第十八話
一直線に敵を目指す矢のごとき軌跡を取った雲の上で、文久は己が愛刀の刃を長い舌でべろりと舐める。
刀身は濡れ光るが、それは唾によるものではない。むしろ、元々あった水気が減ったように見えた。
天下逸品:妙法大酔伝村雨
妙法千子は村正だとか、日本刀としては形がおかしいだとか、突っこみどころ満載の代物ではあるが、ゲームの大江戸では文字どおりの天下逸品、天下に逸して等しきものなき品、超レア物の一つだ。数千種はあるアイテムの中で、最高等級天下逸品は百五十種のみ。しかも同じ品は存在しない。
斬れ味・剛性・破壊力、いずれも最高性能を誇る、威力を求めた剛の剣を使う者にとってまさに垂涎のこの得物、その能力を完全に使いこなすことができるのは鬼系第四階梯・近接戦闘特化種の雄、京洛に数多ある鬼どもの王・酒呑童子のみだとされている。
大力無双といわれる妖怪は、一つ目小僧・見上げ入道・大入道から成るダイダラ法師などがある。大天狗の一角・鞍馬天狗は武芸百般に通じ、異形巨大な大刀でも自在に操ることが可能だ。
それらを退け酒呑童子が最高の使い手と称されるのは、大酔伝村雨が持つ特殊な機能による。
明らかに元ネタの一つである小説・南総里見八犬伝に登場する村雨丸という刀は、刀身が常に結露して血脂をよせつけず、何人斬っても斬れ味を保つという。
大酔伝も同じく結露し、同様の機能も持っているのだが、それだけではない。
刀身を濡らしているのは水ではなく、酒だ。
しかも、一度刀身を漬けることで覚えさせた様々な酒を、自在に湧きあがらせることができる。
そして酒呑童子には、酒を呑むことによって己を強化するよう妖力がある。
【妖力・鯨酔侯】
呑んだ酒の種類によって様々な効果を発揮するそれは、この刀のおかげで多彩な運用が可能となる。
【発動・八塩折之酒】
文久の白い肌が朱を帯びて、桜に染まる。
その息が酒気をはらんで熱く吹き荒れる。
八塩折之酒は彼の八岐大蛇退治において、脚名槌・手名槌の夫婦が作った「八度にわたって醸す酒」。水の代わりに酒で仕込む貴醸酒ともいわれるもので、これを摂った酒呑童子は全ステータスが大幅にアップする。
通常ならそう簡単に手に入るものではなく、また普通に飲もうとすれば入れ物を出したり引っこめたりと動作が必要になるわけだが、この刀であれば労力は最低限ですむ。
全身にさらなる力が漲り、構えなおした刀身が巨大な鏃となって、大川をさかのぼり弧を描く永代橋へ迫りつつあった蛇体へと、一息に襲いかかる。
しかし、その動きはあまりに直線的であった。
そこぞとばかりに放たれた赤い熱線が、これを迎え討つ。
かわす間こそあれ、鬼の姿を雲ごと飲みこんだ太々とした赤光は、夜空を切り裂いてさらに伸びる。
その威力はいまだくすぶり煙と火を吹きあげる岸辺を見れば、一目瞭然だ。群小のやからはもちろんのこと、そこそこ力のある妖怪ですら、食らえばただではすまない。
埠頭でのことはなにかの間違い、試した威力はやはり十全のもの。
そう信じた燭陰が必殺の意をこめたその熱線はしかし、打ち破られた。
光の中から飛び出した刃は頭の下、蛇体の首元とでもいうべき部分を、深々と斬り抉る。
【刺突】【剛力】【鬼神力】【震脚】【発勁】
衝突に合わせて放った一撃は、剛力・鬼神力で倍増した力を踏みこみからの発勁によって一切の無駄なく、突進の威力を重ねて突きこまれた。
ただでさえ大力を誇る鬼族の頂点の一つであり、極上の酒と妖力でこれを増し、それらをあますところなく用いる技術でもって集約する。
その威力は、推して知るべし。
刃が触れた瞬間、並みの刀などでは傷一つつけることのかなわぬ鱗、牛皮何枚分もの厚さと比較にならぬ丈夫さを持つ皮、鋼をより合わせたよりも強靭な筋。
そのすべてが、爆発するように吹き飛んだ。
剥き出しになった骨も、一部が砕けている。
「八塩鬼神斬り」として知られる、大威力攻撃。
これを空中という場で繰り出すことができたのは、觔斗雲のおかげだ。
その加速もそうだが、これだけ巨大な相手となると、攻撃を有効な部位に当てるための位置取りが不可欠になる。いかに威力がある攻撃とはいえ、尾先ていどにしか当てられないのでは効果も半減だ。
ゆえに空を飛ぶ必要があるわけだが、通常の飛行術や翼による飛行では無理がある。
