第124話 決戦のときは目前に
冬が明けて数か月が経ち、季節が春から夏へと移り変わる頃になると、いよいよ純粋派ノーザーランド人の軍勢がノイシュレン王国の西部国境に近づいてきた。
いくつもの部隊に分かれてアルデンブルク王国領土を蹂躙する純粋派は、未だ集結して本格的な攻勢を仕掛けてくる気配こそないものの、ノイシュレン王国側が西に送り込んだ偵察兵が何人も未帰還となるなど、その暴走の波が迫っていることは明らか。向こう数か月か、もしかすると数週間以内にも、侵攻が始まってもおかしくない状況だった。
「……敵側の軍勢について、新しい情報が入りました。凶報と呼ぶべきものです」
初夏のある日。ヴァレンタイン城の広間でミカと家臣たちを前にそう語るのは、ヴァレンタイン領から常駐兵力の増えたコレット砦までの物資輸送を担っている御用商人アーネストだった。
「敵地から生還した偵察兵の報告によると、敵の軍勢の中に、ダリアンデル人と思しき民兵が大勢いるそうです」
険しい表情でアーネストが言うと同時に、広間の空気が張り詰める。彼の言葉を受けたミカの表情も、自然と険しいものになる。
「ダリアンデル人が敵軍の中に……無理やり動員されてるのか?」
「おそらくは。少なくとも、喜んで参戦している者はそういないだろう」
「なんと残酷な……」
眉をひそめて言うディミトリに、ヨエルが普段ほどには冷静さを保てない様子で答える。二人の間に座るマルセルは、悲痛な面持ちで呟く。
他に同席しているジェレミーも、表情を見るに明らかに動揺した様子で、ルイスは無言のまま小さく嘆息する。そしてミカの隣に座るアイラは、顔色を悪くしながら膝の上のアンバーをぎゅっと抱き締める。
敵軍にいるのはノーザーランド人だけではない。それは、誰もが衝撃を受けるのに十分すぎるほどの報せだった。
「……純粋派に捕らえられたダリアンデル人たちは、強制的にラクリナレス教へと改宗させられた上で奴隷にされてるって話だったね。それから察するに、敵軍に民兵として参加してるダリアンデル人たちは、貢献と引き換えに奴隷身分からの解放を約束されてるんじゃないかな。僕が純粋派の首長たちだったら、去年の戦いで減った兵力を補充するために彼らをそうやって使う」
語りながら、ミカは自身の言葉に嫌悪を覚える。
純粋派に生け捕りにされたダリアンデル人たちの境遇は、純粋派の支配域から逃亡してきた者たちの証言や、情報収集のために命懸けで潜入した者たちの報告、さらには穏健派ノーザーランド人たちを経由して入ってくる噂によって、南東部にも伝わっていた。
異教に改宗してからも純粋派の同胞として扱われず、過酷な境遇にあるダリアンデル人奴隷たちが、民兵として積極的に戦うとしたら。おそらくはそのような条件が提示されているのだろうと推測しながら、あまりにおぞましい想像に気分が悪くなる。
「……」
ミカの内心の不快感を察してか、アイラがテーブルの下でそっと手を握ってくる。ミカが彼女に視線を向け、礼を伝えるように微苦笑を零すと、彼女は優しく微笑む。
一方で、集っている家臣たちは主人の推測に納得の表情を見せる。
「解放を約束された奴隷兵ですか……いかにもありそうな話ですな。一定期間の兵役とするか、あるいはノイシュレン王国打倒の後の解放とするか。適当な区切りを設ければ、士気の高い有用な兵力となることでしょう」
「それに、家族を人質にしとけば、下手に逆らったり逃げたりもしないっすよね」
「……どこまでも下衆な奴らめ」
ヨエルに続いてジェレミーが語り、普段は寡黙なルイスも我慢しかねたようにぼそりと感想を零す。
「しかし、こうなるとますます厄介だねぇ。一人ひとりは強くても動員兵力に限りがあるのが純粋派の弱点だったのに、その数をダリアンデル人奴隷で補ってくるなんて……止むを得ず軍勢に加わってる同族と真正面から戦うのは、あまり気分の良いものじゃないなぁ」
ミカは腕を組みながら言うと、深いため息を吐く。
ダリアンデル人も皆が仲良く歴史を歩んできたわけではないが、しかし対話の余地さえない純粋派ノーザーランド人と比べると、民族や信仰を同じくする相手には遥かに親近感が湧く。特にこの南東部においては、勢力図が概ね定まってダリアンデル人同士の争いが収まり、昨年には連合軍として南西部ダリアンデル人たちと共闘したこともあり、血縁や地縁の枠を超えた大きな民族的枠組みでの仲間意識が皆の中に育ちつつあった。
