第2話「漆黒」
戦場から戻ってきた俺を待っていたのは、休息でも祝福でもなかった。
白い照明に照らされた、無機質な廊下。
軍施設の奥深く。
俺は一人、そこを歩いていた。
FW-01 ガーディアンで出撃してから、まだそれほど時間は経っていない。
身体には疲労が残っている。
腕も重い。
操縦桿を握っていた手には、まだ微かな震えが残っていた。
それでも、俺は歩き続ける。
向かっている場所は分かっていた。
あの機体が運び込まれた場所だ。
――HX-01A。
俺たちが戦場で遭遇した、正体不明の人型兵器。
俺自身が戦った機体。
そして、俺たちが初めて「確保」したHX。
格納庫へ続く隔壁が開く。
その向こうに、巨大な空間が広がっていた。
そして。
そこに、あの機体はいた。
「……これが……」
思わず足が止まる。
巨大な整備用クレーンに囲まれながら、黒とも灰色ともつかない装甲をまとった人型機体が立っている。
戦場で見た時とは、少し印象が違った。
あの時は敵だった。
ただ生き残るために、必死で銃口を向けた。
けれど今は違う。
動かない。
何も言わない。
ただ、そこに立っている。
まるで眠っているようだった。
「HX-01A……」
背後から声がした。
振り返ると、白衣を着た研究員が立っていた。
「正式名称は?」
俺が尋ねる。
研究員は少しだけ間を置いて答えた。
「HX-01A、プロト・ヴァルグレイヴ」
「ヴァルグレイヴ……?」
「そうだ。暫定的な名称だがね」
俺はもう一度、機体を見る。
ヴァルグレイヴ。
妙な名前だった。
けれど、不思議と耳に残った。
「こいつは……本当に亡霊艦隊が作ったのか?」
「現時点では、そう考えるしかない」
研究員は端末を操作する。
空中モニターに、いくつものデータが表示された。
「製造工程は不明。構造も既存の兵器体系とは一致しない。FWとは比較にならないほど複雑な機構を持っている」
「じゃあ、動かせるのか?」
「それを調べている」
「……人間が?」
「ああ」
研究員は苦笑した。
「だから君を呼んだ」
「俺を?」
「あの機体と最初にまともに交戦したのは君だ」
「でも、俺はFWパイロットだ」
「知っている」
即答だった。
「だからこそだ」
意味が分からなかった。
俺が黙っていると、研究員は続けた。
「この機体について、我々は何も知らない。操縦方法すら分からない。どんな原理で動いているのかも完全には理解できていない」
「……そんなものを動かすのか?」
「動かせるかどうかを調べる」
その言葉を聞いた瞬間。
嫌な予感がした。
「まさか」
「そのまさかだ」
研究員は端末を閉じた。
「君に、HX-01Aのテストパイロットを頼みたい」
「……俺に?」
「正式な任命は上から出る。だが、研究班としては君を推薦している」
俺は黙った。
視線を再びヴァルグレイヴへ向ける。
戦場で見た、あの機体。
俺のガーディアンを圧倒した存在。
正体も分からない。
どんな機能があるのかも分からない。
そんなものに乗れと言われている。
「俺じゃなくてもいいだろ」
「そうでもない」
「どうして?」
研究員は、俺の目を見た。
「君だけが、あの機体を実際に敵として見ているからだ」
「……」
「他のパイロットは映像しか見ていない。シミュレーションもできない。実際にあの機体と戦い、その動きを身体で覚えているのは君だけだ」
確かにそうだった。
あの機体が動いた時の感覚。
突然視界から消えたような加速。
次の瞬間には、こちらへ向けられていた腕。
俺は今でも覚えている。
一つ間違えれば、俺はあそこで死んでいた。
「……俺が乗ったら、何か分かるのか?」
「分からない」
研究員は正直に答えた。
「だが、何も分からないからこそ、試す必要がある」
沈黙が流れた。
遠くで整備機械の音が響いている。
俺はヴァルグレイヴを見上げた。
その巨体は、何も語らない。
まるでこちらを待っているようにも見えた。
「……分かった」
口から出た言葉は、自分でも驚くほど静かだった。
「やる」
研究員が少しだけ目を見開く。
「本当にいいのか?」
「断ったところで、誰かが乗るんだろ?」
「……そうだな」
「だったら、俺がいい」
俺は拳を握った。
「少なくとも、俺はこいつが何なのか知りたい」
その日。
俺は正式に、HX-01A プロト・ヴァルグレイヴのテストパイロット候補となった。
◇
数日後。
俺はヴァルグレイヴのコックピットに座っていた。
「……狭いな」
第一印象は、それだった。
もっと巨大なものを想像していた。
だが実際には、操縦席そのものはFWと大きく変わらない。
ただし、内部の構造はまるで違っていた。
見たことのない表示。
見たことのないインターフェース。
そして、見たことのない反応。
「システムチェック開始」
研究員の声が通信機から聞こえる。
「各部反応確認」
「……了解」
俺は操縦桿に手を置いた。
その瞬間だった。
――ブッ。
目の前のモニターが一瞬だけ明滅した。
「……?」
「どうした?」
「いや……今、何か」
「何か?」
