泣いてもいい場所
翌朝。
目を覚ました私は、見慣れない天井をぼんやりと眺めていた。
白い天井。
木製の梁。
窓から差し込む柔らかな朝日。
カーテンが風に揺れている。
ここは、魔力児童保護院に用意してもらった私の部屋だ。
昨日まで私は日本にいた。
会社へ行き、仕事をして、帰宅して。
そんな当たり前の生活を送っていた。
それが一晩で全部なくなった。
そう思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。
家族。
友人。
職場。
もう二度と会えない人たち。
私は枕元に置かれた小さな時計へ目を向けた。
時計の針は、朝の六時を指している。
【美咲】「……早いな」
私はゆっくりとベッドから起き上がった。
異世界での二日目。
今日は、ちゃんと仕事をしなければならない。
そう思った瞬間。
廊下から、何かが走ってくる音が聞こえた。
タタタタタッ。
小さな足音。
そして。
ドンッ!
私の部屋の扉が勢いよく開いた。
【ノア】「いた!」
【美咲】「……ノアくん?」
扉の向こうに立っていたのは、昨日の男の子だった。
茶色の髪は寝癖であちこち跳ねている。
服も少し曲がっていて、靴も左右が逆だ。
息を切らしているところを見ると、かなり急いで走ってきたらしい。
【美咲】「どうしたの?」
【ノア】「リリィが起きない」
【美咲】「え?」
【ノア】「ずっと寝てる!」
【美咲】「……それは、いいことなんじゃない?」
【ノア】「でも、いつもならもう起きてる!」
ノアは焦ったように私の袖を引っ張った。
【ノア】「来て!」
【美咲】「分かった。ちょっと待って」
私は急いで身支度を整え、ノアと一緒に廊下へ出た。
* * *
リリィの部屋に入ると、昨日と同じように白いカーテンが朝の風に揺れていた。
ベッドの上には、リリィがいる。
小さな体を丸め、ぬいぐるみを抱きしめている。
穏やかな寝息。
顔色も悪くない。
【美咲】「……ちゃんと寝てるね」
【ノア】「起こしたほうがいい?」
【美咲】「ううん」
私は首を横に振った。
【美咲】「昨日、ずっと眠れなかったんじゃないかな」
【ノア】「そうなの?」
【美咲】「たぶんね」
私はベッドのそばにある椅子へ腰を下ろした。
リリィの顔を覗き込む。
昨日のような苦しそうな表情はない。
眉間にも力が入っていない。
頬も穏やかだ。
私は少し安心した。
【美咲】「起きるまで寝かせてあげよう」
【ノア】「でも、朝ごはん……」
【美咲】「リリィちゃんの分、取っておいてもらえば大丈夫だよ」
【ノア】「……そっか」
ノアは安心したように頷いた。
そのまま部屋を出ようとしたところで、私は足を止めた。
【美咲】「ノアくん」
【ノア】「何?」
【美咲】「昨日、朝ごはんちゃんと食べた?」
ノアの動きが止まる。
【ノア】「……食べた」
【美咲】「本当に?」
【ノア】「……ちょっとだけ」
【美咲】「今日はいっぱい食べようね」
【ノア】「子どもじゃないから」
【美咲】「五歳は十分子どもだよ」
【ノア】「……そういう言い方、嫌い」
【美咲】「ごめん」
ノアは少しだけ驚いた顔をした。
【ノア】「……謝るの?」
【美咲】「嫌だったなら、謝るよ」
ノアは何も言わなかった。
けれど。
ほんの少しだけ、嬉しそうな顔をした。
私はその表情を見て、胸の奥に小さな違和感を覚えた。
ノアは、私の言葉そのものよりも、私がすぐに謝ったことに反応した。
昨日もそうだった。
リリィが苦しんでいるとき、ノアは誰よりも早く異変に気づいていた。
けれど、職員に叱られると、まるで自分が悪いことをしたかのように黙り込んだ。
心配性なだけではない。
この子は、誰かに怒られることをひどく恐れている。
私はそう判断した。
* * *
食堂には、朝の光がたっぷりと差し込んでいた。
大きな窓から見える中庭では、朝露に濡れた草花が風に揺れている。
厨房からは焼きたてのパンの香りが漂っていた。
昨日と同じスープ。
焼きたてのパン。
ゆで卵。
そして、今日は赤い果物が小さく切られて添えられている。
【美咲】「今日もおいしそう」
【ノア】「昨日も同じだった」
【美咲】「そうなの?」
【ノア】「朝はいつも同じ」
【美咲】「飽きない?」
