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大江戸・百鬼夜行  作者: 塚本 仁
11/23

第十一話

 埠頭周辺には不自然に人影がなかった。

 元々時間が遅ければ人通りが多い場所とはいない。しかし、ここまで完全に人気が絶えるというのは、奇妙な話だ。

 そんな周囲をよそに、港湾施設のライトや濁った空気の乱反射でかなりの明るさを持つ埠頭公園の真中に、ポツンと立つ男が一人。

 灰色の豊かな髪と髭が群雲のようにたゆたい、その中にある両眼が炯炯として、陽の光以外では隠せない不気味な灯がともっているのがわかる。昼間でも違和感のある存在だが、夜ともなればその不自然さはさらに際立っていた。人でないものが人の姿をしていることの無理。

 それは、内包する力の大きさゆえか。

 一種異様な雰囲気に包まれたその場に踏みこんでゆく姿が、これも一つ。

 胸元までボタンをはずした制服の詰襟姿。中肉中背でパッと見は目立つところもない学生。

 酒乃井文昭。

 互いに視線を合わせたまま、距離が縮まる。

「ん? 生きていたか」

 いかにもいま気づいた、つまり直前までは忘れていた、というからかいを含んだ声が髭の間からもれる。

 人払いの結界が張られたことに気づいたからこそ、ここで足を止めたのだ。明らかな挑発である。

 対する文昭は無言のまま。

 距離は20m。

 文昭がわずかにうつむく。

それは怒りのあまり無意識におこなったようにも見え、視線のつばぜり合いに耐えかねたようでもあった。少なくとも向き合っていた相手は、後者と解釈した。

 その男にとって、太古の昔に俗世から姿を消した同族以外の存在は、みな惰弱であった。存在の規模も、身に宿る力も、備える叡智も、ことごとくとるに足らなかった。

 しかし、人間の中にもわざわざ好んで路傍の蟻を探し、戯れに踏み潰す者がいる。あわてて逃げ出す小さな命を執拗に踏みつけ、あざ笑う者がいる。あまりにも大きさが違いすぎて、必死に噛みついてきたところで、痛くもかゆくもない。その事実に優越感を抱く者が、いる。

 男にとって、この異邦でもすべてが小さかった。多少は技術を伸ばし、町並みも異なるようだが、人の存在自体はさして変わらない。

 己が叩いて、潰して遊ぶモノであることは、変わらない。

それが男にとっての常識であり、だからこそ理解できなかった。

 人の中に、自分へ痛みを与える存在がいるという事実が。

 予備動作なしで一歩を踏みこむ。

 足が地につく前に、つま先から姿が変わった。

 スニーカーは白足袋の上から縄をかけまわした堅固な戦拵えの草鞋履きに、制服のズボンは白のたっつけ袴に鉄甲・直垂、Yシャツが白無垢の小袖、詰襟は青味を帯びた黒の胴鎧に肩当・手甲。

 筋骨が日本の平凡な高校生から倍はあろうかという太さへ練りあがり、背丈は2mを超え、人形のごとき白い肌と赤髪。目は火を吹かんばかりの力を宿す火眼金睛へ。

 そして、こめかみから天を衝かんと伸びる、二本の角。

【人化部分解除】【袖葛篭・武具展開】【加速】【縮地】【震脚】

 一歩目から最大加速。地面そのものが縮んで瞬間移動したと錯覚するような速さで距離が消失し、二歩目は攻撃の前動作である強烈な踏みこみの震脚。両腕は右肩口にあがり、頭の横あたりの空間が歪んで突き出した、鮫皮巻きの太い柄をぎりりときしませ握り締める。

【剛力】【鬼神力】【号咆一声】【抜刀術】

「チィエストオォォォォオ!!」

 全身の筋肉に膨大な妖気が叩きこまれ、その膨張圧までが出力に転換し、腹から天地をふるわす発声が轟いて、さらに強化。

【示現流秘伝技・不二乃太刀】(にのたちいらず)

 一定量の個人装備をしまって置くことができる亜空間【袖葛篭】と現世の境、物理的に切断不可能な鞘から、現実にはありえない刃渡り一丈(約3m)を超える分厚い豪刀、大江戸世界にて無双唯一の最高位等級・天下逸品を与えられた「妙法大酔伝村雨」が、大気をぶち割って居抜かれる。

