第六章 その4 プロトコル
サイバーセキュリティ特務課のオフィスは大型モニタが壁を埋め尽くす、いかにもSOC然とした部屋だった。そこに写っているのが世界地図ではなく、箱庭都市の地図、というところがいかにも箱庭都市らしい。この都市にとっては外界はないものと同じなのかもしれない。
デスクは講義室のように、全て大型モニタに向かって並べられていた。オペレータ向けの配置だが、デスクには卓上加湿器やマグカップ、フィギュアなどの私物が置かれていて一人ずつにデスクが割り当てられていることが分かる。
キイチは前列端のデスクの上に見覚えのあるものを見つけた。
それはキイチのハンカチだった。
(あのときの……ここがアンジェリカの席か)
アンジェリカの血に染まっていたハンカチはすっかり綺麗になっていて、シミ一つ残っていない。きちんとアイロンが掛けられ、四隅がぴったり揃えてある。そしてその下には紙袋が置かれていて、中を覗くと真新しいハンカチが入っていた。
「たとえ洗ったところで、私の血で汚れたハンカチであることに変わりはないのに」と自嘲した、アンジェリカの寂しげな笑顔を思い出す。きっと、洗って返すか、それとも新しいハンカチを買って返すか、迷って決めきれなかったのだろう。
自分の前世の妹ということを差し置いても、アンジェリカはとてもいい子だとキイチは思う。なんらかの行き違い、誤解があったとしても、箱庭都市すべてが敵になるような絶対悪ではない。百歩譲ってそうだったとしても、唾棄すべき下劣な凶悪犯が獄中結婚した例はいくらでもある。カウンターとなる感情を持つ人がいないのは不自然すぎる。
もしかしたら、そのこと自体も作為的に作られた環境なのかもしれない。アンジェリカの存在自体が一連のサイバーテロの計画の一部として組み入れられていた、というのは考えすぎだろうか。
キイチの考えは発散していく。頭を強く振って、まずは目の前の問題に集中する。
アンジェリカのデスクには二十七インチのモニタが二台置いてあった。裏を見ると小さなPCが貼り付いている。指名手配されている身の上だから、証拠物品が押収されていてもおかしくないと思っていたが、幸いにもそのまま残されているようだ。もしかしたらとっくに調べられて戻ってきているのかもしれない。
電源を入れると、それはPCではなく仮想デスクトップ端末だった。端末は単なる入出力装置でしかなく、データを記録することはできない。押収されなかったのは単に意味がなかったから、のようだ。
(こいつがPCならさっさとSSDからデータ吸い上げられたんだけどな)
キイチは軽く落胆したものの、気を取り直してサーバ上の仮想マシンの認証突破を試みる。幸い、デバイス認証のPINコードが設定されており、無限解像を使って易々とログインすることができた。
監査ログ、アクセス履歴を辿って、スマートフォンに位置情報を強制的に要求するシステムのアドレスを割り出す。ログインを試みるものの、すでにアンジェリカのアカウントは凍結されていた。
だが、共有サーバのアンジェリカのアカウントはまだ生きていた。仮想マシンにログインできるのだから、同じディレクトリサービスを使っていれば共有サーバも利用できる。外部から利用できるサービスのアカウント凍結は急いだものの、内部のものは後回しになっていたのだろう。
キイチは共有サーバから要求手順仕様書を見つけ出した。システムを利用するための認証はやや凝ったモノだったが、サーバがスマートフォンに送り出すプロトコルは比較的単純なもので、スマートフォン側の網に直接送り込むことができればなんとかなりそうだ。キイチは開発者モードに設定したスマートフォンとサブノートPCを接続し、アンジェリカのスマートフォンに要求パケットを決め打ちで送り出した。
反応はすぐに戻ってきた。無限解像で直接戻りパケットを見て、頭の中で復号する。
「ここから……南東およそ四百五十メートルといったところか……」
だが、セブンアイズ・タワーの高さは六百三十三メートルある。当然、倒壊を想定した避難勧告だとそれ以上の半径範囲が避難対象になるため、アンジェリカはその無人地帯にいることになる。正確にはその場所にあるのはアンジェリカのスマートフォンだが、警備保障に追跡させつつ、N/Aのアジトに乗り込んだのならアンジェリカの手元にはそれがある確率は高かった。
キイチは顔を上げ、大型モニタに写った地図を指で辿る。そして、セブンアイズ・タワーから南東四百五十メートルの地点にある、ぽっかりと開いた黒い口を複雑な表情で見つめた。
それはセブンアイズ・タワー前庭の巨大な噴水だった。




