第十五話
竹林の隙間をぬって飛来したクナイが葉陰に潜んだ焼影を射抜き、消滅させる。
これは、かなり異常なことだ。
銃による射撃でも、葦原や竹林に対して撃ちこむことは戒められる。不規則に存在する柔軟にして強靭な自然物が容易に弾道をそらし、無力化されてしまうからだ。
火薬で打ち出し音速を超える銃弾ですらそうであるのに、手で投げるだけのクナイがあやまたずに敵を射抜く異常。
その理由はある意味で単純。
いま投擲されたクナイは忍術に分類される技能【如意投】によって強い気がこめられ、使用者の意思に応じて軌道を曲げ、目標へ命中する力が付与されていたのだ。
さらに【影縫い】を合わせたそれは、本来の効果である対象の影から干渉して身動きを封じる一種の呪詛としてではなく、「影に干渉する」という部分が機能し、単なる物理攻撃では傷つかないはずの焼影を滅ぼした。
もっとも、仙術の亜種としての忍術を妖怪の強大な気力で底上げした技が、そもそも規格外なのだともいえる。
「あた~り~」
神秘の光景に似合わぬ揚弓場の客寄せ女のような声がするものの、それを発した当人の姿は見あたらない。
するりと風が吹きぬけ、暫時の後、竹林のはずれに黒とみまごう濃い赤の忍装束をまとった少女が姿を現した。
頭巾から飛び出した猫の耳。腰の後ろから生えた長い猫の尾の数は、八本。
「麻様」
同じく影もないと見えた場所から不意に姿を現し、麻の前へ膝まずいたのは、黒の忍装束に身をつつんだ女。身にまとうものと同じ色の猫耳に、尾は二本。
日のあるうちに黒とはいかにも目立ちそうだが、奇妙なほど存在感がない。
【遁形術】で自然物にまぎれ、わずかに焦点の外へ出れば、多くの者は見えていてもその存在に気づけなくなる。
認識されなければ、対処もされない。忍の本領である。
化け猫から始まる昇化の最上位が一つである「邪魅」は、鳥山石燕の描いた「今昔画図続百鬼」において魑魅の類――山林の悪気から生じた中国の妖怪として紹介され、山神の類ともいわれる。伝承的には猫とは関係ないように思えるが、その姿が目の大きな尾のある四足の獣であると伝わることから仮託されたらしい。
大江戸・百鬼夜行では化け猫・猫又・猫鬼を経て邪魅となるのだが、化け猫はもちろんのこと、猫鬼という妖怪がしゃれになっていない。
複数の毒虫を壷におさめて土に埋め、喰らい合いの果て最後に残った一匹をもって呪詛をかける蠱毒という呪術があるのだが、よりおぞましいものとして、元々霊的な素養が高い猫を用いる猫蠱なる術が存在する。蠱毒が怨念のこもった虫や毒を用いて術をおこなうのに対し、猫蠱は発生した怨霊そのものに憑り殺させるという手法を取る。
専属の術者による防御すら打ち破る、それだけ霊的に強力な存在であるわけだが、呪殺後の始末に失敗し、制御を失った怨霊が術者を喰らって独立した存在が、猫の鬼と化す。
さらに、その後も長く存在し続けて人を喰らい、山林の悪気を吸い、霊格を上げて変じたのが邪魅なのだ。その危険性は推して知るべしである。
直属の部下であるはずの猫又の女忍ですら、彼女の前では緊張しているのがうかがえる。
耳も尾も、ぴったり下がって動かない。
そんな相手へ、麻は軽く応じる。
「な~に~」
はたで聞けば気の抜ける声は、麻魅の時と変わらない。記憶の中の麻も同じ調子だ。対する部下の方も違和感をおぼえてはいない様子だ。
それでも、目の前の女の緊張は解けない。
化け猫は文字どおり猫の変化。年経た猫が気をためこんで霊格を上げ、二本足で立ち、化けるようになる。
さらに長生きして術を修め、格が上がって尾が二本となったものが猫又である。
直系の昇化には本性の姿が体長一丈(約3m)を超える巨大な猫と化す猫御前などがあり、こちらは肉弾戦能力に優れているが、猫鬼・邪魅は違う。
まず異なるのは分類としては怨霊の類であり、本性は非実体であること。単なる物による攻撃では傷つけられない存在であるにも関わらず