 一撃必倒を極限の一とする剣術・薩摩示現流奥伝の上の秘伝、練り上げられた身体・技量・心胆・さらには妖力、生み出される力の全てが一点に集約した。

 狙いは相手の左肩から胴へ。

 衝突は、爆発。

 旧時代を席巻した主力戦艦の装甲を叩き割りかねない一撃は、人体など粉微塵にする威力がある。

 仮にそれを耐えることができたとしても、上から下へと走るその圧倒的な威力が、人の両足という小さな面積に集中すれば、たかが地面に支えられるものではない。

 しかし、立っている。

 それは立っている。

 「先天の元氣」と呼ばれる概念がある。

 天が生じるより先にあった、元をなす氣。万物万象はこれより成り、これに帰する。

 現代科学でいう素粒子に近い存在。妖怪とは、天地に満ちるこの先天の元氣が長の年月を経て凝り、魂を招じ、意思を持って顕現した存在


だ。

 自己組織化したエネルギー生命体ともいえるそれは、自らを自身で規定する。

 見た目の体積からは不自然な質量。因果の一部を切り離し、地に圧をかけぬまま、相対位置を定める慣性だけを本来のものとする。地面に沈みこむことなく、それでいて動かそうとすれば超重量物を運ぶに等しい力を必要とする。

 その在り方は肉体の強度にも作用した。

 剃刀で裂けるように見える皮膚は高硬度の分厚い岩石のごとき鱗と同等であり、中年の肥体にしか見えぬ筋骨は巨大な山に比する。

 なにより現に在りて半ば現に無いその身体は、氣の結合たる魄を乱すことができなければ、これを基として即座に肉体を再構成するため、まともな傷とはならない。

 ゆえに、男は立っている。

 驚愕に目を瞠いて。

 男の左肩から鎖骨・肋骨を砕いて肺を半ば潰し、背骨に喰いこむ。

 文昭渾身の一撃は、そこまで達していた。

 あまりの集中に、即座には場を動けない。

 しかし、相手の驚きと己の理が刀を引き、飛び退くだけの時間を稼いだ。

 斬る・割る・叩く、そして打ちつける。

 ただ斬るだけではなく衝撃を敵の身体へ通し、ダメージを与えると同時に寸刻の間、身動きを封じる。

 まだ動かない。瞠いた目で、肩口の傷を見る。

 骨があらわになったそこからは、不自然に出血がなかった。まるでちょっとした斬り傷のように、縁から血がにじんでいるだけだ。

 しかし間違いなく、傷口が開いている。

 ただの刃物ごときに斬られたのであれば、抜くと同時に閉じるはずであるのに。

 いやそもそも、並みの刃なら弾けて折れる。

 文昭は、一端は肩に置いた刀を半分ほどに縮め、血となにかが混じった刃を、これみよがしになめた。

「ォ」

 小さく。

 小さく。漏れると評するのがふさわしく、小さく。

「ォォ」

 声を出したことで認識が進み、さらなる声を。

「ォォォ」

 そしてついには

「ォォオオオオオオオオオオアアアアアアァ!!」

 大気の塊が風となり、砂塵が舞い、土くれが飛ぶ。

 どこにはいっていたのかといぶかしむほどの呼気がぶちまけられ、文昭の衣を打ち、直垂を揺らす。

 長い尾を引いた絶叫はしばらく続いたが、やがて終息する。

 さきほどまでの激しい鳴動。それだけにいまの無音はより際立つ。

 そのぽかりと生じた穴に、音が食いこんだ。

 なにかがきしみをあげる、音。

 大きな獣が、不機嫌さと威嚇をかねて鳴らす、喉の音。

 じりじりとした動きで傷口を注視していた顔が正面へ戻り、炯炯を爛爛と変えた猛火のような目が、文昭を捉えた。

 最初のように、先のように、路傍の蟻をなんとなく見下げた、個を認識しない目ではない。

 生意気である、不遜である、という傲慢はあれど、明確に敵を認識した視線。

「お、お、お前お前お前お前ェェエエエ!!

 この、このワシに、お前ごときが、地を這う二本足ごときが、傷を、傷ォォオオオオ!!」

 狂乱、といっていいのか。

 胸元近くまでがぱりと開いた口腔から、叫びと怨嗟と咆哮が交じり合った、なんともいいがたい声がする。

 文昭がさらに後方へ飛び、目を閉じた。口元が笑っている。

 敵を目前にしての後退。そして瞑目。

 普通ならありえない。

 もちろん理由がある。

 唐突に、男が発光する。

 いや、男を包みこむような範囲が、白く炎上した。

 わずかな音もなく、唐突に。姿は強烈な金に縁取られた白光の中へ消え、足元の土が瞬時に溶解する。

 しかし、現象の割には周囲への波及は驚くほど少ない。地面が溶けるのも直下の球形範囲内にあった部分だけであり、それ以上は広がらない。

 万物万象は氣によって成る。

 燃焼・発熱・発光もまたその例に漏れず、恐るべき高熱はあらかじめ定められた範囲にのみ現象の実を与え、その周囲にはあまり因果を結ばない。わずかにもれた、それでも閃光弾なみの強烈な光は、まともに見れば目を焼くが。

