弱い魔力の正体
翌朝。
保護院の食堂には、いつもより少しだけ静かな空気が流れていた。
昨日の訓練室で起きた魔力暴走。
その話は、職員たちの間でも広がっているらしい。
私は朝食の準備をしながら、ちらちらと周囲を見ていた。
昨日までなら。
「また暴走した子がいる」
そんな言葉で片付けられていたのかもしれない。
けれど。
昨日は違った。
泣いたあと。
ユナの魔力は、暴走前より安定していた。
レオンが何度も測定を繰り返して確認した結果だ。
偶然。
そう片付けるには、あまりにも出来すぎている。
私はそんなことを考えながら、食堂の入口を見る。
そこから、小さな女の子が入ってきた。
栗色の髪。
昨日までの怯えた表情とは違う。
少し眠そうで。
けれど、昨日よりずっと穏やかな顔をしている。
【美咲】「おはよう、ユナちゃん」
【ユナ】「……おはよう」
小さな声。
でも。
ちゃんと返してくれた。
【美咲】「よく眠れた?」
【ユナ】「……うん」
【美咲】「そっか」
私は笑った。
【美咲】「じゃあ、朝ごはん食べようか」
ユナは小さく頷いた。
席へ向かおうとした、そのとき。
ふと、足を止める。
【ユナ】「……昨日」
【美咲】「うん?」
【ユナ】「泣いても……怒られなかった」
【美咲】「うん」
【ユナ】「……変なの」
ユナは不思議そうに首を傾げた。
【美咲】「変じゃないよ」
【ユナ】「でも、泣いたら魔力が暴れるって……」
私は少しだけ言葉に詰まった。
それは、この国で教えられている常識なのだろう。
泣かない。
怒らない。
怖がらない。
感情を抑えて。
魔力を制御する。
けれど。
昨日、私たちが見たものは。
その常識とは正反対だった。
【美咲】「泣いたから魔力が暴れたんじゃないよ」
【ユナ】「……?」
【美咲】「ずっと我慢してたから、苦しくなったんじゃないかな」
ユナはしばらく私を見つめた。
【ユナ】「……じゃあ」
【美咲】「うん」
【ユナ】「また泣いてもいい?」
【美咲】「もちろん」
ユナは少しだけ笑った。
そして。
今度こそ席へ向かっていった。
私はその背中を見送りながら。
胸の奥が、ほんのり温かくなるのを感じた。
そのとき。
【ノア】「美咲!」
振り返る。
ノアがこちらへ走ってきた。
【美咲】「おはよう、ノアくん」
【ノア】「おはよう!」
元気な声。
けれど。
その顔には、少しだけ不安そうな色があった。
【美咲】「どうしたの?」
【ノア】「……ユナ、今日もいるの?」
【美咲】「いるよ」
【ノア】「そっか」
ノアはユナを見る。
そして。
小さな声で呟いた。
【ノア】「……昨日、すごかった」
【美咲】「うん」
【ノア】「魔力、いっぱいだった」
【美咲】「ノアくんにも分かったの?」
ノアが頷く。
【ノア】「うん」
【美咲】「どういう感じだった?」
ノアは少し考えた。
【ノア】「……ぐるぐるしてた」
【美咲】「ぐるぐる?」
【ノア】「いっぱいなのに、まとまってなかった」
私は目を瞬く。
【ノア】「でも、泣いたら……」
ノアが胸の前で両手を広げる。
【ノア】「ふわってなった」
【美咲】「……」
昨日。
私が感じたものと同じだ。
ノアは魔力量そのものは少ない。
けれど。
他人の魔力の変化を感じ取ることができる。
もしかしたら。
この子の「弱い魔力」という評価も。
本当は別の意味なのではないだろうか。
私はノアの顔を見た。
【美咲】「ノアくん」
【ノア】「なに?」
【美咲】「自分の魔力が弱いって言われること、嫌?」
ノアは黙った。
少しして。
【ノア】「……うん」
【美咲】「そっか」
【ノア】「魔法、いっぱい使える子がすごいんだって」