、自身は念ずるだけで肉を裂き骨を抉ることができるため、対抗手段を持たない存在は一方的に嬲り殺しにされることになる。
さらに、元が呪いとして作られた存在であるため、呪詛・呪殺の類とは非常に相性が良い。これも専用の対抗手段を用意できなければなす術がない類の攻撃だ。
こうした特性が霊格からくる基礎能力の高さに裏打ちされ、しかも生業は忍者の幻術・呪詛系の頂点ともいえる果心居士。
斬りつけて実ありと見せながら怨霊ゆえに捉えることあたわず、実なき幻影と思わせて魂を蝕む。
虚実の定かならぬ魔物。
それが、邪魅お麻。
表面の態度がゆるいからといって、油断していい相手では決してない。
「深川一帯で御指示のあったものはすべて片付けました。店の者と交代いたします」
「はいは~い。気をつけて帰ってね」
当の相手はいたって友好的なのだが。
麻の記憶では、猫又が霊格を上げたことで肉の身体に縋る必要がなくなり、ある意味解脱して猫鬼と化し、さらに精進して邪魅へ転じたので、比較すれば古典の伝承ほど凶悪無残な存在ではない。部下達は眷属であり、そのあたりを理解していないわけでもない。
しかしながら、その存在が畏怖を忘れてはならぬほどに強大であることもまた、否定できない事実。
もう一つの要素と合わせて。
麻の言葉を受けた女忍は一礼し、自然に姿を消す。
もしこの場を見ていた者がいたとしたら、あれだけ特徴的な存在の印象までもが薄れていることに慌てるか、そうした事実そのものに気づけないだろう。
突然だが、MMORPGにはタンク役という言葉がある。
前衛に立って敵の攻撃を引きつけ、高い防御力でこれを捌き、味方全体の生存率をあげる役目を負う役目のことなのだが、多くのゲームでは敵役の行動パターン決定方法として、大きなダメージを与えてきたキャラクターほどヘイト(敵愾)値が上昇し、集中攻撃を受けるようになるというシステムが採用されており、防御を捨てて攻撃力に特化した仲間を守るためには、比較的攻撃力に劣る自身へ敵を誘導するなんらかの要素が必要となる。通常はヘイト値のみを多く稼ぎ出すタウンティングスキル(挑発技能)というものが用意されており、それがタンクという呼び名の元にもなっている。
大江戸・百鬼夜行ではこうした通常のヘイトシステムに加え、透明化や記憶薄弱化などの知覚阻害効果がかかっている者は大ダメージを与えてもヘイト値が上がりにくいという特徴が設けられており、タンク役は堂々と姿をさらし、近接戦闘でダメージを稼げば、十分に役目を果たせるという仕組みになっていた。なお、味方の視界や映像記録には半透明で写るようになっているため、一人でポツンと戦っている気分になることは避けられる。
元々はデータ的な部分でも有効性を確立しておくことで、雰囲気重視・物語重視にするとその手の能力や術・道具が自然と増えてしまうという事実をフォローするための工夫だったのだが、これあるがゆえに鶏と卵的に数も質も増した認識阻害手段は、リアルになった現状で大いに役立っていた。隠密行動がしやすいのである。
部下たちですら自在に姿を消し、常人相手なら記憶にすら残り難い。装備ごとの実体化・霊体化が自在で、匂いや気配まで消せるお麻にしてみれば、昼間に完全武装で街中を歩き回っても、かなり強力な霊的な視覚や術を持っている相手でなければ見とがめられることはない。おまけに壁も塀もすりぬけ、空中を歩くことさえ可能だ。
本性が本性だけに好奇心旺盛な彼女は、この事実を楽しんでいる。
幼馴染達には、いつかやらかすのではないかと心配されているのだが。
「お~い、麻」
その心配している一人が、のっそりと姿を現した。こちらは普通に歩いて来たので遠間からすでに望めている。
ゲームで見慣れた姿は、リアルで見るとまた違うものがあった。
文昭の和風趣味は幼馴染達も多少の差はあれ共通するものであり、だからこそ比較的マイナーといわれる大江戸・百鬼夜行にも全員で参加していた。