 隠形結界からの不意打ちによる「妖術・白炎」。

 七重の本性が有する基本的な、それゆえに最も修練を積んだ妖力【狐火】。これに攻撃術威力増強・火行術強化などを中心とした複数の陰陽術技能を組み合わせた、大威力攻撃だ。文字どおりの「火力」は、半端な妖怪など骨も残さない。

 道中の観察やこれまでの動きから、こちらを完全に侮っており、先制攻撃はまず無いと予測。文昭のみが正面から姿を現して他は隠形したうえで位置を取り、初撃で相手を固定したところで最大火力を叩きこむ。

 双方とも事前に武敏がかけた増強系の法力が効いているため、ただでさえ大きい威力がさらに割増しとなっている。

 これで倒せるなどとは思っていない。

 それでも、油断しているところへ思い切り横っ面を殴りつけてやったのだ。

 結果はいかにと目をこらす。

 光量を減じつつもその場にとどまり、継続して対象を焼き続ける白炎の中から、なにかが飛び出した。

 いまだ原型は保っているものの焼け爛れた表皮もあらわな人型が二本の足で移動しているにしては不自然な、すべるような動きで下がる。

 たちまちの内に明かりの範囲からはずれ、暗い水面に飛びこむ音が聞こえた。

 それを目で追い、わずかに前へは出たものの、文昭は追撃をかけない。

 わずかな間。

 少し大きな波音がした、ような。

 不意に、前方の海で、なにかが伸びあがった。

 高い。

 遠目に見える作業用クレーンを越える高さ、20m近いだろうか。しかも鉄骨で組まれ、見た目はすかすかなそれとは異なり、厚い皮膚や鱗の内側にみっしりと肉がつまっている。その膨大質量と放たれる精気は巨大生物特有の、卑小な存在をそれだけで金縛りにする威圧感を持っていた。

 頂部にはライトとは異なる赤く禍々しい大灯が二つ。

 周囲にたゆたう髪と髭は、その灯を受けて夕日を浴びた雲に似る。

 手足なく長々と伸びあがるのは蛇体。

 でありながら、その頭部は人面。

 ただし、その面体には深く刻まれた切り傷の上から、火傷が重ねられている。

 くわりと見開かれた両眼。巨大な灯そのものと化したそこから、太い赤光が走った。

 強い色と指向性を持つその照射は、空気を焼く臭いを噴き上げながら、文昭へと一直線に叩きつけられる。

 赤の中に、具足姿が飲みこまれる。

「グ、グハハハハハハッ!!

 チョ、チョウシニノリオッテ!

