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賽の目の約束  作者: いち
第2部
26/27

第15話

黒いドレスの女は、私たちに温度のない微笑みを向けた。


「私は、ネブラ。躁渦の魔王」


ゆっくりとこちらへと滑るように歩み始める。


「せっかく人間の消えたこの美しい空気で、世界を閉じられると思ったのに――」


高く美しい声が途切れたその時、ネブラの姿がまた細かい黒い粒へ変わり、渦になった。


「また汚れる。また汚れるわ」

声だけが、辺りに響き渡る。

一瞬のうちに、広がった渦にナギと一緒に巻き込まれた。


思わずナギの手を握る。

視界が一気に暗くなった。

生暖かい風が吹きつけ、巻き上がった砂が黒い闇を纏って、一気に私たちの全身を叩く。

「ぐっ」

「きゃあああ」

砂が当たった場所が、刺すように痛い。

まるで、刺さった場所から内側に食い込んでくるみたいだ。


私は必死に剣を突き出し、あの白い揺らぎで前方からの黒い砂を防ぐ。

そのままナギの手を引っ張った。

「ナギさんも!」

「ああ!」

私と背中合わせになったナギが、片手を突き出した。

ナギが揺らぎを展開し、私たちに注ぐ砂の大半が弾かれていく。

先ほどまでの刺すような痛みが、徐々に引いていく。


息をついたその時、

「お前たちは勇者なのか?」


真横からあの美しい声がした。

ネブラがすぐ側に、立っている。

ナギよりも頭ひとつ分高い身長――真っ赤な目で、私たちを見下ろしている。


反応する間もなく、後ろにいたナギが地面に蹴り倒された。

「ナギさ――!!」

振り向いた瞬間、

ネブラに至近距離で黒い塊を腹に打ちつけられた。


視界が周り、私は吹き飛ばされるように高く宙を舞う。鈍い痛みで息が詰まる。

ナギがネブラに踏まれているのが見えた。

地面に、真っ逆さまに落ちる。

「ツバキ!」

ナギがこちらに手のひらを向けた。

黒い影が紐のように空中に伸び、私の体に巻き付いた。

それに支えられて、私はなんとか地面に足をつける。

「……な、ナギさ」

息がうまくできずに、膝をつく。


「……同族?まさか」

ネブラがナギを見つめた。

「いや、違う。また別の魔力か。答えなさい。その力は何?」

「知らねぇよ、勝手に出たんだよ」


ナギはネブラに胸を踏まれたまま砂の上で動けず、歯を食いしばって睨んでいる。

大の字に広がった体は、ネブラの見た目とは釣り合わない重さに押し潰されているようだった。


「うっぐ、」

私はようやく痛みをこらえて立ち上がり、剣を抜いた。

鞘を投げ捨て、ナギを踏んでいるネブラへと突っ込む。


「ナギさんから、離れろ!!」

ネブラに向かって全力で剣を振り下ろしたが、剣がその体をすり抜ける。

剣先が砂へとめり込んで、体が情けなくよろけた。


「アハハ。威勢のいいこと。つがいかしらね」

ネブラはにやりと口元をゆがめた。


「ツバキ、いいから!距離とれ!はやく――」

ナギが言い終わらないうちに、背後から激しい地鳴りが響いた。

洞窟からだ。

体勢を整えながら振り返った瞬間、

巻き上がる砂煙の向こうから、あの茶色の胴体が姿を現す。


イグナだ――


ネブラはゾッとするような笑みで、一度だけ私の方を見た。


その腕が渦に変わり、ナギを持ち上げた。

イグナに向きなおる。

「イグナ、――ごはんよ」


私は手を伸ばす。

「――だめ!!」

白い揺らぎで、ナギを――


展開しかけたその時、

洞窟から出てきたイグナが、一瞬でナギの体に噛みついた。


ナギは短く声をあげた。

果実がつぶれたみたいに、ボタボタと血が降ってきた。


あ、嘘……。


