第14話
視界が猛スピードで逆流し、地面が目の前に迫る。
叩きつけられる寸前、必死に展開した白い揺らぎが私たちの体を包み込んだ。
地面を激しくかすめ、転がるようにしてどうにか着地する。
後ろの方で、崩れた瓦礫が音を立てて落ちていく。
「大丈夫か?」
土煙が収まると、ナギがすぐに起き上がって私の顔を見下ろす。
頭がクラクラする。
私がなんとか頷き返すと、ナギはすぐに顔をしかめて周囲を見る。
「……ここ、暗いな。なんだこの臭い」
辺りは白く霧が立ち込め、ガスのような匂いがする。
「ツバキ、あんまり吸い込むな。腕は大丈夫か?出血が……」
「う……いたい……」
ナギに支えられながら、体を起こすのがやっとだった。
右腕が燃えるように熱いのに、出血のせいで背筋に悪寒が走る。
ナギが私を抱きとめたまま、周囲を見回す。
「穴がある。……洞窟か、あそこ行くぞ。あの剣はもういいよな」
瓦礫の隙間に落ちているルミナの剣。
私は、手を伸ばした。
「いや。……置いてかない」
「……分かったから」
ナギが剣を拾ってベルトに挟み込み、そのまま背を向けてしゃがみこんだ。
「早く」
私はそのまま、ナギにおぶわれるように背中に体を預けた。
真っ暗な洞窟の中へ足を踏み入れる。
「……よし、いくらか匂いマシみたいだな」
洞窟の大きさはナギの背より少し高いくらいだった。
ナギはスマホのライトをつけて、奥へ進む。
地上とは打って変わって、少し湿ったような空気。
進むにつれ、あのガスのような匂いが無くなっていく。
「追ってきてるかもしれねぇ、奥に行こう。もう少し頑張れ」
ナギは横目で振り返りながら、急ぎ足で進む。
洞窟は湾曲しているのか、先が見えない。
それでも、進行方向から風が来ているような気がする。
「……ここならいいか。下ろすぞ」
しばらく進んだところで、ナギが足を止めた。
「すぐ見るからな」
ナギが壁に剣を立てかけた。
その横にゆっくりと下ろされ、私は固い洞窟の壁に体を預けた。
ナギは私の腕を掴み、スマホで照らしながら顔を近づける。
すぐに、表情がこわばった。
「……これ持てるか」
スマホを差し出される。
「こう照らして」
私は頷いて、震える手で光を向けた。
赤く染まった右腕のブラウスは、穴が開いている。
濡れた袖口から、血がぽたりと雫のように落ちた。
ナギがジャケットを脱いだ。その拍子に煙草の箱が転がり落ちる。
そういえば、最後に吸ってたのいつだっけ。
余裕なんて一つもないのにぼんやりと、そんなことがよぎる。
ナギは煙草を一瞥もしないまま、脇に付けていた銃のホルスターを外し、ベルトを引き抜く。それを私の腕の付け根にきつく巻いた。
「うっ!」
痛みで声が漏れる。
「ごめん。……くそ、俺がちゃんと庇ってれば」
ナギの指が、腕の傷の近くに触れた。
その時だった。
ナギの手のひらから、白い光が霧のようにこぼれた。
スマホの青白いライトをかき消すように広がったそれは、ゆっくりと私の腕を包んでいく。傷口にじわりと、光が集まった。
「なにこれ……」
体温みたいに、あたたかい。
私は目を見張った。
淡い光の中、痛々しかった腕の傷が少しずつ埋まっていく。
「嘘……すごい。痛みが引いてく……」
「ほんとか?」
ナギは食い入るように私の腕を見つめ、それから安堵したように息を吐いた。
「そっか、よかった……何が何だか、わかんねぇけど」
「すごいね、魔力って。こんなこともできるんだ……」
私は、淡く光っているナギの手を見つめて呟いた。
「……でもこれ、すげぇ体力、削れる気がする」
ナギの珍しい力の抜けたような声。
やっぱり、魔力も万能ってわけじゃないのか。
慌ててナギを止めようとする。
「え、無理はしないでよ」
「大丈夫。ちょっと流れ、抑えるわ」
ナギが手元を見つめると、光がほんのりと薄くなった。
「なにそれ。順応、早いって」
私は、思わず苦笑いした。
洞窟内は静かだ。
どこからか来る風の音と、ナギの腕時計の秒針の音だけが聞こえる。
私は、元来た方向の暗闇を見つめた。
「……あの蛇のやつ、来てないね?」
「ああ。このまま気づかれないといいんだけどな」
「ナギさん、あと、何分くらい? 世界の終わりってやつまで」
ナギが腕時計を見る。
「……もうすぐ30分経つ。あと半分だ」
半分か。
私はナギの顔を見た。
「もしかしたら、なんとかなるかも。こうやって傷も治せるしさ。もし追いつかれても、あの白いので防げたし。ナギさんは、さっき変な黒いの出してたし」
「あれ、なんだったんだろうな。あいつの動きを止めたくて。必死で、それだけだった。あれもけっこう疲れたけど」
ナギが思い返すように、片手を見る。
「……もっと制御できたら、なんとか生き残れるかもしれねぇな」
「うん。そんな気がしてきた」
