第136話 戦況好転
本隊より丘陵南側に送り込まれた援軍は、ノイシュレン王国軍と北東部からの援軍を合わせておよそ三千。その到着を受け、純粋派ノーザーランド人の別動隊は西へと後退した。兵数としては必ずしも圧倒的な差というではないが、これまでの戦いで疲弊して多くの重傷者を抱えた状況で、兵力的に互角以上の相手と野戦に臨むつもりはないようだった。
援軍の方も、かなりの強行軍でやってきたために敵軍を追撃する余裕まではなく、ひとまずヴァレンタイン領の村内に入り、ミカたち防衛部隊の生き残りとの合流を果たした。
「王よりこの援軍の大将に任ぜられた、ミストラル侯シュザンヌよ。どうやらこちらは相当に危険な状況だったようね。なんとか間に合って幸いだったわ」
籠城戦から解放されたことで重傷者や非戦闘員が移動し、平時の落ち着きを取り戻したヴァレンタイン城の広間。大テーブルを挟んでミカたちと対面する豪奢な軍装の女性が、微笑を浮かべながらそう語った。
「おかげさまで命を救われました。心より感謝しております、ミストラル閣下」
ノイシュレン王国の中核を成す侯の一人、シュザンヌ・ミストラル。ミカもその名前は当然知っており、昨年の連合軍結成の際には軍内で姿を見かけたこともあったが、こうして直に言葉を交わすのは初めてだった。
丁寧に礼を述べて頭を下げるミカの隣では、夫に寄り添って座るアイラも慇懃に一礼する。
彼女はミカが奇跡的な生還を果たしてから一時たりとも傍を離れようとせず、今もテーブルの下ではしっかりとミカの手を握っている。
「北東部からの援軍が合流して敵本隊を退却に追い込んだ後、急ぎこちらに斥候を送り込んだのだけれど、その斥候から、別動隊はコレット砦からこのヴァレンタイン領まで後退しているという報告がなされたの。あまり猶予がないと判断して、急ぎ援軍を編成して出発したのよ。最短の経路で辿り着くことができたのは、先導役を務めたメルダース卿のおかげよ」
「そうだったのですか……メルダース卿におかれても、感謝の念に堪えません。これであなたに助けていただいたのは何度目のことになるでしょうか」
「構わないさ、私も卿には日頃から何かと助けてもらっているからな。それに、卿は私の大切な友人だ。友を助けるのは当然のことだよ」
シュザンヌと並んで座るローレンツ・メルダースが、いつものように人好きのする笑みを浮かべて答えた。
一般的に領主の友情には利害が絡むものだが、彼に関しては立場を抜きにして、一個人として良き友人でありたい。決死の運命から救われた直後ということもあり、ミカは心からそう思う。
丘陵を挟んで領地を並べる友人同士が言葉を交わし終えるのを見届けた後、シュザンヌが再び口を開く。
「元々はユーティライネン侯が率いたがっておられたのだけれど、彼女は遠距離攻撃部隊を指揮しなければならないし、本隊が西進するにあたって、西の地理に詳しい彼女には司令部にいてもらう必要があるの。なのでユーティライネン家からは旗と兵だけを借りて、私が大将の立場を引き受けたわ……身分もあるので、ここからは私がこの南の別動隊を指揮することになるけれど、構わないかしら?」
「もちろんです。私たちの隊の残存兵力に関しても、閣下に指揮権をお預けします」
「私もそれで異論ありません」
シュザンヌが問うと、ミカに続いて隣に座るグレンダ・ヒューイットも頷いた。防衛部隊においては最も有力な領主家の家長であり、元々の別動隊指揮官である彼女は、重傷を負った身ではあるが起き上がれないわけではないため、この会談に同席している。
「ありがとう、あなたたちの理解に感謝します……それでは、こちらの状況を説明して差し上げましょう。野戦陣地を堅持していたノイシュレン王国軍本隊のもとへ、北東部からの援軍がようやくやってきたのは今から五日ほど前のことよ。到着した軍勢の兵力はおよそ七千。防戦に徹した私たちは六千以上の兵力を保っていて、敵側は残存兵力が八千ほどまで減っていたから、一気にこちらが数的有利を得るかたちとなったわ」
「それはそれは……北東部領主たちも、今回は相当に頑張って援軍を用意してくれたんですねぇ」
「ええ。危機感を共有してくれた彼らには、心から感謝しなければならないわね」
