消された魔法
翌朝。
研究室に入った美咲は。
机の上に積まれた大量の本を見て、思わず足を止めた。
【美咲】「……増えてません?」
【レオン】「増えた」
【美咲】「やっぱり」
昨夜まで数冊だったはずの古い魔法書が。
今日は机いっぱいに並べられている。
紙の色も。
装丁も。
文字の形も。
すべて違う。
【美咲】「これ、全部読むんですか?」
【レオン】「必要な部分だけだ」
【美咲】「……必要な部分を探すだけでも大変そうですけど」
【レオン】「だから朝からやっている」
【美咲】「寝ました?」
【レオン】「少しは」
【美咲】「……ちゃんと寝てくださいね」
思わずそう言ってから。
美咲は口を閉じた。
レオンがこちらを見る。
【美咲】「……何ですか?」
【レオン】「いや」
レオンはほんの少しだけ笑った。
【レオン】「君も人の心配はするんだなと思って」
【美咲】「しますよ!」
【レオン】「そうか」
【美咲】「……何だと思ってたんですか」
【レオン】「自分より他人を優先する人だと思っている」
【美咲】「……」
図星だった。
美咲は誤魔化すように机の本へ視線を落とした。
【美咲】「それより。『共鳴』って、何か分かりました?」
【レオン】「まだ断定はできない」
レオンが一冊の本を開く。
【レオン】「だが、いくつか気になる記述があった」
【美咲】「どんな?」
【レオン】「千年前より前の文献には、『魔力を抑える』という表現がほとんど出てこない」
【美咲】「……え?」
【レオン】「代わりに多いのが、『整える』『重ねる』『響かせる』という言葉だ」
美咲は目を見開いた。
【美咲】「それって……」
【レオン】「今の魔法教育とは、かなり違う」
レオンは別のページを開いた。
古い文字の横に、現代語で簡単な訳が書かれている。
――心が穏やかなとき、魔力は自然に流れる。
――心と魔力が同じ方向を向くとき、魔力は強くなる。
――人と人の心が重なれば、魔力もまた響き合う。
【美咲】「……これ」
胸がざわついた。
リリィ。
ユナ。
ノア。
ミア。
そして、自分。
今まで起きたことが。
頭の中で一本の線になっていく。
【美咲】「今の考え方と、逆ですね」
【レオン】「ああ」
【美咲】「抑えるんじゃなくて……」
【レオン】「整える」
【美咲】「一人で抑え込むんじゃなくて」
【レオン】「響かせる」
その言葉を。
美咲は何度も心の中で繰り返した。
* * *
午前中。
子どもたちはいつものように遊んでいた。
ノアは積み木。
ユナは絵を描いている。
リリィは絵本を読んでいた。
ミアは。
庭の隅に座って、花を眺めている。
美咲はその様子を見ながら、ふと思った。
――「共鳴」って。
もしかして。
こういうことなのだろうか。
【ノア】「美咲!」
【美咲】「ん?」
【ノア】「これ見て!」
ノアが積み木を持ち上げた。
小さな家ができている。
【美咲】「わあ、上手!」
【ノア】「えへへ」
ノアが嬉しそうに笑う。
すると。
少し離れた場所にいたユナが顔を上げた。
【ユナ】「ノア、すごーい!」
【ノア】「ありがとう!」
ユナも笑う。
その瞬間。
美咲の《観察眼》が反応した。
――精神状態:喜び。
――魔力:安定。
――周囲への魔力影響:微弱。
けれど。
今回はそれだけではなかった。
ノアの周囲にあった淡い光が。
ユナのほうへ、ほんの少しだけ伸びた。
【美咲】「……!」
美咲は息を呑んだ。
ユナの周囲にも。
小さな光が生まれる。
それが。
またノアへ戻っていく。
ほんの一瞬。
光と光が重なった。
【美咲】「……これが」
思わず呟く。
【美咲】「共鳴……?」
けれど。
次の瞬間。
ノアが積み木を崩してしまった。
ガラガラッ。
【ノア】「あ……」
ノアの顔から笑顔が消える。
【ノア】「……失敗した」
肩が小さくなる。
美咲はすぐに立ち上がった。
【美咲】「ノア」
【ノア】「……ごめん」
