第十三話
初夏の日差しがさす自宅の縁側に、人型をとった文久(文昭)がどっかりと腰をおろしている。片方の足を縁側に置き、地につけたいま一方の膝へ頬杖をついた様は、かなりだらしがない。
縁側から続く部屋の中には同じく人型の麻(麻魅)・円海(武敏)・七重(奈々子)がいて、卓上の茶をすすっている。
都会の喧騒もない。排気ガスの臭いもない。風の音とたまに聞こえる鳥の声、土や木の匂いに満たされた、穏やかな空間だ。
ある意味、とても贅沢な環境といえる。
現実での掃討が終り、様子見を終えてからこちらへ移ってから、すでに二週間が経過していた。
「なぁ、円海和尚さまよ」
有髪僧衣の円海は、裏山にある千覚寺の住職でもある。
「なんです、大江さん?」
現実のものとほとんど変わらない顔形はゲームのエディターでそれらしく作っていたものがリアルになって多少現実の修正を受け、固定されたものと見える。このあたりは他の三人も変わらない。もっとも髪と目の色にはかなり違いがあり、文久のみは体格も大分に異なる。
「お前さん、この身体になってみてどうよ?」
「どう、とは?」
根本的な質問は、回答の範囲が広い。
この返しは、なにを問題としているのか尋ねているともいえる。
「いや、その。俺は剣術の技を試した時にあったんだが……妖怪としての記憶を持ってることについてさ」
言葉がためらいがちなのは、自分にとってはけっこうな衝撃であったからだ。
妖怪として生きた記憶、戦った記憶、殺した記憶。
幸いにして自分的には最低限の線は守られており、それなりに受けいれることができたのだが、そうでなければ悲惨なことになっただろう。
人間の人格は、記憶に頼るところも大きい。過去に下した判断を基準に物事を見たり、以前に感動した台詞があったから踏みとどまったり、これまで世話になった相手だからこそ信用する。そういった部分がある。
その記憶へ、感覚的には大量の後付がおこなわれたのだ。しかも十数年しか生きていない人間のものに比べ、忘れていることも多く、意識しなければ思い出さないとはいえ、妖怪としての生は長く、部分的には壮絶だ。おかしくならないのが不思議なほどで、こうなったことを後悔している可能性は大いにある。
向こうで一度聞きはしたが、あの時はまず文昭をなだめる必要があった。無理をしている可能性もないではない。
ある意味はじめての戦闘を含め、ここまでドタバタの連続であったため、いまさらの確認ではあるのだが。
「ああ、そういう方向ですか。いや、実に興味深いですね」
返ってきた答えは、以前と変わらない。
「現実では基本的に、宗教とは哲学と倫理です。まぁ現世利益や死後の救済を信じている方もいますし、こうなった以上は向こうも全部が全部、形而上の話かというと怪しくなってきたわけですが。
ともかく、実際にいまの僕は法力が使えます。目に見える、実際に物を動かすことができるものをね。しかもそれが体内に感じる力、気かなにかと、それとは異なる外にある存在との接触を元にしていることも分かる。記憶の中には仏尊と思われる存在と交信したとおぼしき事例まであります。
おまけにこの僕は、存在そのものは修験道系ですが、操る法力は真言密教ですからね。世の中は本当にどうなっているのだか、興味津々ですよ」
想像以上の滅茶苦茶さに、文昭はしばし呆然とする。同時に、最後を興味津々という一語で締めた相手のすっ飛びぶりにも。
「七重さんもそうじゃありませんか?」
穏やかな仏像的微笑を湛えたまま、もう一人の術者系に話をふる。
「ん。確かに面白い。陰陽道系と神道系の膨大な知識が頭にはいっているし、現代では恐らく散逸するか、存在すら忘れられている書物についても知っている。しかも、それに則って手書きした御札が明らかに効果が分かる形で使える。天地自然の気を感じ、星を読み、術を打つ。感動的だわ」
二人とも好奇心と知識欲が全開になっているが、方向性は微妙に違うらしい。
武敏は家のこともあって信仰上の問題や神秘、神仏の実在などに関する部分。
奈々子は陰陽術という技術の傾向もそうであるだけに、知識面に偏っているようだ。巫女が生業であったなら、また違ったのだろうか。
一応の話が区切れたところで、いままで蚊帳の外だった麻魅がまざってくる。
「あたしも最初はびっくりしたけど、楽しいことも多いからいっかな~って。猫かわいいし。お店の娘達もいい子ばっかりだよ~」
麻の生業である忍者は下忍から始まって中忍・上忍・頭領と格があがり、様々な技能を身に着けると共に、部下を得ることができる。特に公職となる公儀隠密の伊賀者、独立系だが大組織を持つ甲賀・風魔、各大名家の抱え忍び衆などは得られる数も多い。
麻は組織からの拘束を嫌い、頭領格の独立系最高位職の一つで幻術を得意とする果心居士となり、少数の部下を持つ形をとっていた。さらに本性で眷属を持つ特技を習得し、二つの対象を合わせることで別個に獲得するよりも総数が減る代わりに、両方の能力を合わせ持つ「化け猫の女忍」という個体として強力な手下を従えている。料亭・猫招の女中はすべからくこれである。
