②
たまに、こうなる。
やるべきことで手一杯になって、頭の中がグチャグチャになって、パニックに陥る。
俺は強い人間じゃない。
小さい頃から舞台に立っていたから度胸があるとか。
負けず嫌いな性格だからちょっとしたことじゃ折れないとか。
ジョージは根っからの楽天家だとか。
みんな言うけど――。
「結城くん、どうしたのっ?!」
そんなの、大嘘だ――。
「蒼井さん、俺もうダメだ」
その夜、俺が泣きながらたどりついたのは、蒼井さんの部屋だった。
驚くのも無理はない。
俺は枕を抱えて号泣していた。
そして口の端からかすかに血が滲んでいた――はずだ。
「と、とにかく入って」
気丈にもそんな俺を支え、蒼井さんは部屋に招き入れてくれた。
「何があった?」
「何がじゃないですよ!いろんなこと、ありすぎてもうっ……」
俺は興奮したまま、蒼井さんが渡してくれたティッシュで思いきり鼻をかんだ。
涙と鼻水と血が同時に流れてる、恐ろしい状況だ。
「大丈夫だから落ち着いて話してごらん」
「落ち着いてなんかいられるもんか!放っておいてくださいっ……」
「困ったね……。僕の部屋に来たのは君だよ?」
酔っ払いみたいに絡む俺の頭を撫でながら、蒼井さんはいつも以上に優しく、次の言葉を待っていてくれた。
「俺、文化祭のミュージカルでサティの恋人役受けることになったんだ」
ようやく少し楽に呼吸ができるようになって、俺は一息に言った。
「知ってるよ。おとといまた室井くんと一悶着あったんだって?」
「そう。だからどうしてもオーディションで役を勝ち取らなきゃいけないのにっ……!」
「自信ないの?」
「自信?あるもないもまだ譜面さえ見れてない!それなのに佐伯がっ……」
「悠人?」
俺の口から飛び出した名前に、蒼井さんはポカンとした。
「俺をシュザンヌだと思い込んで事あるごとに襲いかかってくるんだよ!これじゃ部屋で練習もできない!」
馬鹿言ってるの分かってるのに、涙が溢れて止まらない。
完璧な情緒不安定だ。
「泣かないで。悠人は僕がなんとかするから。前にもあったんだ。2・3日したら落ち着くから、それまでここにいていいよ」
「……本当に?」
「ああ、もちろん。ココアでも淹れよう。ね?」
蒼井さんは約束通り俺のためにココアまで用意しておいてくれたのだ。
優しさが身に染みて、余計に俺の涙腺を緩めた。
「すいません……俺、迷惑じゃないですか……?」
突然部屋におしかけ、子供みたいに号泣して迷惑じゃないわけない。
それでも蒼井さんは穏やかな笑顔で首を横に振ってくれた。
「いいんだ。実は僕も今日君を誘おうと思ってた。でも夕飯の席に来なかったから」
「え?」
「ほら、この前の岬くんの歌の件。検証材料がそろってね」
――それは今。
俺がもっとも聞きたくない名前だった。
「それにしても悠人もひどいよね。いくら役に入り込んでるからって、君にそんな怪我までさせて。叱ってやんなきゃ。夕飯、食べてないんでしょ?お腹すいてない?こんなものしかないけど――」
ココアと一緒にテーブルの上に並ぶクラッカーとチーズを、俺はぼんやりと見つめていた。
「結城くん?」
「……佐伯じゃない」
「え?」
あいつが原因なら、こんなに泣いたりするもんか――。
「佐伯がやったんじゃないんだ」
「え?じゃあ、誰が……?」
蒼井さんは困惑した顔で隣に座り、俺の口元の傷にそっと触れた。
「――岬恵介」
まさか――蒼井さんの顔にそう書いてある。
俺もそうであったように。
「もしかして混乱の元凶はそれ?」
俺は涙を堪え、今日あったことを何もかも包み隠さず、蒼井さんに話すことにした――。