ナギは、そのままイグナの口から上半身を垂らした。


「アハハハッ!!」


ネブラがこちらを振り向いた。


「あら、面白い顔ね」


一瞬、すべての音が遠のいた。

私の奥底から、白い熱が込み上げる。

体が、痛みを忘れた。


両手で剣を、強く握った。

黄色の光が、剣の表面を纏うように走る。


そのまま、ネブラに剣を振り抜いた。

「あっ」

切っ先の光を見たネブラの顔が引きつり、

剣先をギリギリで体勢を崩しながらかわす。


私はイグナの方を向きなおる。

「……返せ!!」

叫び声と共に、私の足元から這い出た黒い影がイグナへと一直線に走る。

影がイグナを縛り上げた瞬間、尾の先がねじ切れた。

イグナの顎が、凍りついたように止まった。

「……え」

間抜けな声を漏らす化け物めがけて、私は地面を蹴り出す。

「あああああ!!!」

光を纏った剣を、イグナの体に並ぶ白い目へと、がむしゃらに突き刺した。

どす黒い液体が、生温かいしぶきをあげて噴き出す。

私は止めることなく、刃を突き刺し続けた。

「い、いたい! いたい!」

イグナが巨体を激しく悶えさせ、悲鳴をあげる。


その時に開いた口から、ナギの体が離れた。

凄まじい反動と共に、イグナの唾液と、ナギの赤黒い血が周囲に飛び散る。

それは音を立てながら、すぐ側にいたネブラの顔へと降りかかった。


「ナギさん!!」

落ちてくるナギの体を、私は必死に白い揺らぎで受け止める。


ネブラは動いていないようだった。

その隙にナギを引きずるようにして、距離を取る。

動かない。息をしているのかも、分からない。


「イグナ……私が与えた餌を吐き出したの?私の顔に、何してくれてるの?」


別人のようなネブラの声が、おぞましい風の音のように響き渡る。


「……使えない雑魚め」

「ごめんなさい!ネブラ!ごめんなさい!あああ」

イグナの鋭い叫び声がする。


振り向いた時、イグナの巨体が内側から弾け飛ぶようにバラバラに砕け散った。

黒い砂の粒子へと変わった残骸が、そのままネブラの体へと吸い込まれていく。


「汚い……」

ネブラは顔を拭うと、空中に漆黒の大きな鏡を創り出した。自分の顔をじっと見つめ、念入りに整えている。


その狂気じみた静寂が、やがてこちらへと向けられた。

笑顔も美しさもほどけ、激しく憎悪をみなぎらせていた。


「……お前たちは、楽に死なせてやらない」


ネブラの体が、また渦になっていく。


「痛みに耐えかね、殺してくれと嘆くがいい。

苦しめ。この世界が滅ぶまで!!」


私たちを巻き込んで、空へと大きく黒く広がっていく。

私は握りしめていた剣を、迷わず砂の上に放り出した。

剥き出しの体で、仰向けのナギの上にかぶさる。

黒く塗りつぶされた砂が巻きあがり、あらゆる方向から打ちつけてくる。

焼けた針で突き刺すような痛みが、体の表面に襲いかかる。

「ぎゃあああ!!」

先ほどと比べ物にならない激痛。


私は必死に、背後に白い揺らぎを展開する。


砂がバチバチと音を立てて揺らぎにぶつかっていく。

大半は跳ね返っているものの、揺らぎの隙間からすり抜けた砂が私を刺し続けた。

ナギに当たらないなら、それで良かった。


「……ナギさん!」

私はナギの顔を見る。

反応がない。

口から血が垂れて、目を閉じてぐったりしている。

腹と右足には、大きな牙に噛み裂かれた無残な傷があった。


洞窟で治してくれたように、震えながらナギの腹の傷に触れた。

「お願い……光……出て。おねがい!!」


トクリと心臓が鳴った。

呼応するように、白い光が手に集まり、ナギの体に流れる。


それでも、癒えるよりも出血が多い。追いつかない。

「だめ!もっと……もっと早く!!」