その感性からすると、上等な着流しの合わせをくつろげて白い胸板をわずかにさらし、女物の小袖をひっかけ、最上大業物にふさわしい剛健な拵えの大脇差二振りを紺の帯へたばさんだ文久の立ち姿は、眼福ものである。
優れた剣士であるため体幹にぶれがなく、背筋がすっとのびた、それでいてどこか余裕があり、艶めいた雰囲気を醸し出していた。丈高く赤髪金眼というのも、和風ファンタジーならOK。
かなり歪んだ価値観ではある。
「どうかしたか?」
自分を見てにまにましている麻を見て、文久が不審そうな表情になる。
「別に~」
いいながら麻は体重をほとんど消して軽く跳ね、空中でとんぼを切ると長身の肩へ腿で着地する。
「お前、またこれか」
現状を認めてからの麻はけっこう頻繁に、この肩車の体勢を取るようになった。自身の存在密度や重量を自在に変えられる上、文久が見た目よりもさらに剛力であるため、簡単にできるのだ。
上体をむにょんと曲げて赤い頭の上に乗せ、脱力。
「おいっ」
中身思春期である文久の声に微妙なあせりが混じるが、気にもしない。
麻にとって、人生とは複雑で簡単だ。
毎日は発見の連続。一つとして同じものはない。一度として同じ時はない。
自分がいて、仲間がいて、充実している。
難しいことは分からない。難しく考えるからいけないのだ。
騙されるのが悪い?
まず騙すやつが悪いに決まっている。
弱いやつが悪い?
力の有無と善悪は別だ。
自分や仲間を傷つけるのにも理由がある?
どんな理由があろうと、すべて敵だ。
敵は、潰す。
麻にとってはそれだけのこと。
生き物を殺すということにも、抵抗はない。
毎日食べるために殺す。害虫がいれば殺す。
人間を殺さないのは後が大変だから。殺さなくとも解決する方法が、一応はあるから。
それだけのことにすぎない。
殺さなければ解決できないなら、躊躇なく殺す。
幸い、色々と便利な力も手にはいったことだし。
麻にとっては、本当にそれだけのことだった。
人間の才能というものは、多種多様である。そしてそれは、必ず表に出るというものでもない。
芸術の歴史を紐解いてみれば分かりやすい。作者が生きていた当時はまったく評価されなかった絵画が、いまでは数千万の値をつけていることなどざらにある。一方で、素人には意味不明な理由で評価がガタ落ちになることもある。
特に存在が分かりにくいものの一つは、戦いの才能だ。
それらは合致する場面に遭遇しない限り、真価を発揮することはない。
恐るべき身体能力を持つ戦士が、部隊の指揮に優れているとは限らない。
部隊を率いて戦うことに天稟を持つ指揮官が、長期的な戦略眼を持っているとは限らない。
国家の戦争を指導できる大臣が、殴り合いに優れているとは限らない。
そもそも生まれた地域が平和で、戦いなど滅多に起こらない場所であれば、すべての機会に恵まれない。
そして、過去の歴史にはそういった才能が生来のものとして存在するとしか思えない記録がある。経歴から考えると明らかに無学であるにも関わらず、上官の死で突然にゆだねられた部隊を指揮して敗戦を勝利に塗りかえ、しかもその後の褒章で昇進して以降も活躍し続けるといった事例が存在するのだ。
戦争で人が人を殺せるということを実感し、周囲を本能的に恐れるようになってしまう精神障害がある。
一時の錯乱から己が奪ってしまった未来の可能性に気づき、後悔に苛まれる者がいる。
それらをまったく無視して、敵と定めればただ淡々と、路傍の石をどけるように排除し、後はすっかり忘れてしまえるという「才能」。
それを、彼女は持っていた。
彼女は古今東西でもまれな平和な国に生まれ、頼りになる幼馴染の仲間が存在したために、そんな才能を発揮する機会に出会うことはなかった。
本当にそれだけ。
だからいまは、悩むこともためらうこともない。
敵だから、排除する。
文昭を殺そうとした奴を、滅ぼしつくす。
なに一つ迷う必要がない。
