第二十話
砲弾のような勢いで護岸の石垣に叩きつけられた鬼の身体。
着弾点が威力に負けて爆発し、石くれが土煙を引いて周囲に飛び散る。
合い打たれた衝撃で目が回っている燭陰からの追撃はないが、夜風によって視界が晴れた先には、大穴が開いていた。
大の字で叩きつけられた文久は額から血を流しているものの、刀を手放してはいない。
のそりと身を起こすと垂れてきた血を舐め、凶悪な笑みを浮かべる。
鬣のごとき赤髪がざわざわと蠢き、口が耳まで裂ける。
「シャァァァァッ 面白くなってきたぜぇ!」
「なにを馬鹿なことをいってるんですか」
もはやどちらが悪役か分からない有様の文久に、至極冷静な突っこみがはいった。
姿は見えずとも文久の追撃でできた隙に橋桁から離脱し、その後即座に移動して来たのであろう円海が、文久の傷を癒すべく法力を用いる。
「オン・ロボニュタ・ソワカ【日光菩薩・霊光治癒】
日の暖かさを思わせる微光が文久を包み、額の出血が止まって、背中の痛みと腫れが引いてゆく。
薬師如来配下の日光菩薩は病魔退散が本願だが、その力を借りた法力は負傷を癒す権能も有している。
もっとも、これで治せるのは相手が文久なればこそだ。合撃をもってしてなおこの威力。他のメンバーなら即死していても不思議ではない。
「あまりに様子が危険なのでまだ野次馬は出ていないようですが、物見高い江戸っ子です。長引くとどうなるか分かりません」
「つってもまぁそう簡単にはいかんわけで、見物なんぞして巻きこまれたら、そりゃ自己責任だろぉよ」
無差別殺人の被害者と、明らかにヤバイ現場に好奇心で顔を出す馬鹿とでは、あつかいが違う。なぜ助けないとかぬかしたら殴り飛ばすだろう。このあたり、文久は割りとシビアだ。
それについては異論がないらしく、円海もやれやれと首を横に振るだけでなにもいわない。
猛る鬼の視線の先では、ようようにして脳が動きだしたらしい燭陰が、変わらず爛々と光る目でこちらを睨みつけていた。
「まだまだいくぞ、コラァ!」
普段のどこか飄々とした風をどこかへ消し飛ばし、渡世人かヤンキーかという暴声を上げながら呼び寄せた雲へ飛び乗った文久は巨体めがけで何度目かの吶喊を開始する。
燭陰へ立ち向かうことは、咆哮をあげて襲いかかる全速力の新幹線へぶつかってゆくのに等しい。
痛みとて当然ある。安全に配慮されたコンシューマーゲームではないのだ。元が恐ろしく頑丈な分、負傷の度に比して痛みは少ないとはいっても、限度がある。
いかに天下の大妖と一つになったとはいえ、並みの神経でできることでは決してない。
戦いを楽しんでいるのとは違う。
守るために敵と戦えていること、前に進めていることが、うれしいのだ。
異世界だ。未知の怪物だ。自分自身すらすでに怪しい。
そんな状況に陥っても慌てるでなく、腐るでなく、前へ前へと進める。
酒之井文昭には、そんなところが確かにあった。
常識が薄皮一枚しか存在しない麻魅や知的好奇心が良識を上回る奈々子、代々僧職の家で育ち宗教的思索もするために死生観が独特な武敏。
そんな中で文昭は比較的普通の感性を持った人間だった。
人を殺して喜ぶような者を嫌悪し、だからといって力もないのに吶喊するほど非常識ではなく、なにもできないことを悲嘆しながら、日常生活ではそれを忘れられていられるていどに鈍感。
日常に埋没し、なにかに挑んでも息切れ、やがて諦観する「普通」。
それが悪いということはない。むしろ突っ走る者ばかりであったなら、社会というものが成り立たなくなってしまうだろう。
現に文昭とて、あの現実にいるあいだは片鱗こそ見え隠れしたものの、普通の一人だった。
だがいま、戦えている。率先して前に出ている。己自身を的にすることができている。
大妖怪と一つになって力を得、人格にも影響があったのかもしれない。