【美咲】「謝らなくていいよ」
【ノア】「でも、壊しちゃった」
【美咲】「また作ればいいじゃん」
【ノア】「……いいの?」
【美咲】「もちろん」
美咲は積み木を拾った。
【美咲】「ほら。一緒に作ろう」
【ノア】「……うん!」
ノアの顔に。
少しずつ笑顔が戻っていく。
その瞬間。
淡い光も。
ゆっくりと戻っていった。
美咲は。
その光を見つめながら思った。
――魔力を安定させるのは。
何かを我慢させることじゃない。
失敗しても大丈夫だと思えること。
怖くても誰かが隣にいること。
悲しいときに泣けること。
嬉しいときに笑えること。
そういうもの全部が。
魔力を「自然な状態」に戻しているのかもしれない。
* * *
昼食の時間。
子どもたちが食堂へ向かったあと。
美咲は研究室へ戻った。
【美咲】「レオンさん」
【レオン】「何だ?」
【美咲】「さっき、ノアとユナの魔力が……」
美咲は庭で見たことを話した。
レオンは黙って聞いている。
【レオン】「二人の魔力が接触した?」
【美咲】「はい。ほんの一瞬ですけど」
【レオン】「測定器では?」
【美咲】「持ってませんでした」
【レオン】「……そうか」
レオンは考え込む。
【美咲】「『共鳴』って、人と人の魔力が影響し合うことなんでしょうか」
【レオン】「可能性は高い」
【美咲】「じゃあ……」
【レオン】「だが、問題がある」
【美咲】「問題?」
レオンが一冊の本を閉じた。
【レオン】「現代の魔法学には、『共鳴』という現象を説明する理論がほとんど存在しない」
【美咲】「……どうして?」
【レオン】「分からない」
レオンは古い本を見つめた。
【レオン】「ただ、一つだけ分かっている」
【美咲】「何ですか?」
【レオン】「『共鳴』について書かれた記録は、千年前を境に急激に減っている」
【美咲】「……」
【レオン】「そして、その後に増えたのが」
レオンが一枚の資料を差し出す。
――魔力制御訓練。
――感情抑制。
――精神集中。
――魔力暴走防止教育。
美咲は。
しばらく何も言えなかった。
【美咲】「……偶然、なんですか?」
【レオン】「俺は、そうは思っていない」
レオンの声が低くなる。
【レオン】「何かがあった」
【美咲】「千年前に?」
【レオン】「ああ」
【美咲】「だから、魔法の考え方が変わった」
【レオン】「そう考えるのが自然だ」
【美咲】「でも……」
美咲は資料を見つめる。
【美咲】「何があったんでしょう」
【レオン】「それを探している」
* * *
午後。
リリィが一人で庭にいた。
美咲が近づくと。
リリィは何かを隠すように手を後ろへ回した。
【美咲】「どうしたの?」
【リリィ】「……何でもない」
【美咲】「そう?」
【リリィ】「うん」
でも。
美咲には分かった。
リリィの声が少し震えている。
《観察眼》が反応する。
――精神状態:緊張。
――魔力:微弱な乱れ。
【美咲】「何かあった?」
【リリィ】「……ない」
【美咲】「そっか」
美咲は無理に聞かなかった。
隣に座る。
しばらく。
二人で黙っていた。
やがて。
リリィが小さく口を開く。
【リリィ】「……今日、手紙が来たの」
【美咲】「手紙?」
リリィがゆっくりと紙を取り出す。
封筒には。
貴族家の紋章が押されていた。
【リリィ】「お母様から」
【美咲】「……何て書いてあったの?」
【リリィ】「……もっと、頑張りなさいって」
リリィの指が震える。
【リリィ】「魔法の成績が落ちてるから」
【美咲】「……」
【リリィ】「次に帰ったときは、ちゃんとできるようにって」
美咲の胸が痛くなった。
【リリィ】「……私、頑張らないと」
その言葉を聞いた瞬間。
美咲は。
以前の自分を見ているような気がした。
頑張らなきゃ。
迷惑をかけちゃいけない。
ちゃんとしなきゃ。
大丈夫じゃなきゃ。
そうしないと。
誰かに嫌われる。
誰かを困らせる。
自分の居場所がなくなる。
