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魔力は嘘をつかない


 翌朝。


 私は、昨夜レオンから渡された記録帳を机の上に広げていた。


 窓から差し込む朝日が、古い紙の上をゆっくりと移動している。


 記録帳には、たくさんの名前が並んでいた。


 魔力暴走を起こした子どもたち。


 発生した日時。


 魔力量。


 属性。


 暴走の規模。


 そして。


 その直前に何があったのか。


 私は一つずつ目を通していった。


 叱責。


 魔法訓練。


 魔力測定。


 失敗。


 親との面会。


 成績発表。


 また叱責。


 また訓練。


 また失敗。


 偶然なのかもしれない。


 そう思おうとした。


 けれど。


 ページをめくるたびに、同じ傾向が繰り返される。


 私は眉を寄せた。


【美咲】「……やっぱり」


 魔力暴走が起きる前には、必ずと言っていいほど感情が大きく動く出来事がある。


 しかも。


 楽しい出来事よりも。


 恐怖。


 不安。


 悲しみ。


 怒り。


 そういった感情が多い。


 私は記録帳を閉じた。


 胸の奥がざわざわする。


 もし、これが本当なら。


 今までこの国で行われてきた魔力制御の教育は。


 根本から間違っている可能性がある。


 そんな考えが頭をよぎった。


 けれど。


 私はまだ、この世界に来て五日目だ。


 魔法のことなんて、ほとんど知らない。


 そんな私が。


 千年以上続いているかもしれない常識を疑っていいのだろうか。


 そんなことを考えていると。


 コンコン。


 扉が鳴った。


【美咲】「はい」


 扉が開く。


 そこにいたのはレオンだった。


【レオン】「起きていたか」


【美咲】「はい。というか、ずっとこれを見てました」


 私は机の上の記録帳を指差す。


【レオン】「……やはり気になったか」


【美咲】「気になりますよ」


 私は記録帳を開く。


【美咲】「暴走した子のほとんどが、その直前に強いストレスを感じてます」


【レオン】「ほとんど、ではない」


【美咲】「え?」


【レオン】「記録に残っているものだけでも、八割以上だ」


 私は言葉を失った。


【美咲】「……八割」


【レオン】「残りの二割も、状況が記録されていないだけで、何かしらの感情的要因があった可能性はある」


【美咲】「じゃあ、レオンさんも……」


【レオン】「可能性は考えている」


【美咲】「でも、証明できてない」


【レオン】「そういうことだ」


 レオンは記録帳を見下ろした。


【レオン】「魔法学では、感情と魔力の関係は昔から議論されている」


【美咲】「そうなんですか?」


【レオン】「ただし、一般的な考え方は逆だ」


【美咲】「逆?」


【レオン】「魔力が乱れるから、感情も乱れる」


 私は黙った。


【レオン】「魔力を制御できれば、感情も安定する。そう考えられている」


【美咲】「……私は逆だと思います」


【レオン】「分かっている」


 レオンが私を見る。


【レオン】「君は、感情が魔力を動かしていると考えている」


【美咲】「はい」


【レオン】「その仮説を証明したい」


【美咲】「……私と?」


【レオン】「君の観察を、研究として残したい」


 思わず目を瞬く。


【美咲】「私、研究者じゃないですよ?」


【レオン】「知っている」


【美咲】「魔法も使えません」


【レオン】「それも知っている」


【美咲】「じゃあ、なんで?」


 レオンは少しだけ考えるように目を伏せた。


【レオン】「魔力測定器では、測れないものがあるからだ」


【美咲】「……」


【レオン】「君は、それを見つけている」


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


 私はただ子どもたちを見ていただけだった。


 泣いている。


 怖がっている。


 眠そうにしている。


 嬉しそうにしている。


 そんな当たり前のことを。


