第135話 ヴァレンタイン領の戦い⑥
翌日。ミカは応接室の人払いをした上で、アイラと二人きりになり、彼女に自身の策を告げる。
「このままだと次の戦いではヴァレンタイン城を守りきれない。だけど、この策を用いれば敵の攻勢をしばらく止められるかもしれない」
「……敵の攻勢が止まれば、北東部からの援軍が間に合って、私たちが助かる確率も高まるわね」
アイラの言葉に頷きながら、ミカは話を続ける。
「敵が攻勢を止めるとしたら、それは指導者を失ったときだ。敵別動隊の大将と、その他の首長たちもできるだけ大勢殺せば、敵軍は大混乱に包まれる。態勢を立て直すために、少なくとも数日は攻勢を止めてくれる。敵本隊に連絡をとって総大将の指示を仰いだり、軍勢の統率を保つのは不可能と判断して一時撤退してくれたりすれば、僕たちが稼げる時間は数週間まで増える。明日にも全滅するかもしれない現状では、この数日や数週間は何物にも代えがたい」
「あなたの言う通りね。だけど……どうやって、敵の大将や首長たちを仕留めるの? 敵軍はバリスタの矢が届かない村の外で野営中なんでしょう? 敵の野営地に近づいて、狙撃だけで全員を倒すことなんて……」
そう問いかけながら、アイラは悪い予感を覚えたのか、不安げな表情を見せる。
「うん、だから大将を含む首長たちを倒すには、村の外に出て、敵軍の野営地に斬り込んで、奴らのいるであろう野営地の中心まで辿り着かないといけない。普通ならとても難しいことだけど……僕が念魔法を全力で行使すれば成功の可能性は十分にある。僕が丸太を振り回して突っ込めば対抗できる人間なんていない。僕と、僕の周囲を囲む少数の護衛だけで、敵中突破を果たして首長たちを皆殺しにできる」
「……でも、それじゃあミカたちが」
泣きそうな顔のアイラに、ミカは静かに頷いた。
大将に加えて首長の大半を失えば純粋派の連中は混乱するだろうが、それでも目の前にいる少数の敵をそのまま見逃すとは思えない。特に、自分たちを散々苦しめた憎き念魔法使いが、護衛も魔力も消耗して疲弊した状態で無防備に立っていて、距離をとって矢を放つだけで簡単に殺せるとなれば。
かといって、自分の生還を優先し、何百人もの兵力をこの決死の攻撃に付き合わせるわけにはいかない。未だ二千人以上の戦力を保っている敵軍の陣中に一度突っ込めば、こちらが数十人だろうと数百人だろうとそのまま囲まれて殲滅される可能性は高い。もし自軍の戦力の大半を道連れにして全滅すれば、完全に無防備になったヴァレンタイン城を前に敵軍が攻勢継続を決意する可能性が高まる。この策を講じる意味が失われる。
そもそも、城に籠っていればまだ助かる可能性があるからこそかろうじて士気を保っている者たちが、死ぬ可能性が極めて高い突撃を命じられてもなお従うとは思えない。おそらく、城を出て敵陣に斬り込む前に大多数が逃げ出す。だからこそ、自ら志願した少数で突撃を為すしかない。
「端から諦めるつもりはないけど、僕と護衛たちが生還するのはほとんど無理だと思う。その前提で攻撃に臨まないといけない。これは少数の犠牲と引き換えに、多数の命を繋ぐ策だよ」
愛する伴侶の中にある悪い予感を、ミカは言葉をもって現実のものとする。彼女は涙を流しながら首を横に振り、ミカを抱き締め、その首元に顔を埋める。
「ごめんね、アイラ。こんな策を語れば、君が悲しむって分かってた……でも、今は僕がこの防衛部隊の指揮官で、ヴァレンタイン領の領主なんだ。僕には家族と家臣と領民たちを、この村に暮らす皆を守る義務がある。たとえこの命に代えても」
一国一城の主になるという、前世から追い求めてきた夢。ヴァレンタインと名づけたこの地でその夢を遂に叶えたとき、ミカは己に誓った。何が何でもこの地を守ると。そのためにできる限りの努力をすると。
自分が庇護するこの村だけは幸せであらねばならない。たとえ村の外にある何が、自身の庇護の外にいる誰が犠牲になろうとも。たとえ――自分自身が犠牲になろうともも。
「他にこの村と皆を守る術はない。僕の幸せの全てを奪おうとする敵の指導者たちと刺し違えることで、皆がこの村で生き延びる確率が高まるのなら上出来だ。覚悟はできてる。このヴァレンタイン領の領主になったときからずっと」
語りきったミカは、アイラを優しく抱き締め、彼女が落ち着くのを待つ。室内には彼女のすすり泣く声だけが響く。
