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大江戸・百鬼夜行  作者: 塚本 仁
16/23

第十六話

 深川黒江町。

 永代橋にほど近いこの町は大江戸でも海に面した場所の一つであり、朝は魚河岸などが開かれて賑わっている。

 また、ここは表向き港の人足や舟のこぎ手を中心に斡旋する口入屋(人材斡旋業)、その実は妖怪で廻り組の頭・磯撫で浜一の縄張りでもあった。

 磯撫では一見はサメに似る。しかし水中を泳ぐのではなく、北風に乗って海面を撫でるように進み、尾ビレにおろし金のごとく生えた無数の針で漁師を引っ掛け、海中に引きずりこんで喰らってしまう。食うために漁に出た人間が逆に魚に食われるという、人間から見れば皮肉そのものの存在だ。

 そう。

目が各々顔の両脇によった、四十絡みのでっぷりとした人型をとるこの男、人食いであった。

 元々このあたりの海に住んで地元の漁師を取りつくさないていどに餌食としていたが、大江戸の発展で餌には不自由しなくなったものの、見境なくやっていると悪戯に注目を集、人間の中にもわずかにいる強者につけ狙われる可能性があったため、人に化け・人の中から都合のいい獲物を探すことにした。

 海に出て荒れているわけでもないのに頻繁に人死にが出るのは怪しいが、町中で人が消える理由はいくつもあって特定しがたいかあだ。

 群小の連中に勝手をされてはせっかくの工夫が無駄になるので、周囲を力づくで締めて配下とする内、他との対抗上から廻り組を組織するはめになった。

ゆえに、盛り場で漏れる精気を吸えば十分であったり、人を脅かすことで力を得るといった、殺しを必須としない妖怪とは一線を画している。

 この男にとって、人間は愚かしくも愛嬌のある存在でも、自らの生まれてきたところでもない。

 ただの餌だ。

 畢竟、彼の下についている妖怪も人間を軽く見るものばかりとなる。

「頭、いいんですかい。あいつら好きにさせといて」

 不快そうに尋ねる羽織に股引という人足姿の男は、がんぎ小僧の定吉。大川べりを住処とする河童の仲間だ。

 人間から尻子玉という精気の塊を抜いて、好んで喰らう。抜かれた人間は衰弱死してしまうため、人食いといってさしつかえない。

 定吉がいう「あいつら」とは、もちろん文久達のことだ。

 浜一は、その性格もあって他の組頭とあまり横のつながりはない。それだけに今回何人かの組頭連名で出された回覧についても、最初は無視しようと考えていた。なにより、己の縄張り内を探られるなど、不愉快きわまりない。ここは俺の餌場なのだと。

 しかし、昨今大江戸の東に位置する本所から黒江町のある南東の深川へと勢力を伸ばし、人間とはうまく付き合っていこうなどと腑抜けたことをぬかすので、いずれ寝首でも欠こうかと目をつけていた猩猩狒の伝衛門が名を連ねていたことで、敵情をのぞいてみるも一興と思い、文句があるなら来いとぬかした、これまで名を聞いたこともない身のほど知らずの馬の骨を見物することにした。

 冷やかしと、せいぜい馬鹿にしてやろうくらいの調子で出向いた先で、浜一は肝を潰す。

 なんだ、アレは。

 必要な最低限以外、人の知識というものに興味を持たなかったこの男は、大妖怪の伝承など知らない。霊格という概念も、その段階が上がることで圧倒的に力量が変わることも知らない。ましてや、大江戸・百鬼夜行では磯撫が第二階梯に属し、あの場にいた四人全員が第四階梯にあたるなどという事実は、知りうるはずもなかった。