だからこそ、同じダリアンデル人でありながら純粋派の軍勢に与することになった者たちと殺し合わなければならない現実を前にして、広間には重苦しい空気が漂う。
「……さて、仕事に戻ろうか。そう遠くないうちに敵が攻めてくる。敵軍の規模が増えそうだと分かった以上、防衛準備により一層力を入れないと」
ミカが努めて明るく言うと、家臣たちはそれぞれ応えた。
・・・・・・
さらに一か月ほどが経ち、盛夏を迎えた頃。数百ずつに分散してアルデンブルク王国領土を蹂躙していた純粋派ノーザーランド人の軍勢が、おそらくはノイシュレン王国への攻勢のために集結し始めているという報せがヴァレンタイン領に届けられた。
「敵側の予想兵力は、一万数千に達するものと思われます。丘陵北側へと繋がる街道沿いに集まっているようですが、全軍がルトガー砦に侵攻するのか、一部がコレット砦に攻め入るのかは未だ不明です」
そう語ったのは、ユーティライネン家より送られてきた伝令の騎士だった。
丘陵南側の国境防衛線としてコレット砦があるように、メルダース領やハウエルズ領のある丘陵北側の国境には、ルトガー砦と呼ばれる防衛拠点が築かれている。収容可能な兵力で見たルトガー砦の規模は、コレット砦の数倍に及ぶとミカは聞いている。
このルトガー砦を経てアルデンブルク王国へと繋がる大きな街道沿いに純粋派ノーザーランド人の軍勢が集まっているのであれば、少なくとも敵本隊は丘陵北側の経路でノイシュレン王国に攻め込むのが確定したと言える。大軍が移動するにはよく整備された大きな街道が必要となるため、これは昨年のうちから予想されていた妥当な状況。
予想を超えているのは、状況ではなく敵軍の規模だった。
「い、一万数千……」
「とんでもねえ大軍ですね。想像もつかねえ」
「ノイシュレン王国側が数で劣勢となるのは確実でしょうな」
慄然とするミカの左右で、ディミトリが吐き捨てるように、そしてヨエルが呆れ交じりに言う。
現状のノイシュレン王国の人口は、ミカの前世のような戸籍制度もないため正確なところは不明だが、十万をやや超える程度と推定されている。アルデンブルク王国からの難民流入による多少の人口増加を踏まえても、動員可能な兵力はおそらく一万に届かない。
純粋派がダリアンデル人奴隷を動員しなければ、敵側の兵力はおそらく現状の半分にも届かなかったことを考えると、ミカとしては苦々しく思わずにはいられない。
「幸い、ダリアンデル地方北東部との共闘に関して春までに概ね話がまとまったため、しばらく持ちこたえれば北から援軍が到来する見込みです。王を総大将とするノイシュレン王国軍の本隊は、ルトガー砦を拠点に野戦陣地を築いて敵本隊の侵攻を国境で押し止めるので、コレット砦の務めは本来の計画通り、敵別動隊が丘陵南側へと侵攻してきた場合の国境防衛となります」
ミカたちの反応には特に個人的な言葉を返すことなく、騎士は淡々と己の伝令任務をこなす。
「コレット砦には現状の二百に加えて、フォンタニエ軍やヒューイット軍など、さらに三百の兵力が送られます。防衛部隊の大将にはグレンダ・ヒューイット卿が置かれるとのことです。ヴァレンタイン卿におかれましては、第二防衛線としてヴァレンタイン領の守りを固めつつ、領地の防衛に支障が出ない範囲で兵力を動員してコレット砦に入るようユーティライネン閣下より要請がなされております」
「……承知しました。ヒューイット卿の指揮のもと、コレット砦防衛のために全力を尽くします」
義姉グレンダが指揮をとる。その事実を受け、ミカは表情を引き締めて言った。
できるだけの備えはした。後は、覚悟を共有する姻戚や隣人たちと共に、力を合わせて侵略者に立ち向かうしかない。ヴァレンタイン領を、そこに暮らす領民たちを、領主として守るために。
・・・・・・
伝令を介してサンドラより要請を受けた翌々日には、ミカは総勢十人のヴァレンタイン軍を率いてコレット砦に進軍した。今回は第二防衛線となる自領の守りも堅めなければならないため、軍事に長けたヨエルを防衛指揮官として、何かと頼りになるジェレミーを補佐役として村に残し、自身はディミトリとルイスをはじめ少数を連れて出陣した。
