103話 ところで、和は広がる
地盤を整え
戦争の臭いは
より濃くなる
籠の鳥は
牢獄の獣は
もういない
「そーら飲めや歌えやぁ!」
掲げられた器にとっぷりと溜まった金の水面に月が映る。
ドワーフたち主催の酒盛りがはじまった。ぐびりと酒をかっ食らう場所は代表会議のおこなわれた村役場手前の草っ原だ。
晩の酒をいかにうまく飲むか。ドワーフたちは昼に汗を流し酒で日が暮れれば酒で体を清めるかのように盃を乾かしていく。
酒はアザムラーナ産のサラサララの穀物酒だった。稲穂と同様、金色に輝く液体は舌で味わうというよりは飲み下した余韻を楽しむ。香りに寄りかかるようにコクがあって味わいが深い。
そんな歓楽満ち満ちた草上の会場に、ワーウルフも尾を揺らす。
気性荒く、勇猛果敢。己が種のプライドに基づいた気高き狼たちも酒好き変わりなし。
会議によって結託が決定した者たちは、車座で三々五々に散らばっていた。グループには長耳、筋肉、三角耳、プレーンの人型。見境なしの大団な円となる。
村役場手前に新しく備え付けられたできたてのベンチでは約束の報酬が支払われていた。
ヘルメリルは羽を広げるかの如くふんぞり返る。
「どうだお望みの膝枕だぞ? もっと感涙に咽ぶなりの喜びかたもあるだろう?」
明人を一部分を膝の上に乗せ、筒のような白い喉をくつくつと鳴らす。
交渉の際に交わした、なんでも言うことを聞くという約束。それが今この場でおこなわれている。
「あのさ……膝枕ってこうじゃないと思うんだよ……」
まるで腰痛に苦しむ老人のような姿勢で明人は、ぼやいた。
仰向けに寝転ぶ姿勢で、スラリと伸びた太ももが腰の下に入れられている。
「ククッ、バカを言うな。貴様の世界ではどうだか知らんが、こちらの世界ではこれが膝枕だ」
「……友だちだから控えめのお願いしたオレがバカだったよ」
明人は十中八九でたらめと決めつけた。
地球のも枕を腰の下に敷き入れるという風習はなかった。当然、大陸にだってあるわけがないのだ。
という感じで明人をひざ掛けにしたヘルメリルは、満足気に目を細める。
「見よ」
「ん?」
その血色の視線を明人が会おう。
火を囲んで転々と酒を酌み交わす者たちが好き勝手にはしゃいでいた。
「エルフとドワーフ、次いでヒュームとワーウルフだ。今は変わり、未来を望む者たちはひとときの安息を楽しんでいる」
良い眺めではないか。しみじみとした様子でヘルメリルは長耳をヒクリと揺らした。
エルフの女王は民を愛しているのだ。民とは、エルフに限らず自身の周囲で苦しむ者たちすべてが含まれているのだろう。つまり、今この場にいる全種族がヘルメリルにとって守るべきものだったのだろう。
「物資の確保やら運搬作業やら今回はやけに貧乏くじを引いたみたいだな」
「必要だからやっただけさ。なにより兵は飯と酒が薪となるゆえ欠かせん」
明人とヘルメリルの「おつかれさん」「ご苦労だった」労いが偶然にも重なった。
戦争は未だ始まったばかり。複合種族との本格的な交戦がこれからつづいていくのだ。
明日にだって暗雲立ち籠める。今日を生き抜いた者たちが明日生きられるか、なんて。誰にもわかりはしない。
カチャカチャと奏でる規律正しい音が近づいてくる。
「語らず様。しばしお時間をいただけませんでしょうか?」
上半身のみを銀鎧で身を包んだ少女が、ヘルメリルのところへ歩み寄ってきた。
まるで騎士の如く草場の拳を押し付けてジャハルは跪く。同時に頭と共に垂れた獣耳も同期するようにしな垂れる。
