106話 それからもう一度
霧晴れる頃
湿った部屋に部屋での
狼の償いと魚の対談
そして人間は
ぎゃん泣きする
小魚はたまらずといった様子で母の胸に飛び込む。
「おかあさまああ!!」
「ピチチッ!? ああ……! またアナタに会えるなんてっ……!」
飛びついてきた娘を母はしかと受け止めこらえきれぬ涙を共有した。
母と子の共演による感動の再会だった。
そして病によって侵された父は、呼びつけた自然魔法使いの治療を受けている。
人が10人ほど横並びに眠れるであろう布団の上には酷く痩せた男がひとり眠っていた。
品はある、だが灯火は消えかかっている。呼吸も僅かで、その呼吸でさえ吹き消えてしまいそうな脆弱さ。
「あ、あの! 王を蝕む毒を治癒することは可能なのでしょうか! もし必要であれば私の血肉を触媒としてくださってもかまいません!」
ピジャニアはたまらずと言った様子で濡れた髪を振った。
「私は呪いは使わないの」
彩色異なる瞳をした少女は、錯乱する母の傍ら、手で制しつつ粛々と作業を始めていく。
布団の上にはイラクサやシソのように棘状の草が散らされていた。それらは魔草。ユエラ謹製の自然魔法で生成されたもの。
薬草や毒草にマナを使用して病状にあった特効薬へと変化させる。ヒュームとエルフの混血であるからこそなせる繊細で大胆な技法だった。固有魔法の《レガシーマジック》。
「酷い毒ね。これは生かさず殺さずを目的としたもの。でも無駄よ」
ユエラ・アンダーウッドは、流れるような動作で眠る男の胸へと魔草を置いていく。
手入れの行き届いた青竹のような艷のある長髪がさらりと男の乾いた顔を撫でた。
そして、全身から媚薬のような雰囲気を纏って艷やかに唱える。
「《ハイヒール》」
よくしなる指が淡く煌めきを放つ。
凛とした詠唱に従って魔草は光の粉末となり男の体に雪の如くしんしんと降り注ぐ。それは乾いた肉体に当たるたび水面に雫が落ちるように緑の波紋を作った。
魔法と調合によって作られた魔草に魔法を組み合わせる薬師ユエラの得意技。それは如何な致命傷であれ一瞬で塞いでしまうほどの強力な治癒を患者に施すというもの。
これなら多少の毒なぞ道端の石を蹴り転がすほどに容易であろう。
そして、外套の袖で額を拭うような仕草で絹のような肌に貼り付いた前髪をどける。
「……ふぅっ。これで毒は完全に消滅しました。あとは目が覚めるのを待っていっぱい食べていっぱい眠ればすぐ元気になりますよ」
ひと安心といった感じで可愛らしく一息。
それは伝搬するようにピジャニアの安堵へ繋がった。
「なんとお礼を言ったものか……! ありがとうございます……ありがとうございます……!」
なきじゃくる娘を抱えた、母。
彼女こそ上品な色気漂うマリンブルーの瞳を滲ませたマーメイドの王の妻だという。
ピジャニアはユエラへ跪いてなんども感謝の言葉を口にした。
その目の下にはなぞるように薄いクマがあり、幾分かの疲れが見てとれる。
「ひゃっ!? た、立って下さいっ! うちのバカがものすごく失礼なことをした責任のお返しでもありますからっ!」
ユエラもたまらず仕事用の顔を放り投げた。
いつまでも跪くピジャニアを見ておろおろまごつく。長耳が動揺を示すように上下に振れる。
それもそのはず。狡猾な人間の指示のもとに相談もなく作戦はおこなわれてしまったのだから。
その名も、オペレーションマッチポンプ。
明人は、ブレーメンの笛吹きの如く引き連れた魔物たちを利用し、複合種へと打撃を与えながら恩を押し付けたのだ。
捕らえられているマーメイドたちの居場所さえわかれば盾にとられる心配もない。
障害となる廃屋ていどならワーカーの腕力でビスケット同然となる。駆ければ、敵が状況を把握する前にマーメイドたちを確保できてしまう。
