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賽の目の約束  作者: いち
第1部
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第7話

暗闇の中にぼんやりと意識が灯る。

深い水の底から引き上げられるように、ゆるやかに。

なにか甘い香りがする。


私はまだ……生きている。


背中が柔らかい。

これは、寝台だろうか。


ゆっくりと重いまぶたを開く。


瞬きを重ね、少しずつ明瞭になっていく視界。

石造りの高い天井。

――視界の端に、黒い人影。


「……!!」


エンデだ。

私のすぐ横に立っている。


反射的に体を起こそうとして――

「……うっ」

まったく体が動かない。

途端に、息が苦しくなる。


「動くな」

静かな声。

制するように一度こちらを見た後、すぐに視線を戻す。


エンデは、私のみぞおち辺りを見ていた。

その両手が、鎧越しの腹部にかざされている。

紫とも黒ともつかない色の光が、

手のひらから糸のように私の内側へと延びている。


「……何を」

状況を飲み込もうと、エンデを睨みながら声を絞り出す。

「喋るな」

戻ってきたのは、遮断するような言葉だけだった。


何をされているのか、まるで分からない。

まさか、光の魔力を調べている?

背筋が凍りついていく。


私の不安を察したのか、

エンデは視線を動かさないまま口を開いた。

「……この破片が散ったままでは、何をしても動けない」


破片……?

それを聞いて、体の奥へと意識を向けてみる。


私の中であの時に弾けたものが、エンデの糸で繋がれていくのを感じる。

そのひとつひとつが結ばれるにつれ、痛みが和らぎ、呼吸が楽になっていく。


思わず、エンデの顔を見た。


だって、これは……治療にしか見えない。


「……なんで、ですか?」

戸惑いが、声に出る。

待ってみても、返答はなかった。


私は息を短く吐いて、周りに視線をやった。

見たところ、ここは戦っていた広間とは別の部屋のようだ。


壁の高い位置にある小さな窓が、月明かりで青白い。

部屋の数か所に、魔法の明かりと思われるランプが吊るされている。

質素な机の上には、見たことのない器具や厚い本が積み重ねられ、別の棚にも本がぎっしりと詰まっていた。

実験室だとか、医務室だとか……そんな印象の部屋。


「……ふ」

ふいに、エンデが小さく息を吐いた。


エンデの手のひらに、私の中に繋がっていた線がするりと集まっていく。

最後の一筋が途切れると、エンデは腕を下ろした。


……もう、痛みがない。


私のその様子を見て、エンデは腕を押さえながら背を向けた。


「無謀なことをしたな」

何かを片付けているのか、器具の触れ合う小さな音がしている。


「命を削る術など使うな」


静かな声色が、少し怒りを孕んでいる気がする。

本当に、意味が分からなかった。


「そんなこと、あなたに言われる筋合いはありません……」

掠れた声で続ける。

「世界のためです……」


エンデが振り返り、私を見る。

怒っているとも、呆れているともつかない目。

「……愚かだ」


エンデは再び私の側へ戻ってきた。

ふいに、カチャリ、と金具の音がする。

エンデの手が鎧の留め具に触れていた。


「……え?」

反射的に体を起こそうとするが、まだ起き上がれない。

「――何をする」

私の声など無視するように、淡々と金属が外れていく。


「ここからは、邪魔だ」

少しずつ軽くなっていく防具に焦燥感を覚え、

思わず魔力を使いそうになる。


「やめろ。死にたいのか」

被せるように強く言われ、何もできず言葉が詰まる。

いたたまれなくて、唇を噛んだ。


やがて、最後に外された胸当てが床に置かれる。

乾いた音が響いた。


保護服の下の、薄い綿の衣だけになる。

エンデは躊躇うことなく、衣の隙間からその手を滑り込ませた。

静かにみぞおちの部分へ直接触れる。

「……っ」


他人の冷たい指の感覚に、息が止まる。

触れられた場所から、何かが流れ込んでくる。


冷たい――闇の気配がする。


「やめて!」

紫がかった靄は、私の奥へ奥へと流れていく。

必死に抵抗しようとするが、力が入らず腕が上がらない。


「暴れるな」


ふと、体の奥で何かが変わる。


――温かい。


「……え?」


苦しくない。

あんなに冷たかったはずなのに。


理解できず、エンデを見る。


エンデは、伸ばしたままの自らの手を見ていた。

「貴様はどこまで死に急ぐのだ、魔力を空にするなど」


感じる。


私の中で、魔力が転換する気配。


注がれるエンデの黒い靄が、私の中で透明になって。

私の力と触れて、光に変わって溶けあっている。


そうやって、空だったはずの場所が、静かに満たされていく。

魔力の戻り。ノアラの治療とはまた違う。

驚くほど、穏やかな感覚だった。


呼吸が落ち着いたのを見て、

エンデは触れたまま、そばにあった簡素な椅子を引き寄せ、腰かける。


私は目を閉じた。


満たされていくことが。怖い。

行き場のない混乱が胸に広がる。

鎧をはがされ、寝かされて、屈辱で涙が出そうなのに。

エンデの魔力に癒され、あろうことか温かい。


整理のつかない感情が、渦を巻くように胸の奥をかき乱していく。


「私を、どうしたいんですか」

言葉が震えながら、こぼれる。

「あなたはどうして、私を殺さないの……」


エンデは私の顔を一瞥し、

すぐに視線を戻した。


「均衡だ」

ぽつりとエンデは口にした。


「貴様が死ねば……」


そこで、エンデは言葉を切った。


私は、決して目を合わせようとしないエンデの顔を見ながら、言葉の続きを待った。

均衡と言われ、特に思い当たることなんてなかった。


でも、エンデはそれ以上語らない。


「……ここまでだ」

エンデは触れていた手を離し、立ち上がりながら呟いた。

「治療は終わっていない。そこを動くな」


ふと、エンデの白い首元に、細い線が走っているのが見えた。

「あ、首の……」


私が意識を失う前に付けた剣の傷。

思わず声に出すと、エンデは思い出したようにそこへ触れる。


「ああ。このようなもの傷のうちにもならん」

そう言うと、エンデは背を向けた。


石の床に響く靴音が遠ざかる。

閉じた扉を、私はしばらく見つめていた。


一人残された部屋は静かだった。


ぼんやりと天井を見上げる。

まだ、体は思うように動かなかった。


結局、何も分からないままだ。


ただ。

触られていた場所も、注がれた魔力も、

まだ体の奥に残っていて――温かい。


抗えない眠気が、ゆっくりと押し寄せる。

まぶたが落ちていく。


意識が、静かにほどけていった。


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