 でも。


 それが、この世界ではまだ「研究対象」になっていない。


【美咲】「……分かりました」


【レオン】「協力してくれるか?」


【美咲】「はい」


 レオンが小さく頷いた。


【レオン】「では、今日から記録を取ろう」


【美咲】「分かりました」


【レオン】「魔力の変化だけではない」


【美咲】「感情も?」


【レオン】「表情、言葉、行動、周囲の環境。君が見たものをすべて記録する」


【美咲】「保育日誌みたいですね」


【レオン】「……そうかもしれないな」


 ほんの少しだけ。


 レオンの口元が緩んだ気がした。


 私は思わず目を凝らした。


【美咲】「今、笑いました?」


【レオン】「笑っていない」


【美咲】「絶対笑いましたよね?」


【レオン】「気のせいだ」


【美咲】「……研究者って、みんなそうやって誤魔化すんですか?」


【レオン】「君は朝からよく喋るな」


【美咲】「褒め言葉ですか?」


【レオン】「違う」


 そう言って、レオンは部屋を出ていった。


 私は一人になった部屋で。


 少しだけ笑った。


 * * *


 午前。


 子どもたちは自由遊びの時間だった。


 ノアは木製の積み木を並べている。


 リリィは絵本を読んでいる。


 ミアは。


 今日も花の近くにいる。


 私は机に座りながら、レオンから渡された新しい記録用紙を見つめていた。


 項目は細かい。


 時刻。


 表情。


 発言。


 魔力変化。


 周囲の環境。


 私はペンを持った。


【美咲】「……観察開始」


 まずはノア。


 ノアは積み木を三つ重ねている。


 四つ。


 五つ。


 六つ。


 かなり高い。


【ノア】「見て!」


【美咲】「すごい!」


【ノア】「まだまだ!」


 さらに積む。


 七つ。


 八つ。


 九つ。


 そして。


 ぐらっ。


【ノア】「あ」


 積み木が崩れた。


 ガラガラガラ。


【ノア】「……」


 ノアが固まった。


 私はペンを止める。


 ノアは積み木を見つめている。


 眉が下がっている。


 口が少しだけへの字になっている。


 けれど。


 魔力には大きな変化がない。


【美咲】「ノアくん」


【ノア】「……」


【美咲】「もう一回やる?」


【ノア】「……うん」


 ノアは積み木を拾い始めた。


 私は記録する。


 ――失敗。


 ――落ち込み。


 ――魔力変化なし。


 つまり。


 失敗そのものが、必ず魔力暴走につながるわけではない。


 では。


 何が違うのだろう。


 私はノアを見る。


 ノアは、もう一度積み木を積み始めている。


 さっきより少し低い。


 それでも。


 楽しそうだった。


 私は小さく頷いた。


【美咲】「……安心しているから?」


 そのとき。


 廊下から、大きな声が聞こえた。


【職員】「誰か、魔法絵の具を勝手に使いましたか!」


 ノアの手が止まった。


 表情が変わる。


 積み木の横に置いていたスプーンが。


 カタ。


 と揺れた。


 私は立ち上がった。


 けれど。


 別の子どもの声が聞こえた。


【子ども】「僕じゃない!」


【職員】「では誰ですか!」


 ノアの顔から血の気が引いていく。


 スプーンが、さらに揺れる。


 カタカタ。


 私はノアのそばへ行った。


【美咲】「ノアくん」


【ノア】「……僕じゃない」


【美咲】「うん」


【ノア】「僕、使ってない」


【美咲】「分かってるよ」


【ノア】「本当に……」


【美咲】「うん」


 私はノアの目を見る。


【美咲】「誰もノアくんを責めてないよ」


 ノアが息を吐く。


 スプーンの揺れが少し弱くなる。


 私はその変化を記録した。


 ――叱責を予測。


 ――恐怖。


 ――魔力変化。


 ――安心させることで減少。


 やはり。


 感情と魔力は繋がっている。


 そのとき。


 廊下の奥から、何かが落ちたような大きな音が響いた。


 ガッシャーン!