それでもただ本当に普通であったなら、こうはできなかったろう。
いささか規格をはずれた三人と幼馴染の仲間でありつづけ、むしろ牽引役になっていた理由。
一端できることがあると見極めたなら、多少の困難は無視して進める熱さ、意欲、生命力。
根源的な「強さ」が、ここで華開いた結果。
飛びさる背をながめ、仲間二人と同じ思いを抱いた円海は、再び空を駆ける。
時間にして半刻(約一時間)。
激闘は続き、互いはまさに満身創痍であった。
七重は常に距離を取り、隠形結界を張ったうえでさらに障害物へ身を隠しているが、何度かは見破られて熱線を受け、護符もあらかた焼け落ちて、尾の先がわずかに焦げている。また、術の維持には気力を消耗する。気の減衰は根源から来る脱力感と集中力の欠如として現われ、初期の勢いを減じる。
文久の衣は返り血ばかりではない赤に染まり、全身の骨が軋み、筋が熱を持っていた。あまりに頑健な敵の体躯へ恐るべき力で打ちこみ続けたため、関節も悲鳴をあげている。目だけは逆に力を増し、炯炯と輝くようではあったが。
麻は霊体化したうえに遁形を用いて姿を消しているが、本性を現していた。濃血の毛並みに八尾を持つ巨大な猫科の獣。身にまとう幽鬼のような燐光は心なし陰り、そうでありながら四足八尾を駆使して袖葛篭から飛び出し続けるクナイと、太い針である千本を絶え間なく蛇身に送り続けている。すぐ傍らにいる円海が、いまも治癒の法力を使った。
いざという時の防御、負傷時の回復、不調の解消。そして隙あらば錫杖の一撃を。恐らく四人の中で最もやることの多い円海の疲れは、一番に激しいかもしれない。だが彼はそんなことをおくびにも出さず、淡々と自らの成すべきことを見極め、実行している。
ゲームの方で山と買いつけた完全回復薬の金丹や、一度だけ致命の一撃を肩代わりしてくれる形代の護符。
妖力と合わせて燐をつめこんだ閃光玉や煙幕弾。
もろもろの膨大なリソースをつぎこんでなお、敵は倒れていない。
しかし、一方の燭陰は四人以上にボロボロであった。
もはや再生力が追いつかないものか、片目は潰れたまま。
鱗はまだらに剥げ、肉が抉れている部分は出血が続く。
髭も髪も縮れ、顔面には数条の斬り痕。
息が乱れ、血色も悪い。
周囲の有様も壮絶であった。
両岸の佐賀町・南新堀町では、岸に近い方から半分ほどが波に洗われ、激突や打撃によって護岸が崩れている。
周辺にある屋敷・民家のいくつかには流れ弾が届いていた。
永代橋の線が突破されていないのは、奇跡に近い。
さながら自然災害。事後にでも見た者は目を瞠ろう。
これほどの破壊を撒き散らす戦場に、半刻も立ち続けることができるという時点で、すでに常識の外だ。
まっとうな生き物なら、数度息をする間に何度死んでいることか。
それほどに吹き荒れる暴威は凶悪であり、致命的であった。
それでもなお、決着が着かない。
原初の蛇。
太古の神仙。
それは山であり、海原に等しい。
実際、その体力・生命力・存在力、内包する先天の元氣を土砂に換算すれば、数千m級の山岳に匹敵しかねない。
人が手だけで山を崩せようか。
たとえ妖怪とはいえ、山を動かせようか。
これはそういう水準の戦いなのだ。
しかし、この世に終わりなきものはない。
どれほど永遠に見えようとも、万物万象は常に変化し、流転している。
ゆえに、その時は来る。
「オ、ォオノレエェェェェッ、クチオシヤァ」
苦しい息の下、水面を揺さぶる重低音の声が響く。
「コノ、コノオレ二、タイコカラアルハジマリノモノニ、ココマデハムカウトワァッ」
声音にこもるのは憎しみ・恨み・傲慢・怒り。
「ナナダイナドトハマダアマイ。スエノスエマデウラミツクシ、ノロイコロシテクレヨウゾォ」
初めて発するだろう怨嗟の言葉。いままで見下し続けてきた他者を、ある意味認めたことになると、気づいただろうか?