だから。
苦しくても。
笑う。
泣きたくても。
我慢する。
【美咲】「……リリィ」
【リリィ】「なに?」
【美咲】「頑張らなくても、ここにいていいんだよ」
リリィの目が。
ゆっくりと見開かれた。
【リリィ】「……本当に?」
【美咲】「うん」
【リリィ】「失敗しても?」
【美咲】「うん」
【リリィ】「魔法が上手じゃなくても?」
【美咲】「もちろん」
【リリィ】「……頑張らなくても?」
【美咲】「うん」
リリィの目に。
涙が浮かんだ。
【リリィ】「……じゃあ」
ぽろり。
一粒。
涙が落ちる。
【リリィ】「少しだけ……休んでもいい?」
美咲は。
胸がいっぱいになった。
【美咲】「うん」
リリィの魔力が。
ゆっくりと落ち着いていく。
その周囲に。
淡い光が生まれた。
そして。
美咲の指先にも。
銀色の光が灯った。
さらに。
少し離れた場所にいたノアの周囲にも。
小さな光が生まれる。
ユナの光も。
ミアの光も。
それぞれが。
ほんの少しずつ。
リリィのほうへ向かっていく。
【美咲】「……」
誰も。
魔法を使っていない。
呪文も唱えていない。
魔力を操作しているわけでもない。
ただ。
そこにいる。
泣いている子のそばに。
みんながいる。
それだけだった。
そして。
光が。
ひとつに重なった。
* * *
その夜。
研究室。
レオンは一人で資料を整理していた。
今日の記録を書き込む。
――複数の子どもにおける魔力反応。
――感情の安定。
――周囲への魔力影響。
――複数個体間での魔力反応。
ペンを止める。
【レオン】「……共鳴」
その言葉を書いた。
そして。
古い魔法書をもう一度開く。
昨日見つけた文章。
――心が安心したとき、最も自然に流れる。
その下に。
さらに薄い文字が隠れていた。
紙を斜めに傾ける。
光を当てる。
すると。
今まで見えなかった文章が浮かび上がった。
――人は、一人で魔力を完成させることはできない。
――誰かと心を重ねたとき、魔力は本来の形を思い出す。
【レオン】「……」
レオンは息を止めた。
その文章の最後には。
古代文字で小さく。
こう書かれていた。
――子どもたちから、始めよ。
【レオン】「……子どもたち?」
その瞬間。
研究室の扉の向こうから。
かすかな足音が聞こえた。
レオンが顔を上げる。
【レオン】「……誰だ?」
返事はない。
扉を開ける。
廊下には。
誰もいなかった。
ただ。
床に。
一枚の古びた紙が落ちている。
拾い上げる。
そこには。
今の時代の文字ではない。
さらに古い記録が残されていた。
――千年前。
魔法教育が変わった日。
――王都の魔導塔にて。
――「共鳴」に関する研究が、すべて封印された。
レオンの表情が変わる。
【レオン】「……封印?」
紙の最後には。
一人の研究者の名前が記されていた。
そして。
その名前の横には。
小さな銀色の印が押されていた。
その印は。
ミアの周囲に現れるものと。
よく似ていた。
* * *
同じ頃。
美咲は眠れずにいた。
ベッドの中で。
今日のリリィの言葉を思い出している。
――少しだけ、休んでもいい?
【美咲】「……うん」
小さく呟く。
誰に言うでもなく。
【美咲】「休んでいいよ」
自分自身にも。
そう言ってみる。
すると。
胸の奥が。
ほんの少しだけ温かくなった。
指先に。
淡い銀色の光が灯る。
【美咲】「……」
今度は。
驚かなかった。
ただ。
その光を。
しばらく見つめていた。
魔力は。
心を抑えたときに安定するものではない。
もしかしたら。
自分の心を置き去りにしなかったとき。
誰かと心を重ねたとき。
初めて。
本来の力を取り戻すものなのかもしれない。
そして。
美咲はまだ知らない。
自分がこの世界へ来たこと。
ミアの銀色の魔力。
そして千年前に封印された「共鳴」の研究。
その三つが。
やがて一つの答えへと繋がっていくことを。