「……そういや。あいつが言ってた『最後に灯す』ってのも、こんな感じじゃねぇか?」
ナギが、私の腕に視線を向ける。
この傷を治してくれている、淡く白い光。
確かに、灯すというのなら、あの揺らぎよりかは合っているのかも。
分からないけど。
「ねぇ、どうやってるの? それ」
ナギは私の質問に、少しだけ間を開けて答えた。
「……お前を死なせたくないって思って、そのまま……なんだよその顔」
「……ふーん?」
「ちげぇよ。やり方を教えてんの。お前もやってみろ」
「無理だよ、ナギさん怪我してないもん。でも……ありがとう。もう大丈夫だよ。ほら見て。血、止まってる」
ほとんど傷が分からなくなった右腕を見せると、ナギの口元が少し緩んだ。
「すげぇな、この力。これなら、傷を残さないでここから出られるかもな」
ナギが腕から手を放した。
淡い光が消えて、スマホの光だけになる。
そのままナギは、止血のために巻いた私の腕のベルトを外し始めた。
傷を残さないで、ここから出る。
そうだよね、ルールあったよね。
「ねえ……」
「ん?」
「連絡先、交換しよ」
「……」
「名前、入れておきたくて」
スマホなんか、この先も使えないってことは分かっている。
でも。
ナギは黙ったまま、辺りに放っていたホルダーやジャケットを、また身に着けなおす。
かきむしるような焦燥感が、胸を締める。
「ねぇ、ナギさん。この世界から抜け出せたとしても、一緒にいられるって限らないんだよね。別々の世界に飛ばされるかもって」
「……言ってたな」
ナギは衣服を整え終えて、私の隣に座った。
「そんなのさ……もう、会えなくなるじゃん」
「分かんないだろそんなこと」
ナギと目が合わない。
「だって、どんくらいの確率なのよ」
「知らねえよ」
「……っ」
目が熱くなる。
なんでそんな落ち着いてんの?
言いかけた言葉を、唇を強く噛んで押し込めた。
私の息が詰まるのを感じ取ったのか、ナギがこちらを向いた。
そんなこと、言えない。
だって、私たちの関係って……
うつむいた。
「……ごめんなさい。おかしいですよね。
出会って数日しか経ってないのに、……ごめん。
私だけ……こんな……。なんで……」
涙を必死にこらえる。
「離れたくない……」
「……」
ナギが黙って私を抱き寄せた。
そして、唇を合わせる。
ただ触れるだけの、静かな重なり。
唇を離したナギと目があった。
かすかに、ナギの息が震えている。
「勝手に……距離とるなよ……」
そう言って、腕の中に私を強く閉じ込めた。
私は、何も言えなくて、ナギの肩に頬を寄せる。
肩越しに、転がったままの煙草の箱が見えた。
思い出した。
私が咳き込んだ、あの時からだった。
私の前で吸わなくなったのは。
最初は、あんなに吸ってたくせに。
ぎゅっと、ナギの背中に腕をまわした。
涙で、目の前がぼやけていく。
世界の終わり。
本当にくるなら、せめて、それまでこのまま。
どうか、お願い。
――祈るように心の中で呟いた、その時だった。
静寂を、不気味な地鳴りが切り裂いた。
足元が鈍く揺れる。
「えっ」
地震――いや、違う。長い。止まらない。
ギュリギュリと、入口の方から何かを削るような音が響いてくる。
音がどんどん近づいている。
私は涙を拭い、ナギを見る。
「何の音?」
「俺見てくる」
ナギが立ち上がる。
私も剣を掴んで慌てて後を追おうとした。
「もう少しかなぁ」
――ぞくり、と背筋が冷える。
あの蛇、イグナの声だ。
来てる。
あの音……まさか、洞窟を削りながら?
「嘘でしょ……」
思わず後ずさる。
「走れるか?」
「うん」
ナギが背を向けるのと同時に、私たちは洞窟の奥へと走り出した。
スマホの光を頼りにしばらく走ると、遠くに光が見えた。
「よかった……外に繋がってる!」
息を切らしながら、ふたりで外へ飛び出す。
そこは、海が干上がったみたいにひび割れた、砂だらけの広い荒野だった。
相変わらず空はおかしな色をしていた。
熱い風と冷たい風が交互に吹きつけ、砂を巻き上げる。
振り返ると、今出てきた高い山肌の裂け目が口を開けている。
イグナの姿は見えない。
「どこに隠れる?」
「とりあえず、あの岩陰に行こう」
ナギが指差した場所へ向かって、私たちは走り出した。
その時。
ふいに、目の前で空気が歪んだ。
黒い線がぐるりと円を描く。
次の瞬間、細い竜巻が巻き上がった。
砂が叩きつけるように舞う。
周囲の空気をすべて吸い込むような風圧に、私たちは堪らず腕で顔を覆いながら後ずさる。
――その円の中心に、女が立っていた。
真っ黒なドレス。
長い髪が風にほどけて揺れる。
真っ赤な口紅。真っ赤な瞳。
ぞっとするほど、美しい。
視線が、こちらを捉えた。
「……イグナが言っていた、残骸ね」