【美咲】「誰かに言われたの?」
【ノア】「先生が」
ノアは俯いた。
【ノア】「僕は魔力が少ないから、できないこといっぱいあるって」
胸が痛くなった。
でも。
私は、すぐに否定しなかった。
「そんなことないよ」
だけでは。
この子がずっと感じてきた悔しさを、なかったことにしてしまう気がしたから。
【美咲】「ノアくんは、魔法をいっぱい使える子と同じじゃなくてもいいんじゃないかな」
【ノア】「……?」
【美咲】「ノアくんには、ノアくんにしかできないことがあると思う」
【ノア】「僕に?」
【美咲】「うん」
私は昨日のことを思い出す。
ユナの魔力の変化。
リリィの魔力の揺れ。
ノアは。
私より早く、それを感じていた。
【美咲】「だってノアくん、昨日ユナちゃんの魔力が変わったことに気づいてたでしょう?」
【ノア】「……」
【美咲】「それって、すごいことだよ」
【ノア】「でも……僕の魔力は弱いよ」
【美咲】「うん」
私は笑った。
【美咲】「じゃあ、一緒に探そう」
【ノア】「なにを?」
【美咲】「ノアくんにしかできないこと」
ノアはしばらく黙っていた。
やがて。
【ノア】「……うん」
小さく頷いた。
* * *
朝食のあと。
私は研究室へ向かった。
扉を開けると。
レオンが昨日の記録を整理していた。
【美咲】「おはようございます」
【レオン】「おはよう」
【美咲】「ユナちゃん、昨日より落ち着いてます」
【レオン】「魔力も安定している」
レオンは机の上に測定結果を並べた。
昨日の暴走直前。
暴走中。
そして。
泣いたあと。
数字が並んでいる。
【レオン】「興味深いことが分かった」
【美咲】「何ですか?」
【レオン】「魔力量そのものは、大きく変化していない」
【美咲】「え?」
【レオン】「だが、魔力の流れが違う」
レオンは一枚の紙を指差した。
【レオン】「暴走中は、魔力が不規則に循環している」
【美咲】「ぐちゃぐちゃってことですか?」
【レオン】「……研究者としては、その表現は避けたいが」
【美咲】「ですよね」
【レオン】「簡単に言えば、制御不能な状態だ」
私は紙を見る。
【レオン】「しかし、泣いたあとには流れが一定になった」
【美咲】「魔力量は同じなのに?」
【レオン】「ああ」
レオンが眼鏡を押し上げる。
【レオン】「つまり、暴走とは魔力が多すぎることではなく」
少し間を置いて。
【レオン】「魔力の流れが乱れている状態なのかもしれない」
【美咲】「……」
私は思わず息を呑んだ。
今まで。
強い魔力を持つ子ほど、暴走しやすい。
そう考えられてきた。
けれど。
もし違うなら。
問題は「量」ではなく。
「状態」なのではないだろうか。
【美咲】「じゃあ……」
【レオン】「ああ」
【美咲】「魔力量が少ない子にも、別の役割がある?」
レオンがこちらを見る。
【レオン】「どういう意味だ?」
【美咲】「ノアくんです」
私は今朝の話を伝えた。
ユナの魔力を「ぐるぐるしていた」と感じたこと。
泣いたあとに「ふわっとなった」と感じたこと。
そして。
ノア自身の魔力量が少ないこと。
【美咲】「ノアくんは、他の子の魔力の変化に気づくんです」
【レオン】「……」
【美咲】「もしかしたら、魔力量が少ないからこそ、周囲の魔力に敏感なのかもしれません」
レオンは黙って考え込んだ。
【レオン】「それは……面白い仮説だ」
【美咲】「ですよね」
【レオン】「だが、まだ仮説だ」
【美咲】「分かってます」
【レオン】「検証してみよう」
【美咲】「え?」
【レオン】「ノアの魔力感知能力を測る」
私は少しだけ笑った。
【美咲】「でも、本人が嫌がることはしたくないです」
