⑤
「俺、結局お前の記事も止められなかったし、オーディションの役も逃した。だから次こそお前との約束を守りたいんだ。どんなことしてでも助けてやる。だから、その真実とやらを教えてくれよ――」
俺は岬の手を握った。
滑らかな肌が冷えきった俺の手の中にすっぽりと収まった。
かすかに、岬の手に力がこもる。
当然、払いのけられるんだと思った俺の手を――。
「ホントにバカだな……。どっちも僕のせいじゃないか」
岬は自嘲気に笑って、冗談のように柔らかく握り返してきたのだ。
思ってもみなかった反応に、俺の心臓は急速にドキドキし始めた。
暗闇の中でもはっきりと分かった。
皮肉にしろ作り笑いにしろ、岬が俺の前で初めて笑っている――。
「関係ないさ……」
目の前で起こっていることが現実か確かめたくて、俺は指先で岬の指を絡めとった。
「最初から全部、お前のためにしたかったんだ……」
抵抗はない。
それどころか、まるで軽やかに鍵盤を叩くソナタのように、岬の指先は俺の手の中で遊んだ。
「ジョージ、どうしてだ?」
岬が少し恥ずかしそうに俺の名前を呼んだ。
暗闇に響く声音は砂糖菓子のように甘い。名前を呼ばれた瞬間――。
俺の頭は真っ白になった。
「どうしてそんなに僕に構いたがる?ただの好奇心?それとも同情?僕は――そんなに可哀相な子に見えるか?」
理性が指先だけにとどまっているのも、時間の問題だった。
「ちがうよ、俺は――」
俺が求めていたのは――愛しい人に触れ気持ちを伝える、ただこの瞬間だけ。
「俺はお前が――恵介が」
羽のような髪に手を伸ばし、胸にしまっていた言葉を口にしかけたその時――。
「静かにっ……!」
岬は何かに怯えたように、急に席を立った。
「なに……?」
俺は驚いて咄嗟に頭を低くする。
足音だ。
こちらに向かってくる足音が聞こえた。
「こっち!」
岬は俺の手を引くと、座席の間を器用にすり抜け走り出した。
「え、ちょっと……」
考える間もなく、俺は岬に導かれるままステージに飛び上がり、舞台袖のカーテンに身を滑り込ませた。
「恵介!いるんだろ?」
俺たちが身を潜めたと同時、出入り口に懐中電灯を持った人影が現れた。
床から天井まで、光がめまぐるしく動き回る。
「ねえ、あれって……」
声を出しかけた俺の唇に岬は指を押し当てた。
現れたのは学院の理事長、必死な形相の岬の父親だった。
岬は俺に覆い被さるようにして父親の様子を伺っていた。
「いるのは分かってるんだ! さっさと出て来い!」
大声を張り上げながら小講堂の中へ分け入ってきた理事長は、明らかにこの間会った時とは様子が違っていた。
落ち着いた紳士といった印象は見る陰もない。
激しく腕を振り回し、何かに取り付かれたように岬の名前を呼び続ける。
「どこだ?恵介!誰かと一緒なのか?」
岬は俺を奥へと押し隠すようにして、前に立ちはだかった。
座席がいくつか投げ倒され、耳障りな音を立てる。
金切り声を上げて叫ぶ理事長の姿は、見るからに常軌を逸していた。
「おい……」
俺は岬の袖を引いた。
このままじゃ見つかるのは時間の問題だった。
一通り講堂内を照らし出した灯りは、徐々にステージの方へと近づいてきていた。
光が一瞬、岬の小さな輪郭に天使の輪を作る。
さっきまでそこにあったはずの笑顔は完全に失われ、美しい顔立ちには儚さだけが残っていた。
岬の目は、既に氷で覆われた別の次元を見ているようだった。
「岬――?」
「ジョージ、僕を助けるって言うなら約束してくれ。何があってもここから出てこないって」
俺の唇に指先を押し当てたまま、意を決したように岬は言った。
「お前は……?」
耳元に囁く切実な声が、より一層俺の不安をあおる。
懐中電灯の灯りは容赦なくステージに照りつけ、もう俺の靴先を掠めるほどに近づいてきていた。




