第3話「はじめての搭乗」
翌朝。
目を覚まして最初に見たのは、昨日と同じ天井だった。
白い天井。
無機質な照明。
軍施設特有の、どこか息苦しい静けさ。
ベッドから身体を起こし、机の上に置かれていた一枚の紙を手に取る。
昨日受け取った辞令。
『HX-01A プロト・ヴァルグレイヴ
正式テストパイロット任命』
何度見ても、実感が湧かなかった。
俺は昨日までFWのパイロットだった。
FW-01 ガーディアン。
戦場に出て、敵を見つけて、撃って、帰ってくる。
それだけだった。
もちろん、それが簡単だったわけじゃない。
何度も死にかけた。
仲間を失ったこともある。
それでも、自分が何をしているのかは分かっていた。
FWは人類が作った兵器だ。
どう動くのかも分かる。
どう整備するのかも分かる。
どう壊れるのかも分かる。
けれど、ヴァルグレイヴは違う。
あれは人類が作ったものじゃない。
亡霊艦隊が生み出した、正体不明の機体。
そんなものを、今日から俺が操縦する。
「……変な話だよな」
一人で呟く。
返事はない。
俺は制服を着替え、施設を出た。
◇
格納庫へ向かうと、すでに研究班が集まっていた。
巨大な格納庫の中央。
そこにはHX-01Aが立っている。
昨日と同じ姿。
けれど、昨日より少しだけ近く感じた。
「おはよう、シン」
昨日の研究員が声をかけてくる。
「おはようございます」
「今日は本格的な試験を行う」
「どこまで?」
「まずは歩行試験。それから簡単な運動試験。問題がなければ、模擬戦まで進める」
「模擬戦……?」
「もちろん実弾ではない」
研究員が苦笑する。
「君を殺したいわけじゃない」
「それなら安心した」
俺も少し笑った。
だが、研究員はすぐに真剣な顔へ戻った。
「ただし、一つだけ覚えておいてくれ」
「何です?」
「この機体が安全だという保証はない」
「……」
「昨日の試験でも、機体から説明できない反応が出ている」
昨日、画面に一瞬だけ表示されたエラー。
俺も覚えている。
「何か分かったんですか?」
「まだ何も」
「じゃあ……」
「分からないから調べる」
また同じ答えだった。
俺はヴァルグレイヴを見上げた。
「了解です」
「怖くないのか?」
「怖いですよ」
即答した。
研究員が少し驚く。
「でも」
俺はヘルメットを手に取る。
「怖いからって、何も知らないままにするのも嫌なんで」
そう言って、コックピットへ向かった。
◇
ハッチが閉じる。
外の音が一気に遠くなる。
暗いコックピット。
目の前に広がるディスプレイ。
昨日と同じはずなのに、今日は少し違って見えた。
俺はシートに身体を預ける。
「鳴瀬シン、搭乗」
通信を開く。
『了解。各系統チェック開始』
画面に次々と情報が表示される。
電力。
駆動系。
姿勢制御。
センサー。
どれも昨日と同じ。
しかし、その中に一つだけ見慣れない表示があった。
『HX-01A CORE』
「……コア?」
『どうした?』
「このCOREって表示、昨日もありました?」
『いや?』
「じゃあ、今日初めて?」
『確認する』
少し待つ。
『……システム上は昨日から存在している』
「昨日から?」
『だが、昨日は表示されていなかった』
嫌な感じがした。
けれど、テストは止まらない。
『起動準備完了』
「了解」
俺は操縦桿を握った。
「起動」
ヴァルグレイヴの内部に光が走る。
低い振動。
機体が目を覚ます。
そして――
モニターの奥で、一瞬だけ何かが動いた。
「……?」
『シン?』
「いや、何でもない」
俺は前を見る。
「行きます」
ヴァルグレイヴが歩き出した。
◇
一歩。
二歩。
三歩。
昨日よりも明らかに動きが滑らかだった。
「歩行安定」
研究員の声が聞こえる。
「右腕、上げてみてくれ」
「了解」
操縦桿を動かす。
右腕が上がる。
止める。
下げる。
左腕。
脚部。
首。
どの動作も問題ない。
「すごいな……」
誰かが呟いた。
「これ、本当に初期試験機なのか?」
俺はその言葉を聞きながら、機体を動かしていた。
確かに凄い。
だが、同時に違和感もある。
あまりにも自然だった。
機体を動かしているというより、自分の身体を動かしている感覚に近い。
「……気持ち悪いくらいだ」
『何か問題が?』
「いや」
俺は首を振った。
「動きが自然すぎる」
通信の向こうで研究員が黙る。
『……それは、こちらも同じ意見だ』
その瞬間。
格納庫の警報が鳴った。
「!?」
『警戒態勢!』
「何があった!?」
『基地外周に亡霊艦隊反応!』
一気に空気が変わった。
さっきまでの試験とは違う。
研究員たちが走り始める。
モニターに赤い表示が出る。
『敵機接近!』
『迎撃部隊を出せ!』
俺は操縦桿を握ったまま固まった。
「……ここを狙ってきたのか?」
