第五章 その9 最悪
「最悪だな、ほんと」
キイチはぽつりとぼやいてベッドに横になった。天井を見上げると鏡に生気のない顔が写っている。
アンジェリカがサイバーテロ組織、N/Aの内通者だったことは、どうしてもキイチには信じられなかった。何か弱みを握られているのかもしれない。イワンが人質となっているのだから、それは十分考えられることだ。
だが、そんな理由であってもN/Aと通じているとは信じたくなかった。それはアンジェリカが現世の兄イワンとキイチ、それぞれをどう思っているかを認めることになる。イワンを助けるために罪を犯したアンジェリカ、そして、アンジェリカがキイチに向けた銃――それを事実として受け入れることはできなかった。
アンジェリカがキイチに銃を向けたのはこの事件に巻き込まれないよう、逃がすためだったのかもしれない。その行動の動機にイワンがいなければ、まだ飲み込むことはできただろう。だが、他の男のために、最愛の存在である前世の妹、ケイに銃口を向けられたことは思いのほかショックが大きかった。
――っと、ケイって言っちゃダメなんだったな。
カナの別れ間際の言葉を思い出して自嘲気味に嗤う。
記憶が戻っていないのならばアンジェリカとケイは違う人格、だからアンジェリカの行動をケイの行動だと思うな――カナはそう言いたいのだろう。
ブルマ姿で、無表情で、いつも冗談か本気かわかんないことばかり言ってるくせに、用意周到で、頼りになって、何度も俺を助けてくれて。カナの言い方は辛辣だったけれど、あれは彼女なりのアドバイスだったのかもしれない。
(……幻滅しろ、って、はは、そんなアドバイス今まで聞いたことないや)
だからこそ、借り物でないその言葉が重い。
そういやあいつ、世界を敵に回しても俺を助ける、って言ってたくせに……。でも、さすがに俺が俺の敵になっちゃ、ダメだよな――キイチは自嘲する。
確かに、俺は中途半端だ。
アンジェリカを信じ切ることもできず、現状を受け入れて幻滅することもできず、ラブホテルの部屋で一人、なにもできずにただ寝転んでいるだけの存在だ。
「もう、出て行こうかな……」
ラミアから受けた任務はもう、どう着地させればいいのか分からなくなった。
セブンアイズ・タワー倒壊テロ計画が絵空事ではない、という証拠をつかむことが任務だったけれど、アンジェリカによって爆破予告が公になった今となっては、箱庭都市の出方次第になってしまった。証拠をつかむなら、この計画が公になる前に、秘密裏に行わなければいけなかった。
そしてアンジェリカが去り、カナも去った。
これ以上悪くもなりそうにないぐらい、最悪だ。
寝返りを打とうとして、尻のあたりにごりっとした感触を感じた。ポケットを探ると、スマートフォンが入っていた。アンジェリカと別れたときに連絡がつかないよう、電源をオフにしたままになっている。
キイチが電源を入れるとメッセージの未読数を示すカウントがカタカタと増えていった。未受信のメッセージが流れ込んでくる。
「……アンジェリカか」
アプリを開くと、アンジェリカからのメッセージが次々に表示される。
『キーチ、どこ?』
『おーい』
『読んでない?』
『あたしが警備保証に行くの、まずかった?』
『ごめん、あたし勝手なことしちゃった?』
『おーい』
『ごめんなさい』
『キーチとちゃんと話もせずに勝手なことをしてごめんなさい。ちゃんと相談するべきだったね』
『怒ってる?』
『すいません、プライベートでのフレンドはキーチが初めてだったので、もしかしたら距離感を間違って馴れ馴れしい文体だったかもしれません。申し訳ございません』
『申し訳ございません』
『ごめんなさい、嫌みのつもりではないです。言い訳になってしまうかもしれませんが、本当に悪いと思ってます』
『キーチ?』
『ごめんなさい、キーチのことがばれました』
『嘘がうまくつけませんでした。キーチのこと、黙ってるつもりでした。ほんとです』
『ごめんなさいごめんなさい』
『キーチ』
『捜査員がキーチのライフログがおかしいって言ってます』
『キーチ。あなたは本当は誰なんですか?』
『ごめんなさい。キーチは私を助けてくれた、唯一の友達なのに』
『キーチ、ごめんなさい』
『ごめんなさ』
最後のメッセージは途中で切れていた。
「なんだよ、これ……」
アンジェリカの心が、思いがどう変わっていったのか、手に取るように見える。
この箱庭都市で嫌われ、孤立していたアンジェリカにとってどれだけキイチの存在が嬉しかったのか、どれだけ失うことを恐れていたのか。そして、そんなアンジェリカが俺に銃を向けるということがどういうことなのか。
「……俺が助けに行かなきゃウソだよな」
キイチはそう呟いて立ち上がった。
残された時間は少ない。迷っている場合じゃない。キイチはスマートフォンを握りしめて部屋のドアを開けた。
だが、状況はまだ底ではなかった。
「兵頭キイチだな。警視庁から逮捕状が出ている」
ドアの外には逮捕状を持った刑事が立っていた。