「……なんでもない」
気のせいだと思った。
俺は息を吐く。
そして、操縦桿を握り直した。
「起動シークエンスへ」
「了解」
施設全体に低い機械音が響く。
ヴァルグレイヴの内部に、何かが流れ込んでくるような感覚。
FWとは違う。
エンジンが動いているという感じではない。
もっと直接的だった。
まるで――
機体そのものが目を覚ましている。
「電力供給開始」
「各部リンク……正常」
「操縦系統……接続」
次々と表示が切り替わっていく。
そして。
「HX-01A、起動」
その言葉と同時に。
ヴァルグレイヴの目が光った。
「……!」
俺は息を呑んだ。
機体が、ほんの僅かに動く。
指先。
腕。
首。
そして、ゆっくりと頭部が動いた。
まるで周囲を確認するように。
「動いた……」
誰かが通信越しに呟いた。
俺も同じことを考えていた。
動いた。
俺の操作に反応している。
つまり。
「こいつは……俺の命令を理解してるのか?」
「まだ断定できない」
「でも動いてる」
「そうだ」
研究員の声が震えていた。
「動いている……!」
格納庫がざわめく。
俺は操縦桿を握り直した。
「歩かせる」
「待て、まだ――」
「大丈夫だ」
俺はゆっくりと前へ倒す。
ヴァルグレイヴの脚部が動いた。
一歩。
巨大な足が床へ降りる。
ズン、と格納庫全体が揺れた。
二歩目。
さらに前へ。
「……歩ける」
思わず笑ってしまった。
たったそれだけのことなのに。
なぜか嬉しかった。
未知の機体が、自分の意思に応えてくれている。
「シン、そこで止まれ」
「了解」
操縦桿を戻す。
ヴァルグレイヴが停止する。
その時だった。
モニターに、一瞬だけ奇妙な表示が浮かんだ。
ERROR。
すぐに消える。
「……?」
「どうした?」
「いや……また表示が」
「ログを確認する」
俺は画面を見る。
だが、何も残っていない。
「気のせいか」
そう思った。
この時は。
まだ。
◇
テストは続いた。
歩行。
旋回。
腕部の可動。
各種システムの確認。
どれもFWとは違っていた。
ヴァルグレイヴは、こちらの操作に対して異様なほど素直に反応した。
まるで機体と身体の境界が薄くなっているような感覚だった。
その一方で。
研究班は困惑していた。
「ありえない……」
モニターを見つめる研究員。
「何が?」
「この反応速度だ」
「速いのか?」
「速いなんてものじゃない」
研究員はデータを拡大する。
「パイロットの入力から機体が反応するまでの遅延が、ほとんどない」
「FWより優秀ってことか?」
「比較できない」
「……」
「そもそも、どうやってこれを実現しているのか分からない」
俺は黙ってヴァルグレイヴの手を見る。
五本の指。
人間の手とほとんど変わらない。
それなのに。
これが亡霊艦隊によって生み出された兵器だと思うと、妙な感覚になる。
「なあ」
俺は通信を開いた。
「こいつ、本当に兵器なのか?」
少しだけ沈黙があった。
「……分からない」
研究員が答える。
「だが、兵器として使える可能性は高い」
「そうか」
俺は前を見る。
巨大な格納庫。
その向こうには、まだ戦争が続いている。
そして俺たちは今。
敵が生み出したものを、自分たちの力にしようとしている。
それが正しいのか。
俺にはまだ分からなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
この機体は、これからの戦争を変える。
俺はそう思っていた。
◇
その夜。
研究施設の奥。
誰もいない格納庫に、一人の研究員が入ってくる。
照明が点灯する。
そこには、静かに佇むHX-01Aがいた。
研究員は端末を確認する。
「……やはり、おかしい」
今日のテストデータ。
その中に、理解できない数値が記録されている。
「パイロットの入力とは別に、機体側から反応が出ている……?」
研究員は眉をひそめる。
その瞬間。
ヴァルグレイヴの頭部が、ほんの僅かに動いた。
「……!」
研究員が顔を上げる。
しかし、機体はもう動いていない。
ただ静かに立っている。
研究員はしばらく機体を見つめた後、端末を閉じた。
「……気のせいか」
誰もいなくなった格納庫。
静寂。
そして。
ヴァルグレイヴのモニターが一瞬だけ点灯する。
そこに表示された文字は――
HX-01A
その下に、見たことのない文字列が一つだけ浮かんでいた。
「……」
すぐに消える。
何もなかったかのように。
そして翌朝。
鳴瀬シンには、正式に一つの辞令が届く。
『HX-01A プロト・ヴァルグレイヴ
正式テストパイロット任命』
シンはその紙を見つめる。
そして、格納庫に立つ黒い機体を見上げた。
「……今日から、お前が俺の機体か」
ヴァルグレイヴは答えない。
ただ静かに、そこに立っていた。
この時。
まだ誰も知らなかった。
この一機のHXが、やがて人類の歴史を大きく変えることを。
そして。
この世界にはもう一機。
人類に発見されることのなかった「もう一つのヴァルグレイヴ」が存在していることを。