誰も答えない。
だが、答えは分かっていた。
基地の地下。
そこには人類が初めて手に入れたHXがある。
敵がそれを狙っている可能性は十分にあった。
『シン、試験は中止する!』
「了解」
俺は操縦桿から手を離そうとした。
その瞬間。
『……待て』
別の声が入る。
司令部だった。
『HX-01Aを出撃させる』
「……え?」
格納庫が静まり返った。
『迎撃部隊と共に出撃しろ』
研究員が叫ぶ。
「待ってください! まだ実戦試験なんて――」
『分かっている』
「なら!」
『だからこそだ』
司令部の声は冷静だった。
『亡霊艦隊がこの基地を狙っている。迎撃部隊だけでは対応できない可能性がある』
俺は黙った。
『HX-01Aを実戦に投入する』
「……俺に乗れってことですか」
『そうだ』
一瞬。
何も聞こえなくなった。
昨日まで研究対象だった機体。
今日初めて本格的な操縦をした機体。
それに乗って。
本物の敵と戦え。
そう言われている。
「……分かりました」
研究員がこちらを見る。
「シン!」
俺は答える。
「俺が行きます」
『了解。HX-01A、実戦試験へ移行する』
格納庫の巨大な扉が開いていく。
外から光が差し込んだ。
ヴァルグレイヴの装甲を照らす。
俺は操縦桿を握る。
「……初陣か」
誰にも聞こえない声で呟いた。
「頼むぞ、ヴァルグレイヴ」
◇
空へ出る。
ヴァルグレイヴが地面を蹴った。
「うわ……!」
身体に強い衝撃が走る。
しかし、すぐに安定する。
ガーディアンとは全然違う。
動きが軽い。
速い。
まるで重さを感じない。
『シン、前方!』
「見えてる!」
敵影。
複数。
亡霊艦隊の機体がこちらへ向かってくる。
俺は操縦桿を握り直す。
「来る!」
敵機が接近。
俺は反射的に回避操作をする。
ヴァルグレイヴが横へ滑った。
敵の攻撃が空を切る。
「速い……!」
驚いている暇はない。
次の敵。
さらに次。
動きを読む。
避ける。
距離を取る。
俺は必死に操作する。
まだヴァルグレイヴのことを何も知らない。
なのに。
機体は動く。
俺が考えるより先に、身体が動いているような感覚さえあった。
「こいつ……」
俺は敵を見据える。
「本当に俺の動きを理解してるのか?」
その瞬間。
ヴァルグレイヴが動いた。
俺が操作するより先に。
一瞬だけ。
ほんの僅かに。
敵の攻撃を避ける。
「……え?」
俺は息を呑んだ。
今のは。
俺が避けようとするより前だった。
『シン! どうした!?』
「……いや」
俺は前を見る。
「なんでもない」
そのまま戦闘を続ける。
敵機が迫る。
俺は操縦桿を握った。
そして。
ヴァルグレイヴが敵へ向かって踏み込んだ。
◇
戦闘が終わったのは、それから数分後だった。
亡霊艦隊は撤退。
基地への被害も最小限に抑えられた。
ヴァルグレイヴは帰還する。
格納庫へ戻ると、研究員たちが一斉に駆け寄ってきた。
「シン!」
「大丈夫か!?」
「問題ありません」
俺はコックピットから降りる。
身体は疲れている。
けれど、それ以上に気になることがあった。
「……一つ聞きたい」
研究員が振り返る。
「何だ?」
「戦闘中、ヴァルグレイヴが俺の操作より先に動いた」
沈黙。
研究員たちの顔から笑顔が消える。
「……どういう意味だ?」
「敵の攻撃を避けたんです」
「君が操作したんじゃないのか?」
「違う」
俺ははっきり答えた。
「俺が動かそうとするより前に、機体が動いた」
研究員が互いに顔を見合わせる。
そして。
誰かが小さく呟いた。
「……自律反応」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の背筋に寒気が走った。
◇
その夜。
研究施設のさらに奥。
誰も立ち入らない区画。
そこには、ヴァルグレイグの戦闘データが保存されていた。
研究員が一つの映像を再生する。
戦闘中のHX-01A。
敵の攻撃。
そして。
それを避けるヴァルグレイヴ。
入力データを重ねる。
結果。
機体の反応が、パイロットの入力より僅かに早い。
「……間違いない」
研究員は呟いた。
「こいつは……」
画面の中で、ヴァルグレイヴがこちらを向く。
「ただの機械じゃないのかもしれない」
モニターが一瞬だけ乱れる。
そして。
HX-01Aの内部。
誰も確認したことのない場所で。
何かが、静かに脈動した。
まるで。
眠っていた何かが、少しずつ目を覚ますように。
そしてその頃。
遠く離れた戦場では。
亡霊艦隊の一機が、静かにこちらを見ていた。
その機体には、人類がまだ知らない識別コードが刻まれていた。
「HX0Z」
その名を知る者は、まだ誰もいない。
もう一つのヴァルグレイヴ。
ロストヴァルグレイヴは、静かに闇の中へ消えていった。




