第六章 その5 アンジェリカ
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アンジェリカは自分の意識があるのかどうか分からなかった。
しばらくしてから、自分は今、目を覚ましたのだと朧気に感じた。何度か瞬きをして、目隠しをされているのか、それともここが真っ暗なのか――ともかく、目を開けても何も見えないということを理解した。
起き上がろうとして、身体の自由が効かないことに気づく。四肢を順番に試して、どうやら手首と足首を縛られた上で転がされているという状況を把握した。舌を動かそうとして口になにかを噛まされていること、そのために声が出ないことが分かると、この異常な状況を認めたくない脳も徐々に現実に適応しはじめた。
そうだ――私は、N/Aのアジトだというフィールド・アースに乗り込んだんだった。N/Aを騙って犯行予告を出せば、スマートフォンのGPS情報を追って警備保障が踏み込んでくるはずだった。
アンジェリカの記憶が次第に蘇ってくる。
――――――
フィールド・アースのドアを開けるまで、アンジェリカは半信半疑だった。
(大丈夫、私はきちんと自分を客観的に見ている)
アンジェリカは心の中でそうつぶやくと、その情報が疑わしい理由を挙げ始めた。
N/Aのアジトがここだと言ったのは情報機関でも何でもない、ただの素人だ。しかも、路線図も覚束ない、箱庭都市に来たばかりの高校生の男の子。
おまけに――これが一番信用ならない理由だが――彼は不正入場者だった。
箱庭都市に来て初めてできた友人。そう思っていたのに、親しみをこめて呼びかけた「キーチ」という名前も本名かどうか分からない。十六歳だと言っていたけれど、それだって確認のしようもない。
(だから、私は信じてるわけじゃない。ただ、確認をしているだけ)
アンジェリカはまるで盲目的な行動の言い訳をするかのように、自分を納得させる。バッグからテーザー銃を取り出し、胸元に抱いてドアを開けた。
そこはスチール机が島型に配置された、やや古くさいレイアウトの事務所で、一人の男がぽつんとPCに向かって座っているだけだった。
その男は眼鏡を上げながら気だるげに首を伸ばし、「おかえりなさい」と言いながらモニタ越しにアンジェリカを見た。
「え、あ、アンジー……?」
それは、アンジェリカの記憶の中よりも痩せ、目の下の隈が皺になってやつれた様子の兄イワンだった。艶やかだったブロンドアッシュの髪は色が抜けたようなみすぼらしいアッシュグレーに変わり、心なしか頭皮まで薄らと見える。
アンジェリカはあまりに唐突に訪れた再会に、しばらく声がでなかった。
(そんなはずはない。喜んだらダメ。こんなに簡単に、兄さんに会えるはずがない)
だが、いくら自分を諫めてみても押し寄せる感情と涙を押しとどめることはできなかった。
「兄さん……兄さぁん!」
アンジェリカの瞳から大粒の涙が次から次へと溢れ出る。
「アンジー、いや違うんだボクは」
妹を昔のように愛称で呼ぶイワンは、なぜか弁明するように腕で顔を隠す。
「これはその、仕方なかったんだ。ボクがやりたかったわけじゃない」
「兄さん……ずっと辛い目に遭ってたのね。大丈夫、私が助けるから」
イワンはおずおずと腕を下ろし、様子を窺うように口を開いた。
「助ける……? ああそうか、アンジーは助けに来てくれたんだね。そう、ボクはずっと囚われの身だったんだ。言うことを聞かないと殺されていた。だから、ボクは仕方なく言うことを聞いていたんだ。仕方なく。だって他に方法はなかったんだ。なぜなら、ボクは囚われていて、断れば殺されるかもしれない、それがずっと続いていて」
イワンは何度も同じことを繰り返す。その様子をアンジェリカは心底悲しそうに見つめる。
「ああ、かわいそうな兄さん。自分が助かる喜びよりも、今までの辛い生活の悔恨に苛まされているのね。大丈夫、誰にも兄さんを責めさせたりなんかしないから。私が兄さんを護るわ。だって、兄さんは誰一人死なせたりしなかったんだもの。私が兄さんの代わりに償うわ」
「あ、ああ、うん、仕方なかったんです」
「?」
アンジェリカはイワンの語尾が変わったことに違和感を感じた。自分の後ろに向けられたイワンの視線を追って、振り返ろうとしたところでアンジェリカの身体が突然浮き上がった。
後ろから首を締められ、自分が宙づりになっていることに気づいたと同時に、アンジェリカの意識はブラックアウトした。
――――――
アンジェリカ視点の回です。視点が混乱することなく、うまく伝わっていればいいのですが。