敵が丘陵南側からも侵攻するために別動隊を編成するとして、それが千人を超えるような大部隊の場合は補給路を確保しなければ軍事行動を継続できないので、ノイシュレン王国領土への侵入に際しての補給拠点として、まずはコレット砦を落とす必要がある。補給路の確保が不要なほどの小勢――数十人や数百人程度の戦力であれば、ヨエルたちの守るヴァレンタイン領を陥落させることは極めて難しい。そのため、敵軍がコレット砦を素通りしてヴァレンタイン領を攻める心配はしなくていい。
ミカたちが砦に入った翌日以降、フォンタニエ領をはじめ、主にユーティライネン家の勢力圏の南部に位置する各領地から援軍が到着し始めた。およそ一週間ほどで、砦の防衛兵力は総勢で五百に達した。
「これで、いつ純粋派ノーザーランド人どもが到来しても大丈夫ですね」
丸太柵に囲まれた砦の敷地内、石造りの頑丈な指揮所の中でそう語ったのは、サンドラより砦の防衛指揮官に任命されているグレンダ・ヒューイットだった。
サンドラから見れば従妹、ミカにとっては義姉にあたる彼女は、パトリックの戦死に伴ってヒューイット家当主となった。
「ですねぇ。本当にお見事なご采配でした。数十家の手勢の寄り合い所帯が、こんなに早くまとまった防衛部隊として機能し始めるなんて……」
グレンダと共に指揮所で大机を囲んでいるミカは、彼女に向けて称賛の言葉を語る。
砦への兵力集結が完了した翌日には寄せ集めの五百人を巧みに編成して指揮系統の整った防衛部隊へ組み立てるなど、グレンダは早くも指揮官としての能力を発揮している。彼女が有力領主家の若き当主として十分以上の才覚を持つことを、もはや疑う者はいない。
「私の力ではありません。侯であるサンドラ様との姻戚関係と、亡父が築いたヒューイットの家名の威光があったからこそ、他の領主やその名代たちも私の采配に従ってくれたのです……これくらいの仕事ができなければ、神の御許から見守っている父に笑われますよ」
義弟の称賛に、グレンダはそう返しながら微苦笑を零す。
「ヒューイット家の新たな当主として、必ず義務を果たすと誓いながら父を見送ったのです。その誓いを誠のものとするために、これから始まる戦いで全力を尽くさなければ」
「……そうですね。僕もアイラや子供たちを必ず守るとパトリック様に誓いました。力を合わせて誓いを守りましょう」
パトリックの遺体はヒューイット領に帰ることが叶わなかったが、だからこそ葬儀は大規模に行われ、ミカもアイラと子供たちを伴って参列した。昨年の夏のことだった。
ヒューイット家の家紋とパトリックの名が刻まれた空の棺。その前で誓いを立てた日のことを思い出しながら、ミカはグレンダと頷き合う。
そのとき、指揮所の扉が開かれる。ミカたちが入り口の方を振り返ると、入室してきたのはピエール・フォンタニエ卿だった。
「失礼する……先ほど斥候が帰還した。報告によると、やはり敵の別動隊がこちらの街道沿いに集まっているそうだ」
領主たちの当番制である見張りの指揮役を務めていたピエールは、やや硬い表情でそう語った。
「報告に感謝します。敵別動隊の規模は如何ほどで?」
「およそ二千程度という話だ。そのうち少なからぬ割合が奴隷兵と思われる」
「……なるほど。予想の範囲内ですね」
質問への返答を受け、グレンダは冷静さを保ったまま言う。
丘陵南側の街道は細く、国境の向こう側――かつてマグリーニ家の勢力圏のあった辺りはアルデンブルク王家の攻撃によって何年も前に荒廃している。そのため行軍や補給には困難が伴い、敵軍が別動隊に割ける兵力はせいぜい二、三千が限度。ノイシュレン王国側のそのような推測はどうやら当たっていたようで、だからこそグレンダも平静でいるのだろうとミカは考える。
「敵が来るのであれば迎え撃つのみです。この砦ならば、二千の軍勢が相手でも相当な期間持ちこたえられることでしょう。まずは他の領主たちにも状況を伝えた上で、見張りを強化しましょう」
「承知した。ではひとまず、皆にも報告しよう」
グレンダと言葉を交わして退室するピエールの背を見送った後、ミカは小さく息を吐く。
ノイシュレン王国の、すなわちヴァレンタイン領の命運を左右する戦いが、いよいよ始まる。