記憶にあるとはいえ実際には初見の妖怪を手下として掌握するのは容易なことではないように思われるのだが、麻魅は気にした風もない。
自身についても、本性的な過去はけっこう凄惨だったり、忍の修行が厳しかったりしそうなものなのだが。
「それにねぇ、こうなってなかったら危なかったもの」
やはり、そこも大きい。
妖怪としての力を持っていなかったら、現実で焼影に襲われた時点で焼け死んでいただろう。燭陰にいたっては、対峙した瞬間に終わっていたはずだ。
「わたしやだよぉ? 文ちゃんが殺されちゃうなんて」
自分が死にかけたことに意識がいっていた文昭は、するりとはいってきた麻魅の言葉に、そちらへ目を向けた。
いつもののほほんとした表情ではあるが、彼女の目は笑っていない。
武敏も、奈々子も、真剣なまなざしをこちらへ向けている。
確かに。文昭とて、この中の誰かが殺される、その時に自分が無力である、いずれの想像も許容できない。
「あ~、ありがとな。麻、みんな」
照れ隠しにそっぽを向き、頭をがりがりかきながら呟く文昭へ向けるみなの視線は、生暖かい。
強引に話題を変える。
「そ、そういやぁ、野郎については、なにか新しいこと分かったのか?」
あからさまだがまぁよかろうとばかりに軽くうなずいた武敏は、卓上の資料へ目をやりながら答える。
「こちらに来る時にまとめた以上のことは、あまり。むこうとこちらの情報に大きな違いが認められなかったくらいですか。それはそれでありがたいんですが。容姿・能力から名前はあっさり特定できました。一応確認しておきましょうか」
ついと湯飲みに手を伸ばし、ぬるくなったほうじ茶でのどをうるおしてから言葉を続ける。
「『燭陰』は古代中国で発生したとされています。中国神話でも最古に登場する人頭蛇身の種の一体で、彼らの最高位は原初の皇帝たる三皇にもあげられる最強クラスの神仙ですが、力ない者が苦しむ様を好むという邪悪な性癖を持つ燭陰は、そこまでの存在ではありません。それでも古くから存在し、奸智に長け、地力に優れる強大な妖怪であることは間違いないでしょう。両目が燭のように輝き、地の陰気の精髄であることから燭陰の呼び名があるそうです。
で、ゲームでの過去の資料ですが、昨年の大討伐戦目標として登場しています。データの確認、できています?」
大討伐戦は大江戸・百鬼夜行の狩り要素の一つで、通常の物語に登場する敵が強力なものでも数人ていどの組一つで対応できるのが基本とされているところへ、複数の組が協力することを前提とした、まさしく桁違いの怪物が出現するイベントだ。
例をあげれば、毎年師走の晦日、その年の対人戦大会優勝者の技をもちいるなどの要素を加えた妖怪群の大侵攻である「大厄払い・百鬼夜行」を率いる総大将ぬらりひょん。プレイヤーに『マップそのものが動いた』といわしめた「出雲・九頭竜神話」の八岐大蛇。海上という足場の悪さが多くのプレイヤーを泣かせた「玄界灘・大海怒涛」のあやかしなど、いずれも凶悪な千万な大妖どもが並ぶ。
そうした中で見れば燭陰は総体力量などについてはまだましな方なのだが、蛇の基本属性が水であるために海や川にいることが多く、でありながら始原の存在の眷属であるがゆえに両目から熱線を放つなど火の要素も持っているという変り種で、元素属性系の弱点が存在しない。
その性、狷介にして邪悪。群小の妖怪を従え、好んで人を嬲る。永の命の無聊をそのようなことでしか慰められない存在だというのも、現状をかんがみればそのまま当てはまると見てよい。何種類かいる配下には焼影も含まれており、こちらは説明になかったが、裏では人を殺して作り出したものとされていたのだろう。
別の世界にゆくことがかなうという珍事に出くわしてすらやることが変わらないのだから、筋金いりの性質の悪さだ。
そしてなにより、ゲームの基準なら最低でも十数人で挑むべき化け物中の化け物だということ。PCクラスの妖怪が確認できていない現状では彼ら四人のみで挑まざるをえず、不安が残る。
そう。少なくとも調べた限り、リアルの大江戸はゲームの大江戸ほど人外魔境と化してはいない。
サービス開始からそれなりの時間がたっているため、ゲームの大江戸におけるPCは全体の半分以上が現在の限界である三段階の霊格上昇を経た第四階梯の上位妖怪に昇化し、最高職階の生業と手妻を得て、様々な妖力と膨大な技能を組み合わせた高い戦闘能力を持つ。
ところが、記憶にない時点で半ば諦めていたとおり、知り合いのPCはもちろん、それらしきモノも存在していない。最初に話に出た時の仲間三人のようにどこかへ出かけているというようなものではなく、まったく痕跡がないのだ。そうなると恐らく、むこうから他のプレイヤーを引きこむことも不可能だろう。もしできたとしても、人外化するという時点でやるつもりのない方法だが。
