第4話「もう一つの影」
あの戦闘から三日が経った。
基地は、いつも通りだった。
廊下を歩けば兵士たちが行き交い、整備区画ではFWの整備が続いている。食堂にはいつものように人が集まり、ニュースでは別の戦線で起きた戦闘について淡々と報じられていた。
一見すれば、何も変わっていない。
けれど、俺にとっては違った。
あの日から。
俺はヴァルグレイヴを見るたびに、あの時の感覚を思い出していた。
自分が操作するより先に動いた機体。
あれは本当に偶然だったのか。
それとも――。
「鳴瀬」
「はい?」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、研究班の主任が立っている。
「少し時間をもらえるか」
「ヴァルグレイヴですか?」
「……そうだ」
やっぱりか。
俺は小さく息を吐いて、主任についていった。
◇
研究区画。
普段よりもさらに奥へ進んだところに、小さな会議室があった。
中には数人の研究員と軍関係者が集まっている。
俺が席につくと、正面のモニターに映像が表示された。
先日の戦闘。
ヴァルグレイヴが敵の攻撃を避ける場面だった。
「これを見てほしい」
映像が再生される。
敵の攻撃。
俺の入力。
ヴァルグレイヴの反応。
そして停止。
もう一度。
スロー再生。
今度は入力データが表示される。
赤い線が俺の操作。
青い線が機体の反応。
明らかに。
青い線のほうが先に動いていた。
「……やっぱり」
俺は画面を見つめる。
「俺より先に動いてますね」
「そうだ」
主任が答える。
「だが、問題はここからだ」
映像がさらに拡大される。
「機体の反応には、パイロットの操作では説明できない微細な修正が含まれている」
「修正?」
「君が避けようとした方向とは、ほんの僅かに違う」
「……」
「つまり、ヴァルグレイヴは君の操作をそのまま反映したわけではない」
主任が言葉を選ぶように続ける。
「機体自身が、最適な動きを選択した可能性がある」
部屋が静まり返った。
俺は画面を見る。
「それって……」
「自律制御システムだと?」
主任は首を横に振った。
「既存のAIとは違う」
「じゃあ何なんです?」
「分からない」
また、その答えだった。
分からない。
最近、この言葉ばかり聞いている気がする。
「ただ、一つだけ分かっている」
主任が別のデータを表示する。
「この反応は、君が機体に搭乗している時だけ発生している」
「……え?」
俺は黙った。
「他のパイロットでも試したんですか?」
「まだだ」
「どうして?」
主任は少し迷ったあと、答えた。
「君との適合率が異常に高いからだ」
「適合率?」
「HX-01Aが、君の操縦入力に対して非常に高い反応を示している」
俺は自分の手を見る。
別に特別なことをしているつもりはない。
ただ操縦しているだけだ。
「……俺だから動くんですか?」
主任は答えなかった。
その沈黙が、逆に答えのように感じられた。
◇
会議が終わったあと。
俺は一人で格納庫へ向かった。
理由は自分でも分からない。
ただ、もう一度あの機体を見たかった。
格納庫に入る。
巨大なヴァルグレイヴが、そこに立っている。
作業員たちは少し離れた場所で整備を続けている。
俺は機体の足元まで歩いた。
「……なあ」
当然、返事はない。
「お前、何なんだ?」
沈黙。
俺は苦笑する。
「答えるわけないよな」
そう言って帰ろうとした。
その時。
ヴァルグレイヴの頭部が、僅かに動いた。
「……」
俺は足を止めた。
気のせいか?
