第139話 うちの村だけは幸せであれ
今回はこの最終話とエピローグの2話更新です。
晩秋。ヴァレンタイン領に一通の書簡が届いた。
「北東部から運ばれてきた書簡です……宛先がドンダンド領となっていますが、つまりはこの地へ宛てたものだろうとのことで、メルダース閣下より受け取りました」
ヴァレンタイン城の広間でそう言いながら書簡をテーブルに置いたのは、メルダース領への砂糖輸送から帰還した御用商人、キャンベル商会の商会長アーネストだった。
この世界のこの時代、書簡は商人たちの手で運ばれる。商人たちは各地の交易拠点や流通の中継点である都市で互いに情報を交換し、その際に互いの行き先に充てた書簡を渡し合う。彼らが書簡の配達人を兼任していることも、各地の領主たちが商人に領内通行の自由を与える理由のひとつとなっている。そうしておけば、必要なときに遠方への書簡を運ばせることも、遠方から運ばれた書簡を受け取ることもできるが故に。
「ドンダンド領宛て……一体誰からだろうねぇ」
ミカは首を傾げながら書簡を手に取り、折りたたまれて封蝋がされていたそれを開いて中身を確認する。
送り主の署名などもなく、文面は僅かに一行。そして、書簡に包まれていた金貨が一枚。
「あのときは見捨ててすまなかった……これって」
「もしかして、ドンド・ドンダンドさんからの? 字がよく似ているわ」
丁寧な字で記された一文を読み、ミカは目を見開いた。隣に座るアイラが、ミカと同じ推測を口にした。
彼女は領地運営における事務仕事の実務責任者として、前領主家がこの地を治めていた時代の帳簿などを確認する機会も多い。前領主ドンドの筆跡は見慣れている。
「そう思って間違いないだろうねぇ。これはちょっと予想外だったなぁ」
「十年越しにこんなもん送りつけてくるなんて、なんて都合の良い奴だ……」
「謝罪……いえ、贖罪のつもりということでしょうか。金貨まで入っているということは」
呆れ交じりに言ったディミトリの横で、ヨエルが腕を組みながらやはり呆れ顔で語った。先の戦いで重傷を負って意識を失った彼は、その後間もなく目を覚まし、今ではすっかり回復している。ミカが玉砕を決意した際に同行できなかったことに関しては、未だ忸怩たる思いがあるようだったが。
「贖罪かぁ……つまり、この書簡と金貨は僕じゃなくて古参の皆に充てたものだね」
ミカが言いながら視線を向けると、この地がドンダンド領だった頃からの住民たち――マルセルとジェレミー、ルイスが互いに顔を見合わせる。
「……まあ、構わないだろう。もう十年も前の、とうに過ぎたことだ」
「そうっすね。ミカ様が助けてくださったから、あのとき誰かが死んだわけでもないし」
微苦笑しながらマルセルが言い、ジェレミーがあっけらかんとした声で返す。ルイスも頷いて同意を示す。
ミカが兄と和解を果たしたように、彼らの中でも十年という歳月が多くのことを解決したようだった。
「それじゃあ、この金貨は古参の皆に分配しよっか。一人当たりの金額は小さくなっちゃうけど」
領主の立場を失ったとなれば、今のドンドはおそらくあまり裕福ではない。その彼が金貨一枚を贖罪に充てるには、きっとそれなりの苦労があったことだろう。そのように想像しながらミカは言った。
彼の贖罪がこの金貨一枚で終わるのか、あるいはこれが始まりなのかは、ミカたちには分からない。
・・・・・・
その日の午後、ミカはアイラと子供たちを連れ、城門の物見台に上がった。
「むらのなかも、きれいになってきたねぇ」
「なってきたねー」
復興の途上にある村内の景色を眺めながら嫡女アンリエッタが言うと、隣に並ぶフレードリクが姉の言葉を真似る。ヴァレンタイン領を一望できるここは、子供たちにとってお気に入りの場所となっている。
幼い姉弟が仲良く話しながら景色を楽しむ一方で、ミカもアイラと共に村内を見渡す。
「宿屋の瓦礫の片付けも、冬までには終わりそうね」
「ジェレミーたちが張りきって仕事をしてくれてるからね。建物の解体だけでも早いうちに済ませておいてよかったよ」
村の中心部よりやや北東の辺りでは、先の戦いでひどく損壊したために解体された宿屋――旧領主館の瓦礫の片付けがジェレミーの指揮の下で行われている。そこへ水と軽食を持ったイェレナが近づいていき、皆に休憩を呼びかけているのが見える。
「村と城の防衛設備だけでも再建できれば上出来だと思ってたけど、冬までにここまで復興が進むとは思わなかったよ」
「これもミカたちが頑張ってくれたおかげよ。本当にご苦労さま」
