第五章 その10 死中の活
パトカーの後部座席にキイチは刑事二人に挟まれて座っていた。
手首には黒いアルミ合金の手錠が鈍く光っていて、否応にもその重みを感じる。
「他の子は捕まったの?」
キイチが口を開いても、誰も答えない。
「ねえ」
「黙ってろ」
右隣の刑事の声に振り向くが、刑事は仏頂面で正面を見たままだ。
「俺、このあと事情徴収とかされるの?」
「黙ってろ」
刑事が肘で肋の際を素早く小突く。ひゅっ、と小さく息が漏れ、キイチは声が出ないまま腰を折って悶絶する。
「ちゃんと座ってろ」
今度は左隣の刑事が、キイチの襟首を掴んで無理矢理上体を起こさせる。
「う……」
襟が締まって息が詰まる。
(……やっぱり荒事は向いてないな)
キイチは心の中で肩をすくめる。
暴力に慣れている人間は攻撃に躊躇がない。わずかな動きなのに圧倒的な力で的確に責める。きっと人間の壊し方をよく知ってるのだろう。
どこかで必ずチャンスが来る。そのチャンスを潰さないためにも、不用意な行動は控えなければならない。下手に怪我をして、行動に支障が出ては元も子もない。
しばらく走ると、パトカーは駐車場のようなところに入って停車した。
パトカーを降りたキイチの前には真っ赤なクーペが停まっていた。その運転席のドアが開くと、ヘビ柄のピンヒールに続いてストッキングに包まれた肉感的な脚が現れた。
スリットの深く入ったタイトスカート、ショート丈のジャケットを押し上げる、豊満な胸――その女性は車を降りると、長い黒髪を掻上げてゆっくりとサングラスを外した。
それはキイチのよく知る人物だった。
「ラミア……さん?」
「ご協力感謝します」
ラミアはキイチに構わず、刑事に敬礼を示す。
刑事は「ちっ」とあからさまに舌打ちをしてキイチをラミアの方に突き飛ばした。カツッ、とピンヒールの音が響き、転びかけたキイチの腕をラミアが掴む。タイトスカートのスリットが開いてガーターベルトが覗いているが、キイチを片手で支えているとは思えないほど体幹は安定している。
「ち、ちょっとどういうこと?」
キイチはラミアに訊く。
「K市先端技術実証実験特区との犯罪人引き渡し協定に基づいて、兵頭キイチの引き渡しを請求した」
そうか、とキイチが気づく。キイチが逮捕されたとき、刑事は統警ではなく、警視庁から逮捕状が出ている、と言っていた。
(作戦は失敗よ。いったん引くわよ)
ラミアさんは表情を変えることなく、小声で言った。キイチはラミアが自分を回収しにきたことを理解する。
だが、それを飲むわけにはいかない。
(ラミアさん、ダメだ。今、箱庭都市を出たら間に合わなくなる)
(本来ならあなたは留置場に拘留されるのよ。身柄引き取りは現時点での最善策なの)
(最善でも、目的が叶えられない策じゃ意味がない)
(とにかくここは引いて)
ラミアがキイチの腕をぐいっと引っ張る。
「くそっ」
キイチに引っ張り返され、ラミアが体勢を崩すとジャケットの下のホルスターがあらわになった。すかさず、キイチは手錠をかけられたままの手で銃を抜いた。
「動くな!」
ラミアの首元に銃口を押しつけ、セーフティを外して撃鉄を上げる。
回りの刑事が一斉に銃を構える。それを牽制しながら、キイチはラミアの車にじりじりと移動した。
「車に乗って、ラミアさん」
「……」
ラミアは両手を挙げ、助手席側のドアから車に乗り込む。シフトレバーを乗り越えて運転席に座ったのを確認して、キイチも助手席に滑り込んだ。
「車を出して。銃には慣れてないから、変に暴れたりすると誤射するよ」
ラミアが車を出す。通りに出るとすぐに後ろから数台のパトカーが追いかけてきた。ファンファンとサイレンを鳴らしながら「そこの車、止まりなさい」と警告を繰り返す。
「ちっ」
「……どういうつもり?」
後ろを振り返って舌を打つキイチに、冷めた目でラミアが訊いた。
「どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」
「キイチくん。あなた、これで自分がホンモノの犯罪者になったってことわかってる?」
「……それよりも大事なことなんだ」
「へぇ」
「な、なんだよ」
「いつまでも男の子じゃないってことか。お姉さんちょっと寂しいゾ」
「え、あ、ちょっ」
ラミアはまるで、フォークを受け取るようにするりと銃を取り返した。
「技術はまだまだね。人体の仕組みも勉強しときなさい。尺骨と橈骨の可動範囲は意外と狭いんだから、そんな持ち方じゃ銃を差し出しているようなものよ。ほら」
ラミアはすっと手錠のキーを差し出した。
「それで、どこに行けばいいのかしら?」
ラミアはアクセルをぐっと踏み込み、真っ赤なクーペは尻を大きく振りながら交差点に突っ込んだ。
いよいよ反撃が始まります。




