はすでに後悔をしていた。
その実、捕獲や確保の類であったにもかかわらず、ユエラの残した一言で現実を直視するに至る。
強引に抱き寄せられたリリティアは、物言わず。すっぽりと明人の腕の中に収まって微かに肩を震わせていた。
触れ合う肌のなめらかさと汗がなぞる首筋の淫美さ。意識すればするほどに強くなっていく高揚感。
不意に頬が照ってくるのを感じて明人は、拒否ととられない程度の力でゆるく押しのける。
「せめて逃げないで欲しい……出来ることなら話をしたいんだ……」
すると、薄い胸を覆うドレス生地をきゅっと掴んでリリティアは熱の籠もった瞳で明人を見上げた。
ぷっくりとした頬はこらえきれぬといったほどに紅潮し、とろりととろけた眼立ちはのぼせるかのよう。まるで恋物語のクライマックスに熱をあげる乙女。
そして、リリティアは2度3度言葉をつまらせると息多めに話しだした。
「……あの、ですね……」
喉まででかかっているのに言葉にならないといった様子。しかし、僅かに赤みを帯びた眼は真っ直ぐ相手に向けられている。
対して明人も内側で暴動を起こす雑音を押さえるように浅く呼吸を繰り返しながら次の言葉を待った。
橙から紫へ展開は変化する。しばし見つめ合う1人とひとり。
すると、リリティアの目の縁に涙が浮かび上がる。
明人は文字通り全身を跳ね上げた。咄嗟にリリティアの肩に手を伸ばす。
「まっ、てっててってぇ!? つっ――泣くなよっ!?」
「だってぇ……だって……ぐすっ、明人さん私のこといらないんじゃないかって……」
決壊したかのように頬を伝う雫をリリティアは、ぐしぐしと手の甲で受け止めた。
右から左から洪水の如く溢れ出す涙の雨。
「わたしがい、なくてもっ……うぇぇっ、ど、どんどん解決してっ……ひっ、いつきょうりょくをおねがいされるかって……まっでたんですぅ……!」
「それってオレのせいってこと!? オレはオレなりにがんばってただけなんだけど!?」
明人の失策。それは、リリティアが見ていることに勘づきながらも相手にしなかったこと。
のらりくらりと命が懸かっていないことを棚に上げて、手を出した案件をサクサク改善してしまう。ワーウルフとの試合に魚市場の壊滅と救出。
それを傍から見ていた剣聖リリティアは、募る不満を貯めに貯め、今こうして感情を爆発させてしまった。
とはいえ、明人も明人で花火の晩のこともあり話しかけづらかったというのもすれ違いの起因であろう。
明人はいずれ向こうから話しかけてくるだろうと楽観し、リリティアはいっこうにお声がかからないことを案じた。
そうでなくとも心に隔たりがあったふたり。
いよいよの覚悟で片方が心の門戸を開いた途端の口づけ。大股開きで急接近してきた者がいた。
少なくとも明人に罪は、それほどないだろう。
しかし、不審な様子に気づいて放置していたのも相違なし。
「な、なんかごめんっ! ほんっとごめん! あーごめん! わーごめんって!」
明人の謝罪で火が着いたのか。とめどない涙を拭いきれずに諦めたのようにリリティアは、天を仰いでしゃくりあげる。
「しかも……わたしよりもみんなとなかよくなってるじゃないですかあああ!」
「それは知らねぇよ!? 泣いてるからって一方的に許容されると思うなよ!?」
「ひいいいん! ぐすっ、メリーもユエラもいっつもいっしょにいてずるいですよお!」
ガタン。廊下の方から不穏な物音が聞こえてくる。
しかし、普段から周囲に警戒網を張っている明人でも珍しく気がつかない。もうただのパニックだった。
泣きじゃくるリリティアの肩を押さえてガクガクと振れば、首の座ってない赤子のように上下に揺れて涙を散らす。
一室で、壮絶な痴話喧嘩の如き不満という厄介の熨しつけ合いはつづく。
「わああああん! わたしとっ! あきとさんはっ!? きょういそんじゃないとダメなんですう!」
「どっちも依存してない! 共不依存ッ!」
「あなたしかわたしをじゆうにできないんですからぁ!」
「だったら血の盟約の説明をはやくしろよおお!? つーかさっさと自分の種族をオレに教えろ!!」
スッと一気に熱が引いてリリティアはいつもの表情に戻った。
泣きじゃくる少女からほがらかで晴れやかな笑顔の女性へと様変わり。
「それは嫌です」
涙の雨は元栓を締めたかのように止み、それでも頬には通り道だけが光をまぶす。
手はリリティアの細い肩を包んだままに。明人は鼻の横の筋肉を痙攣させた。
「……まさか演技か?」
「半分くらいは冗句です。でも、泣いたらスッキリしましたっ。ちなみに寂しかったのは本当ですよ?」