【ノア】「……飽きる」
ノアはそう言いながら、パンを手に取った。
けれど、口に運ぶ前に手を止める。
【美咲】「どうしたの?」
【ノア】「……リリィの分」
【美咲】「え?」
【ノア】「起きたら食べるんでしょ」
ノアは自分のパンを半分に割った。
そして、その半分を皿の端へ置く。
【美咲】「優しいね」
【ノア】「違う」
【美咲】「違う?」
【ノア】「昨日、僕が食べたから」
【美咲】「昨日?」
【ノア】「リリィが食べられなかった分」
私はノアの顔を見た。
ノアは気まずそうに視線を逸らしている。
そのとき、私はノアの皿に残ったパンの量に気づいた。
半分に割ったパン。
手をつけていないゆで卵。
果物にも、まだ触れていない。
リリィの分を残したというより、自分が食べる量そのものを減らしている。
それなのに、ノアは「昨日、僕が食べたから」と言った。
私は、彼がリリィの食事を奪ったと思われることを恐れているのだと気づいた。
【美咲】「……そっか」
私はそれ以上聞かなかった。
ただ、ノアの皿に果物を一つ追加した。
【ノア】「何?」
【美咲】「おまけ」
【ノア】「……いいの?」
【美咲】「もちろん」
ノアはしばらく果物を見つめたあと、小さく笑った。
そのとき。
食堂の入口から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
【職員】「ノア! 勝手に部屋を出てはいけません!」
若い女性職員が走ってくる。
【ノア】「……」
ノアの表情が一瞬で固くなった。
指先が、膝の上で小さく震えている。
呼吸も浅い。
さっきまで果物を見ていた目が、職員の顔ではなく、床へ向けられていた。
私は、昨日の魔力暴走の直前に見たノアの様子を思い出した。
リリィが苦しみ始めたとき、ノアは泣きそうになりながらも、彼女のそばを離れなかった。
けれど、大人の声が大きくなると、途端に身体を縮めた。
ノアは叱られることに弱い。
そして、強い声を向けられると、魔力が乱れやすい。
私はそう確信した。
【職員】「昨日も言いましたよね? 朝の時間までは自室で待つようにと」
【ノア】「……ごめんなさい」
【職員】「謝ればいいという問題ではありません。あなたは魔力が弱いのだから、勝手に行動して何かあったら――」
職員の声が大きくなる。
その瞬間。
ノアの周囲の空気が、かすかに揺らいだ。
テーブルの上のスプーンが、カタッと音を立てる。
ノアの肩が跳ねた。
私はすぐに立ち上がった。
【美咲】「すみません」
私は職員の声を遮った。
【職員】「はい?」
【美咲】「ノアくんは、リリィちゃんが起きないことを教えてくれただけです」
【職員】「ですが、規則は規則です」
【美咲】「規則があるのは分かります」
私はノアを見る。
肩が小さく縮こまっている。
指先が震え、呼吸が浅くなっている。
そして、テーブルの上のスプーンが、先ほどよりも大きく揺れていた。
魔力が乱れている。
原因は、叱責そのものだ。
【美咲】「でも、まず理由を聞いてあげてもいいんじゃないでしょうか」
【職員】「……理由?」
【美咲】「どうして部屋を出たのか」
職員は少し黙った。
【職員】「……それは」
【ノア】「リリィが起きなかったから」
ノアが小さな声で答えた。
【ノア】「昨日、ずっと苦しそうだったから」
職員が黙る。
私はノアの頭へ手を伸ばしかけて――やめた。
今のノアは、触れられることにも驚くかもしれない。
代わりに、私は職員からノアへ視線を移した。
【美咲】「ノアくん」
【ノア】「……」
【美咲】「今、スプーンが揺れてるね」
ノアが目を見開いた。
【ノア】「……え?」
【美咲】「怖いとき、魔力が動いちゃうのかな」
【ノア】「……分からない」
【美咲】「大丈夫。止めようとしなくていいよ」
【ノア】「でも……」
【美咲】「私の声、聞こえる?」
【ノア】「……うん」
【美咲】「じゃあ、ゆっくり息を吐こう。吸うより先に、吐くの」
ノアは戸惑いながら息を吐いた。
カタカタと揺れていたスプーンが、少しだけ静かになる。
【美咲】「そう。もう一回」
ノアが息を吐く。
今度は、スプーンが完全に止まった。
私は、やはりそうだと思った。
ノアの魔力は弱いのではない。
