105話 それから閉ざされた部屋へ
王は伏し
エルフは笑う
妻は娘を逃し
王を愛す
閉ざされた部屋は霧のなか
過去、幾万数ものヒュームによって繁栄と栄光を誇った躍動の歴史を刻む、それが霊魂の廃都ファリーズ。
廃都なれど城の佇まいは長い退廃を経て未だに荘厳さを完全には欠いていない。
「~~♪」
その一角に流れる希望の旋律は、悲しくも、だが美しい。
みすぼらしく割れた窓の外には、薄衣のような濃い霧が立ち込めていた。朝日を拝むにはもう少しだけ遠い。
苦痛に呻く声を撫で擦るようマーメイドは、愛する旦那のためにひと晩中を歌いつづけていた。
延命の薬はまだか、あの毒気を纏ったエルフはいつ扉からやってくるか。
もしかしたらもうこないかもしれない、見捨てられたのかもしれない。
そんな心苦しさをその艶やかな胸中に押し込めるように手を添え、彼女は歌を調べる。
「…………」
「~♪」
天蓋つきの高貴なベッドには男が横たわっていた。
彼女はその男の傍らに寄り添う。
「……ぁ……ぅ……」
男の額には玉のような汗がしどと浮かび、寝床の大きさと反比例するかの如く小さく見えた。
王である彼がどれほど容態が悪いのか、妻ですら理解ができない。もしかしたらすぐにでもその浅い呼吸は止まってしまうかも、そんなおぞましい妄想に身を焦がす。無力にも癒やしの言葉を音色に乗せて紡ぐだけ。
「っ……!」
まっとうするピジャニア・ナルセル・ランディーの耳が自分の元とは異なる音をひろう。
大樹の葉のような耳ヒレが僅かな足音にふと反応した。
歌を止め、耳をすませば聞こえてくる大理石の床を踏むヒールの音。ゆっくりと、高飛車に奏でられた音は、恐らくわざと。
激戦によって崩れた建物の風体は吹き晒しで埃にまみれる。廃れた白亜の壁は黄ばみ、外壁は苔によって侵食されている。
それらこそ解放戦争の残滓だった。ピジャニアは愚劣な陵辱の日々を窓の外に思い描き、子を生みなお衰えることのない美貌をアンニュイに曇らせるのだった。
――このような形でまたここへ帰ってくることになるとは……。
「もう歌わないのかしら? それにしても相変わらず埃っぽい部屋ね」
外套についた被り物を目深にかぶってなおエルフである女が扉に寄りかかっていた。
横に開いたフード。そして、紅を引いた唇が弧を作って微笑む。
「フフフ、それに負けずアナタもなかなかに陰気臭いわぁ?」
エルフの女は、手にもった小瓶をぞんざいにベッドへ放り投げた。
すかさずピジャニアは延命の薬に飛びついて拾い上げる。
「ッ!」
「ほうら急ぎなさいな。1秒遅れるごとにアンタの男はますます衰弱していくことになるわよ」
言われるまでもない。ピジャニアは薬液を口に含む。
旦那である王に口づけを交わし、ゆっくりと流し込んでいった。
男がこくりこくりと反射的に喉を鳴らす。徐々にではあるが顔色は目に見えて良くなっていく。
その様子をエルフの女を愉快げに抽象する。
「男に飢えた獣のような女。まったくこうはなりたくないわねぇ」
「…………」
今日の分を投与し終えたピジャニアは安堵し、悔しさを噛みしめた。
抵抗は王の死に繋がる。王はエルフに仕込まれた毒によって蝕まれていた。マーメイド種を手駒にするための道具として生かされているだけ。もし不利益と判断されれば女が手を下すまでもなく王は輪廻へ惑う運命を辿るだろう。
「ああ、そうそう。陰気臭いアナタのために吉報を授けにきてあげたんだったわ」
くびれた腰をしならせエルフは目的もなさ気に部屋を徘徊する。
女が歩くだけで鼻をくすぐるような蠱惑的な香りが部屋中に漂った。
「ワーウルフどもの駆除が間もなく終わるらしいわ。アンタたちを支配していた連中が死に絶えるのよ。よかったわねぇ」
覇道の呪いの存在。わかっていても抗えぬと知った上で、エルフは嘲笑しているのだろう。
「……そんなことでワタクシが喜ぶとお思いですか?」
「あら? 喋れるんじゃない。変わらず綺麗な声ね。うふふっ、鬱陶しい」
ピジャニアが反抗的な視線を向けると女は待ってましたとばかりに下卑た笑みを深めた。
女の話が真実なのかを彼女に確かめる術はない。民たちの協力を得て逃した娘の安否すら定かではなかった。王から片時も離れることが許されず。この籠のなかにいては戦いの終わりを予測することさえ難しいのだ。
と、その時だった。ひたひたと廊下を歩く音が別に、部屋へと近づいてくる。
「あらっ? ずいぶんお早いお帰りだこと。酔狂なる愛の化身」
僅かにフードの内側がひくりと動き、エルフの女は廊下へと繋がる扉の向こうに目を向けた。
追ってピジャニアも同じ見て、驚き、身をすくめる。
――なっ!? そんな!?