「ナレドコノバハカンベンシテクレル。アリガタクオモイ、クビヲアラッテマッテイヨ」
どこまでも身勝手な捨て台詞。ようは逃げるということ。それを認められず、わめきちらす。
だが、言い置いて沖へと逃げ出そうとした身体が、ぐらりと揺れた。
なんとか倒れることは堪えたが、こんどは逆側へと傾き、身を立てることがおぼつかない。
「ナ、ナンダコレハ! カ、カラダガ……?」
文久の口元がにやりと笑う。
八塩折は八岐大蛇退治に用いられた極上の酒。その酒毒は強烈で、頭一つが山ほどもあるといわれた大蛇を正体もなく酔わせ、眠らせる力がある。
この酒は蛇退治の宝でもあるのだ。
そのある意味猛毒を、時には一撃の重さを犠牲にした連打で、長時間にわたって延々と、直接身体に叩きこまれたのである。異常をきたさぬ方がおかしい。
加えて、ほとんど痛みを感じないがために無視し続けた麻のクナイや千本には、【猫鬼血毒】がたっぷりと塗りこめられていた。
元々呪殺用の毒を作るための蠱毒、その中でも最悪の一つである猫蠱から生まれたとされるのが猫鬼であり、さらに霊格をあげた存在が邪魅だ。
その血液は猛悪な呪毒であり、呪術であるがゆえに魂そのものを蝕む。
使用には自ら出血する必要があり、下がった体力を円海に時折回復してもらわなければならなかったのだが、その価値はあったといえよう。
妖怪が強い理由の一つは、その存在力。気の塊であり、物理的な構造以上に魂魄へ存在の要を置き、気力さえ続けば肉の身が多少崩れようとも現世の理を超えて復元がかなう。ゆえに滅多なことで死なず、戦い続けることができる。
だがそれは逆に、魂魄を侵せば肉の身も崩れ、傷を癒すことがかなわなくなるということ。
傷と酒毒に侵された身体を治す根本が、すでに損なわれている。
まだ余力がある、それは錯覚にすぎない。
土台はすでに上げ底で、柱は虫食いの穴だらけ。一押しすればもろくも崩れる。
逃げようにも、逃げ切るだけの体力がない。
執念深いことで知られる蛇に、手負いで逃げられてはたまらない。
最初から、逃がす気はない。
ここで仕留める。
それが当初からの計画であったことを、ここでようやくおぼろげながら悟った燭陰であったが、すでに遅い。
仕上げとばかりに白の炎弾が勢いを増して降りそそぐ。馬鹿の一つ覚えというなかれ、耐性を用意できなければ中威力でも圧倒的な連射は膨大な火力となる。近代の戦場で砲兵が戦場の神と呼ばれたのは伊達ではない。勝利を決するのは必要なところに叩きつけられる十分な破壊なのだ。
天狗が起こす猛風がふらつく前進を完全に押しとどめ、周囲を幻の猫が飛びかって幻惑する。鈍った獲物を完全に網でからめとる。
動きが止まった巨体へ向けて、雲が走った。
雲上に腰を落として立った文久は、愛刀の柄尻に左掌を当て、槍のように構える。
追い風を受け、一息に懐へ。
急角度で上昇した全身を巨大な矢に変え、狙うは一点・顎の裏。
昔話の大蛇退治にある弱点。地割れの中に潜んだ猟師が鉛弾を叩きこんで仕留めたという話しもある、急所中の急所。
移動の勢いへさらに上乗せして、全力の刺突。
両腕を、突き出す。
【剛力】【鬼神力】【発剄】
「ケェアアアアアァァァッ!!!」
【剣聖技:突・貫】
剣術最速・最高威力を誇る「突き」。
攻撃の威力を接触面から内部へ通す「貫き」。
二つながらを剣聖技とし組み合わせることで、防御力を無視して敵の最後の体力を削り切り、土壇場での逆転を許さぬ必殺の一。
顎下の柔らかい肌を苦もなく突き穿ち、一丈の刃が鍔元まで深々と肉を裂き、貫いた衝撃が頭蓋の内を荒れ狂って、脳髄をぐずぐずに掻き回す。
衝撃が内部で炸裂し、強制的に閉じられた口、見瞠かれた目、広がった鼻、両の耳、すべての孔から血が噴き出す。
その最後、怨念をこめた毒血すら効を成すことなく。
さらに突きあげられた顎があがり、全身がのけぞり、飛びあがるのに合わせて腕を下ろしたことで刃が抜ける。
傷口から一際激しい血飛沫が上がり、反対に崩れ落ちた巨体は、大波を起こしながら海面へ沈む。
大江戸を震撼させた戦いは、こうして終わった。
かつて、太古の大陸には人が存在しなかったという。
王の始まりである三皇五帝の二・女媧は、ある日なにを思ったか黄河の泥で人型を作り、息を吹きこんでこれを人間と成した。
同族である小人は、天を補い地を均す偉大な神仙であり、自らですらただ仰ぎ見るしかない存在が、卑小な者共を気にかけることを厭い、妬み、ことさらに人を虐げるを好んだ。
そのおこないに、彼の女仙が眉をひそめたと聞けば、なおさらに。
しかし、みだりに苦しめられ、殺される方にとってみれば、そんな事情など知ったことではない。
女媧は女面蛇身の大神である。