NPCは共通する者がかなり存在しているのだが、PCが主体となって活躍すべきゲームと似た構成ということは、同等以上の存在が少数派であることとイコールになってしまう。
そもそも戦闘系の技術や知識を修めている妖怪というのが、あまり存在しない。元々ゲームの方でもそうだったのが、強力な妖怪ほど地力の力押しで大抵のことがなんとかなってしまうため、彼等の感覚ではつい最近になって確立した、卑小な人間が己が非力を補うためにろうする小細工ごときを修めるなどは、思案の外なのだ。むしろ、人間に混じって都市に住みつく小妖怪の方が修得に積極的で、搦め手がうまかったりする。
第四階梯の妖怪であるため地力に優れ、習得している技能は達人級で、二つを掛け合わせて昇華した合わせ技まで研鑽している戦人など、まずありえない。援軍を期待するという意味では、絶望的な話だ。
こんな形でこのリアルの大江戸がゲームの大江戸ともまた違う異世界であると確認したくはなかった、というのが一同の本音である。
ただ逆に考えた場合「リアル大江戸の妖怪にとって、PC妖怪の持つ戦闘能力は未知かつ強大なもの」だともいえる。
敵の情報や対抗策についても、ゲームの情報と齟齬がないかという点へは注意がいるにしても、それなりのものがあるという事実は大きい。
おまけに、リアルに来ることができるようになってからゲームの方で入手したアイテムは、リアルにも反映されることが確認できた。
まだ村雨のような世界唯一などといった設定のある最高級品は入手難易度も相応に高いため試せていないが、普通に考えたら反則級であるゲーの回復アイテム・使い切り型の攻撃アイテム・補助術具などを用意することができるのは、大きなアドバンテージだろう。
また新期データ配信でコンテンツの追加が可能なオンラインゲームの宿命として、実装から一年も経過した代物というのは、当時こそギリギリのバランスであっても、現在なら余裕で攻略できるという場合が多い。
レアアイテムや素材による資金稼ぎが目的の討伐なら消耗品の大量投入は赤字になって本末転倒、意味がないわけだが、今回は目指すところが違う。
こちらも命懸けかつ蘇生関係の効果が有効かうかつに実験などできないと考えれば、出し惜しみなしで突っこむのが当然だ。それゆえに、勝負自体には勝算が立つ。
「資料には目を通した。実見した感じとも違わなかったから、そこそこあてになるんじゃねぇかな」
「あいつはいまのところ動いていないわ。でも、大江戸にいる焼影を狩りつくしてしまえば、動かざるをえないはず」
残りの茶をすすりつつ、七重が呟く。
「そのためには大江戸府内に探索用の式神をばらまく必要があるわけですが」
ちらりと外に視線をやった円海は、おもむろに立ち上がった。
麻もそれに続く。
「来たか」
文久の視線の先には、村へ通じる坂道を登ってくる、数人の姿があった。
全員が様々な町人態の一団。先導しているのは妙見寺の頭、伝衛門だ。
他は、今日来るといってきた他の縄張りをまとめる者達。
府内すべての焼影を狩りつくす必要性と、そのために式神をばらまく旨を伝衛門や彼が懇意にしている者から、他の頭立つ連中へ回覧させたのだが、過去の遺恨や利害関係から来る猜疑で、協力を拒む者もあった。
そこで「街中じゃ騒ぎになるから文句のある奴は直接来い。罠が心配なら手下を先に寄越して調べてかまわない」といい含めさせたのだ。
妖怪は良くも悪くも自然の存在で、力があれば無理が通ると考える傾向がある。人里で生じた存在でも根本的にはそうで、特に妖怪同士の関係では顕著にあらわれる。
時間が惜しい。ならば仕方ない。
縁側の手前。土がむき出しの庭にぞろりと、一癖も二癖もある顔がならぶ。
香具師が大半、稀に坊主や商人などがいる組頭連中は、いずれも一筋縄ではいかない。
伝衛門が脇にのき、文久が庭へ立ち上がった。縁側には、三人が並ぶ。
「よぉ、親分衆。よく来てくれた。俺が大江文久だ」
声の代わりにふてぶてしい、なにするものぞという視線が返るが、文久は気にもしない。
「さて、先の回覧に不服があるってことで来てもらったわけだが、はっきりいって時間がない。手っ取り早くいこう」
わずかに身構えた彼らの前で、軽く身体をゆすった。
めりめりと、筋骨が軋む異様な音が響き、文久の身体が内から膨れ上がる。
たちまちにして倍以上、一丈七尺(約5m超)にまで伸びた長身はしかし、あまりに太く充実した体躯ゆえに、細さを微塵も感じさせない。
巨大な岩。あるいは城。
その巨躯と、それ以上に周囲を圧する内包された精気に、さきほどまで不敵な表情を浮かべていた組頭達の顔から、血の気が引いてゆく。
さらに、縁側の三人までもが本性をあらわすにいたり、肌色は青をとおりこして白へ変わった。
「大江戸そのものの一大事だ。式神は受けいれる、焼影は狩る。異存はねぇな?」
威圧の眼光とともにかぶせられた太い声に逆らう者は、その場にいなかった。