レオンの手が止まった。
【美咲】「ユナちゃんみたいに、無理やりやらせたら意味がないと思うので」
【レオン】「……そうだな」
レオンは頷いた。
【レオン】「本人の意思を確認する」
【美咲】「お願いします」
そのとき。
研究室の窓から。
ふわり。
白い光が差し込んだ。
私は窓の外を見る。
庭にいるミアが。
花壇の前にしゃがんでいた。
ミアの指先から。
淡い銀色の光が流れている。
その光に触れた花が。
一輪。
ゆっくりと開いた。
【美咲】「……まただ」
【レオン】「何が?」
【美咲】「ミアちゃんです」
レオンも窓へ近づく。
ミアは花をじっと見つめていた。
その表情は。
いつもと変わらない。
眠そうで。
静かで。
何を考えているのか分からない。
けれど。
その周囲には。
確かに魔力がある。
それも。
普通の魔力とは違う。
【レオン】「……やはり測定できない」
【美咲】「でも、そこにある」
【レオン】「ああ」
レオンは窓越しにミアを見つめる。
【レオン】「魔力量は測定不能」
【美咲】「でも、花は咲く」
【レオン】「……」
私たちは顔を見合わせた。
その瞬間。
ミアがこちらを見た。
紫色の瞳が。
まっすぐ私たちを捉える。
【ミア】「……みさき」
【美咲】「ミアちゃん?」
ミアは小さな手で花を撫でた。
【ミア】「このおはな」
【美咲】「うん」
【ミア】「ないてるよ」
【美咲】「……え?」
レオンの表情が変わった。
ミアは。
花を見つめながら。
静かに続けた。
【ミア】「だから、あったかくしたの」
銀色の光が。
もう一度。
花の周りに広がった。
その光を見ながら。
私は思った。
魔力とは。
もしかしたら。
ただの「力」ではないのかもしれない。
感情を伝えるもの。
誰かを感じ取るもの。
そして。
誰かを安心させるもの。
そんなものなのかもしれない。
でも。
その答えを知るには。
まだ、時間が必要だった。
* * *
その日の午後。
私はノアと一緒に庭へ出た。
【ノア】「美咲、何するの?」
【美咲】「ちょっと実験」
【ノア】「実験?」
【美咲】「うん。でも、嫌だったらすぐやめるからね」
【ノア】「……うん」
私は小さな魔石を一つ、地面に置いた。
【美咲】「これ、分かる?」
ノアが魔石を見る。
少し首を傾げた。
【ノア】「……なんか」
【美咲】「うん?」
【ノア】「くすぐったい」
【美咲】「くすぐったい?」
私は魔石に触れてみる。
何も感じない。
【美咲】「どういう感じ?」
【ノア】「……ちょっと、震えてる」
私は魔石を見る。
何も変わっていない。
でも。
ノアには何かが見えている。
【美咲】「ノアくん」
【ノア】「なに?」
【美咲】「これから、いろんな魔石を見てみようか」
【ノア】「うん!」
ノアが笑った。
その瞬間。
私の《観察眼》が。
初めて。
ノアに対して反応した。
――対象:ノア・グレン。
――魔力量:低。
――魔力感知能力:高。
――周囲の魔力変動への感受性:極めて高い。
そして。
その下に。
今まで見たことのない項目が。
ゆっくりと浮かび上がった。
――適性:未確定。
私は目を見開いた。
【美咲】「……未確定?」
その文字が。
一瞬だけ揺れる。
そして。
消えた。
まるで。
何かがまだ。
ノア自身にも。
この世界にも。
知られていないものを示すように。
私はノアを見る。
ノアは何も知らず。
魔石を覗き込みながら。
楽しそうに笑っていた。
――弱い魔力。
その言葉の意味を。
私はまだ知らない。
けれど。
少なくとも。
「弱い」というだけで。
この子の価値を決めることは。
もうしたくなかった。




