④
「何がです?」
そしてなにやらチェックして、1人頷く。
「結城くん、来週また僕の部屋に来てくれないか?」
「いいですけど……」
まだまだ俺の好奇心は尽きないけれど、時間はもう夜の10時を回っていた。
そろそろおいとまして、部屋に戻った方がよさそうだ。
「岬くんの声を一緒に検証してみよう」
「そんなこと、できるんですか?」
俺は蒼井さんが言わんとすることが分からないまま、上着を手に席を立った。
「君の耳を頼りにしてるよ――」
蒼井さんは後ろから俺の肩にそっと上着をかけてくれた。
「あの、来週も来るなら言っちゃいますけど――」
俺は振りかえり白状する。
「何?」
「実はコーヒー苦手なんです」
「気づいてたよ。君は自分で思ってるよりずっと素直だ」
「まいったな……」
俺は耳まで赤くなっていたと思う。
「次はココアでも用意しておくね。それともホットミルクかな?」
「そんなに子供じゃないってば」
俺たちは笑って、固い握手を交わした。
「まさかこのあと、また脱走したりしないよね?」
靴を履いて部屋を出る俺を、蒼井さんが茶化す。
「まさか、また追いかけてきたりしないですよね?」
「もうしない。おやすみ」
「おやすみなさい」
蒼井さんは肩をすくめて俺を見送った。
週末もほとんどの生徒は寮に残っていつもどおり生活する。
外出許可を申請すれば町へ出られるのだが、山を下って何時間もかけてまで出かけて行くヤツは少ない。
裏を返せば、ここの暮らしは外出の必要がないほど満たされているのかもしれない。
「佐伯、ビリヤード誘われたけど行かないか?」
佐伯は文化祭で公演するミュージカルのオーディションに向け、先週から楽譜とにらめっこしたまま、放っておくと部屋から1歩出ようとしない。
「誰に?」
「同じクラスの中田と岩下ってヤツ。昼飯の時だよ、お前も隣にいたろ?」
「全然聞いてなかった」
溶けかけのなめくじのように床に這いつくばっていても、片時も譜面から目を離さない。
ここまでくると、感心する以上に呆れる。
「まったく。俺、行くからな。お前もちょっとは息抜きしろよ」
俺は佐伯を部屋に残して階下の娯楽室へと向かった。
晴天の穏やかな午後だ――。
開け放たれた窓から、爽やかな秋風が一杯に吹き込んでくる。
「結城くん、こっちこっち」
ようやく顔と名前が一致するようになったクラスメートが俺を手招きする。
2人とも生粋のお坊ちゃんだが、大のミュージカルファンだったということもあり、俺にはとても好意的だった。
「わお、エスピリチュのキューだ」
俺は壁に立てかけてあるキューを手にして驚きの声を上げた。
高校の娯楽室に、1本30万は下らないキューがズラリと並んでいるのだ。
「詳しいね。先代の校長の趣味で亡くなってから寮に寄贈されたんだ。ところで佐伯くんは?」
中田があたりを見回す。
「あいつなら部屋でオーディションの譜面とにらめっこしてるよ。主役狙ってるみたいだ。なんからしくないだろ?」
先週オーディションの楽譜をもらってからというもの、佐伯は無駄口もきかず、昼寝さえせずに役作りに没頭しているのだ。
「そりゃそうだよ。エリック・サティのミュージカル化だもの」
小柄な岩下が俺を見上げるように笑った。
「あの変人音楽家の役、そんなにやりたいか?」
佐伯のサティ――。
山高帽にベルベッドのスーツを着て、雨傘をぶらさげた独特のファッションは、はまり過ぎるぐらいピッタリくるだろうが――。
「佐伯くんは我が校のサティと呼ばれているからね」
ジャンプキューで並べたボールをクラッシュさせながら中田は言った。
「結城くんからどうぞ」
「我が校のサティねぇ……」
キューの先にチョークをつけ、久しぶりに構える。
山奥に来てからと言うもの、すっかり都会で遊んでいた時のことなど忘れていた。
カコンという心地よい音を立てて俺は1番ボール、続いて2番ボールをポケットに落とした。
「それだけじゃないよ。サティのミュージカルは去年佐伯くんがシナリオまで書いて原案を出してた作品なの」
「え、マジ?あいつそんな才能あんの?」
中田の言葉に動揺し、俺は3番ボールを外した。
「そりゃそうさ。声楽専攻以外でアマーデオに選ばれたのは佐伯くんがはじめてだし。本来ならミュージカル専攻の主席は間違いなく佐伯くんなんだ。でも彼、なんだかんだ理由をつけては辞退してるの」
中田がボールを打つ間、情報通の岩下が嬉々として喋り続ける。
「なんで?」
「そんなの面倒くさいって。だからミュージカル専攻には主席の生徒がいないまんまなの。みんな狙ってるんだけど、佐伯くんをこえたって認められなきゃなれないんだもん。無理だよ」
「そんなすごいんだ」
俺は知られざる佐伯の一面を垣間見せられ驚いた。
出会ってからというもの、始業式で一度歌を聴いたきり、あとはふざけているか寝ているとこしか見てないから正直ピンとこない。
「佐伯くん前に言ってた。自分はサティの生まれ変わりなんだって。だから絶対今回の役は逃さないよ。彼が本気出したら主役は決まったも同然」
生まれ変わり云々聞かされても、なんとなく否定できないのがあいつの怖いところだ。