ダリアンデル地方北東部の人口は、推定で二十万程度と言われている。その三パーセントほどにもなる大軍勢を、地域内の防衛ではなく外征に動員したとなれば、相当な苦労があったはず。
同族の共闘要請に全力で応えてくれた北東部ダリアンデル人たちの覚悟には、称賛と感謝が向けられて然るべきだった。
「とはいえ、質まで考慮した兵力では、ようやく互角以上ということになるでしょうか? 本隊の今の兵力が一万強に対して敵側が八千ほど、この別動隊の方が三千強に対して敵側が二千ほどとなれば……まだ楽勝とはいきませんか」
ミカの言葉に、しかしシュザンヌは余裕のある表情を崩さない。
「朗報は北東部からの援軍到来だけではないわ。以前から共闘を呼びかけていた南端地域の大領主たちと、さらには昨年よりノイシュレン王国が秘密裏に共闘を呼びかけていた穏健派ノーザーランド人も、兵力を揃えて純粋派への攻撃に動き出したそうよ。それぞれの勢力から、我らが王に充てて報せが届けられたの」
頑なに動く気配を見せず、昨年の共闘にも応じなかった南端地域。そして、純粋派から見れば一応は同胞であるはずの穏健派ノーザーランド人。彼らがこちらの味方として動いたと知り、ミカは驚愕を隠せなかった。左隣に座るアイラも、右隣に座るグレンダも同じく。
目を見開いたミカたちの反応を面白がるように清楚な笑みを浮かべながら、シュザンヌは話を続ける。
「南端地域の大領主連中は、守りの手薄になった純粋派の支配域に侵入して、好き勝手に掠奪をくり広げているようよ。それだけでも私たちにとっては十分な援護になるけれど、穏健派の軍勢はより都合よく動いてくれているわ……私たちと協働して純粋派の軍勢を挟撃するために、こちらに進軍しているそうよ。おそらくはそうした後方の動きを察知して、敵本隊は西への退却を開始しているわ。私たちと対峙する別動隊も、本隊の指示を受けて退いていくでしょうね」
「……ということは」
ミカの呟きに、シュザンヌは静かに頷く。
「ええ。もはや私たちは勝利したも同然。あとは野蛮な侵略者どもを追撃するだけよ」
・・・・・・
「……もはや敗北したも同然か」
敵の大規模な援軍到来を受けて急ぎコレット砦まで後退したヴァルナーは、直後に届いた大首長クラウダ・ファーランハウネからの伝令を受け、沈痛な表情で呟いた。
北東部ダリアンデル人の結成した大規模な増援の襲来。そして純粋派の支配域に対する南端地域ダリアンデル人の侵攻。さらには、主義が違うとはいえ同胞であるはずの穏健派までもが軍勢を揃え、後方に攻勢を仕掛けてきたという。
どこまでがノイシュレン王国側の計画で、どこからが運に左右された結果なのかは定かではないが、現状から考えて、もはや純粋派に勝ち目はない。最良の場合でも支配域に無様に逃げ戻ることになり、最悪の場合では秩序立った帰還が叶わず壊走する羽目になる。
ダリアンデル地方における敵対勢力を各個撃破するという壮大な計画は、既に破綻している。こちらが目的を達成するよりも先に敵側の結集を許してしまった。クラウダの言葉を借りて言うならば、神の祝福を得られなかった。奇跡は起こらなかった。
「大首長閣下のご指示に従い、急ぎ退却の準備をしよう。あまりぐずぐずしていては、敵が背中に斬りかかってくる状況で逃げる羽目になる。明日の朝にはコレット砦を放棄して西へ発ち、数日のうちに本隊と合流する。休息する暇も与えられず申し訳ないが、諸卿におかれては今しばらく各々の務めに奮闘してもらいたい」
「……致し方あるまい」
「まったく、何という事態だ」
「とんだ無駄骨だったというわけか、我々の必死の奮戦は」
指揮官の命令を受け、首長たちの口から零れたのは嘆息と悪態だった。
命令を発したヴァルナーとしても同感だった。こんな様で終わるのであれば、何のためにこれほど多くの同胞や奴隷を失ったのか分からない。
・・・・・・
ヴァレンタイン領解放からおよそ一週間後。ノイシュレン王国と北東部ダリアンデル人勢力による通称「新連合軍」と、純粋派ノーザーランド人の軍勢は、双方の本隊と別動隊が西へと追走劇をくり広げた末、それぞれ合流を果たした。
別動隊の一員として西進を続けていたミカは、合流した本隊の司令部天幕の前で、サンドラ・ユーティライネン侯と再会した。
