この子たちを、渡さない
朝の空気が、いつもより冷たく感じた。
魔力児童保護院の正門前。
昨日届いた王家からの命令書は、まだ事務室の机の上に置かれている。
何度読み返しても、そこに書かれている内容は変わらない。
――特殊魔力児童四名。
王都へ移送。
対象者。
リリィ・アルヴァ。
ノア・グレン。
ユナ・ベル。
ミア・フェルン。
美咲は、握りしめていた紙からゆっくり手を離した。
紙の端が、わずかに震えている。
怖い。
その感情を、美咲は素直に認めた。
けれど、それ以上に。
子どもたちの顔が頭に浮かんだ。
失敗することを怖がっていたリリィ。
自分の魔力を「弱い」と言われて俯いていたノア。
泣くことすら許されず、魔力を暴走させていたユナ。
そして。
自分の「おうち」がどこなのかさえ知らないミア。
その四人を、何の説明もなく王都へ連れていく。
それが、本当に「保護」なのだろうか。
美咲は顔を上げた。
そのとき。
背後から足音が聞こえた。
【レオン】「……やっぱり、ここにいたか」
【美咲】「レオンさん」
振り返ると、黒いコートを羽織ったレオンが立っていた。
その手には、昨日の古文書の写しが数枚握られている。
レオンは美咲の顔を見ると、少しだけ目を細めた。
【レオン】「眠れてないな」
【美咲】「……レオンさんもですよね」
【レオン】「俺はいつものことだ」
【美咲】「それ、よくないですよ」
思わずそう言ってしまってから、美咲は少し驚いた。
以前なら、こんなことを言うのにもためらっていた。
相手の仕事を邪魔するかもしれない。
余計なことかもしれない。
そう考えて、飲み込んでいた。
けれど今は。
言っていいと思った。
【レオン】「……そうだな」
レオンは小さく笑った。
そして、美咲の隣に立つ。
二人で、正門の向こうを眺めた。
そこには、子どもたちが遊ぶ中庭がある。
まだ早い時間だから、誰もいない。
【美咲】「王都に行ったら……この子たちは、どうなるんでしょう」
【レオン】「正式な命令文には、詳細は書かれていない」
【美咲】「詳細が……?」
【レオン】「『特殊魔力児童の調査および保護』。それだけだ」
美咲の胸に、嫌な感覚が走った。
【美咲】「調査……」
【レオン】「ああ」
レオンは手にしていた古文書の写しを見る。
【レオン】「昨日見つけた記述と、今回の移送命令。偶然とは思えない」
【美咲】「『共鳴を持つ子どもを、王都へ集めよ』……」
【レオン】「そうだ」
声が低くなる。
【レオン】「千年前の誰かが、そう残している」
【美咲】「じゃあ……王都の人たちは、昔の記録を知っているんでしょうか」
【レオン】「分からない」
【美咲】「でも、四人を選んだ」
【レオン】「……そこが問題だ」
レオンが美咲を見る。
【レオン】「俺たちがここ数週間で分かったことを、王都側がどこまで把握しているのか。それが分からない」
美咲は唇を噛んだ。
四人には、それぞれ普通とは違うところがある。
リリィは、圧倒的な魔力量を持ちながら、心が安心すると魔力が安定する。
ノアは、測定器では捉えられない魔力の変化を感じ取る。
ユナは、感情の揺れと魔力の流れが強く結びついている。
そしてミアは。
測定すらできない。
古い魔力を感じ取り、花や石に眠る魔力に触れる。
さらに――。
美咲の魔力とも、よく似た銀色の光を持っている。
【美咲】「……王都に行ったら、調べられるんですよね」
【レオン】「おそらく」
【美咲】「怖い思いをするかもしれない」
【レオン】「……ああ」
【美咲】「だったら」
美咲は、命令書を見つめた。
そして。
はっきりと言った。
【美咲】「私は、反対します」
レオンが黙った。
【レオン】「……そう言うと思っていた」
【美咲】「レオンさんは?」
【レオン】「俺も同じだ」
美咲は目を見開いた。
【レオン】「研究者としては、王都の設備を使えることに意味はある」
【美咲】「……はい」
【レオン】「だが、子どもたちが怯えている状態で調査を始めれば、何が起こるか分からない」
レオンの視線が、中庭へ向く。
【レオン】「俺たちは、もう知っているだろう」
美咲は頷いた。
【レオン】「恐怖や不安で、魔力の流れは変わる」
【美咲】「だから、怖がらせてから調べても……本当の状態は分からない」
【レオン】「その通りだ」
レオンは少しだけ間を置いた。
【レオン】「それに」
【美咲】「……?」
【レオン】「昨日、俺は君に言った」
美咲は顔を上げる。
【レオン】「俺が必要としているのは、無理をする君じゃない。子どもたちのそばにいる、君だと」
【美咲】「……はい」
【レオン】「だから、今回は俺が言う」
レオンは命令書へ視線を向けた。
