第4話
私は、魔王城の前で空を見上げた。
空は昼間だというのに、鈍色の雲で重たく薄暗い。
リネ村から魔王城までは、
荒廃した街や、それより先の魔物の多い森林を進まなければならない。
足を運ぶだけでも、体力を使ってしまう。
黒い鉄の城門を通り、開いたままの大扉を抜けて城内へ進む。
もはや、警戒している様子など微塵もない。
静まり返った廊下と階段を過ぎると、扉のない石の門が暗い口を開けている。
私は踊り場で立ち止まり、確かめるように髪に触れた。
村の女の子にもらった、小さな花の髪飾り。
ここへ来る道すがら、何度も頭の中で戦いを反芻して、動きを確認してきたんだ。
短く息を吐いて、玉座のある広間へと踏み込んだ。
静まり返った空気。
紫がかった明かりが、両側に灯った。
――エンデが、玉座にいない。
でも、気配はする。
今まで、こんなことなかったのに。
私は剣を構えながら、少しずつ広間の奥、玉座の方へと歩みを進める。
左右に並ぶ巨大な柱が、闇に溶ける天井まで伸びている。
辺りを見回しながら、台座の段を上がってみる。
いつもエンデが座っている場所。
どこか異質な、漆黒の玉座。
初めて近くで見るけれど、無駄な装飾もなく、無機質に感じる。
ふと玉座の奥の台に目をやると、何かが並んでいることに気づいた。
暗がりに、ゆっくり近づいてみる。
そこには、砕けた仮面や折れた杖、見慣れない文字が並ぶ厚い本があった。
他にも、武器の破片のようなものがいくつか。
「気味が悪い……」
嫌な感じがして、後ずさる。
けれど、乱雑に放られているわけではない。
どちらかというと、丁寧に……
「そう言ってくれるな」
突然、背後で声がした。
急いで振り向くと、玉座の横にエンデが腕を組んで立っていた。
しまった、気づかなかった。
私は広間の中央へと動き、距離をとる。
「……あれは他の魔王の残骸だ。
貴様が斬ったグラディウスのものもある。
捨て置いて人間に拾われても癪だろう」
エンデはそのまま、残骸に目をやった。
「役には立たないが」
私はエンデを睨む。
「そんなこと、聞いていない」
そんなものを集めて、勇者への憎悪を膨らませているとでも言いたいのか。
「戦え」
エンデはうんざりしたようにため息をついて、こちらを見た。
「勝手に物色しておいて、なんだ貴様は」
ふと、視線が私の髪に向けられる。
「……カメリアか」
淡々とした声。それは、もらった髪飾りの花の名前だ。
「……あなたの口から、花の名前が出るなんて」
驚きを隠せないまま言うと、エンデは鼻で笑った。
「俺を、知恵のない獣か何かだと?」
「少なくとも、花に興味はないかと」
「偏見だな」
言い終わると、エンデの瞳が深い紫色に光った。
――来る。
私は剣を構える。
エンデは腕を上げた。
闇が、瞬時に床を這い寄ってくる。
横へ体を翻してかわす。
足を止めず、そのまま前へ踏み込んでゆく。
「――聖光斬!」
光をまとった剣を、一直線に振り下ろす。
エンデの闇から現れた剣が、それを無音で受け止めた。
剣がぶつかり合い、火花のように光が散る。
息が触れそうなほど、距離が近い。
間髪入れず、何度も斬りこんでいく。
……おかしい。
こんなにも、激しく剣を打ちつけているのに。
時折、力が静まるような感覚に陥る。
まるで凪いだ海のような――。
「……まただ」
思わず声が漏れる。
「あなたと刃を交えると、力が静まるような」
剣で押し合いながら、目が合った。
闇色の底の知れない、静かな瞳。
「ああ」
エンデも口を開いた。
「……妙だ」
足元に気配――
私は地を蹴って、後ろへ下がる。今いた場所に闇が沸き立った。
「今日は、かわすか……」
神経を研ぎ澄まして、攻撃の軌道を追う。
転がってかわす。闇の刃が空を裂く。
続けざまに身をひねる。背後の空間が消える。
ギリギリで避けながら、見極める。
そう。この攻撃の後だ。
わずかな隙が生まれる、その一瞬。
――今だ!
「光刃!!!」
体の回転を止めずに剣を振り払い、光の刃を放つ。
閃光が闇を裂き、エンデの首元へと走る。
――届く、そう確信した瞬間。
鋭い金属音がして、光刃の軌道が弾かれた。
「……危ないだろうが」
剣で防がれてしまった。
音の余韻が広間に響く。
「……やはり首……そこは、切れるのですね」
腕も足も通らなかった攻撃。
防いだということは、急所。
私は唇を噛んだ。……もう少しだった。
「……理解が早いな。だが」
エンデは闇の剣を下ろす。
「だからどうした」
急所を知られても動じていない。
その余裕に、こちらが焦燥する。
私はまた剣を握りしめた。
「次は、防がせない!」
「無駄だ」
エンデは手をかざした。
「ぐっ、……!」
反応が遅れた。
かわす間もなく、片足に闇が絡みつく。
「――静滅」
エンデが、短く告げた。
重力が増したような感覚。
体から力が抜けていく。
「……っ!?」
剣を振り上げようとした腕が、思うように上がらない。
魔力が、薄れていく。
体の奥を直接掴まれるような、凍てつく感覚。
こんな攻撃、知らない。
「何、これ……!」
「暴れるな」
エンデが手をかざしたまま、ゆっくり近づいてくる。
「貴様の力を、削っているだけだ」
「……削る?」
「少し届きかけた貴様が、調子に乗らぬように……絶望がいるだろう?」
エンデが目の前にいる。
首が隙だらけだ。
私は歯を食いしばり、なおも剣を振るおうとした。
でも、やはり腕も足も動かない。
視界が揺れ、今すぐにでも意識を失いそうになる。
膝が床についた。
それでも、剣だけは離さない。
「……戦わないんですか」
霞む視界の中で、エンデを見た。
喉の奥から、なんとか言葉を絞り出す。
「戯言を」
エンデは私を見下ろし、わずかに眉を寄せた。
「今日はここまでだ。……貴様はまた、来るのだろう」
黒い外套を翻し、エンデが背を向ける。
遠ざかる気配。
その声を最後に、私は意識を手放した。
***
背中に冷たい石の感触。
目を開けると、視界に映ったのは魔王城の外壁。
辺りが真っ暗になっている。
戦ったのは、昼間だったのに。
夜風が頬を刺す。
私は、ここで気絶していたのか。
深く、息を吐き出した。
まただ。
また、生きたまま外に出された。
何も答えない城を一瞥する。
その静寂が、惨めさになって喉へ込み上げてくる。
近くに落ちていた剣を引き寄せる。
届きかけたのに……まだ、遠い。
ここにきて、知らない技。
魔力を削ると、エンデは言っていた。
体に大きな傷はないけれど、
言葉通り、魔王と戦うだけの魔力は残っていない。
「ノアラに……診てもらうしか」
気だるい体を無理やり立ち上がらせ、私はまた、村へ戻るほかなかった。