光の流れをできる限り強くする。

願えば願うほど、ナギに力を注ぐほど、背後の白い揺らぎが薄れていく。

「ああ、もう!」

私は、背後の白い揺らぎを――完全に、掻き消した。


砂が一気に私を襲う。

叩きつけられる激痛。

ナギにできるだけ砂が当たらないよう、この身で受ける。

背中が、頭が、足が、おかしくなりそうなくらい痛い。


白い揺らぎで使っていた力も、ナギの腹の傷へと全力で注ぎ続ける。

体の中心から、どんどん何かが抜けていくような気がする。

それでも、かまわなかった。

せめて、この心臓に近い傷だけは。早く。


「がんばれ……ナギさん!」

痛みと不安で、ボロボロと涙が出てくる。

「……死なないで」

縋るように祈るように、私のすべてを注ぐ。

「お願い、もう……ひとりにしないで」


「う」

ナギの口から息が漏れた。

「ナギさん!?」


やがて、ゆっくりとナギの目が開く。

痛みを堪えるように歯を食いしばりながら、周囲に目をやった。

辺りの真っ黒な渦と、私の顔を見て理解したように掠れた声で言った。

「……ツバキ……もう、止めていい。……早く自分守れ」

「まだ治ってない!」

惜しまず、体の力をどんどん流し込む。

ズキン、と胸の奥が軋むように痛み始める。

「う……う、」

歯を食いしばる。

ナギが小さく首を振って、私の手首を掴んだ。

「ツバキ、本当だ。腹はもう塞がったから。

このままじゃ、お前が削れる……」

「……私は大丈夫。次、足治すからね」


ナギの右足に触れて力を流し込もうとした時、光が指の間から蒸発するように消えた。

「――っ!!」

それと同時に、私の視界が真っ白に弾けた。

胸の奥がえぐれるように痛い。息がうまくできない。

そのままナギの上に倒れこんだ。


「ツバキ、大丈夫か……!」


ナギが私の横から腕を伸ばして、白い揺らぎを広げてくれた。

でも、途端に呼吸が乱れ始めた。

無理してるに決まってる。

揺らぎが不安定に波打ち、その隙間から黒い砂が次々と入り込み、私の四肢を刺していく。


「ナギさん……無理しないで」

「うるせぇ、場所変われ」


ナギが足の痛みに耐えながら、私の上へとかぶさった。

揺らぎの隙間から容赦なく吹き込んでくる黒い砂を、体で遮るように。

視界がナギの体で覆い隠される。

「ごめん、ありが……と」

声を出すのもつらい。


さっきから、体がおかしい。

体の内側が干からびて、中心に向かって割れていくみたい。

呼吸をするたびに、声が出そうな程痛い。

頭がおかしくなりそうだ。

「あと……もう少しだけ耐えるぞ」

ナギの声だけを頼りに、なんとか精神を保つ。


空からネブラの声が降ってくる。

「ああ、まもなくだ……すばらしい。

みな、見えるか……我らの願いが叶うぞ」


ナギの肩越しに見えた空は、どす黒く色を変えている。

そして空が……落ちてきている。

まるで、巨大な砂時計がひっくり返ったかのように。

天そのものがネブラへと吸い込まれるように近づいていた。


「……っ」

耳元でナギが息を漏らした。

手が震え、白い揺らぎが霧のように空気に消え去ってしまう。

「ぐっ」

黒い砂が無数に降り注ぐ。

あの地獄みたいな激痛を、ナギがすべて引き受けている。

「……ナギさん」

ナギの顔が苦痛に歪む。

でも、私には揺らぎを展開できるほどの力がもう、ない。


「……ちょっと、集中切れただけだから……ぐっ」

そんなこと言って、もう、まともに展開できていないじゃないか。

ナギもギリギリなんだろう。


空っぽだ。

どこもかしこも痛くて、酷くなるばかり。


目がぼやけてくる。

……もう無理。


「あと、なんぷん……」

「……5分か、10分」


私は絶句した。