感情の変化に反応して、無意識に外へ漏れている。
だから、普段の測定では弱く見える。
けれど、恐怖や不安が強くなると、周囲の物を動かすほどの力になる。
私はノアの魔力の性質を、初めてはっきりと捉えた。
【美咲】「心配だったんだね」
ノアは小さく頷いた。
【美咲】「じゃあ、次からは大人に教えてくれれば大丈夫だよ」
【ノア】「……うん」
【美咲】「走らなくてもね」
【ノア】「……うん」
【美咲】「朝ごはんも一緒に食べよう」
【ノア】「うん」
ノアの顔が少しだけ明るくなった。
同時に、周囲に漂っていた魔力の揺らぎも消えていく。
私はその変化を見逃さなかった。
ノアは、安心すると魔力が静まる。
ならば必要なのは、無理に抑え込ませることではない。
まず、安心できる場所を作ることだ。
私は、若い職員を見る。
【美咲】「規則を守ることは大事だと思います」
【職員】「……」
【美咲】「でも、理由を聞くことも同じくらい大事なんじゃないでしょうか」
職員は答えなかった。
ただ、少し困ったように目を伏せた。
* * *
午前中。
子どもたちは庭で遊ぶ時間になった。
魔力児童保護院の中庭は、思っていたよりもずっと広い。
芝生の中央には大きな木が一本立っている。
枝には小さな風鈴のような魔道具が吊り下げられていて、風が吹くたびに澄んだ音を奏でていた。
庭の隅には砂場。
その隣には木製の滑り台。
さらに奥には、小さな池まである。
【美咲】「すごい……」
【マルタ】「子どもたちが遊ぶために作った庭です」
【美咲】「魔法で作ったんですか?」
【マルタ】「一部はそうですね」
マルタ院長が笑う。
【マルタ】「滑り台の木材には、傷がつきにくい魔法がかけられています」
【美咲】「便利ですね」
【マルタ】「ただし、子どもたちの魔力が強すぎると魔法が弱まります」
【美咲】「……それも魔力暴走の影響ですか?」
【マルタ】「ええ」
その言葉を聞いた瞬間。
庭の端から声がした。
【ノア】「リリィ!」
見ると、リリィが花壇の前にしゃがんでいる。
その隣にはノア。
さらに少し離れたところでは、ミアが芝生の上に座り込んでいた。
ミアは何をしているのかと思ったら。
小さな花を一本、じっと見つめている。
【美咲】「ミアちゃん、何してるの?」
私は近づいた。
ミアは顔を上げる。
紫色の瞳が、朝の光を受けてきらりと輝いた。
【美咲】「お花?」
【ミア】「……」
【美咲】「好きなの?」
【ミア】「……うん」
昨日、初めて聞いた声。
小さくて、少しかすれている。
私は思わず笑顔になった。
【美咲】「そっか」
ミアは花をじっと見つめている。
私は、ミアの表情と花の状態を交互に観察した。
ミアが花へ手を伸ばす前から、花びらはわずかに震えていた。
けれど、風は吹いていない。
周囲の草は動いていないのに、その花だけが揺れている。
ミアの指先が花に触れた瞬間、銀色の光が集まり始めた。
光はミアの身体から勢いよく放たれたわけではない。
花の周囲に漂っていた淡い光が、ミアの指先へ吸い寄せられている。
私は目を凝らした。
ミアは魔力を放出しているのではない。
周囲にある魔力を、無意識に集めている。
それが、私の観察した結果だった。
花の茎の周囲に、小さな光が集まり始めた。
淡い銀色の光。
ふわふわと宙に浮かび、花びらの周囲を回っている。
【美咲】「……え?」
光は、ミアの身体から出ているようには見えない。
花の周囲から生まれている。
いや。
正確には、花の周囲にあった魔力が、ミアの指先へ引き寄せられている。
そして。
花が少しだけ開いた。
【美咲】「ミアちゃん」
ミアは何も答えない。
ただ、嬉しそうに花を見ている。
私は思わず後ろを振り返った。
マルタ院長も、その光景を見ていた。
表情が固まっている。
【美咲】「院長?」
【マルタ】「……今のは」
【美咲】「ミアちゃんは、魔力を出したんじゃありません」
【マルタ】「……何ですって?」
【美咲】「花の周りにあった魔力が、ミアちゃんの指先へ集まっていました」
【マルタ】「そんなことが……」
【美咲】「ミアちゃんが触れる前から、花だけが揺れていました。風ではありません」
私は花を指差した。
【美咲】「ミアちゃんは、周囲の魔力を集めて、植物へ流しているんだと思います」
