第5話
リネ村に戻ったのは、城を後にしてから1日近く過ぎた頃だった。
夜が明け、また日が傾こうとしている。
体が重い。ひどく眠い。
傷は、ほとんどないのに。
今日も村の人々の視線を受けながら、広場を抜ける。
野菜売りの店主が不満げに何か言っているけれど、頭に入ってこない。
ふと顔を上げると、民家の前にノアラがいた。助手の女性も一緒にいる。
ちょうど、診療所から患者を送ってきたところのようだ。
「……ルミナ様?」
ノアラが、駆け寄ってきた。
私の顔を見て眉をひそめた。
「どうなさったのです?外傷は少ないですが……」
手をかざす。
「……魔力の消耗が激しいですね。さぁ、診療所へ行きましょう」
斜光が差し込む待合室には、誰もいない。先ほどの患者で最後だったようだ。
私は鎧のまま、診療所の椅子にもたれかかるように座った。
心地よいハーブの香りがする。
ノアラは診療室へ向けて指を動かす。
ふわりと飛んできた数枚の紙を手に取ると、それを助手の女性へと手渡した。
「アルさんにはこっち、メイさんには、これを持って行ってあげて。
済んだら今日は上がって頂戴ね」
ぼんやりとノアラが忙しそうにしているのを見ていると、診療所の扉が鈴の音をたてて開いた。
「勇者のおねえちゃん」
小さな声に、振り向くと、あの女の子が立っていた。
「あ……」
力の抜けていた体を正す。
不安そうに、こちらを見ている。
「お花……つよくなかった?」
頭の髪飾りと、ぼんやりと開いた私の目を交互に見て、しょんぼりとうつむく。
胸の奥が、少しだけ痛む。
「そんな顔しないで」
私はほほ笑んで、女の子の頬に両手を触れた。
「このお花、強かったよ」
女の子が顔を上げる。
「ほんと?」
「うん。悪い奴、このお花怖いって言ってた」
少しおどけて見せると、女の子が、ぱっと笑った。
「ほら!つよいでしょ!」
私は、できる限りの笑顔で頷いた。
女の子は満足そうに頬をゆるめると、「また来るね!」と言い残して、ぱたぱたとドアの外へ駆けていった。
私は指を見つめた。
触れた女の子の頬が、思いのほか痩せていた。
「みな、……満足に食べられているのですか?」
私はドアに体を向けたまま尋ねた。
小瓶の触れ合う音の合間に、ノアラが返す。
「……ええ。不作ではありますが、王都からの配給もありますから」
「少ないのでは?」
「……私から、掛け合ってみます」
ノアラは私の横に来て、私の手を取った。
「さあ。ルミナ様、お待たせしました。治療室へ」
鎧を外した後、ノアラの指示で私はゆっくりと個室のベッドへ横になる。
視線を天井へと移す。
いつもの木の梁。白い漆喰。
ノアラは私の顔に斜陽が当たっているのに気づき、クルリと手首を廻す。
カーテンが閉じると、ほんの少し薬草の香りがした。
私は静かに息をついた。
ノアラは、私の周りに桃色の石を等間隔に置いていく。
「じっとしてくださいね」
赤茶色の本を片手に、もう一方の手を私へとかざす。
呼応するように石が淡く光り始める。
やがて、温かな光がじわりと体に染み込んできた。
「……あったかい」
見たことのない術だった。
体の奥の深いところが満たされるような、初めての感覚。
ノアラは小さく頷いて、本を閉じる。
それから洗面台へ向かい、丁寧に手を洗った。
「魔力を戻す術よ。少しは元気になるはず」
「……やはりだいぶ削れていましたよね。
帰りの森で魔物と遭遇したのですが、光刃を出しただけですごく疲れてしまって。
結局、剣技で仕留めたんです」
「……ルミナ様、いくらなんでも魔力を使いすぎですよ。
命に関わるというほどじゃないけれど……お気をつけにならないと」
「あれは……魔王の技です」
私は、小さく呟いた。
「……魔力を削られて、全然動けませんでした。あいつの目の前で、膝をついて……それなのに」
「また、とどめを刺してこない、と?」
「はい……」
ノアラの背中に問いかけた。
「どうしてなんでしょう」
「分かりませんよ、魔王の考えることなんて……」
ノアラが林檎を剥いている。
シャリ、と小気味よい音。
しばらくして、切り分けられた林檎がそっとそばの机に置かれた。
「ルミナ様。勝って聞くしかない……ですね」
「……はい」
本当に耳が痛い。