しばらく時間が流れ、そしてアイラはミカの首元から顔を上げた。既に彼女の涙は止まり、その表情にはミカと同じ覚悟が宿っていた。
「……ミカ。あなたは私の誇り。ヴァレンタイン領に生きる私たち全員の誇り。私の最愛の人。私が生涯で愛する唯一の殿方よ」
視線を合わせ、力強く言った彼女に、ミカは微笑で応えた。
・・・・・・
ミカは伴侶へのけじめとして、自身の決死の策を最初にアイラに語った。そして次に考えを明かした相手は、自身が領主になる前から苦楽を共にしてきた側近ディミトリだった。
主人の考えを聞いても、彼は驚きを示さなかった。
「確かに、それが唯一の手でしょうね……当然、俺も一緒に敵に突っ込みます。ミカ様を傍で守るのが俺の役割で、存在意義ですから。最後まで務めを果たしますよ」
当然のように言ったディミトリに、ミカは覚悟を問うような無粋な真似はしない。その代わりに微苦笑を浮かべてみせる。
「ごめんね、せっかく僕についてきてくれたのに。こんなことになっちゃって」
「ミカ様が謝ることはありません……ミカ様の従者になってからの九年間は、本当に幸せなことばかりでした。いい暮らしをして、今じゃあ嫁さんと子供もいて、その子供に継がせられる地位や財産もある。故郷で厄介者扱いされながら貧しく長生きするよりも、この九年間の方がずっと価値がありました」
そう語るディミトリの表情には、清々しさがあった。
「……ありがとう。君のような側近を持つことができたのは、領主として最大の幸運だよ。君は僕の誇りだ」
ミカは忠臣に向けて最大限の称賛の言葉を語り、そして立ち上がる。
「さて、他の皆にもこの策を語らないとね。一緒に敵中に斬り込む者を募って、後は……僕たちがいなくなった後のことを考えておかないと。残された皆がこの先も生きて、ヴァレンタイン領を立て直せるように」
・・・・・・
その日の夕刻前。日が傾き始めた頃、ミカの率いる決死隊は敵野営地への攻撃を敢行するため、ヴァレンタイン城の前庭に集結した。
敵側も昨日の攻勢で疲弊しているようで、この日は攻勢を仕掛けてこなかった。このまま一日が終わるだろうと敵兵たちが考えているであろう今こそが、自分たちにとって最初で最後の好機だとミカは考えた。
ミカ自身の体力と魔力は問題ない。本来であれば今日一日は休んでおくのが好ましかったが、魔石の粉末を溶かしたお茶を浴びるように飲み、魔法薬も惜しみなく使い、一戦に全力を尽くすことができる程度まで心身ともに回復した。本来はこのように魔石や薬に頼りすぎることは身体に悪いが、事ここに至ってはそんなことを考える必要もない。
これから決死の戦いに臨むミカたちは、自分たちが命と引き換えに救わんとする皆からの盛大な見送りを受ける。
「ミカ様、俺たち……」
「……」
悔しさと罪悪感を滲ませながらミカの前に立つのは、ジェレミーとルイス、そしてまだ若い家臣たちだった。
「そんな顔をしないで。僕が君たちをヴァレンタイン家の家臣に任命したのは、君たちがこれから長くこの地の発展に貢献してくれると確信したからだ。若い君たちには、生きてヴァレンタイン家を支え続け、ヴァレンタイン領を守り続ける役割がある。君たちが残ってくれるから、僕は憂いなくこの戦いに臨めるんだよ」
家臣たちよりもさらに若い領主の言葉を受けて、ジェレミーはとうとう涙を流し始め、他の家臣たちも彼に釣られたように次々に泣き出す。ルイスも口元を震わせ、目を伏せる。
「……必ず、奥方様とお子様たちをお守りします。死ぬまで務めを果たします」
「お、俺も。何が何でも家臣として全力を尽くします。ミカ様にも、神様にも、俺の家族にも、誓えるもの全部に誓います」
覚悟の込められた声でルイスが語り、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらジェレミーが言った。家臣たち皆が、それぞれミカに誓ってくれた。
「ありがとう。君たちを信じて家臣に迎えてよかったよ」
ミカは笑みを浮かべながら一人ひとりと視線を合わせ、そして次にマルセルの方を向く。
「……自分が武門の家臣でないことを、これほど恨んだ日はありません」
やはり悔しげな表情で語った有能な文官に、ミカは首を横に振ってみせる。