ワーウルフの族長であるカラムの娘。儀礼めいた作法は鶴の如くしなやかで教養の精錬さを物語っていた。
「族長の娘か。用があるのなら聞いてやらんこともないぞ」
ヘルメリルは長耳をぴこりと揺らし緩んだ頬を引き締めた。
しばし沈黙の後にジャハルは顔を上げる。
「我らワーウルフを前線に配備していただけないでしょうか」
端麗かつ男勝った瞳の奥には闘志めいた覚悟が仄めいていた。
見る者にそう思わせるくらい、彼女は真剣な面持ちだった。
整えられた眉を僅かに上げてヘルメリルは問う。
「それは個としての希望か? それとも一族として相談した上でのとり決めか?」
「種としての決断でございます。命じられた村の防衛は我々に不向き。狼とは群れなし戦場を駆けることこそが本分なのです」
ワーウルフ全体にとっては試合の結果にも不満があるはず。
その上で、不本意な村の防衛なんてものを命じられれば異を唱えるのも無理はない。
ヘルメリルは人差し指で鈎を作ると顎にひっつける。しばしの思考をするように視線を宙に泳がせた。
「ふむ… 戦意があるのは良いことだ。が、我々との連携を乱すようでは話にならんのだがな」
焚かれた薪は暖かく、宴の端でパチリと弾ける様はライトの魔法とはまた違った趣があった。
それは窯で炊くか炊飯器で炊くかほどの些末な違いだろう。それでも異世界の種族が文明の利器に頼ろうとしないのは情景を楽しみたいという思いが籠められているのかもしれない。
「いいんじゃないか? それに使いみちならいくらでもあるぞ」
明人が提案に入ると、ふたりの視線が同時に降り注いだ。
一方は血のような濃い紅、もう一方は微量ながら驚きを孕んだやや赤みを帯びた黄色の瞳だった。
「言ってみろ」
ヘルメリルは見下しつつもふんと機嫌良さげに鼻を鳴らす。
「オレの部隊にワーウルフを貸してくれ。そして超高速で霊魂の廃都ファリーズにあるっていう魚市場を潰す」
明人は視線だけでジャハルに伺いを立てる。
と、彼女は口をつぐんだまま、こくり。頷いてみせた。
霊魂の廃都ファリーズとは、アザムラーナの村から東にいった元ヒュームの首都であるという、
今は誰もいつかぬ廃都。双腕が救出したマーメイドの話しによれば、そこで秘密裏にマーメイド族の売買がおこなわれているらしい。
恐怖による支配の代償だった。呪いは支配者の目が届かぬ場所で牙を剥く。
そして、それこそがほころびと明人は考えた。
「明日は雨か? 臆病者がしゃしゃりでるとは珍しいこともあったものだな」
「そりゃあもってこいだ。雨が降れば視界も狭まるし音に紛れて接近しやすそうだ」
「ハッ! あいも変わらず口の減らんヤツだ!」
明人の軽口をヘルメリルは妖艶な笑みでもって返す。
そのやりとりをジャハルは無言のまま見つづけていた。
マーメイドは水中で暮らす種族であり地上では行動が制限されるらしい。
それはまるで地上が弱点であると揶揄かのよう。しかし、見方を変えれば河川での活躍を期待できるということでもある。
そしてなにより明人には人身売買の如き無情な所業が気に食わなかった。それはもう腸を煮えくり返らせるくらいには気に食わない。
「ジャハルはオレのことが気に食わないかもしれないけど……オレに賭けてみないか?」
そう言って、明人はムクリと起き上がる。
膝をついたままじっと固まっている騎士然とした獣耳少女へ尋ねた。
「……。貴様は何か勘違いをしているらしいな。我は別に貴様を嫌ってはいないぞ」
ジャハルは、小首を傾げて目をぱちぱちと瞬かせた。
ふかふかの尾っぽはゆらりと愉快げに円を描く。