昨日、やっと刃が届きかけたのに。
それよりも大きな力でねじ伏せられた気分だ。
あの魔王が、何をしたいのかも分からない。
私には、殺す価値すらないというのか。
村の森にも魔物が現れ始めている。
土地も荒れてしまっている。
ここで暮らす人たちに大きな被害が出る前に、本当に急がないと。
……それなのに、この手はいつも、地についてばかりだ。
両手で、ゆっくりと目を覆った。
期待だけを背負って、結局何もできていない。
情けなくて、自分の弱さが嫌になる。
「……本当に、私で良かったのでしょうか」
ぽつり、と呟く。
ノアラは手を拭いていた布を脇に置き、すぐ近くの椅子に腰かける。
「ルミナ様」
丸みを帯びた手が、ゆっくりと私の髪をなでた。
「あなたはこのノアラと、先代レオヴァルト様が選んだ、光の加護を受けたお方。
どうか、そんなことおっしゃらないで下さい。
4年前、ご立派に崩壊の魔王を討たれたではありませんか」
「……ええ、……でも、間に合わなかった」
「ルミナ様……」
あの日。
力の継承後、私は魔物討伐隊と共にタハル市へ向かった。
初めての勇者としての実戦の日。
私が王都を発ち、山岳へ向かった直後だった。
背後で、地を裂く音がした。
砂が流れ落ちるような体。
それは、姿をくらませていた、崩壊の魔王グラディウスだった。
割れた地面から、巨体が地表へ足を踏み出す。
その出現と共に、背後の山が轟音を立てて崩れ落ちた。
私の見送りに立っていた師レオヴァルトは、
崩壊の中へと消えていた。
私はグラディウスを斬った。
叫び声と共に崩れ落ちるその巨体を、言葉もなく、ただ見ていた。
この力なら――
師の果たせなかった役目も、すぐに果たせる。
そう強く信じていた。
私は目を覆っていた両手をゆっくりと体の横に下ろした。
深く呼吸をして、心を落ち着かせる。
「……先生に叱られるな。こんなんじゃ」
「ふふ、諦めないのがあなたの強みでしょう。何度でも立ち上がり、剣を交える」
ノアラは子供にするみたいに、私の髪をずっと撫でてくれている。
「……そうかもしれません。……そうだ」
私はふと、あの違和感を思い出して、ノアラを見た。
「そういえば、あの魔王と剣を交えた時、妙な感覚を覚えるのです」
「妙?」
「相手の力も、私の光の力も、すっと、静まるような……」
ノアラの手が、わずかに止まった。
少し、視線が外れた気がする。
それから、いつもの穏やかな声で言う。
「……気のせいですよ。お疲れなのです」
ノアラはそう言って、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。大きくて、あたたかい手。
私は「もう」と笑って、小さく睨む。
なんとなく、ごまかされた気がするけれど。
「ほら。あなたの力を信じてくれる子もいるわ」
そう言って、ツンと髪飾りに触れる。
「似合っていますよ」
ノアラはほほ笑み、ゆっくりと立ち上がった。
「さぁ、私は少し買い出しに行ってきますね。ルミナ様は、ここでお休みください」
「はい。……ありがとう」
ノアラは穏やかな笑みを残したまま、部屋を出ていく。
私は、ゆっくりと目を閉じる。
「カメリアか……」
口の中で転がす。
あの魔王は、これを見てそう言った。
花の名前を口にするなんて。
まるで人のよう――
思考を断ち切るように、奥歯を噛みしめた。
胸の奥が、ひりつくようにざわつく。
頭の中が落ち着かない。
そういえば、死んだ魔王の遺品を集めたりしていたのも気になる。
あんな風に置いていると、弔っているようにすら見えた。
考えすぎだと思うけれど。
いったい、なんのつもりなのだ。
魔王のくせに。
剣を交えた時の感覚も腑に落ちないまま。
いつも不可解な言動ばかり。
できるはずなのに、私を殺そうとしない。
私は、まぶたの裏に浮かぶ闇色の瞳を振り払えずにいた。
誰か、教えて。
私は、何と戦っている――
掛け時計の小さな鐘が淡く光り、時を告げ、美しい音を響かせる。
はっと目を開いた。
私はゆっくりと息を吐き、髪飾りに触れた。
そうだ。私は、力を与えられたこの国の剣。
知りたいなんて、思わなくていい。
ただ、敵を打ち払う。
それで、いい。
勇者なんだから。