【マルタ】「ミアは、今まで植物に魔力を与えたことなどありません」
【美咲】「植物に魔力を?」
【マルタ】「魔力を持つ人間は、意識せずとも周囲へ少量の魔力を放出しています」
【美咲】「でも、ミアちゃんは魔力測定ができないんですよね?」
【マルタ】「はい」
私は、もう一度ミアを見る。
ミアは花を撫でている。
その指先から、銀色の光が一筋だけ伸びていた。
不思議な光景だった。
怖くはない。
むしろ、とても綺麗だった。
けれど、私は別のことも考えていた。
測定できないのではない。
測定器が、ミアの魔力の流れ方を捉えられていないのかもしれない。
* * *
その日の昼。
私は三人の子どもたちと一緒に、絵を描くことになった。
テーブルの上には、色とりどりの絵の具。
赤。
青。
黄色。
緑。
そして、この世界ならではの魔力絵の具。
魔力を込めると、描いたものがほんの少しだけ動くという。
【ノア】「僕、これ嫌い」
【美咲】「絵の具?」
【ノア】「魔力絵の具」
【美咲】「どうして?」
【ノア】「僕、魔力弱いから動かせない」
【美咲】「じゃあ普通の絵の具にしよう」
【ノア】「……いいの?」
【美咲】「もちろん」
私は普通の絵の具をノアの前に置いた。
ノアは嬉しそうに筆を持った。
私はその様子を見ながら、ノアの指先を観察した。
魔力絵の具を見ている間、ノアの指は固くこわばっていた。
普通の絵の具を渡すと、肩の力が抜けている。
やはり、魔力を使えないことが嫌なのではない。
魔力を使えない自分を、誰かと比べられることが怖いのだ。
一方。
リリィは、紙の前で固まっている。
【美咲】「どうしたの?」
【リリィ】「……」
【美咲】「描きたくない?」
首を横に振る。
私はリリィの筆先ではなく、手首を見た。
描きたくない子の持ち方ではない。
筆を握る指には、描こうとする力が入っている。
けれど、紙に触れる直前になると、手首だけが止まる。
視線は紙ではなく、私の顔と、周囲の子どもたちの手元を行き来していた。
失敗したらどうなるかを気にしている。
私はそう判断した。
【美咲】「じゃあ、描いてみる?」
こくん。
リリィが筆を持つ。
けれど。
手が震えた。
ぽたり。
絵の具が紙の上に落ちる。
リリィの肩がびくっと跳ねた。
【リリィ】「……ごめんなさい」
【美咲】「どうして謝るの?」
【リリィ】「汚したから……」
【美咲】「紙なんだから、汚していいんだよ」
【リリィ】「……いいの?」
【美咲】「うん」
私は自分の紙に大きな丸を描いた。
【美咲】「ほら。私も汚した」
【リリィ】「……」
【美咲】「上手じゃなくていいよ」
【リリィ】「……ほんと?」
【美咲】「ほんと」
リリィはしばらく私の顔を見つめた。
そして。
小さな筆を紙に置いた。
赤い線。
青い線。
黄色い丸。
少しずつ。
少しずつ。
紙の上に色が増えていく。
その顔には、昨日までなかった表情が浮かんでいた。
ほんの少しだけ。
楽しそうだった。
私はその横顔を見ながら思った。
この子は、絵が描けなかったんじゃない。
失敗することが怖かっただけなのかもしれない。
そして、その恐怖は魔力にもつながっている。
失敗してはいけない。
怒られてはいけない。
そう思うほど、感情が内側に溜まり、魔力が暴れる。
リリィの暴走も、ノアの揺らぎも。
原因は魔力の量だけではないのかもしれない。
* * *
夕方。
子どもたちが帰ったあと。
私は一人で画材を片付けていた。
机の上には、子どもたちが描いた絵が並んでいる。
ノアは大きな木を描いていた。
リリィは色とりどりの花。
ミアは――。
紙いっぱいに、銀色の丸を一つ。
【美咲】「……個性的だなあ」
思わず笑う。
そのとき。
背後から声がした。
【レオン】「君は、子どもたちに甘すぎる」
振り返る。
レオンが扉のところに立っていた。
【美咲】「またそれですか?」
【レオン】「また、とは?」
【美咲】「昨日も言われました」
【レオン】「事実だからな」
レオンは部屋へ入ってくる。
机の上に並んだ絵を見た。
【レオン】「魔力絵の具を使わせなかったのか?」
【美咲】「ノアくんには使わせてません」
【レオン】「なぜ?」
【美咲】「嫌がっていたからです」