先のほうが緩やかに癖のついた髪がふわりと波打った。
慟哭する視線の先には、青い宝石のついた長尺の杖を手にする一糸纏わぬ女の姿がある。
その体内マナを感じることでピジャニアは、相手を同種族のマーメイドと即座に断定した。
「色めく艶美。話が違いましたよぉ?」
女は色づいたような鼻にかかるような声を発す
惜しげもなく晒された肢体は抑揚がありながらも均整たもって見目よい。だが、体中に刻み込まれた目を伏せたくなるような傷跡が痛々しい。
――まさか覇道の枠の外である同族によって謀反を起こされるとは!
王へ毒を仕込んだのは間違いなく同族の女である。
ピジャニアは、マーメイドの女に危機感を覚え、王を守るべく両手を羽のように広げて立ち尽くした。
しかし、ふたりは気にした風もなく淡々と話を進める。
「どういうこと? 逃げおおせた狼どもと愛し合う予定だったのではなくて?」
「そのつもりだったんですがぁ……」
マーメイドの女は不満そうに頬を膨らませた。
自身の髪を指でくるくると弄ぶ。
床についてしまうほどに長い髪だった。ところどころがざっくばらんに切りそろえられており決して美しいとは言えない。
「なぜぇ、アザムラーナにワーウルフだけではなくぅ……エルフとドワーフがいるのでしょう?」
間を置きなが女は衝撃の事実を口にした。
不思議そうに首を傾げながら目をエルフの女に対して瞬かせる。
「エルフ、ドワーフ……――ま、まさかッ! もうヒューム領にきているというの!?」
エルフの女は目に見えて狼狽えた。
よろよろとヒールを踊らせ、身を垂らして俯く。
黙しているが、ピジャニアにとっても衝撃的であった。様々な思いが脳裏をかすめる。
エルフとドワーフは戦争中である。少なくとも王が毒牙にかかって病に伏す以前は、ずっとそうだった。
――エルフとドワーフの戦争が集結している? どちらかが奴隷へと堕ちた? それでもヒューム領にいる理由……なぜワーウルフまで?
ピジャニアは脳が破裂してしまうのではないかと思うくらい混乱していた。
馬鹿げた想像がぐるぐる回る。浮かんでは消え浮かんでは消え、イタチごっこのよう。
自らを王のために捧げたピジャニアには当然答えはいつまでたっても見えてこない。
「モッフェカルティーヌもいましたしぃ、みんなでお酒を飲みながら楽しそうにしてましたぁ。継ぎ接ぎも元気そうでしたよぉ?」
のんびりとした口調のマーメイドに対し、エルフの女は両手をだらりと垂らしぶつぶつとなにかを口にするだけ。
「またあのクソったれめ……私たちの崇高な計画に横入りしやがったな……殺す殺す殺す……!」
しだいに大きくなる。その呪詛めいた言葉は恨み言であるとわかった。
ピジャニアは恐怖でぶるりと身を震わせる。
高級感のある青いパレオの裾をひらめかせた。
「さすがにドワーフの神より賜りし宝物を使ってもあの数を一瞬で魅了するのは難しいですぅ……」
そう言って、マーメイドの女は杖の柄を決して美しいとは形容できぬ傷だらけのふとももで挟む。
そして、僅かに頬を紅潮させながら淫らに上下させた。
「んっ、愛がぁ……愛が足りないんですぅ……! はっ、うぅ、もっと私に愛を……もっともっと私を愛してくださいなぁ……!」
寂れた廃城で病に伏した男と怒りに震えるエルフがいて、息を荒げて求める一糸纏わぬマーメイド。正気とは思えぬ異質さ。
――それでも……私にはどうすることもっ!