 金属製の棚か何かが倒れたような、耳をつんざく音だった。


 私は反射的に振り返った。


 音のした方向から、職員の慌てた声が聞こえる。


【職員】「大丈夫です! 誰も怪我はありません!」


 どうやら、廊下の端に置かれていた掃除用具入れが倒れたらしい。


 その音に驚いたリリィが、手にしていた絵本を取り落とした。


 絵本は床に落ちただけだったが、突然の大きな音に驚いた拍子に、リリィの指がページの端を強く引っかけてしまった。


 びりっ。


 今度は、紙が裂ける音がした。


【リリィ】「……!」


 リリィの顔が強張る。


 絵本の角が床にぶつかり、ページの端が少し破れている。


 それを見た瞬間。


【リリィ】「ごめんなさい……」


 私はリリィのところへ駆け寄った。


【美咲】「大丈夫だよ」


【リリィ】「でも……」


【美咲】「本、少し破れただけだよ」


【リリィ】「……ほんと?」


【美咲】「うん。直せるよ」


 私は本を拾い、破れたページをそっと確認する。


【美咲】「ほら。絵はまだちゃんと見えるでしょう?」


【リリィ】「……」


【美咲】「あとで紙を貼れば、元に戻せるよ」


 私は折れたページをゆっくり撫でた。


【美咲】「だから、リリィちゃんのせいじゃないよ。急に大きな音がしたから、びっくりしたんだよね」


 リリィは本を見る。


 そして。


 少しだけ笑った。


 その瞬間。


 私は気づいた。


 リリィの周囲に集まっていた魔力が。


 ゆっくりと消えていく。


 私は息を止めた。


 ほんの一瞬だった。


 けれど。


 確かに見えた。


 感情が変わった瞬間。


 魔力も変わった。


 * * *


 昼過ぎ。


 私は記録用紙を持って研究室へ向かった。


 レオンは大量の本に囲まれていた。


【美咲】「レオンさん」


【レオン】「どうした?」


【美咲】「これ、見てください」


 私は記録用紙を渡した。


 レオンは黙って読み始める。


 ノア。


 リリィ。


 それぞれの記録。


 魔力の変化。


 感情の変化。


 そして。


 安心した直後に魔力が安定したという記録。


 レオンの目が細くなる。


【レオン】「……興味深い」


【美咲】「やっぱり?」


【レオン】「この変化は、魔力制御の訓練では説明できない」


【美咲】「ですよね」


【レオン】「だが、まだ足りない」


【美咲】「何が?」


【レオン】「再現性だ」


 レオンは机の上に記録を並べた。


【レオン】「同じ状況で、同じ結果が出る必要がある」


【美咲】「なるほど……」


【レオン】「一度だけなら偶然とも言える」


【美咲】「じゃあ、もっと観察しましょう」


【レオン】「そうだな」


 そのとき。


 研究室の扉が勢いよく開いた。


【職員】「レオン様!」


 若い職員が息を切らして立っていた。


【レオン】「どうした?」


【職員】「訓練室で、魔力暴走が……!」


 私は立ち上がった。


【美咲】「誰ですか?」


【職員】「……新しく入った子です」


 レオンの表情が変わった。


【レオン】「名前は?」


【職員】「ユナ・ベルです。六歳」


 私は記録帳を閉じた。


【美咲】「行きましょう」


【レオン】「待て。危険だ」


【美咲】「でも、子どもがいるんですよね?」


【レオン】「だからこそだ」


【美咲】「だったら、行きます」


 レオンは一瞬、私を見る。


 そして。


【レオン】「……分かった」


 私たちは訓練室へ走った。


 廊下の向こうから、轟音が響いてくる。


 ドンッ!


 壁が震える。


 子どもたちの泣き声。


 職員たちの叫び声。


 そして。


 訓練室の扉の向こうから。


 強い魔力の気配が伝わってくる。


【レオン】「下がっていろ」


【美咲】「はい」


 レオンが扉を開ける。


 部屋の中央。


 魔法陣の上に、一人の女の子が立っていた。


 栗色の髪。


 六歳くらい。


 両手で耳を塞ぎながら、震えている。


 その周囲を。


 大量の魔力が渦巻いていた。


【ユナ】「いや……!」


【ユナ】「もう、やりたくない……!」


 魔力の渦が、さらに大きくなる。


【教官】「ユナ様! 魔力を抑えて!」


【ユナ】「できない……!」


【教官】「集中してください!」


【ユナ】「できない!」


 私は、その光景を見た瞬間。


 背筋が冷たくなった。


 ユナの魔力は。


 リリィと同じだ。


 いや。


 もっと激しい。


 恐怖。


 焦り。


 逃げたいという感情。


 それらすべてが。


 魔力になって外へ溢れている。


【美咲】「……レオンさん」


【レオン】「分かっている」


【美咲】「この子……」


【レオン】「ああ」


 レオンが魔力障壁を展開する。


 けれど。


 ユナの魔力は、それを押し返していく。


【ユナ】「いやぁぁぁ!」


 魔力が膨れ上がる。


 私は一歩前へ出た。


【レオン】「美咲!」


【美咲】「大丈夫です!」


 私はユナを見る。


 震えている。


 泣いている。


 耳を塞いでいる。


 そして。


 何度も。


 何度も。


 周囲の大人の顔を確認している。


 怒られるかどうかを。


 私は理解した。


 この子も。


 怖いのだ。


 魔法が怖いんじゃない。


 失敗することが怖い。


 怒られることが怖い。


 そして。


 自分自身が怖い。


 私はゆっくりと口を開いた。


【美咲】「ユナちゃん」


 ユナがこちらを見る。


【美咲】「大丈夫だよ」


【ユナ】「……」


【美咲】「失敗してもいい」


 魔力の渦が。


 ほんの一瞬だけ。


 止まった。


 私は息を呑んだ。


 レオンも。


 教官も。


 その場にいた全員が。


 その変化を見ていた。


【美咲】「怖かったね」


 ユナの目から。


 大粒の涙がこぼれた。


【ユナ】「……うん」


【美咲】「もう、頑張らなくていいよ」


【ユナ】「……ほんと?」


【美咲】「うん」


【ユナ】「怒らない?」


【美咲】「怒らないよ」


 ユナは泣いた。


 声を上げて。


 子どもらしく。


 大きな声で。


 泣いた。


 その瞬間。


 渦巻いていた魔力が。


 ゆっくり。


 ゆっくりと。


 小さくなっていく。


 最後には。


 小さな光の粒だけを残して。


 消えた。


 静寂が訪れる。


 私は、しばらく動けなかった。


 目の前で。


 今まで何度も「魔力暴走」と呼ばれていた現象が。


 たった一人の子どもが泣くことを許されたことで。


 止まった。


 レオンが静かに呟く。


【レオン】「……魔力は」


 彼は魔力測定器を確認する。


 表示された数値を見て。


 目を見開いた。


【レオン】「暴走前より……安定している」


 私はユナを見る。


 泣き疲れた顔。


 それでも。


 ほんの少しだけ。


 安心したような表情。


 私は胸の奥で思った。


 やっぱり。


 魔力は。


 嘘をつかない。


 この子の魔力は。


 この子がずっと我慢していたことを。


 ずっと伝えていたのだ。


 ――怖い。


 ――苦しい。


 ――助けて。


 その声を。


 誰も聞いていなかっただけだった。


 そして私はまだ知らなかった。


 この一件が。


 この国の魔法の常識を揺るがす。


 最初の証拠になることを.

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