「南がどのような状況だったかは、援軍より送られてきた伝令から委細を聞いている……本当に、よくぞ無事でいてくれた。間に合ってよかった」
久々に顔を合わせた義理の従姉は、ミカの手をしっかりと握り、もう一方の手をミカの肩に置くと、安堵と歓喜のこもった声で言った。
「生きて再会できたこと、心より嬉しく思います。本隊が急ぎ援軍を送ってくださったおかげで助かりました。本当にありがとうございました」
「礼を言うのは我々の方だ。卿らが南で持ちこたえてくれたからこそ、本隊も持久戦を継続することが叶い、結果として北東部の軍勢の到来が間に合った。南の防衛戦において、卿の活躍は凄まじいものだったと聞いている。卿はまさに救国の英雄だ……最後には己の命さえ捧げようとしたのだからな」
サンドラは感極まったのか、そこで言葉を詰まらせて目を伏せる。しばらく間を置き、再び顔を上げて口を開く。
「その献身に、我らが王は必ずや報いてくださることだろう。私も侯として、そして姻戚として、できる限りの礼をさせてもらう。政治的にも経済的にも」
「恐縮です。ヴァレンタイン城はなんとか持ちこたえましたが、領内には少なからぬ損害が発生して、社会を支える領民にも多数の犠牲が出ました。なので、戦後の復興においてご助力をいただけたら犠牲者たちも報われることと思います」
「分かった、ユーティライネン家当主として、復興支援を約束しよう……卿はやはり優しいな。このような場でも己ではなく領民のことを慮るとは」
ミカの要望を聞いて頷きながら、サンドラは笑みを浮かべた。
その後もこれまでの戦いや今後の計画について二人が言葉を交わしていると、そこへ歩み寄ってくる者がいた。
「失礼、北東部軍司令部より伝令にまいりました。ノイシュレン王陛下はどちらに――なっ!」
北東部軍の伝令を名乗ったその中年の男は、見るからに高位の人物だと分かるサンドラにノイシュレン王の居場所を尋ねながら、その隣に立つミカの顔を見て驚愕する。
「えっ!?」
そしてミカも、その伝令の顔を見て目を見開き、裏返った声を上げる。
その人物は、ミカの長兄、カロッサ家当主フォルクハルトだった。最後に会ったときよりも一回り老けているが、確かに兄だった。
・・・・・・
「……五百人の民を抱える領主で、おまけに大領主家の姻戚で、さらには念魔法使いか。お前のことだからどこかで上手くやっているだろうと思ってはいたが、予想を遥かに上回ってきたな」
野営地の一角、ヴァレンタイン軍の天幕が並ぶ前に座り込んでミカと話しながら、フォルクハルトは苦笑した。
「……兄上はお元気でしたか? カロッサ家の皆は?」
「慌ただしい情勢の中でそれなりに苦労しているが、壮健だ。家族も皆変わらない……リュディガーは家を出たときのお前と同い年になった。俺ももう若くないからな、次期当主として鍛えているところだ」
「それは何よりです。そうですか、あの小さかったリュディガーが……年月が経つのは早いものですね」
「ああ、まったくだ」
まだ幼子だった頃の顔しか知らない長兄の嫡男のことを思い出しながらミカが笑うと、フォルクハルトは深く頷く。
「……昔のことはすまなかった。言い訳になるが、あの頃は俺も余裕がなかったんだ。俺なんかよりよほど賢いお前が、いずれ俺の立場を奪ってカロッサ家を乗っ取るように思えてな」
「いえ、謝罪なんて不要ですよ。もう過ぎたことですし、家を出たのは僕自身の意思だったわけですし……結果的に、僕は僕で新しい居場所を見つけて、一国一城の主として幸せに生きていますから」
ミカはそう答え、そして二人の間に沈黙が漂う。
決して気まずい沈黙ではなかった。時の流れは多くのことを解決するのだと、ミカは実感した。
「……戦後に情勢が落ち着いたら、ヴァレンタイン領に書簡か遣いを送ってもいいか? お前さえよければ、親族として交流を持ちたい。この九年でカロッサ領の発展も進んだからな。北東部への伝手として、少しはヴァレンタイン領の利益になるはずだ」
「いいですね、ぜひお願いします……いずれ、僕が直接カロッサ領に里帰りしたいですね。お土産をたくさん持って。父上と母上のお墓参りもしたいですし」
「それは嬉しい話だ。父上と母上も喜ぶだろう」
兄弟の会話はそれからしばらく続き、フォルクハルトは北東部軍の野営地へと戻っていった。