そう思った。
だが。
今度ははっきり分かった。
ヴァルグレイヴのカメラアイが、俺を見ている。
「……お前」
背筋に、奇妙な感覚が走る。
怖い。
けれど。
それだけじゃない。
どこか懐かしいような。
初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っているような。
そんな感覚。
「……俺が分かるのか?」
ヴァルグレイヴは動かない。
けれど、カメラアイだけが淡く光っている。
俺はしばらく、その場に立っていた。
そして。
「また明日な」
そう言って格納庫を出た。
◇
その頃。
人類の基地から遠く離れた場所。
荒れ果てた大地を、一機の機体が歩いていた。
黒い装甲。
赤く焼けたような刀身。
腕部に備えられた大型兵装。
その姿は、ヴァルグレイヴとよく似ていた。
だが。
決定的に違う。
人類側のヴァルグレイヴには、まだ僅かな未完成さが残っている。
対してこちらの機体は。
完成していた。
いや。
完成しすぎていた。
まるで最初から、この姿になることを知っていたかのように。
機体が停止する。
その前方に、複数の亡霊艦隊が集まっている。
彼らは言葉を持たない。
しかし、機体の前に道を開けるように退いていく。
黒い機体は、その中央を進む。
その機体に刻まれた識別コード。
HX0Z。
ロストヴァルグレイヴ。
人類に発見されなかった、もう一つのヴァルグレイヴ。
それは、人類側でHX-01Aが起動したことを知っていた。
なぜ知っているのか。
理由は誰にも分からない。
ただ。
人類側のヴァルグレイヴが目覚めた時。
こちら側のヴァルグレイヴもまた、目を覚ましていた。
◇
翌日。
「鳴瀬!」
基地の警報が鳴り響いた。
俺は食堂から飛び出す。
「何があった!?」
「亡霊艦隊だ!」
「また!?」
「今回は数が多い!」
廊下を走る。
格納庫へ向かう。
途中、モニターに戦況が映し出される。
複数の敵影。
基地へ向かっている。
「またヴァルグレイヴを狙ってるのか?」
俺が呟く。
すると、通信が入った。
『シン、出撃準備』
「了解!」
格納庫へ飛び込む。
ヴァルグレイヴはすでに準備されていた。
整備班が慌ただしく動いている。
「今日は実戦なんですか?」
「そうなる」
主任が答える。
「だが、今回は前回とは違う」
「何が?」
主任がモニターを見せる。
「敵の中に、見たことのない反応がある」
「新型?」
「分からない」
またか。
けれど今回は。
主任の表情が明らかに違った。
「その反応だけ、他の亡霊艦隊とは全く違う」
「……」
俺はヴァルグレイヴを見上げる。
胸の奥に、妙なざわつきが生まれる。
まるで。
あの機体が何かを感じ取っているような。
「シン」
「はい」
「気をつけろ」
「分かってます」
俺はコックピットへ向かう。
ハッチが閉じる。
システムが起動する。
「HX-01A、起動」
ヴァルグレイヴの目が光る。
そして。
その瞬間。
俺のモニターに、見たことのない映像が一瞬だけ映った。
黒い機体。
赤い光。
巨大な刀。
「……誰だ?」
映像はすぐに消えた。
俺は息を呑む。
「今の……」
通信が入る。
『シン?』
「……何でもない」
俺は前を見る。
「出ます」
ヴァルグレイヴが格納庫から飛び出す。
空へ。
基地の向こう。
遠くに敵影が見える。
俺は操縦桿を握った。
その瞬間。
ヴァルグレイヴが、僅かに震えた。
「……?」
機体が勝手に前を向く。
俺が操作していない方向へ。
そして。
遠くの空を見つめる。
その先に。
何かがいる。
俺にはまだ見えない。
だが、ヴァルグレイヴには見えている。
「お前……」
俺は小さく呟く。
「何を見てるんだ?」
その答えは。
すぐに現れた。
雲の向こうから、一機の黒い機体が姿を現す。
最初は小さな影だった。
だが、徐々に大きくなる。
黒い装甲。
赤い光。
そして。
人類側のヴァルグレイヴと同じ、人型のシルエット。
「……嘘だろ」
通信が一斉に混乱する。
『未知の大型HXを確認!』
『識別不能!』
『亡霊艦隊の中央から接近しています!』
俺は、その機体から目を離せなかった。
似ている。
あまりにも。
ヴァルグレイヴに。
だが。
向こうの機体が持つ威圧感は、俺が知っているHX-01Aとは全く違っていた。
黒い機体が、こちらを見る。
その赤いカメラアイが光る。
その瞬間。
俺のヴァルグレイヴが、初めて自分から動いた。
操縦していない。
命令もしていない。
ただ。
一歩前へ出た。
「……!」
俺は操縦桿を握り直す。
目の前の黒い機体も、一歩前へ出る。
二機のヴァルグレイヴ。
一方は人類に奪われた機体。
もう一方は、亡霊艦隊に残された機体。
俺は知らなかった。
あの黒い機体の名前を。
その機体が何なのかも。
ただ。
ヴァルグレイヴだけは、知っていた。
目の前にいる存在が。
自分と同じものだということを。
そして。
黒い機体が、赤熱した刀身をゆっくりと構えた。
戦場の空気が変わる。
俺は息を呑んだ。
「……来る」
ヴァルグレイヴが構える。
そして。
二機の「ヴァルグレイヴ」が、初めて向かい合った。