【レオン】「子どもたちを、今のまま王都へ渡すべきじゃない」
その言葉が、美咲の胸に静かに落ちた。
*
朝食の時間。
四人の子どもたちは、いつも通り食堂に集まっていた。
けれど、美咲は昨日から少しだけ違う目で子どもたちを見ていた。
王都へ移送される。
そのことを、まだ誰も知らない。
どう伝えるべきなのか。
美咲が迷っていると、ノアがこちらを見上げた。
【ノア】「みさき」
【美咲】「ん?」
【ノア】「なんか、へん」
【美咲】「え?」
【ノア】「みさきの魔力」
美咲の手が止まった。
【ノア】「昨日より……ちょっと、かたい」
【美咲】「……そっか」
【ノア】「かなしい?」
胸の奥を、ぎゅっと掴まれたような気がした。
ノアは、魔力の変化を感じる。
きっと今の美咲の魔力も。
自分が思っている以上に、隠せていない。
【美咲】「うん」
美咲は、正直に答えた。
【美咲】「ちょっと、心配なことがあるの」
リリィが顔を上げた。
【リリィ】「……わたし?」
【美咲】「ううん。リリィだけじゃないよ」
ユナも不安そうに美咲を見る。
【ユナ】「……こわいこと?」
【美咲】「まだ分からない」
美咲は四人を見渡した。
【美咲】「だから、分かるまでちゃんと調べたい」
【リリィ】「……王都に、行くの?」
美咲の息が止まった。
【美咲】「……知ってたの?」
【リリィ】「昨日、先生たちが話してた」
リリィの手が、小さく震えている。
【リリィ】「王都の人が……わたしたちを、連れていくって」
ユナの顔から血の気が引いた。
【ユナ】「……また、魔法のれんしゅう?」
【ノア】「……こわい?」
【ユナ】「……うん」
その瞬間。
ユナの周囲に、淡い魔力が揺れた。
美咲はすぐに立ち上がる。
【美咲】「ユナ」
【ユナ】「……ごめんなさい」
【美咲】「謝らなくていいよ」
【ユナ】「でも……」
【美咲】「怖いって思っていい」
魔力の揺れが、少しだけ弱くなる。
【美咲】「怖いなら、怖いって言っていい」
ユナの目に涙が浮かんだ。
【ユナ】「……いきたく、ない」
【美咲】「うん」
【ユナ】「ここが、いい」
【美咲】「うん」
美咲は頷いた。
【美咲】「私も、ここがいいと思う」
その言葉に。
リリィが驚いたように顔を上げた。
【リリィ】「……王都に、行かなくてもいいの?」
【美咲】「まだ決まってないよ」
【ノア】「でも、王さまの命令なんでしょ?」
【美咲】「……そうだね」
美咲は少しだけ考えた。
そして、子どもたちに伝える。
【美咲】「だから、今から大人たちで話をする」
【ユナ】「……けんかするの?」
【美咲】「しないよ」
美咲は笑った。
【美咲】「ちゃんと話すの」
【ユナ】「……こわくない?」
【美咲】「怖いよ」
自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。
【美咲】「でも、怖くても言わなきゃいけないことがあるから」
その瞬間。
美咲の胸の奥が、ほんのり温かくなった。
銀色の光が、指先に浮かぶ。
それを見たミアが、小さく笑った。
【ミア】「みさき、あったかい」
【美咲】「……うん」
美咲も笑った。
【美咲】「みんながいるからかな」
四人の周囲に、ほんのわずかな光が灯る。
それは昨日までよりも、少しだけはっきりしていた。
*
昼前。
保護院の会議室には、王都から来た研究員たちが集まっていた。
昨日の男もいる。
その隣には、さらに二人。
一人は王立魔法研究院の紋章を身につけた女性。
もう一人は、移送を担当する騎士だった。
美咲は、レオンの隣に座った。
【王都研究員】「改めて申し上げます。今回の移送は、王命によるものです」
【美咲】「はい」
【王都研究員】「対象となる四名には、王立魔法研究院にて詳細な検査を受けてもらいます」
【美咲】「検査の内容を教えてください」
【王都研究員】「魔力核の測定、魔力循環の解析、適性検査、精神状態と魔力の相関検査。それから――」
女性研究員が紙をめくる。
【王都研究員】「共鳴反応の確認」
美咲の心臓が跳ねた。
レオンも、わずかに目を細めた。
【美咲】「……共鳴という言葉を、どうして?」
【王都研究員】「古い研究資料に記録が残っているためです」
【レオン】「その資料を見せてもらえますか」
【王都研究員】「王立研究院の機密資料です」
【レオン】「……なるほど」
レオンの声が冷たくなる。
【美咲】「じゃあ、ひとつだけ確認させてください」
王都研究員が美咲を見る。
【王都研究員】「何でしょう」
【美咲】「子どもたちが怖がった場合、検査は中止してもらえますか?」
【王都研究員】「必要な検査です」
【美咲】「それでもです」