 ただ、海という巨大な存在を知るがゆえに、この世には畏怖すべきものが在るということだけは、識っている。

 なんだ、アレは。

 一見は村というのもおこがましい、山間に建てられた数軒の家。

 田舎庄屋のさしたることもない萱葺き屋といった風情の、その縁側。

 巨大で不気味な猫のような獣。

 翼のある人に見えるモノ。

 九つの尾を持つ狐。

 そのいずれもが、怪物。

 浜一と定吉の間にも、れっきとした格の差がある。それは単に腕力が強いといったものとは異なる、文字どおりの話だ。

 ふてくされたように意見はしても、本気で睨めばいまのように黙りこむ。それは正しく気圧されるからであり、存在の大きさが違うことを肌で感じるからだ。

 蛙が蛇に、人が妖怪に睨まれるのにも似た、被捕食者と捕食者の、本能的な関係。

 そして、最後の一体。

 強靭な太い筋骨で膨れ上がった巨躯。

 そこに立っているだけで、叩きつけてくるような精気。

 暴力。

 ただそれだけを具現化した存在。

 自分が同じ世界に生きているだけに、浜一は一目で理解してしまった。

 強すぎる。

 あんなものが徒党を組んで戦わなければならないモノがいるなど、到底信じられない。

 ならば、その真意はどこにあるのか。

 要するに、脅しだったのではないのか。

 彼の疑心暗鬼は、そんなところを堂々巡りしていた。

 だから分からない。

 彼が目にしたのはただの暴力などではない。その圧倒的な力という土台の上に、達人の域にある技量と、同等以上の怪物と争った経験が乗っていることを。

 その高楼の頂はあまりに高すぎて、己にはうかがう術もないのだということを。

 だから分からない。

 そんな彼らが一度は撃退したにも関わらず、微塵も油断することなく備えている化け物が、どれほど危険かということを。

「頭ぁ、沖に妙な奴が来ましたぜ」

 外から緊張感のない声がかけられた。手下の河童の一匹だ。

「妙な奴だと?」

 不機嫌に、そう応じる。

「へぇ。なんかぞろっとした長い服を着た、髭もじゃの親爺でさぁ」

 声音に恐縮したのか、わずかに首をすくめた河童は、説明を続ける。

 と。その脇を抜けて、小さな紙の狐が室内へ飛びこんで来た。

 ここ最近、彼らの縄張り内でもよく姿を見る式神。人間の技で作られた紙細工。

〝燭陰が動いた。大川口。警戒された〟

 無機質な声に最後まで言わせず、定吉が式神を踏み潰した。

「けっ、臆病モンがぁ。頭ぁ、俺っちがいって始末して来まさぁ」

 腕まくりして飛び出していくその背を苦々しげに睨みつけた浜一は、潰れてただの紙に戻った使い狐を一瞥した後、胴間声を張り上げた。

「野郎ども、出入りだ!」

 あの怪物どもの機嫌を損ねたら、後でなにをされるか分かったものではない。

 そう考えた浜一は、周囲に一声かけて自らも外へ出、岸に向かう。

 連中が警戒しているということになっている奴に一発くれてやれば、少しはいいわけになるだろう。

 あわよくば見返してやれるかも、という無意識の思惑もないではない。

 いかに脅しつけられようとも、いや脅されただけに、ぽっと出の相手へ抱く反感がある。

 これまで己が好き放題をやってきただけに。

 現場につくと、腰まで水につけた河童や水から顔だけを出した化け魚などが、沖を睨んでいた。一応の人払いはしてある。

 一同の視線の先には、海の上に立ったずんぐりとした男が一人。

 なるほど、すその長い袖のゆったりした服を着ている。

それが大陸の式服であることを知っている者は、この場にいなかった。

 髭と髪と眉が雲のごとく覆う顔には、頬のあたりに火傷の痕があった。

 そして、夜の海でもその姿を容易に捉えることがかなう原因。

爛々と、大きな灯のごとくに輝く両眼。

それを見た時、浜一は嫌な予感がしたのだが。

「はっ、ジジイ! 喰らいやがれ」

 人型から本性をあらわし、おかっぱ頭に水かきのある手足、七尺(約2m)ほどもある鱗だらけの身体という姿に戻ったがんぎ小僧は、腰まで海に浸かった態で両の掌を組み合わせ、間に水をいれる。

 転瞬、組み合わせた手を中心に海水が渦を巻いた。

【大水鉄砲】

 組んだ手のあいだに空けた隙間から、圧縮された水が飛び出す。

 わずかな違和感を除けば、見た目は水辺や風呂場で子供が遊ぶようなもの。

 しかし、結果は違った。

 飛び出した水は大人でも飲みこむ規模の激流と化し、沖の男へ向け音をたてて突進する。勢いからすれば、只人が打たれたならば骨の何本かは持っていかれようほどのものだ。小船なら一当てで沈み、安宅船でも腹に穴があきかねない。

そんな一撃を水遊びの要領で出せるのだからなるほど、彼らにとって人の命は軽いのだろう。

 水塊は勢いを減じることなく男へとぶち当たる。

 仮にも妖怪、死にはしないだろう。しかし痛い目は見せたはず。水の上を歩いていたが、落ちていれば引きずりこんで、そのまま袋叩きにしてくれる。河童達の頭に浮かんだのは、まずそんな考えであった。

 だが、そんなことはありえない。

 跳ね飛んだ飛沫がおさまった時、そこには水に濡れた男が、変わらずに立っていた。

 位置は微動だにしていない。姿勢はそのまま。傷を負った様子もなかった。

 驚く小妖怪達の前で、男の身体から蒸気があがる。

 内側から発する高熱が、その身を濡らす水分を消し飛ばす。

 両眼が、喝っと見瞠かれた。

【燭熱邪視】

 目玉から放たれた赤い光はまず岸辺に近い海面をなで、白い爆発を追従させながら首の動きに合わせて横薙ぎにし、当たるを幸い超高熱の洗礼を与えた。

 瞬時に沸騰した海が、水蒸気爆発を起こす。

 水に濡れた皮や鱗が一瞬で乾き、ひび割れ、燃え上がる。

 岸辺にあった小船・柵・干物を作る作業小屋など、一切の可燃物が炭をとおりこして灰となり、爆風に吹き散らされる。

 とっさに跳ねはしたものの、浜一は胸から下を丸焼けにされ、致命傷を負う。手下共はすでに跡形もない。

 その目が最後に捉えたのは、海面から伸びあがる、目もくらむほどに巨大な蛇の化け物。

 放たれる邪悪な陰氣は、人型を取って押さえていた時とは比べようもない。

 夜を歪ませる燭の灯。

 ああ、なるほど怪物だ。

 ただ「化けた」「者」などとは比較にならない。

 この世の理からはずれた「怪しの」「モノ」。

 世の中、上には上がいる。

 そんな諦念ともつかないなにかが、磯撫で浜一の最後の思考であった。


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