【レオン】「それだけか?」
【美咲】「それだけではありません」
私はノアが魔力絵の具を見たときの表情を思い出した。
【美咲】「ノアくんは、魔力が弱いことを気にしているんじゃないと思います」
【レオン】「……何?」
【美咲】「魔力を使えない自分を、誰かと比べられることを怖がっています」
【レオン】「根拠は?」
【美咲】「魔力絵の具を見たときだけ、指がこわばっていました。でも、普通の絵の具を渡したら、すぐに力が抜けた」
レオンは黙っている。
【美咲】「それに、さっき職員さんに叱られたとき、ノアくんの魔力が乱れました」
【レオン】「……」
【美咲】「ノアくんは、感情が強く動いたときに魔力が漏れるんです。弱いんじゃありません」
レオンの目が鋭くなる。
【レオン】「君は、二日でそこまで見たのか」
【美咲】「見たというより、観察しただけです」
【レオン】「ミアのこともか?」
【美咲】「はい」
【レオン】「あの子の魔力をどう見た?」
【美咲】「ミアちゃんは、魔力を放出しているんじゃありません。周囲の魔力を集めています」
【レオン】「……」
【美咲】「だから、測定器では正しく測れないのかもしれません」
レオンは、机の上に置かれたミアの絵を見た。
銀色の丸。
その周囲には、細い線が何本も描かれている。
【レオン】「この線は?」
【美咲】「ミアちゃんが花の周りから集めていた光です」
【レオン】「絵を見ただけで分かるのか?」
【美咲】「絵だけではありません。花に触れる前から、花だけが揺れていました。風は吹いていなかった。ミアちゃんが触れたあと、周囲の光が指先へ集まった」
私は三枚の絵を見下ろした。
【美咲】「三人とも、魔力の問題に見えて、実際には感情や周囲との関係が大きく関わっていると思います」
【レオン】「……」
【美咲】「だから私は、魔力を抑えることだけが正しい方法なのかなって思っています」
【レオン】「君は、まだ二日目だ」
【美咲】「はい」
【レオン】「この国の魔法について何も知らない」
【美咲】「はい」
【レオン】「それでも、そう思うのか?」
【美咲】「……思います」
レオンは黙った。
しばらくして。
机の上に置かれたリリィの絵を手に取った。
色とりどりの花。
少し歪んでいる。
でも、昨日の彼女からは想像できないほど自由な絵だった。
【レオン】「……リリィが、この絵を?」
【美咲】「はい」
【レオン】「魔力は?」
【美咲】「使ってません」
レオンは絵をじっと見つめた。
【レオン】「……そうか」
それだけ言って、絵を戻した。
そして。
帰ろうとしたところで、足を止めた。
【レオン】「一つ、伝えておく」
【美咲】「はい?」
【レオン】「最近、魔力暴走を起こす子どもが増えている」
【美咲】「……昨日も聞きました」
【レオン】「今年だけじゃない」
レオンは振り返らなかった。
【レオン】「ここ五年、毎年増えている」
私は息を止めた。
【レオン】「そして、今年が過去最多になる可能性が高い」
【美咲】「……どうしてですか?」
レオンは答えなかった。
ただ、扉の向こうへ消えていった。
一人残された部屋で。
私は机の上に並ぶ三枚の絵を見つめた。
リリィ。
ノア。
ミア。
三人とも、違う。
リリィは、失敗への恐怖が魔力を内側に溜め込んでいる。
ノアは、叱責への恐怖が魔力を揺らしている。
ミアは、周囲の魔力を集める性質を持っている。
私は、三人の違いを一つずつ思い返した。
魔力の量だけを見ていたら、きっと見落としていた。
表情。
呼吸。
指先の動き。
視線の揺れ。
周囲の空気の変化。
それらを追っていけば、魔力が動く前の兆候が見えてくる。
私の《観察眼》は、魔力そのものを測る力ではない。
人の感情と、魔力の変化。
そのつながりを見抜く力なのだ。
私はふと、昨日のことを思い出した。
リリィの魔力暴走。
ノアの魔力感知。
ミアの測定不能な魔力。
そして。
増え続ける魔力暴走。
偶然。
そう思うには。
少しだけ、重なりすぎていた。
窓の外を見る。
夕暮れの空は、薄紫色に染まっていた。
中庭では、昼間ミアが触れていた花が揺れている。
その花の周囲に。
誰にも気づかれないほど小さな銀色の光が、一つだけ浮かんでいた。