絶望だ。

1分だって耐えられない。


もう、いっそのこと。


ナギの胸が顔にあたって、ふと、その中にあるものに気づいた。


「……ナギさん。それ、貸して」

ナギのジャケットに手を添えた。

「銃」

息が震える。

「……楽にして」


ナギが一瞬、言葉を失った。


「……何言ってんだよ。あと少しだろ。な、俺がお前も治すから黙ってろ」

「もういい!!」


悲鳴のようにナギの言葉を遮った。

私のみぞおちに伸びた、ナギの手が止まった。

酷く困惑したナギの瞳が、私を見つめている。


「……もう、いいよ。治さなくていい。

ナギさん。もう、力、ほとんど残ってないんでしょ。

それに、生き延びたところで、会えるとは限らないよね。

それならもうさ……楽になろうよ。

死んで、生まれ変わって、嫌な記憶も全部忘れて。

そしたら、また、偶然会えるかもしれないでしょ」


涙が次から次へとこぼれては頬を伝い、耳を濡らしていく。


「お願い、早く。……それで私を助けて」


ナギは一度、目を閉じた。

唇を噛んで、ゆっくりもう一度まぶたを開く。


何も言わず、

ナギの手が私のみぞおちに触れる。


淡い光。

じんわりと、あたたかい力が体に流れ込んでくる。


「……ナギさん?」

「俺は……」


ぽつり、と。ナギから雫が降ってきて、私の頬に落ちた。


「俺はもう、誰も諦めたくない」


驚いて見上げた暗闇の中。


ナギの頬を、流れ星みたいな雫がひと筋伝っていく。

分からない。それが汗なのか、それとも違うものなのか。


もうひと粒、あたたかなそれが私の頬に落ちた。


「お前を、楽にしてやれない」

「なんで……」


「もう二度と、お前を忘れたくない」


私の内側が、熱を帯びて音を立てた。


「俺は、俺のまま次の世界に行って、お前を探したい」


ナギの手から、声から、やさしい紫の瞳から伝わってくる。

全部、全部、伝わってくる。


乾いた胸の中がゆっくりと満ちて、少し息が、できる。

あたたかくて苦しくて、涙が、とまらない。


「……だから、俺と一緒に行こう」


ナギは、まっすぐに私を見つめた。


そんなの、ずるいよ。


私はナギの頬に触れた。

雫のあとを指先でなでて、小さく頷く。


そっと自分のおでこをナギの額に当て、瞳を閉じる。


この体の熱も、いま分けてくれている力も。

ゆっくり彼へと返していく。


「うん。一緒に行こう」




――その時

黒い渦がピタリと動きを止めた。

舞っていた砂の粒が、力を失い、雨のように地面に落ちる。


静まり返った空間の向こうに、ネブラが立ち尽くしていた。

「……早い」

ぽつりと呟き、

一歩二歩進むと、崩れるように膝をついた。 


「なるほど……取り込んだ分、加速したのね。いいわ……いい……」

 

口元がゆっくりと歪み、恍惚とした顔で上を向いた。


「ああ……閉じる」



その瞬間、

ネブラの体が一気に地面にめり込んだ。

真っ黒な大きな穴になって渦を巻いていく。


周りの景色がグニャリと曲がり、糸のように引き延ばされ、渦潮の様にその穴に飲み込まれていく。


空も、砂も、大地も、すべて。


瞬く間に、私たちの足元、周りすべてが黒くなった。

衝撃に、すべてをかき消される。


音もない。風も何もない。

目も見えないし、呼吸さえ感じない。

体がどうなったのか、分からない。


私とナギの、触れ合っている肌から互いを循環する、わずかに残った――この、あたたかい白い光だけ。


それだけが分かる。


最後に、意識の底で感じたのは、そのぬくもりだった。



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