【王都研究員】「保育士の方には、研究上の判断は――」
【レオン】「俺が判断します」
レオンが遮った。
【王都研究員】「レオン殿?」
【レオン】「検査中止の判断は、俺がする」
【王都研究員】「しかし、王都の研究院としては――」
【レオン】「この数週間、俺もこの子たちを観察してきた」
レオンは静かに言った。
【レオン】「恐怖によって魔力が変化する可能性が高いことも確認している」
【王都研究員】「まだ仮説でしょう」
【レオン】「だからこそ、恐怖状態の子どもを無理に検査する意味がない」
会議室が静かになった。
美咲は、レオンの横顔を見つめた。
以前の彼なら。
きっと「必要なデータを取ること」を優先していた。
けれど今は違う。
子どもたちの気持ちを、研究と同じくらい大切にしている。
その変化が、嬉しかった。
【王都研究員】「……では、条件を付けましょう」
【美咲】「条件?」
【王都研究員】「検査は、子どもたちの状態を見ながら行う。拒否した場合、無理には実施しない」
【レオン】「それなら受け入れます」
【美咲】「……私も」
だが。
研究員は続けた。
【王都研究員】「ただし、移送そのものは予定通りです」
美咲の胸がざわついた。
【王都研究員】「王都での検査期間は、最低でも一か月を予定しています」
【美咲】「一か月……」
【王都研究員】「場合によっては延長もあります」
美咲は、思わず拳を握った。
子どもたちから離れる。
一か月。
それがどれだけ長い時間なのか。
美咲には分かっていた。
この子たちは、ようやく安心して眠れるようになったばかりだ。
ようやく「泣いてもいい」と思えるようになったばかりだ。
ここで積み上げてきたものを。
王都という知らない場所で、失ってしまうかもしれない。
【美咲】「……私も、同行します」
全員の視線が集まった。
【王都研究員】「保育士が?」
【美咲】「はい」
【王都研究員】「研究施設への部外者の長期滞在は――」
【美咲】「部外者ではありません」
美咲は、まっすぐ相手を見た。
【美咲】「この子たちの保育を担当しています」
【王都研究員】「ですが――」
【美咲】「この子たちは、私がいなくても大丈夫かもしれません」
一瞬だけ、言葉に詰まった。
でも。
【美咲】「それでも、私は一緒にいたいです」
それは。
誰かのために自分を犠牲にする言葉ではなかった。
ただ。
自分自身が、そうしたいと思った。
【美咲】「この子たちが安心していられる場所を、一緒に作りたいから」
会議室が静まり返る。
レオンが、隣で小さく息を吐いた。
【レオン】「……俺も同行する」
【王都研究員】「レオン殿まで?」
【レオン】「この件は、俺の研究でもある」
そして。
ほんの少しだけ、美咲を見る。
【レオン】「それに、彼女一人に任せるつもりはない」
美咲の胸が、どくんと鳴った。
*
その日の夕方。
子どもたちには、王都へ行くことが正式に伝えられた。
ユナは不安そうに美咲の服の裾を握っている。
ノアは何度も「みさきも来る?」と聞いた。
リリィは黙っていた。
そしてミアだけが。
窓の外を見ていた。
【美咲】「ミア?」
【ミア】「……おうち」
【美咲】「え?」
【ミア】「おうちが、よんでる」
美咲の背筋に、ぞくりとしたものが走った。
【美咲】「どこにあるの?」
ミアは窓の外を指差した。
けれど。
そこにあるのは、いつもの庭だけ。
【ミア】「……おうち」
【美咲】「王都にあるの?」
ミアは首を横に振った。
【美咲】「じゃあ、どこ?」
ミアはしばらく考えた。
そして。
【ミア】「……しらない」
その瞬間。
庭の奥にある古い石畳から。
淡い銀色の光が、一本だけ伸びた。
美咲は息を呑む。
その光は。
王都の方向ではなかった。
保護院の地下。
さらにその先。
誰も知らない場所へ向かうように。
静かに、地面の下へ消えていった。
【レオン】「……美咲」
【美咲】「はい」
【レオン】「王都へ行く前に」
レオンは光の消えた場所を見つめる。
【レオン】「この保護院について、もっと調べる必要がある」
美咲は頷いた。
そして、ミアの小さな手を握る。
温かい。
確かに。
この子の魔力は、ここにいる。
そして。
何かを知っている。
千年前に消された魔法。
「共鳴」を持つ子どもたち。
王都が彼らを集めようとしている理由。
そして――。
ミアが探している「おうち」。
それらは、きっと。
すべて同じ場所へ繋がっている。
美咲は、静かに決意した。
王都へ行く。
でも、その前に。
この子たちを守るために。
知らなければならない。
この世界が、何を忘れてしまったのかを。
そして。
自分たちが何を、思い出そうとしているのかを。