ピジャニアは忸怩たる思いと己の無力に身を焦がした。
このふたりの異常存在の目的を知っている。必要悪、救済の導。
それは創造神への信仰の極地でありルスラウス大陸を守らんと立ち上がった異常者たちのこと。同じく創造神を崇める他者の信仰と異なる点をあげるとするならば、そのひたむき加減か。
世界各地で声をあげるならばまだましと言える。しかし、救済の導は己の渇望を蒙昧と疑いもせず欲望のままに猛進する。
ただ、大陸に住まう種族たちを目的でもって神の御身へと返すために。
「んぅ……? なんか騒がしいですよぉ?」
ひくり、と。ひとり耽っていたマーメイドの女が杖に押し付けた腰を止めた。
耳のヒレを扇がせる、と。遅れてピジャニアもその異変に気づき、同様に耳のヒレを動かした。
窓の外に広がった綿雲にようなモヤから響く小さな喧騒が聞こえてきている。それと動揺。埃を落とす振動まで。
ズズズン、ズズズン。
「きた」
微かな呟きだった。
刹那。エルフの女は跳ね上がるように体を起こし、狂ったかの如くゲタゲタと声をあげる。
「――ヒャーッハッハッハ! やっぱりそうかお前らかァ!!」
そして、眼球が零れ落ちそうなほどに目を剥いて窓の外へ宣告する。
「絶 対 に 殺 す ッ ! ! !」
フードの下から僅かに見えたもの。それは色気も美貌もすべてを殺意に変化させたかの如き醜悪かつ凶悪な表情だった。
そしてなにかが変わりつつあった。それは過去、奴隷戦争の時と同じく、唐突にやってくる。
ピジャニアはこの変わりはじめているという予感を覚えている。
聞こえてくる。外から明朝という静けさを破るような雑音ら。
「ヒィィィ!? ま、魔物の大群だァァ!!」
「な、なんでこんな!? ど、どこからこんなに――うがぁぁぁ!!」
鼓膜をひっかくような複合種と思われるものたちの喧々囂々とした悲鳴と絶叫だった。
鉄の擦れ合う音と打ち付ける音がひっきりなしに木霊し、誰かの息絶える音も霧のむこうでひとつふたつと増えていく。
そのなかでもより大きな耳やかましい喧嘩が。王の寝室を騒がせる。
『みんなを救うんじゃなかったんですのよぉ!?』
『ジャハル! 親方! ここで魔物を全滅させれば一件落着だァ!』
『うわっ! そうやって恩を売りつけることでまとめて覇道の呪いを解くおつもりですのよ!? 控えめに言って最低最悪外道の所業ですのよ!?』
『ヒャッハー! 一石百鳥のマッチポンプ開幕だぜェ!!』
ピジャニアは、頬をひくつかせながら思考を閉ざした。
たぶん、おそらく。決してろくなことにはならない気がしてならなかった。
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語らない止まらないSSコーナー
……………
「それで、いくんですかぁ?」
「逃げるわよ」
「えぇ?」
「私は正面からは戦わないの」
「ブルっちゃいましたぁ?」
「ぶ、ブルってないわよっ!? ただちょっと予想以上に最低で引いてるだけよ……」
「あー、目的のために手段を選ばない辺り似てますねぇ」
「アレと一緒にしないでッ!!」
「同族嫌悪ですねぇ。ふふふー♪」
「うっさいわね! この痴女がッ! 下着くらい着けなさい!」
「はーい。買っておきますぅ」
「……そこからなのね」