「君は君にしかできないかたちで、ヴァレンタイン家とこの地に貢献してくれた。これからも貢献してくれる。領主家や他の家臣の誰よりもこの村のことを知ってる君が、これからは最古参の家臣として皆を導くんだ。君ならできると確信しているよ。ヨエルが目覚めたら、彼と力を合わせて頑張ってね」
マルセルはしばらく無言を保った後、しっかりと頷いた。
「どうかお任せください……ミカ様がこの村のためにしてくださった全てのことに、心から感謝しております」
善良で有能な文官に頷き返したミカは、その後も御用商人アーネストやヘルガたち使用人、村内社会を支えている神官や職人たちとも別れの挨拶を交わす。
そして、義姉であるグレンダとも。
「本当に、自分が恥ずかしいです。本来であれば私も、卿と共に行くべきなのに」
未だ足の傷が癒えていない中で、それでも前庭まで下りて見送りに出てくれている彼女に、ミカは微笑みかける。
「むしろ、ヒューイット卿が残ってくださることになってよかったです。あなたが生きていてくださるのなら、アイラもあまり寂しい思いをしなくて済むでしょうから」
「……どうかアイラのことは心配しないでください。この戦いを勝利で終えた後、彼女とこのヴァレンタイン領には、ヒューイット家ができる限りの支援をします。あなたとアイラの子供たちが立派に成長してこの村を守れるようになるまで、ユーティライネン卿と共に貴家の後ろ盾となって全力で守ります」
固い決意を示すように表情を引き締めた彼女に、ミカは対照的に柔和な笑みで応える。
「何より頼もしい言葉です……パトリック様と再会したらお伝えします。グレンダ様のおかげで、ヒューイット家もヴァレンタイン家も心配いらないと」
その言葉で、グレンダの表情が崩れる。泣き顔を義弟に見られたくはないだろうと思い、ミカは彼女から離れる。
そして最後に、アイラと向き合う。彼女と視線を合わせると、自然と周囲の景色も音も遠のき、まるで世界に二人きりでいるような感覚になる。
「……あの日のこと」
先に言葉を発したのは、アイラの方だった。
「エルトポリ城でリボンを落として、あなたが拾ってくれた日のこと、今でもはっきりと覚えてるわ。あの日、私の人生の何もかもが変わった。あなたが変えてくれた」
語る彼女の腕には、あの日と変わらず、ぬいぐるみのアンバーがいる。アイラの半生の全てと、彼女がミカと共に歩んできた日々の全てを、寡黙に見守り続けてきたアンバーが。
「ミカ」
伴侶の名前を呼びながら、アイラは両手を広げて一歩前に踏み出す。ミカの身体を、自身の両腕とアンバーで包む。
ミカも、彼女の背中に両腕を回す。二人でしっかりと抱き締め合う。
「あなたを愛してる。私の幸せを理解してくれたあなたを心から愛してる。これからもこの村で、あなたの幸せを守り続ける。あなたと一緒に歩んできた道をこれからも歩み続ける。あなたと同じように、私もこのヴァレンタイン領のために生きて死ぬの」
「……最高の人生だった。領主としても、一人の人間としても。君が一緒に歩んでくれたからこそ幸せだったんだ。何もかも君のおかげだよ、アイラ。君を心から愛してる」
真っすぐな想いを伝え合った二人は、顔を寄せて口づけを交わし、そして離れる。
「あなたを忘れない。あなたがくれた幸せを忘れない。私も、子供たちも、この村に住む皆も」
そう言って、アイラは笑ってくれた。優しさと愛のこもった笑顔だった。
この笑顔を見るために自分は二度目の人生を得て、そしてこの笑顔を守るために死地に赴くのだと、ミカは思った。
・・・・・・
ミカが愛する人々と別れの言葉を交わす間に、ディミトリも妻ビアンカや親しい者たちに別れを告げる。他にミカと共に敵軍に斬り込む者たち――自らこの決死隊に志願した者たちも、それぞれ最後の時間を過ごす。
決死の攻撃に臨むのは、ヴァレンタイン領民だけではない。防衛部隊に参加している他の領主家の手勢からも、主に中年以上の騎士や兵士が何人も志願してくれた。なかには領主自ら志願した者もいる。彼らは同郷の者と言葉を交わし、遺言を預ける。
そして、ミカたちはいよいよ出撃する。城門が開かれ、決死隊が前進する。
最後にもう一度、後ろを振り返ってアイラと視線を交わし、ミカは城門を潜って外に出る。
決死隊の作戦は極めて単純。魔力を惜しまず念魔法を行使し、二本の丸太を力ずくで同時に操るミカが、敵中を突破して野営地後方にいるであろう敵の大将を殺し、その他の首長もできるだけ大勢を、できれば全員を殺す。何度も遠目に見ているので、敵の大将の容姿はだいたい分かる。他の首長たちに関しても、彼らは自らの地位を誇示するように毛皮など派手な装飾を纏っていることが多いようなので、概ね見当はつく。
