ジュ・トゥ・ヴ
夢を見た。
それは記憶の奥底に眠っていた、俺の小さな思い出だった。
大劇場の舞台に立ち、連夜賞賛を浴び続ける俺に潮田のおっさんが言ったんだ。
「ジョーちゃん、この時代でよかったな。時と場所が違ったらお前、王様に捕まってカストラートにされてたぞ」
「カステラート?」
「カステラじゃねえよ、カストラート」
「なあに、それ?」
俺は重いカツラを被ったまま首を傾げた。
「天使の声を持ったまま大人になった男の歌手だよ」
大人の世界にいたから、まだ7つにもならないのに俺はだいぶませていた。
「そんなのウソだね」
おっさんの話は、どうせくだらないおとぎ話だろうって最初から疑ってた。
「天使の声は子供のうちだけ。大人になったら男の人は声が変わっちゃうんだってママが言ってたよ」
興味を示さない俺に、おっさんはわざとらしく声をひそめた。
「そうだよ。だから王様はな、特別歌のうまい男の子を見つけるといつまでも天使の声で歌えるように、大事なとこをちょん切っちゃうんだぞ!」
言って、俺の吊りズボンを食い込むほどに持ちあげた。
俺が呆然としていると『悪い冗談はやめてください』と、見かねた女性スタッフが潮田のおっさんに説教した。
彼女に衣装を整えられている俺を見て、おっさんは大声で笑った。
「悪い悪い。そんなに怖がると思わなかった。大丈夫、もう100年も200年も昔のお話だからな。今はそんなことする王様も、そんなことされる子供もいないよ」
潮田のおっさんは、本番前に俺が機嫌を損ねでもしたら大変だと思ったのだろう。
両手でひょいと俺の身体を抱きあげ、自分の肩の上に座らせた。
舞台袖からはそれこそ100年も200年も昔のヨーロッパを模したセットが立ち並び、長いドレスをまとった主演女優が声高に見せ場をえんじているところだった。
「おじちゃま、ボク怖くなんかないよ」
俺はこの上なく耳に心地よい観客の拍手を聞きながらそう言った。
「ボク、大人になってもこの声でいられるなら、カストラートになるの怖くないよ」
本気でそう思ったんだ。
俺は自分の声が好きだった。
自分の声で何百、何千の観客が泣いて喜ぶのが嬉しくて仕方なかった。
潮田のおっさんは笑いをかみ殺した声で言った。
「そりゃ見上げたプロ根性だ。さあ、出番だ、エンジェル・ジョージ」
おっさんの肩から下りて、俺は舞台に走り出す。
天使の声と賞される歌声を響かせ、割れんばかりの拍手を浴びる。
大人になってこれを失くしてしまうぐらいなら、王様にさらわれて体の一部を切り取られるぐらいどうってことない。
そう思っていた――。
「寝ている場合じゃない!!」
俺の晴れ舞台。
ステージの中央に現れたのは――。
「佐伯ッ……!!」
俺は目を開けると同時、悲鳴を上げて枕もとの目覚まし時計をひっつかんだ。
「なんだよっ……遅刻じゃん!!」
時計を見て再び悲鳴を上げる。時計の針は10時を回っていた。
「早く、着替えっ……!」
飛び起きてようやく気がつく。
佐伯がだらしないくたくたのネルシャツを着て立ちつくしていることに。
「……っんだよ、日曜じゃん」
俺はもう一度ベッドに倒れ込んだ。
「コラ、目覚ましのくせにおれに起こされてどうするんだ?」
あれから――。
岬に殴られた俺が蒼井さんの部屋に転がり込んでから、1週間――。
佐伯は蒼井さんの言ったとおり3日もすると正気を取り戻した。
3日の間に、佐伯の中では確実なエリック・サティ像が出来上がったらしく、気づいたらどこででも寝て、俺の邪魔ばかりするいつものデキの悪いでくのぼうに舞い戻っていた。
「休みの日ぐらい昼まで寝たいの!」
この1週間。
シュザンヌ役を自分の物にしてみせると言ってしまった手前、岬の件を気にしながらもおれは自分のやるべきことで手一杯だった。




