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心を抑えるということ


翌朝。


 美咲が目を覚ますと、窓の外は薄曇りだった。


 昨夜、庭いっぱいに広がった銀色の光は、もうどこにもない。


 けれど、不思議なことに。


 窓辺に置かれていた小さな花だけが、昨日より少しだけ大きく開いていた。


【美咲】「……夢じゃ、なかったんだ」


 指先でそっと花びらに触れる。


 淡い銀色の光が、ほんの一瞬だけ指先に灯った。


 そして、すぐに消える。


【美咲】「……やっぱり、私の魔力って変だなぁ」


 そう呟いたときだった。


 廊下から、小さな足音が聞こえてきた。


 ぱたぱた、ぱたぱた。


 扉が少しだけ開く。


【ノア】「みさき、おはよう」


【美咲】「おはよう、ノア。早いね」


【ノア】「うん。……ねえ」


 ノアは、何か言いたそうに美咲を見上げた。


【ノア】「みさきの魔力、昨日よりあったかい」


【美咲】「……え?」


【ノア】「昨日は、ちょっとだけ寂しい感じだった。でも今は……大丈夫」


【美咲】「大丈夫……?」


【ノア】「うん」


 ノアは嬉しそうに笑った。


 美咲は思わず胸元に手を当てる。


 自分では、何も変わった気がしない。


 けれど。


 ――ノアには、分かるらしい。


【美咲】「そっか。ありがとう」


【ノア】「うん!」


 ノアが走っていく。


 その背中を見送ったあと、美咲は小さく息を吐いた。


【美咲】「……私のことも、誰かに見てもらわないと分からないことってあるのかな」


 そんな言葉が、自然と口からこぼれた。


     ***


 朝食のあと。


 美咲は研究室へ向かった。


 扉を開けると、レオンはすでに机に向かっていた。


 その机の上には、昨日見つかった古い魔法書が広げられている。


 黄ばんだ紙。


 擦れた文字。


 何度も修復された跡。


 千年以上前のものだという。


【美咲】「おはようございます」


【レオン】「ああ。おはよう」


【美咲】「昨日の本、読めました?」


【レオン】「……少しだけな」


 レオンは一枚の紙を指で押さえた。


【レオン】「この部分だ」


 そこには、古い文字でこう書かれていた。


 ――魔力は、心を抑えることで安定する。


【美咲】「……これ」


【レオン】「現在の魔法教育の基礎になっている考え方だ」


【美咲】「心を抑えるって……」


【レオン】「怒りを抑える。恐怖を抑える。悲しみを抑える。興奮しすぎない。喜びすぎない。感情を一定に保つ」


 美咲の脳裏に、今まで出会った子どもたちの姿が浮かんだ。


 泣くことを許されなかったリリィ。


 失敗することを怖がっていたユナ。


 弱い魔力だからと、自分には何もできないと思っていたノア。


【美咲】「……それなら」


 美咲は古い紙を見つめる。


【美咲】「どうして、みんな苦しくなってたんでしょう」


【レオン】「……」


【美咲】「心を抑えれば魔力が安定するなら。泣かないようにして、怖がらないようにして、失敗しないようにして……そうやって頑張っていたリリィやユナの魔力は、どうして暴走したんですか?」


 レオンは答えなかった。


 ただ、古い紙をじっと見つめていた。


【レオン】「だから、俺も疑問に思っている」


【美咲】「……」


【レオン】「この理論そのものが、間違っていた可能性がある」


 その言葉に、美咲の背筋が伸びた。


【レオン】「見てくれ」


 レオンは紙の端を指した。


 そこには、別の筆跡で書き込まれた短い文章があった。


 ――本当に、そうなのか?