「我は貴様を認めている。あの試合は誰が口を挟もうとも正式だった。ゆえに結果へ唾を吐くものは先ほど全員黙らせた」
ジャハルは、ゆるりと立ち上がった。
高い位置で括った細い髪がふわりと夜風になびき、地に根を張るように堂々とした佇まい。
言葉通りに捉えるならば父親のカラムも黙らせたということになる。娘のために憤慨した父の立つ瀬は何処へ、か。
「そういえば鎧を直して貰った恩もあるな。それに、その提案は純粋に面白い」
そう言って、銀鎧越しに胸をどんと叩く。
「覇道の呪いによる圧政を敷いた自身たちへの償いもしたい。だからこそ貴様の策に是非とも我々を加えてもらいたい」
「いいとも」
ジャハルが突きだした拳へ、明人もまた拳を当てて応じてやった。
ワーウルフは気高く、勇猛な種族である。呪いが解けた今なら信用するに足る。
さらにそれは、きっと縁を紡ぐ。和が広がる。
「スカベンジ部隊は村の補強に回しワーウルフとオレたち混成部隊で明日朝日の出前にここを発つ」
「把握した。早速皆に伝えてこよう」
ここまでくれば早い。トントン拍子に展開は進む。
ジャハルはくびれた腰と尾をしゃなりと振って仲間のもとへと戻っていった。
「しかし良いのか? せめて白銀の舞踊に相談くらいはするべきであろう?」
透けたスカートの下でヘルメリルの膝が優雅に交差する。
喜怒哀楽のどれにも属さない胡乱げな表情は、心配とまではいかずとも、珍しく心が泡立っているかのような。
しかし、明人はどこ吹く風とあちら側を指差してやる。
「さっきからずーっとあそこにいるから話だって聞こえてるだろうさ。なにせずーっとこっちを見てたわけだし」
向かって正面の木の後ろから青いリボンの絡みついた三つ編みが深い川のように流れていた。
どうやらあれで隠れているつもりなのだろう。
しばし待っているとリリティアは再び顔を半分ほど覗かせる。
そしてこちらが見ていることに気づいて、また引っ込む。
「フム……、つまらんな。ということはイスの裏にいるのも気づいていたということか?」
「椅子の裏?」
ヘルメリルと明人は仰け反るようにしてイスの裏を覗き込んだ。
「あー……これには気づかなかった……」
背中を丸めるように隠れ潜むひとつあった。
テレテレと頬を染めて上目遣いに。名誉初代ストーカー、もといキューティーがわくわくしながらこちらを見ていた。
「さてそろそろオレたちもあっちの輪に加わるとしよう。せっかくの宴の席が用意されてるんだから食いっぱぐれるのはごめんだ」
「ではエリーゼも呼びたて明日に響かぬていどの軽い暇潰しでもするとしよう」
明人は、キューティー小脇に抱え、ヘルメリルが差しだす手をひいた。
重ねた手は指紋がないのかと思ってしまうほど柔らかく滑らかな感触だった。
そして、酔っ払ってぎゃいぎゃいと騒々しいユエラやエルエルたちのいる輪に向かう。
「おーい! リリティア!」
呼び声に反応してリリティアはこちらへ木から半分だけ顔を覗かせた。
一応呼べば反応するらしい。
「…………っ!」
そして明人の予想通りに、ぴょこっと顔は引っ込んでしまう。
なすがままのキューティーを抱え直しつつ明人はがっくり項垂れた。
「オレがいったいなにをしたっていうんだよ……」
キスして以来リリティアとマトモに口をきけていない。
乙女心と秋の空。未だ女を知らぬ青年にその意味はあまりに深すぎる。
こればかりは式で解けぬ難問だった。
6章 あの子の嫉妬 この子の覚醒 そしてオレは魚市場 END