ディミトリをはじめ他の者たちは、ミカを守る。全員が武器と合わせて盾を構え、ミカの側面や背後に立ち、いざとなれば肉の壁となってミカが役割を果たすまで生き長らえさせる。
城を出たミカたちは、一塊になりながら村の外を目指す。しばらく進むと、道沿いの建物の陰で人が動くのが前方に見えた。おそらくは、城の動きを見張るために配置されていた敵の斥候が、こちらの出撃を大将に知らせるために逃げ戻っていったのだろう。
敵軍に迎え撃つ準備の時間を与えてはならない。
「もっと急ぎましょう。こちらの接近を知った敵の大将が、兵たちに指示を出す前に斬り込みたいですから」
「分かった……総員、駆け足で進め!」
ミカの言葉を受け、声を張ったのはピエール・フォンタニエだった。
「……まさか卿と仲良く玉砕することになるとはな。冗談のような話だ」
「お互い警戒心を滲ませながら挨拶を交わした初対面のときには、こうなるとは想像もできませんでしたね」
隣領の領主が皮肉な笑みを浮かべながら呟くと、ミカは彼に苦笑を返す。
齢五十近いピエールは、既に一人前の大人である嫡子を持っており、さらには自身が編纂者として名を冠した詩集を複数遺したことで、もはやこの世に未練はないと考えて決死隊に志願したという。ミカが魔法行使に集中するために、全体への細かな指揮は彼が担ってくれる。
ミカたちは急ぎ足で村を抜け、完全に破壊された西門も通り抜けて村の外に出る。
村から少し離れた位置には、敵軍の野営地。斥候がこちらの接近を伝えたのか、既にこちらが打って出たことには気づいているようだが、敵兵たちはひどく慌てている様子で、組織立った迎撃の準備が整っているようには見えない。
今こそが好機。今のうちに斬り込めば、勝ち目は十分にある。敵の指導者たちを討てる。
自分たちの命と引き換えに。
「……っ」
死が手応えをもって間近に迫ってきたことで、ミカの表情は自然と強張る。他の皆も同じ感覚を覚えたのか、決死隊全体が緊張に包まれる。
自分はこれから、死への一歩を踏み出す。もう二度とヴァレンタイン城には帰れない。子供たちの成長を見守り、村の発展を見守ることはできない。
もう二度と、アイラと言葉を交わすことも、彼女と抱き合い口づけを交わすこともできない。
それでも、行かなければならない。
心臓の鼓動が信じられないほど速くなるのを感じながら、吐き気を覚えながら、それでも進み出そうとした――そのとき。
「ミカ様あぁーーーっ!」
後ろから大声が飛んできて、ミカは驚愕しながら振り返る。
聞こえた時点で分かったが、声の主は、先ほど泣きじゃくりながらミカと別れの挨拶を交わしたジェレミーだった。とんでもない速さで決死隊のもとへ駆けてきた彼は、そのまま倒れ込んで転がるようにミカの前に辿り着くと、立ち上がる間も惜しんで口を開く。
「え、援軍が……ルイスが物見台から……確認したんです……北の方から、援軍が……っ!」
「……本当に?」
半ば呆然としながら、ミカは尋ねた。ジェレミーはひどく荒い息をしながら、何度も頷く。
「ま……間違いないっす……メルダース家とユーティライネン家の……旗が見えるってルイスが……他にも、ハウエルズ家とか……領主家の旗がたくさん……何千人もの大軍勢が、俺たちを助けに来ました!」
最後の方は声を裏返らせながらジェレミーが叫ぶと、皆がざわめく。
援軍が到着して戦況が改善するのであれば、決死隊が敵軍に斬り込む必要はない。死を前にした緊張から一転して、歓喜の声が決死隊を包む。安堵のあまり腰を抜かす者や、気を失う者もいる。
「そうか、間に合ったか」
「……よかった」
ピエールが息を吐き出すようにして言い、ディミトリがぼそりと呟く。
そしてミカは、空を見上げる。身体の力が抜け、膝から崩れるようにして座り込む。念魔法が解かれ、決死隊の隊列正面に浮かんでいた丸太が地面に落ちる。
涙が溢れ、視界に映る空が滲む。
「あぁ…………神様」
死ななくていい。城に帰っていい。この村で生きていていい。
まだ、アイラと一緒にいていい。
自分に二度目の人生を与え、その人生の終着を先に延ばしてくれた、きっとこの空のどこかにいるであろう神にミカは感謝した。