あとは作戦通りに騒ぎを待っていたワーウルフたちや双腕と合流して、マーメイドたちを背に魔物ともども対峙すれば良いだけ。
市街戦であれワーカーには生体反応を感知するレーダーもついている。奴隷となったマーメイド族と困惑した敵の場所さえわかれば手玉にとったようなものだった。
そして、結果的にいえば作戦の上澄みは成功。都を牛耳ってのさばっていた奴隷商たちは数分で敗走した。
しかし、立案者にとっては納得の行かない結果ではある。
「うっ、ずびっ……! よがったなぁピチチ……よがったなぁ……!」
そんなやりたい放題を終えた明人は号泣していた。
とめどなく流れてくる涙を羽織った黒いジャケットの袖で拭う。
離れ離れになった母と子の再開。そして、病に伏せていた父親の治療。涙もろいものが泣きじゃくるには充分なフラグが立っていた。
「ぅぅ……わるいちょっとかりる……」
しかし、明人は袖で足りずと見て丁度手の届く場所あった外套の裾をめくり顔を押しつけた。
それと同時に煽情的な短めのスカートに包まれた豊かな曲線を描く臀部もちらりと顔を覗かせる。
「またぁ……? アンタって意外と感受性豊かよね……」
それを知ってか知らずか、ユエラは嫌がる以前に呆れた様子で頭を抱えた。
カビ臭い廃城の一室に木霊する3つ分の泣き声。
「おかあさま! おかあさまあああ!」
「大丈夫? 怪我はない? 痛いところは?」
「うぐっ、ずびびびっ……」
妻子は互いの身を案じて抱き合う。
明人も花に彩られるが如き美しい再会を祝うように誰よりも号泣する。
「ワタクシも母子による感動の再会を祝いたいんですのよ……。でも、あきらかに1人が邪魔ですのよ……」
エルエルは、整った眉根を寄せた。
嬉しいんだか鬱陶しいんだか。そんななんとも言えぬ表情で民を見守っている。
と、そこへユエラが豊富な胸囲を押し上げるように横へ並ぶ。
「ご愁傷さまよね。アナタもこのバカの企みに巻き込まれたんでしょ」
「とびきり酷いところで観戦させられた気分ですのよよよ。一歩間違えれば仲間のかたがたすら危険に晒す外道行為だったんですのよ……」
宙をまどろむようにふよふよ浮かぶは、創造神の側近。
しかし、恐らくユエラはそれを知らないため友だちのように接している。
対してエルエルもそれが心地よいのか決して素性を明かそうとはしない。
ひと心地ついた丁度その時辺り。
外で粛々とマーメイドの救助作業をおこなっていたワーウルフが、がちゃがちゃと音を立てて部屋を訪れる。
頭に二枚のカスタードクリーム色をした垂れた動物耳。胸部だけを守る優美な儀礼的銀鎧をその身に装着した様は勇猛な戦士。
「こ……これはいったいどういう状況なのだ??」
ワーウルフ族長の娘。ジャハル・カラル・ランディーはふかふかの尾を下に向けた。
涙する一室にて――主に明人を見ながら――男気すら感じさせる凛々しい美貌をひきつらせる。
王がいると聞き及んでいた部屋についてみれば、ひときわ大きく泣きわめく男が1人。困惑するのも無理はないだろう。
「――ッ!? あ、アナタ様は!?」
ピジャニアは鳩が豆鉄砲を食らったかのようにピタリと硬直した。
娘を抱いて、頬には感涙が線を描く。
「あ、アナタはカラム・カラル・ランディー様のご息女であらせられるジャハル様ではありませんか!?」
名を呼ばれたジャハルは、一瞬だけうつむいてユエラの外套に縋り付く明人をチラリと見やる。
そして、決心したかのようにピジャニアの前へと赴く。
その《トランス》の魔法が解けた獣の手で、まるで敬礼でもするかの如く銀鎧に覆われた胸へと構えた。
引き締まった体躯に不釣り合いな野太い針のような剛毛。さらには狼を名乗るに相応しい鋭利な爪は鋼鉄の剣の如き輝きを放つ。それこそがワーウルフの武器である。