近接系の大威力攻撃に必須である、足の踏ん張りがきかないのだ。
しかし原典では悟空愛用の武器、重量一万三千五百斤(約8t)の如意棒でさえ自在に取り回せる足場となるこの雲は、本家にはおよばずとも鬼神の一撃を支えるに十分な力を持っている。
そしていまの文久と、その一部である雲には、燭陰の「妖力」による攻撃は一切効かない。
「ゴウェアアアアアアッ!!」
白目を剥き、血反吐をはいて川内をのたうちまわる巨体によって、周囲が大波に襲われる。
あやうく海面に突入しかける勢いで進んだ文久は、ぎりぎりで雲を返し、波を避けて再び上空へ舞いあがった。
苦悶の内にもそれを捉えたか、燭陰の血走った眼に黒目が戻り、喝っと口を開く。
【仙術・三昧真火】
口・目・鼻、三種の穴から同時にほとばしった豪炎が、一瞬にして広範囲を制圧する。江戸名物の花火、その広がる範囲すべて炎で埋めつくし、ありえない低さで放ったかのような一撃だ。
燭陰の顔を中心に川面を覆って膨大な容積を占めたのは、ただの炎ではない。
万物万象の根幹たる先天の元氣。これを自在に操るのが仙術であり、その仙術において最高の火。あらゆる存在を焼き滅ぼす「燃える」という現象そのもの、真火。
これを発するのが三昧真火の術。水をかけてもさながら油のように炎を発して燃えあがる。制御を誤れば自分自身も焼きつくされるという極悪な代物だ。
天地創造の昔ともいえる古代から存る大妖怪の氣を用いて放った真火の威力は、類焼させるまでもなく大江戸の一角を「焼滅」させかねない。現代の港湾地区で炸裂したなら、どれだけの死者が出ることか。文久を狙って、比較的上空へと放たれたのは、幸運であった。
暫時滞空し続けた炎が定められた時間をすぎて消えかけた頃、その中から鬼を乗せた雲が飛び出して来た。
「あっぶねぇ~。焦げたじゃねぇかこの野郎!」
なるほど煤けているが、傷らしい傷はない。あれほどの爆炎を突破したとは思えない様子だ。
焦げくさい臭いを払うように腕を打ちふると、袂から滑り出た燃えカスが風に散る。
【摩利支天・火難災除符】
真言密教の高僧、天臨座主・円海直筆の霊験あらたかな護符である。愛宕太郎坊は火術に長じた天狗であるともいわれ、当然のように防ぐ方にも優れている。その強力な護符数枚を一度に抜いて多少なりとも被害をもたらすのだから、燭陰の術はやはり半端ではない。
では熱線はなぜ完全に効果がなかったのか。
【鉛毒息雲】
吐き出される鉛色の息。熱され、気化した鉛は強烈な毒性を有し、一息吸いこんだだけで人間なら即死しかねない。命は助かっても熱と毒にさらされた気管支や肺はボロボロになり、まともな生活は不可能になる。
水の蛇であると同時に「山脈」であり、内に土や金属、そして高熱を宿す始原の種なればこその致命的な攻撃だ。
それを吹き付けられた文久はしかし、これを煙幕として利用すべく突っこみ、再度の斬撃を放つ。
さすがに多少は学習したのか、燭陰はかわそうと身をひねる。
しかし遅い。
巨体にしては素早い動きだが、的の大きさは攻撃をはずすために動かなければならない距離もまた大きいことを意味する。
再び炸裂した刺突は伸びあがった蛇体の腹を抉る、というより破裂させる。
そして、斬り抜けて体勢を立て直した文久は、からみつく鉛霧をふりはらい、なんの痛痒も感じさせぬ笑みを浮かべた。
【妖力・血酒耐功】
対象の血を混ぜた酒を呑むことで、相手が保有するすべての妖力に耐性を得る酒呑童子独自の力。
通常なら条件を満たすことはなかなか難しいわけだが、大酔伝村雨ならばある意味容易だ。敵に斬りつけ、血混じりの酒が落ちる前に舐め
ればよい。
晴海公園で油断しているところへまず最大威力の攻撃を叩きこみ、直後わざわざその刀身を舐めたのは、このためだ。
さらに、ゲームの方でコマンド画面を開いて見れば、得た耐性の種類を確認できた。それは実際の燭陰が有する能力がゲームのものと大差
ないことを確認できたということでもある。当然ながら他の三人も、毒と炎を防ぐ護符の類を身につけていた。
情報を取り・仕込みを行い・物量を用意する。
化け物相手の人間は、あらゆる手をつくす。それが当然。
「死にさらせや、こらぁ!」
咆哮一閃、三度刃が迫る。




