王都へ
出発の日が来た。
朝の保護院は、いつもより静かだった。
荷物を積み込む音。
馬車の車輪が軋む音。
職員たちの小さな話し声。
いつもなら聞こえてくる子どもたちの笑い声は、まだない。
美咲は玄関前に立ち、四人の荷物を確認していた。
【美咲】「リリィ、上着は持った?」
【リリィ】「うん」
【美咲】「ノアは?」
【ノア】「ここ!」
ノアが鞄を持ち上げる。
【美咲】「重くない?」
【ノア】「だいじょうぶ!」
【美咲】「ユナは?」
【ユナ】「……みさき」
【美咲】「ん?」
ユナは小さな手で、美咲の服を握っていた。
【ユナ】「ずっと、一緒?」
美咲はしゃがむ。
【美咲】「うん。ずっと一緒だよ」
【ユナ】「王都でも?」
【美咲】「王都でも」
【ユナ】「……ほんと?」
【美咲】「ほんと」
ユナが、ようやく少し笑った。
その横で。
ミアは庭を見つめていた。
【美咲】「ミア?」
【ミア】「……お花」
昨日まで咲いていなかった花が。
花壇の隅で、一輪だけ咲いている。
銀色の光を帯びた、小さな花。
ミアは近づいて。
そっと触れた。
【ミア】「またね」
まるで。
花に別れを告げるように。
*
馬車は、保護院を離れた。
車輪が石畳を踏み。
ゆっくりと王都へ向かって進んでいく。
美咲は窓の外を眺めていた。
保護院が、少しずつ遠ざかる。
ここで過ごした時間は。
まだ、ほんの数週間だ。
それなのに。
ずいぶん長い時間を過ごしたような気がした。
【美咲】「……帰ってこようね」
隣に座っていたリリィが頷く。
【リリィ】「うん」
【ノア】「王都って、大きいの?」
【美咲】「たぶん、すごく大きいよ」
【ユナ】「こわい?」
【美咲】「……ちょっと」
【ユナ】「みさきも?」
【美咲】「うん」
美咲が笑う。
【美咲】「怖いときは、一緒に怖がろう」
ユナも笑った。
その向かいで。
ノアが首を傾げる。
【ノア】「……あれ?」
【美咲】「どうしたの?」
【ノア】「魔力が……」
ノアが窓の外を見る。
【ノア】「こっち、来てる」
【美咲】「魔力が?」
【ノア】「うん」
レオンが向かいの席から顔を上げる。
【レオン】「どんな感じだ?」
【ノア】「いっぱいじゃない」
ノアは少し考える。
【ノア】「でも……」
【ノア】「見られてる感じ」
車内の空気が変わった。
美咲は窓の外を見る。
そこには。
ただの森が広がっている。
何もない。
【レオン】「……監視されている、という意味か?」
【ノア】「分からない」
ノアは胸元を押さえた。
【ノア】「でも、嫌」
【美咲】「じゃあ、無理に感じなくていいよ」
【ノア】「うん」
ノアが目を閉じる。
美咲は、その小さな肩に手を置いた。
すると。
自分の胸の奥が、わずかに温かくなる。
銀色の光が。
ほんの一瞬だけ。
美咲の指先に浮かんだ。
レオンが、それを見ていた。
【レオン】「……また出たな」
【美咲】「はい」
【レオン】「以前より、安定している」
【美咲】「子どもたちと一緒だからでしょうか」
【レオン】「たぶんな」
レオンは少し考える。
【レオン】「いや」
【美咲】「?」
【レオン】「君が、自分の感情を隠さなくなったからかもしれない」
美咲は、少しだけ目を見開いた。
そして。
【美咲】「……そうかもしれません」
窓の外を見る。
怖い。
不安だ。
でも。
それを無理に「大丈夫」にしなくてもいい。
そう思えるようになった。
*
昼過ぎ。
王都へ続く街道に入る。
遠くに。
大きな城壁が見えてきた。
【ノア】「わあ……!」
【ユナ】「おっきい……!」
リリィも窓から外を見る。
けれど。
その顔には、少しだけ緊張が浮かんでいた。
【美咲】「リリィ、大丈夫?」
【リリィ】「……うん」
少し間を置いて。
【リリィ】「王都には、魔法の上手な人がいっぱいいますか?」
【レオン】「多いだろうな」
【リリィ】「……じゃあ」
リリィの指が、膝の上で強く握られる。
【リリィ】「わたし、ちゃんとしないと」
美咲はすぐに首を振った。
【美咲】「しなくていいよ」
【リリィ】「でも……」
【美咲】「王都に行くからって、急に上手にならなくていい」
【リリィ】「……」
【美咲】「失敗してもいいし」
【リリィ】「……うん」
【美咲】「疲れたら休んでいい」
