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「なあ、ここでちょっと歌って聴かせろよ」


黙り込んでしまった岬を元気づけようと、俺はふざけて脇腹をくすぐった。


「いやだよ」


岬は体を起して俺から顔を背けた。


「なんで?誰もいないし。恥ずかしがることないじゃん」


「そんなんじゃない!」


冗談めかして歌をせがむ俺に、岬は真顔で怒鳴った。


「『地獄の怒りに燃えるこの胸』だぞ?お前に歌って聴かせる歌じゃない。お前こそ歌って聴かせたらどうだ?」


「え……?」


思いもよらない反撃だった。


「何を?」


岬はなかなか返事をしない。


夕焼けのせいじゃない。


マイセンの陶器のような頬を真赤に染めて口ごもる。


「……お前が、舞台で歌うはずの歌だ。それは僕に歌って聴かせるべき歌じゃないのか?」


俺はしばらく考えて、飛び起きた。


「『ジュ・トゥ・ヴ』か!」


「いつも変人のルームメイトには歌って聴かせてるんだろ?僕は一度も聴いたことないのに。あれは……僕に聴かせるべき歌じゃないのか?」


「恵介……」


間違いない。


相手役の佐伯に向かって俺が愛の歌を歌うのを――岬は嫉妬していたのだ。


その姿が愛しくて、俺は後ろから細い体を抱き締めていた。



「放せよ、この浮気者!」


顎先をくすぐる柔らかな髪に口づけると、とたんに大人しくなる。


「しーっ。佐伯だけじゃない、蒼井さんだって俺の『ジュ・トゥ・ヴ』を聴いてるよ」


美しい口もとがへの字に曲がり、強気な目には涙が浮かんだ。


こいつがこんなに泣き虫で寂しがり屋だというのは、ごく最近の発見だった。


「でも恵介、俺はいつだってお前のことを思いながら歌ってるよ」


「嘘ばっかり」


「嘘なもんか。嘘だって言うなら、今こうしてお前と一緒にいられることの方が嘘みたいだよ。出会った初日に2度と構うなって怒鳴られて、逃げられるは殴られるはしてさ。まさかこんな日が来るなんて、神様だって予想できなかっただろ」


たった二ヶ月半の間に、俺の人生には素晴らしい奇跡が起こったんだ。


「口がうまいな……」


岬は涙を隠し、わざとぶっきらぼうに俺をけなした。


「口だけじゃないよ。歌だってうまい。それに、いつもお前のために歌う」


俺は岬の耳元で囁くように『ジュ・トゥ・ヴ』を歌って聴かせた。


優しげな外見とは裏腹に人一倍気が強くて、俺を見てもニコリともしなかった岬。


でも時々驚くほど寂しげな顔をした。


手を握ったら拒むけど、けして自分から引っ込めることはない。


曖昧なスパイスで出会ったその日から俺を虜にし続けた。


苦悩し何かに怯えた顔でカナリヤのように歌い。


泣き顔は溶けかけの綿菓子より甘い。


そう、はじめは勝手な妄想だと思ってた。


でも今は、やっぱりこいつには俺が必要だったんだって自信を持って言える。


消えてなくなりそうな儚さも。


殴ってやりたくなるくらいの図太さも。


同じぐらいに愛おしい。


棘だらけの小さな薔薇みたいな――岬恵介は、そんな人だ。










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