「その通りにございます! 我らワーウルフは、過去の罪を償うためマーメイド族を救助へと馳せ参じました!」
ジャハルは、明人のくわだた前口上を、口にした。
これによって呪いは解ける。あとは当事者同士の解決に向けた示談のはじまりとなるだろう。
「覇道の呪いによって蝕まれた身。それでも貴方がたにおこなった不当な扱いは数知れず。貴方がたマーメイド族は、我らワーウルフを罰する権利があります」
背筋をしゃんとのばし、そして折り目正しく踵をあわせ、腰を90度に曲げる。
その瞳は正確に真っ直ぐピジャニアに向けられていた。
まるで己の生き方を誇示するかの如き堂々たる所作。腹を斬れと言われたら即座にその屈強な爪で割腹してしまうのかと錯覚するほど。
「そ、そんなっ……罰するだなんて!? ワーウルフ族には感謝の言葉も――!」
「それでは我等の気が収まらないのですッ! どうか! 罪に見合った罰を切に願いますッ!」
「っ!」
生き様というやつ。
例えそれが他者に捻じ曲げられた意思だとしてもワーウルフたちは敗北とするのだろう。
ピジャニアは何も言えずといった様子で口を一文字につぐんでしまう。胸のなかでさめざめと泣く娘に目を落とした。
外の霧は晴れ、窓から線のように降り注ぐ。朝日に照らされて埃の舞う財たる様相をした高尚な部屋。威厳に満ちたロイヤルグランドの如き一室は、肌がひりつくような静寂に包まれる。
「よい」
そんな沈着状態に響いた。
言葉を発するたびに途切れ、喉を鳴らし、苦しげ。
「今は……我ら……共に……立ち向かうべき……だろう……」
ゆっくりと。マーメイドの王は、肢体に纏わりついた石膏を散らすように起き上がる。
その動作だけで骨の浮いた肩が大きく上下した。張り付いた喉で呼吸を刻むので精一杯と言った様子だった。
「ああっ!? 起きちゃダメです! まだ休んでいて下さい!」
慌てて飛んでくるユエラを制すようにして王は枝のような指を開いた。
毒気が消えたとて体力が戻るわけではない。それでも王は痩せこけエラばった口角を震わせ、笑とする。
「貴殿らの統治をもう1度……貴殿らの国に我らを住まわせては貰えないだろうか? 我らはマーメイド族は、あの規律を正す貴殿らの作りあげた風景を好んでいたのだ」
経緯を愛し、善とする。
楽しげに時を見つめるような。目を細めて語られる王の裁量。
ジャハルは瞬くようなひと時だけ顔をくしゃりと歪めると、かしずいて王へ頭頂を見せた。
「――ッ! その言葉、後悔させぬよう! 精進を重ねて参りたく!」
表情は見えずともときおり肩を震わせ雫が紅のカーペットに滴り落ちる。
啜り泣く3つの音。これによってワーウルフはしこりを切り落とし、マーメイドは再会を果たす。
そんな崩れた信頼を優しく組み直すような美しい光景だった。それを前にしてエルエルとユエラは、改めて頭を抱え直した。
「ずずっ、あああっ! よがっだなぁ”……よがっだよぉ”……平和にいぎろよぉ”!」
「あの……この御方はいつまで泣いていらっしゃるんですのよ……?」
「感動的な光景の邪魔にしかならないわね……どっかに捨ててこようかしら」
和解の様子を目にして、人間はさらに激しく涙を流す。
色々と台無しだった。
○○○○○
語られないから語られるSSコーナー
……………
「瞼と鼻がかぶれて痛い」
「いつまでもメソメソやってるからよ。薬塗るから顔だしなさい」
「いててっ、しょうがないだろ! 出ちゃうもんは出ちゃうんだよ!」
「ほんっとちぐはぐなお方ですのよー」
「あーあー、私のマントぐしゃぐしゃじゃない……」
「ごめんごめん。でも、どうせそれ洗うのオレだから」
「まっ、だから放っておいたんだけどね。帰ったらよろしくねー」
「あいよー」
「勝手知ったる熟年夫婦か何かですのよ!?」




