第3話
森を抜け、魔王城から最も近い村に辿り着いたのは、翌日の日暮れだった。
大きく息を吐いて、小川にかかる橋を渡る。
近頃、森の中の魔物は、比較的村に近いところまで出没するようになった。
今のところ、村が魔物に直接襲われるようなことはまだないけれど。
王国の戦士なら、数人いれば魔物を押さえることはできる。
それなのに、この村には巡回の兵が時折立ち寄るのみ。
以前は、王国の兵が常駐していたのに。
王国は、4年前のグラディウスの件で、街道が寸断されたままとなっているからだと説明していた。
ともかく、村を守るには心許ない状態が続いていた。
橙色に照らされた村の広場を過ぎる。
人々の家には明かりが灯り始めていた。
鍋を煮込む夕餉の匂い、子供の笑い声。
この村の日常は、まだ壊れていない。
そろそろ、足が限界だ。
私はこの村に1軒しかない宿の扉を押した。
「ただいま、戻りました」
私の声に、ひょろりと背の高い女主人が振り向いた。
鎧の傷、裂けた外套に、血の跡。
談話スペースで会話をしていた、宿泊客の商人たちの顔が引きつった。
女主人は、何も言わずに私を奥へ引っ張った。
「あんた……酷い成りじゃないか。治療が先だね」
そう呟くと、つかつかと玄関口へ向かい、扉を開いた。
「誰か!ノアラさん呼んどくれ!!」
村の大通りに向かって、驚くような大声で呼びかける。
宿の入り口が騒然としたが、しばらくして聞き慣れた声が聞こえてきた。
「通してくださいな」と言いながら、その人は、奥にいた私を見つけ小走りに駆け寄る。
彼女は、ノアラ。
年の頃は五十ほど。ふくよかな体つきの女性。
目にはやわらかな光が宿っている。
「まぁまぁ、こんなに……」
私の腕をそっと取る。
「ルミナ様、なぜすぐに診療所へいらっしゃらなかったのですか」
私は少しだけ視線を落とす。
「すみません、鎧を置いてから、と」
「……とりあえず、あなたのお部屋へ」
ノアラは私に肩を貸しながら、宿の狭い階段を上り、部屋へ向かう。
そうして、私を部屋のベッドに仰向けに寝かせるや否や、その手で鎧越しに触れた。
淡い桃色がかった光が、私を包み込んだ。
じわりと、体が温かくなる。
魔王の闇とも私の光とも違う、優しい魔力。
少しずつ痛みが引いていく。
痛みに堪えていた私の顔が緩んだのを見て、彼女は鎧を外しにかかった。
私はノアラを見上げる。
「……すみません、また、あの魔王を……」
「勇者様、謝らないでください」
小さな声で、また勝利を得られなかったことを告げる。
そんな私を見て、彼女はいたわる様にほほ笑んだ。
「あなたが戦ってくれるから、私たちはここにいられるんですよ」
ノアラは、ヒーラーだ。
私の傷を何度も繋ぎ止めてきた。
彼女はもともと王国所属のヒーラーなのだが、エンデ討伐命が私に下った時、共にリネ村に来た。私の専属ヒーラーとして。
ノアラはこの村に医者がいなかったことを憂い、自己資金で診療所を設け、そこで暮らしている。
彼女は村の医者としての一面も担っていた。
ここの人々からの信頼も厚い。
部屋での応急処置が終わると、ノアラは診療所へと帰っていった。
その帰り際、夕食をとったら診療所に来るようにと、ノアラに釘を刺されていた。
城から落ちた時、だいぶ骨折していたらしい。
それにしても、ノアラのあの顔。
今日はやけに治りが遅いですねと、わざとらしく言っていた。
帰路の森の中、魔物を退治してまわっていたことに、気づいていたようだ。
「怒られそう」
私はひとりで苦笑いして立ち上がり、部屋を出る。
ノアラは優しいけれど、怒ったら怖い人なのだ。
そう、本気で私を叱ってくれる、たったひとりの人。
私は階段を下りて、宿の1階に併設された食堂へ入った。
にぎやかだった客の話し声が、一気に小さくなる。
私は軽く笑顔を作った。
そして、オーダーを済ませて窓際の端の席へと座る。
「また、ボロボロになって帰ってきたらしいわよ」
「あの子、本当に崩壊の魔王を倒したのかね」
いくらこそこそ話されても、聞こえるものは聞こえる。
ふと、斜めの席の男性と目が合った。
小さく笑って、会釈をする。
彼は慌てて魔力で指先に火を灯し、それで煙草に火をつけ、そそくさと余所を向いてしまった。
私は視線を窓の外へ向けた。
ぼんやりとしたまま、料理の運ばれるのを待つ。
治療をしている間に、いつの間にか暗くなっていた街の通り。
今年も穀物が不作だったらしい。
年々土地が痩せていっている。
王が言っていた。これも、魔王の力の影響らしい。
人々が、不安を抱えることは当然のことだ。
だから、私に向ける不満だって分かる。
数年かけても、まだ、最後の魔王を倒せない。
そんな勇者、なんだから。
ふと、気配を感じて振り向く。
「勇者のおねえちゃん」
となりに、小さな女の子が立っていた。
私に向かって、両手を差し出している。
「これ、あげる。これ、付けたらもっとつよくなるよ」
差し出されたのは、小さな白い花の髪飾りだった。
カメリアを模したものだろうか。
粗い糸で編まれているが、丁寧に作られている。
魔力の気配がない。
「これ、自分で作ったの?」
「うん!!」
女の子は胸を張る。
「魔法じゃないんだよ。ちゃんと編んだの!」
思わず、笑みがこぼれた。
「……ありがとう。大変だったでしょ」
私はそれを受け取り、そっと髪に留める。
「どうかな?」
私が微笑むと、女の子が嬉しそうに笑った。
「かわいい。明日も、がんばってね」
「……うん」
私は、頷いた。
その後女の子は、どこからともなく飛んできた母親に手を引かれていった。
母親は、見えなくなるまで私に頭を下げていた。
一般の人も、少し練習さえすれば誰でも魔力を使える。
火や水を扱うように、魔力は人々の生活に溶け込んでいる。
髪飾りを、魔力を使わずに手編みしてくれるなんて。
私は、あどけないやさしさと期待を噛みしめるように、小さく息を吐いた。
そうしているうちに、食事が運ばれてきた。
煮込みと、黒いパン。
湯気が立ち上る。
ひと口、口に運ぶ。
「……おいしい」
体に温かさが戻ってくる。
村人たちは、必要以上に話しかけてこない。
ノアラ曰く、それは暗黙の了解、らしい。
期待も祈りも、口にすればあなたの重荷になるから、と。
食事を終えると、私は診療所へと歩き出した。
もう、だいぶ良くなったのだけれど。
私は空を見上げた。
今日は月が出ていない。星がチラチラと瞬いている。
初めてエンデと対峙した夜の声が、ふと蘇る。
『貴様が最後のひとりか』
『……貴方もそうでしょう』
あの時、武者震いしながら、そんなことを言い放ったのを今でも覚えている。
私は髪飾りに触れた。
小さな花。
屈託のないあの子の笑顔。
明日もがんばってね、と言ってくれた。
その言葉通り、私は城へ向かう。
剣を振るい、叩き伏せられる。
それでも、挑まないと。
光を使える勇者は、私しかいない。
私に残されているのは、もう、それしかない。
診療所が見えてきた。
窓辺にいたノアラが、私に気づいて小さく手を振った。