言葉を交わしながら、二人は村の外縁を、そして後方の城内を見回す。
西門とその周辺の丸太柵は、既に完全に修復されている。激しい攻撃に曝されたヴァレンタイン城も、この物見台や城門や柵はもちろん、主館など城内の建物に至るまで修復がなされている。裏庭にある砂糖工房も再建され、砂糖生産がまた行われている。
城内には穏やかな空気が漂っている。前庭の中央ではディミトリとヨエルが家臣たちに訓練を施し、倉庫の前ではマルセルが使用人たちに指示を為しながら物資の整理をしているのが見える。別の一角、井戸の前では、ディミトリの妻ビアンカが、ヨエルの妻と何やら語らいながら、おそらくは夕食の準備に使う水を汲んでいる。厩舎では家臣の子供たちが馬の世話を務め、主館の入り口前では、ヘルガが長椅子に座ってお茶を手に日向ぼっこをしている。
普段と変わらないこの光景こそ、ヴァレンタイン領が平和を勝ち取った証だった。
「……あと一か月と少しで今年も終わりか。間違いなく、人生でいちばん大変な一年だったね」
「そうね。困難を無事に乗り越えられてよかったわ。あなたが今も隣にいてくれて本当に嬉しい」
微苦笑交じりにミカが言うと、アイラは優しく笑って返す。
「……来年も一緒にいよう。その次の年も、その先もずっと一緒に」
「ええ。これからも一緒に生きましょう……愛してるわ、ミカ」
アイラは言いながら、ミカの方へ身を寄せ、ミカの肩に頭をもたれさせる。
「僕も愛してるよ。心から愛してる……今、最高に幸せだよ」
ミカも彼女の方へ頭を傾け、二人でぴったりと寄り添いながら幸福に浸る。
ダリアンデル地方全土を巻き込んだ大動乱も、ついに収束し、多くの勝者と敗者を生んだ。最大の敗者は純粋派ノーザーランド人で間違いない。一方で穏健派ノーザーランド人は、競争相手を弱体化させて相対的な勝利を得た。
北東部と南端地域も勝者の側に立ったが、各勢力が境界線を引き合って落ち着きを見せ始めている北東部に対して、南端地域は再び勢力争いに突入しているという。さらに勝者と敗者が生まれるのは間違いなく、どのように勝敗が定まるのかは未だ分からない。
南西部のダリアンデル人たちは、一度は敗者となり、今は復興というかたちでの勝利を得つつある。北西部のダリアンデル人勢力に関しては大まかな噂しか届かないが、穏健派との対立が小康状態に入ったことで当面の安寧を得たという話なので、生き残りを成しているという意味では勝者と言える。
そして南東部に関しては、アルデンブルク王国が敗者となった。王を失って一度崩壊し、今はノイシュレン王国の後ろ盾を得たことでかろうじて成り立っている状態。国内の領主たちが純粋派の蹂躙を受けて大幅に弱体化したために、ノイシュレン王家から資金提供を受けて数百の常備兵力を揃えたアルデンブルク王家は今のところ支配力を発揮しているが、それもノイシュレン王家の傀儡としてのものに過ぎない。
一方で、アルデンブルク王国北端を勢力圏とするモーティマー家は、力を維持しながら上手く生き延びた。実力と運を兼ね備えたベアトリス・モーティマー卿は、彼女と少なからぬ因縁のあるメルダース家やハウエルズ家などの間では「女狐」という異名で呼ばれ始めている。
南の御三家同盟は、ノイシュレン王国の要請に応えず新連合軍に与しなかったことで権勢を保ったまま生き延びた。その点では勝ったと言えるが、結果としてノイシュレン王国との関係は冷え込み、ダリアンデル地方南東端で孤立状態となったため、今後も勝者でいられるかは分からない。
そしてノイシュレン王国は、自らの戦いと流血をもって勝利を掴み取った。侵略者を撃退し、属国を得た。単体の勢力としては、今のダリアンデル地方で最大規模となった。
その一部である、このヴァレンタイン領も勝者の側に立っている。
大きな傷を負い、少なからぬ犠牲を強いられ、それでも生き残って皆で前を向いている。この地の領主であるミカも、恐るべき困難を乗り越え、今は愛する者たちに――領民と家臣と、そして家族に囲まれながら希望を抱いている。
この村は今もなお、幸福な地としてあり続けている。
変革の時代は未だ終わっていない。動乱が永遠に去ったわけではない。これからダリアンデル地方が、そして世界が、どうなっていくのかは誰にも分からない。
たとえどのような未来が訪れようと、せめてこの村だけは、これからも幸せであれ。この村で暮らす皆が幸せであれ。そう願いながら、その願いが叶うよう全力を尽くすと、ミカは己に誓う。