 オ、オノレガ、オノレゴトキガ、コノワシニ」

 身体の大きさに見合った、あたりに響き渡るわめき声。勝利を確信したそれはしかし、すぐに中断される。

「アギァッ!!」

 吠えた理由は明らか。強く右の目が閉じられている。

 よくよく見れば、巨大な眦の隙間にクナイが数本突き刺さっていた。いかに全体が大きくとも、さすがに棘が刺さったほどのことはある。たまったものではない。

「あったり~」

 場違いに能天気な声が聞こえるものの、当人の姿はない。

 追い討ちをかけるように、刀を地に差して己の背丈をゆうに超える、人間がひけるとは思えない太さの大弓を構えた「無傷の」文昭が、一矢を放つ。

「南無八幡大菩薩!」【剛力】【鬼神力】【重藤弓射撃】

 とっさの回避で眉間をかすめるにとどまった鏃は、それでも厚い皮膚を裂く威力があった。

 さらに、速射性を重視した小型の白炎が連続して巨体へ叩きこまれる。

 各々が味方の溜めの時間を考慮し、攻撃が継ぎ目なく連続するよう調節することで、ダメージを与えると同時に敵の行動を制限する。ゲームにおける巨大目標討伐の基本だ。

 最初に一発キツイのを当てて主導権を握り、後は反撃をゆるさずひたすら殴り続けるというのは、実際の喧嘩のセオリーでもある。

「オン マユキラテイ ソワカ!」【風使い】【孔雀明王法・剣印衝破】

 さらに、蛇属にとって相性の悪い毒蛇喰らいの孔雀明王の力による衝撃波が横合いから顎を打ち抜く。

 脳震盪で意識が朦朧としたものか、蛇体がぐらりとゆれて、後方へ倒れた。

 膨大な質量が轟音とともに海水を盛りあげ、大波が岸辺を洗う。

 いつでも放てるよう構えられた文昭の弓と、本人の姿は見えないものの速射弾の源として奈々子が用意した九つの白炎球が、油断なく警戒する。

 しばしの後、文昭のかたわらの空間がゆらめいて、隠身符の効果を解いた奈々子が姿を現す。

「逃げたわ。海中を高速で移動中」

「捕捉は?」

「いまのところ問題なし」

 なにやら遠くを見るような目をした奈々子が即答する。

 空からは武敏が舞い降りてきた。こちらは専用装備【天狗の隠れ蓑】で姿を消していたが、いまは袖葛篭の中だ。

「酒乃井くん、身体は大丈夫ですか?」

 回復役の武敏はゲームなら常に味方の情報を把握している。危険があれば即座に体力回復や状態異常解除の法力を飛ばすためだが、現実ではHPバーやステータスなどというものは見えないため、事前情報や外見から推測するしかない。大江戸・百鬼夜行では演出の邪魔になる表示を切っていることも多いため、慣れという意味では助かっている。ただ今回は初見の相手でもあり、なにがあるか分からないため、慎重に確認しているのだ。

「おう。耐性はいただいたぜ」

 してやったりと笑みを浮かべる顔の両脇から、黒にも見える赤の忍び装束に包まれた足が突き出し、麻魅が文昭の肩へ飛び乗った。頑強な体躯は人一人を軽く支え、肩車に移行する。

「んでも文、射撃はずしたでしょ~。減て~ん」

「うっせぇ!」

 大江戸の戦士職である武者は武芸百般の言葉どおり、刀・槍・弓矢・組み打ち・水練と様々な技能の効率的な習得が可能であり、有利な補正もある。それでも得意不得意・好悪の別は存在し、近接戦闘に偏っている文久は、比較的飛び道具が苦手だ。投擲術にかなり特化している麻と比べられては分が悪い。

 じゃれる二人を見つつ、武敏が細いあごに手をやる。

「退いたのは、ダメージですかね?」

 いいつつも、声音はどちらかというと懐疑的だ。仲間内で最も彼我の損害を読むことに長けた者として、そうではないのではないかという見解を提示していると取るのが正しい。

 応じる麻魅も賛成のようだ。

「違うんじゃない? まともに殴られたこともないのに、ぽかぽかやられて痛いは動きにくいはで、すねたんでしょ?」

 すねたという表現はともかく、あまりにも予想外の事態が重なったために混乱し、一時撤退したというのは妥当な線だろう。

「戦ってる最中に、ディレイかかってるわけでもないくせして余計なことくっちゃべって動きが止まってんだ、場慣れしてねぇんだろうな」

 いまの自分がこの身体を使い全員参加で戦うのは初めてだが、ゲームではもちろん、記憶だけなら妖怪としても百戦錬磨。融合してから実戦も少しは試している。相手の経験の少なさは、その総計を下回るのだろう。そもそもアレとまともに戦える・戦いになるような存在が滅多にいないのは間違いない。今回はうまく使わせなかったが、あの巨体でのたうちまわられるだけでも十分な暴力だ。

「先ほどの光の照射はやはり?」

「おう、熱線だ。見ろ、あれ」

 赤光を受けた場所は二つの円が中途半端に重なったような形で、地面が焼けている。文昭がいた場所だけが、白抜きになっているのが滑稽だ。弓矢を構えたのは、その範囲を飛び出してからである。

「ぞっとしませんね。……あれで殺した後、怨念に己の妖気を吹きこんで焼影に変えるわけですか」

 その予測に、三人の顔が引き締まる。

 無駄に膨大な妖気を持つ大妖ならではの荒業だ。もたらす結果は凶悪至極。

「止まった」

 いつのまにか風水などで使う方位尺の羅盤を取り出していた奈々子が、一緒に広げた東京都の地図を見ながら呟く。

 三人もそろってのぞきこんだ。

「有明の第六台場。幕末に作られた砲台跡の無人島ね」

 細く長い指が、地図上のいびつな四角形をさす。

「けっこう距離あるな。急ごう。人払いと幻術でごまかしたけど、えらい音がしたからな。警察くるだろ」

「同感です」

 実際、遠くからサイレンの音がする。

 人払いの結界は陰陽術、幻術は忍術で張ったものだ。表向きは存在を隠して人間社会にひそんでいる妖怪達の物語が大江戸・百鬼夜行であり、隠蔽関係の術も多く用意されている。しかし、情報媒体や警察組織の整った現代日本では誤魔化すのにも限界がある。遠間でも爆音などすれば即通報、しかも対応が早い。大江戸には事情を知ったうえで隠蔽に協力してくれる者も多いが、そういったものが皆無なこちらではさらに厳しい。

「じゃ、ここは放置で~」

 あっさりといわれて改めて見ると、穴だの焼け跡だのができた公園内は、かなりひどいありさまだ。

「公共物破損」

「ですねぇ」

「行くぞ」

 四人ともそれぞれの手段で姿を隠し、宙を飛んでその場から離れた。


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