こんな彼女だからこそ麻となってもなに一つ問題はなく、むしろ喜びすらあった。
できることが多いにこしたことはないのだから。
彼女は難しいことは分からない。
しかし、十分に狡猾でもあった。
「にゃ~ん」
赤い頭を抱きこんで、鳴き声をあげる。身体の柔らかさは相当なものだ。
「猫か!」
「猫だにゃ!」
それはまぁ、本性はそうであるわけだが。
「はぁ。まぁ、それはともかくだな。お前、手下との関係は大丈夫か?」
そういえば昔、肩車をせがまれて力が足りず、おんぶで妥協したことがあったな、などと思い出しながら、文昭が尋ねる。
四人の中でしっかりとした意識のある自立した存在を部下に持っているのは麻だけだ。式神や護法はそれなりの知性はあっても、術によって作られた一時的な存在であり、道具に近い。
文久がふだん肩からひっかけている小袖は「小袖の手」という妖怪で、独自の存在ではあるのだが、まだ明確な人格が育っていない。いまは多少暴れても落ちることのない小袖でしかなかった。
もちろんゲームで完全な人格を持つNPCなどいるわけがない。せいぜい性能のいいAIレベルだ。しかし、独立した存在であるという設定の、軽作業などをしてくれる手下を持つことはできた。
麻の部下はゲーム内通貨を使って引く宝くじ=富籤で「料亭もらったから、女将になりた~い!」といい出した彼女のために、三人が協力して考えたものだ。生業で頭領格の忍者が配下を得る代わりに、別の手段で従えたNPCへ下忍の能力を付加することができるという機能を使い、邪魅の眷属として獲得できる化け猫へ適用。さらに霊格を上げ「猫又の中忍で女中」などというおかしな代物に仕上げたのは、もちろん悪ノリの産物である。
同時に、自分達を特別視しすぎる麻魅へ、バーチャルペットというわけではないが、多少なりとも別の存在を意識するきっかけを与えられれば、という考えもあった。
しかし、これが現実化してしまったとなると、大問題だ。
なにしろ過去の記憶には自分で納得できる言動が多いとはいえ、現代日本人と大妖怪なのだ。混じったことで変わった部分が異常と認識される可能性は大いにある。強さに価値を見出す妖怪に、基本的に惰弱な存在と見られている人間が混じったなどという話がばれようものなら、関係が破綻しかねない。
当初、文昭が猩猩狒の伝衛門と顔を合わせないようにしていた理由の一つは、それであったわけで。
だが自分の店で働いている直属の部下ともなれば、会わずにはすますというわけにはいかない。加えていまは交代で焼影狩りまでやらせている。ぼろが出る可能性は高いだろう。
「ん~、大丈夫だったよ? 指示出す時に本性にして『しっかりやるにゃ』っていったら、みんな素直にうなずいてくれたし」
大妖怪・邪魅の本性を現した姿は、七尺(約2m)の体躯に八本の尾をゆらし、わずかに透けた霊体の毛並みは生血を濃縮したような黒に近い赤。周囲に幽鬼のごとき燐炎をまとい、強烈な存在感で背筋をさむからしめる様は、同じ妖怪から見ても正真正銘の怪物だ。
さらに本性を完全に現すということは、妖怪にとって戦闘態勢にあることを意味し、放たれる精気も最大となる。
「お前……それは脅迫だろ」
「そ~う?」
このあたりが麻の怖いところだと、文昭はあらためて思う。のんびりしているようで、締めるべきところは自然に締める。
まぁ、この調子なら大丈夫だろう。ただ恐怖しているだけなら働きも鈍るだろうが、そのような話は七重から来ていない。
自分達の頭が変わらぬ実力を有していること知って、素直に服しているのだ。
決して麻の勘気に怯えているわけではあるまい。
そういうことにしておく。
「まぁいいや。次いくか」
視界の隅には、小さな狐をかたどった式神が控えている。これの誘導に従って見つけた焼影を狩るのが、いまの仕事だ。麻の案内役もすでに来ている。
「はぁ~い」
反動もなく肩から離れ、くるりと空中で回転した麻は、飛んでゆく式神を追って、文字どおり姿を消した。