【美咲】「……これを書いた人は」


【レオン】「分からない」


【美咲】「反論したんでしょうか」


【レオン】「おそらくな」


 レオンは続けた。


【レオン】「だが、その後の記録には、この疑問についての研究がほとんど残っていない」


【美咲】「……消された?」


【レオン】「そこまでは分からない」


 研究室に沈黙が落ちた。


 窓の外では、風に揺れた木々がざわざわと音を立てている。


【美咲】「もし……」


【レオン】「?」


【美咲】「もし、この人のほうが正しかったら?」


【レオン】「……その場合」


 レオンは静かに答えた。


【レオン】「この国の魔法教育そのものを、見直す必要がある」


 美咲は息を呑んだ。


     ***


 その日の午後。


 子どもたちは庭で自由に遊んでいた。


 ノアは石を集めて、小さな家を作っている。


 ユナはその隣で花を並べていた。


 リリィは少し離れた場所で本を読んでいる。


 以前なら、誰かが大きな声を出しただけでリリィは身体を強張らせていた。


 けれど今は。


【ユナ】「リリィー! こっち来て!」


【リリィ】「……うん」


 少しだけ笑って、本を閉じる。


 その様子を見ながら、美咲は胸の奥が温かくなるのを感じていた。


【美咲】「……よかった」


 その瞬間。


 指先に銀色の光が灯った。


【美咲】「あ」


 慌てて手を握る。


 けれど、光は消えなかった。


 むしろ、ほんの少しだけ強くなっている。


【美咲】「なんで……?」


 すると。


【ミア】「うれしいから」


 背後から声がした。


【美咲】「ミア?」


 振り返る。


 銀色の髪が風に揺れている。


 ミアは美咲の手を見つめていた。


【ミア】「みさき、うれしい」


【美咲】「……うん」


【ミア】「だから、魔力も、うれしい」


【美咲】「魔力も……嬉しい?」


【ミア】「うん」


 ミアは当たり前のように頷いた。


 美咲には、その感覚がまだよく分からない。


 魔力は力。


 魔力は才能。


 魔力は鍛えるもの。


 これまでずっと、そう教えられてきた。


 けれど。


 この世界に来てから見てきたものは、その常識とは少しずつ違っていた。


 怖がると暴れる。


 安心すると落ち着く。


 喜ぶと周囲に影響する。


 悲しみを吐き出したあとには、魔力の流れが変わる。


 そして――


 誰かと心が繋がったとき、魔力は温かくなる。


【美咲】「……魔力って」


 美咲は呟いた。


【美咲】「心を抑えるんじゃなくて……心と一緒にあるものなのかな」


【ミア】「うん」


 即答だった。


【美咲】「……そっか」


 その答えが、妙に胸に残った。


     ***


 夕方。


 子どもたちを寝かしつけたあと、美咲は一人で廊下を歩いていた。


 今日は少し疲れていた。


 足が重い。


 頭もぼんやりする。


 けれど。


【美咲】「……大丈夫」


 いつものように呟いた。


 その瞬間。


 足元から、かすかな銀色の光が消えた。


【美咲】「……え?」


 立ち止まる。


 さっきまで灯っていた魔力が、すっと弱くなっていた。


【美咲】「……大丈夫、って言ったのに」


 その言葉を口にした途端。


 自分の胸が、ほんの少しだけ苦しくなった。


 ――大丈夫。


 昔から、そうだった。


 疲れていても。


 悲しくても。


 怖くても。


 誰かに心配をかけたくなくて。


 面倒をかけたくなくて。


 自分が我慢すれば済むなら、そのほうがいいと思って。


 いつも笑って。


 いつも「大丈夫」と言って。


 自分の気持ちを後回しにしてきた。


【美咲】「……私も」


 喉の奥が詰まる。


【美咲】「心を、抑えてたのかな」


 そのときだった。


【レオン】「美咲」


【美咲】「……っ」


 振り返る。


 廊下の向こうに、レオンが立っていた。


【レオン】「こんなところにいたのか」


【美咲】「あ……うん。ちょっと考え事してて」


【レオン】「そうか」


 レオンは美咲の顔を見た。


 しばらく何も言わない。


【レオン】「……疲れているだろう」


【美咲】「え?」


【レオン】「顔に出ている」


【美咲】「そ、そうかな」


【レオン】「そうだ」


 即答だった。


 美咲は少しだけ笑った。


【美咲】「でも、大丈夫だよ」


 すると。


 レオンの表情が、ほんの少し曇った。


【レオン】「……その言葉」


【美咲】「?」


【レオン】「君は、よく使うな」


【美咲】「……」


【レオン】「子どもたちにも、自分にも」


 美咲は何も言えなくなった。


【レオン】「本当に大丈夫なときもあるだろう。だが……」


 レオンは一歩だけ近づいた。


【レオン】「大丈夫じゃないときまで、同じ言葉を使う必要はない」


【美咲】「……」


【レオン】「少なくとも、ここでは」


 静かな声だった。


【レオン】「無理をしなくていい」


 美咲の指先が震えた。


 そこに、また銀色の光が灯る。


 今度は、消えなかった。


【美咲】「……変なの」


【レオン】「何がだ?」


【美咲】「私、子どもたちには『無理しなくていい』って言えるのに」


 美咲は自分の手を見つめる。


【美咲】「自分には、全然言えない」


 レオンは少しだけ目を細めた。


【レオン】「……それなら」


 優しい声が返ってきた。


【レオン】「これから覚えればいい」


【美咲】「……え?」


【レオン】「自分を大切にする方法を」


 美咲は、何も言えなかった。


 ただ。


 指先の銀色の光だけが、静かに揺れていた。


     ***


 その夜。


 研究室では、レオンが一人で古い魔法書を調べていた。


 そして。


 一枚の紙の裏側に、今まで気づかなかった文字を見つける。


 紙を光に透かす。


 薄く残った文字。


 消されかけた記録。


 そこには、こう書かれていた。


 ――魔力は、心を抑えるほど強くなるのではない。


 ――心が安心したとき、最も自然に流れる。


 レオンの目が見開かれる。


 さらに、その下には。


 古代文字で、一つの言葉が残されていた。


 ――「共鳴」。


【レオン】「……共鳴、だと?」


 その瞬間。


 研究室の外。


 暗い庭の片隅で。


 ひとつの花が、銀色に光った。


 そしてその光は。


 眠っている子どもたちの部屋へ向かうように、静かに伸びていった。

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