【リリィ】「うん」
【美咲】「怖かったら怖いって言っていい」
リリィが、美咲を見る。
そして。
【リリィ】「……忘れない」
小さな声で答えた。
その瞬間。
車内に淡い光が浮かんだ。
リリィの魔力だった。
けれど。
それは今までのような強い光ではない。
柔らかく。
穏やかに。
美咲の周囲を照らしている。
ノアが笑う。
【ノア】「リリィ、あったかい」
【リリィ】「……ほんと?」
【ノア】「うん」
ユナも手を伸ばす。
【ユナ】「わたしも」
ユナの指先が、リリィの光に触れる。
光が重なる。
ミアが、その光を見て笑った。
【ミア】「なかよし」
美咲の胸も。
ほんのり温かくなった。
五人の魔力が。
ほんの少しだけ。
共鳴している。
レオンはそれを見ながら。
測定器を手に取らなかった。
ただ。
静かに見つめていた。
【レオン】「……今日は、測らなくていい」
【美咲】「え?」
【レオン】「この瞬間を、数字にしたくない」
美咲は微笑んだ。
【美咲】「……はい」
*
夕方。
王都へ到着した。
高い城壁。
巨大な門。
その向こうには、たくさんの建物が並んでいる。
人。
馬車。
魔導具。
魔石灯。
すべてが保護院とは比べものにならないほど大きい。
【ユナ】「……すごい」
【ノア】「魔力も、いっぱい」
ノアが呟く。
しかし。
すぐに顔をしかめた。
【美咲】「どうしたの?」
【ノア】「……ここ」
【美咲】「うん?」
【ノア】「いっぱいすぎて、分からない」
美咲はノアの手を握った。
【美咲】「じゃあ、ゆっくりでいいよ」
【ノア】「……うん」
馬車が王立魔法研究院の門をくぐる。
その瞬間。
ミアが窓の外を見た。
【ミア】「……いや」
【美咲】「え?」
【ミア】「ここ、いや」
美咲の胸がざわつく。
【レオン】「何が嫌なんだ?」
【ミア】「……眠ってない」
【美咲】「眠ってない?」
ミアは王立魔法研究院の建物を指差した。
【ミア】「いっぱい、起きてる」
その言葉の意味を。
美咲はまだ理解できなかった。
*
研究院の中へ入る。
白い壁。
高い天井。
整然と並ぶ魔道具。
保護院とは、まるで別世界だった。
出迎えたのは。
昨日の女性研究員だった。
【王都研究員】「お待ちしていました」
【レオン】「子どもたちの居室は?」
【王都研究員】「準備しています」
【美咲】「検査はいつからですか?」
【王都研究員】「明日の朝からです」
【美咲】「分かりました」
女性研究員は四人を見る。
その目は。
研究対象を見る目だった。
リリィ。
ノア。
ユナ。
ミア。
一人ずつ。
確認するように。
【王都研究員】「……予定通りですね」
【美咲】「何がですか?」
女性研究員は一瞬黙った。
【王都研究員】「いえ。何でもありません」
そのとき。
研究院の奥から。
別の人物が歩いてきた。
白い髪。
長いローブ。
胸元には、王家直属の魔導師だけが身につける紋章。
その人物は。
四人の子どもたちを見た。
そして。
最後に。
美咲を見る。
目が合った。
その瞬間。
美咲の指先に。
銀色の光が灯った。
相手の目が、わずかに見開かれる。
【???】「……やはり」
【美咲】「……?」
レオンが一歩前に出る。
【レオン】「あなたは?」
白髪の魔導師は答えない。
ただ。
美咲を見つめたまま。
静かに呟いた。
【???】「五人目まで来たか」
美咲の心臓が。
大きく鳴った。
【レオン】「……何?」
魔導師は、初めてレオンを見る。
【???】「知らないのか?」
そして。
薄く笑った。
【???】「その女性が、何者なのか」
美咲の背中を。
冷たい汗が伝った。
ミアが。
美咲の服をぎゅっと握る。
【ミア】「……みさき」
【美咲】「ミア?」
【ミア】「ここ、しってる」
【美咲】「……え?」
ミアは研究院の奥を見つめる。
【ミア】「おうちの、におい」
その瞬間。
研究院の地下深くから。
――ドクン。
大きな魔力の鼓動が響いた。
白髪の魔導師が。
静かに目を閉じる。
【???】「……千年ぶりだな」
誰に向けた言葉なのか。
美咲には分からなかった。
ただ。
王都へ来たことで。
謎が解けるどころか。
もっと深い場所へ引き込まれたことだけは。
はっきりと分かった。




