③
俺は楽譜を持って走った――。
岬の姿を探して、手当たり次第に音楽室を覗いてまわった。
教師たちに見つからないよう、物陰に隠れながら広い校内を一周すると――。
すでに1時間目終了のチャイムが鳴っていた。
こんなことならどんな顔されても、部屋まで楽譜を届けに行けばよかった。
お姫様は毎晩俺の頭上で眠っていたというのに――。
無駄に歩きまわってもらちがあかない。
2時間目が始まると、俺は岬の親戚を装い学生課に電話した。
岬恵介が今日何の授業に出てるのか尋ねると、係のおばさんが少し訝しげに、彼なら体調不良で今日は欠席だと答えた。
結局、その足で寮に戻った。
他の生徒がみんな出払った寮内に足音を響かせ、俺ははじめて4階まで続く階段を上った。
岬専用の特別室――。
ホテルで言えばスイートのワンフロアをひとり占めだと、佐伯が言っていた。
たしかに高級品ばかりそろえた学院の中にあっても――ここは別格な気がした。
おそるおそる両開きの扉に近づいたその時――。
「恵介に何か用かね?」
見合わせたように、中からスーツを着た紳士が現れ、鉢合わせした。
「あの、すみません……」
俺はあからさま戸惑った。
間違いなく彼は岬の父親で、なおかつこの学院の理事長だった。
「預かっていた楽譜を返しに来たんですけど……会えますか?」
鋭い目に射抜かれたまま、俺は言った。
授業中に何してるんだと咎められるのは承知の上だった。
いやむしろ――ダメだと言ってくれればこのまま戻れる――心のどこかではそう思っていた。
「ああ、少しならね」
「えっ……」
だが意に反して、俺はすんなり部屋へ通された。
「奥の寝室にいる。まだ臥せっているから手短かに頼むよ」
それだけ言うと、急ぎ足で理事長は部屋を出て行ってしまった――。
「どうしよう……」
猫足のソファーとグランドピアノが備えつけられた広いリビングに、俺は1人取り残された。
壁一枚隔てた向こう側に岬がいる。
岬は俺が自分の部屋の中にいるなんて――想像すらしていないだろう。
「よし」
呼吸を整え、なけなしの勇気を振り絞って、俺はベッドルームの扉をノックした。
「どうぞ」
父親が戻って来たとでも思っているのだろう。
中から柔らかい声が返ってくる。
俺は震える手でドアノブを回し、おそるおそる寝室の中へと足を踏み入れた。
少し薄暗い、岬の寝室――。
俺の目に飛び込んできたのは天幕つきの豪奢なアンティークベッド。
そして――。
薄いシフォンの天幕の隙間に、シルクのガウンを羽織った岬の足首が見える。
俺の緊張はピークに達し、渇ききった喉がゴクリと鳴った。
「あの……」
突然の侵入者に、羽根枕に埋もれていた岬が驚いて顔を上げる。
「お前……何してるんだ?」
俺と目が合うと一瞬にして美しい顔が曇った。
「あの、これ、返しに来たんだ!」
俺は大慌てでカバンの中から楽譜を取り出した。
慌て過ぎて、カバンの中にあった余計な物が2つ3つあたりに散乱する。
「……どうやって入った?」
薄暗い寝室で見る岬は、カラバッジョの描いた意地の悪い天使を彷彿とさせた。
微熱のせいか頬と唇に赤みが差し、白い肌がいつもより一際澄んで見えるせいかもしれない。
「そこで親父さんに会って……入れてくれた」
無様な格好でカバンに荷物を詰め込んでいる俺を見て、岬は細い指でこめかみを押さえた。
重いため息――。
その姿すら、まばたきできないほどにキレイでドキドキする。
「それより、ごめん。昨日主席争いの試験だったんだろ?もっと早く返しにくればよかったんだけど……俺、知らなくて。ごめん、俺のせいだろ……?」
絹のガウンがはだけて、岬の白い胸元がのぞく。
目のやり場に困った俺は頭を下げたまま、本物のお姫様にお目通りするような格好で少しだけベッドに近づいた。