そう言って、リリティアはすっきりとした眩しい笑顔を傾ける。
後部で結った大きな三つ編みがゆらりゆらりと振り子のように振れた。
今度は明人が天を仰ぐ番だった。
片目を隠すように手を置いて、額には焦りによる汗がじっとりと滲んでいる。
「もう好きにして……。オレは夜に備えて寝るから……」
しかし、リリティアは追い打ちをかける。
「せっかく勇気をだして告白したのに明人さんからの返事がまだ聞けてませんよー?」
そう言って、リリティアは涙の余韻を眼に滲ませて怒ったように口をへの字に変えた。腰に手を添え、三つ編みの根に帯びた青い大きなリボンが蝶のように羽ばたく。
精霊祭の晩、星空の見守る下で明人が渡したリボンのプレゼント。
決して高いものではない。出店にたまたま並んでいたもの。テキトウに引っ掴んで選んだだけのもの。
長尺で洒落っ気もなく、それでもリリティアは渡した直後から毎日リボンをつけている。
長い余りすら切らず三つ編みに巻き込み、ブロンドと青が斑になるかのような前衛的な使用法。
朝になったらリリティアが寝ぼけながらリボンを片手に頼み。面倒げにため息をついて、それでもユエラは丁寧に結う。それを明人は、どこか心穏やかにみつめる。
瞼の裏に描いた穏やかな時間。明人は、覚悟を決めるために一度だけ深呼吸をした。
そして、リリティアの肩を掴んで強引に引き寄せる。
「あっ……!」
リリティアもはじめは狼狽えて体を強張らせるが、すぐに理解できたのだろう。嫌がる素振りを欠片も見せず若干の戸惑いを見せながらもこくりと頷いて、顎を上げ、瞼を閉じた。
再度、空想に入り浸るような静寂がおとずれる。
「……」
「……」
どちらともなく近づいていく。
リリティアはつま先立ちになり、明人は屈むように腰を曲げた。
すでに互いの湿った息がかかるほど。薄く柔く突き出された唇と唇。
「――っ!?」
明人は、額に口づけをした。
リリティアも感情が抑えられないのか燃え上がる紅に変化した瞳を、赤白させながら額を押さえる。
「!?!?」
そして、明人は休む暇なくリリティアのぽっと色づいた頬へつづけてキスをした。一瞬ではなく2秒ほどの長い長い接触。
立ったお米のように艷やかで弾む頬を数回にわたって優しくついばむように。
柔肌を惜しみながら頬から唇を離し、一呼吸を置いて、己の答えを伝える。
「ごめん。たぶんオレにその資格はない」
笑いもせず、悲しみもせず。明人はいつも通りに告げた。
「…………」
伸ばした手の行先を求めるかのようにリリティアは彷徨わせ、しゅんと俯く。
「オレは、まだ約束を守れてない。大切な戦友、大切なともだ――っ!?」
それ以上言うなとでも言いたげに、繊細な指が明人の口に押し当てられた。
そして、リリティアは蠱惑的なオーラを纏うが如く紅色の瞳を片方閉じて、明人の唇に添えていた指をぺろりと舐める。
「今日はこれで我慢しておきます」
ととと、と。耳を烈火の如く赤く染め小走りで明人の横をすり抜けていく。
威勢よく開け放たれた扉からゴンッという鈍い音が聞こえた。同時に「あいっだぁ!」とユエラのものと思われる悲鳴が木霊する。
日は沈み、月が登る。その真下にとり残された人は、呆然と開け放たれた扉の向こうに忘れかけていた夢を見た。
「……そういうことするから……」
手からこぼれ落ちて、残された後悔。叶えるべく歩んだ先で、未来を求めてしまう我儘。
「…………迷うんだよ」
濃くなる闇に過去を映して呟いた、心の叫び。
誰かが未来を歩めと耳元で囁いた、気がした。
○○○○○
本編との寒暖の差が激しいため絵の後ろに書き連ねた
語るのか語らないかといえば語るSSのコーナー
……………
「いっつー! 明人! アンタ、リリティアになにしたわけ!?」
「なにかしたかといえば……まあ、したかな?」
「ま、ままま、まさか!? すすす、すごいことしたの!?」
「それを決めるのはユエラの妄想のレベルによると思う」
「うっ! そのぅ……えっとぉ――Aくらい!?」
「残念。ちなみにBとCにも当てはまらないな」
「――Dですって!?」
「D!? ちょっと待て、すげぇ興味あるッ!」
「あぁ……リリティアがハードな大人の階段を……」
「Cの先ってなんだ!? いやいや遠い目をしてないで教えてくれ!?」
「……このけだもの」
「いいから! もうそれでいいから! Dってなんだよ!?」
「さて、もう寝よっ」
「ユエラさん!? あっ! ちょっと待てって!」




