第13話
浮遊感が消え、硬い地面の感触が足の裏に突き上げてきた。
強く目を瞬く。
真っ白な空間は消え、視界に広がったのはあの不気味な空と知らない景色。
あの巨大な蛇の姿はない。
ここは、先ほどまでいた城ではないようだ。
かつて街だったのか、崩れかけた建造物の残骸が広がっている。
ナギが隣にいる。
私は少しだけ、安堵のため息を漏らした。
「大丈夫?」
「ああ、お前も大丈夫か?」
「うん⋯あの人が、私たちを別の場所に連れてきたのかな」
空に漂う闇の渦を眺めながら、私は必死に現状を飲み込もうとする。
「……かもな。見ろよ、あれ」
ナギが指さす方に、崩れかけた王城がある。
「とりあえず、あそこに隠れとくか。1時間やり過ごそう」
私は頷いた。
ナギと並んで、城へと続く亀裂だらけの石畳の道を歩き出した。
緑の気配はない。あらゆるものが乾き切っている。
周りの建物は屋根を失い、壁だけが辛うじて立っている感じだ。
少し離れた場所では、白っぽい黄色の棒のようなものが山積みになっている。その隙間で、古びた布切れが音もしない風に揺れていた。
「本当に……世界の終わり、みたい」
目を逸らしながら呟く。
言葉にした途端、門番の言葉が現実味を増して脳裏に浮かんだ。
「……ほんとなのかな、さっきの話。生まれ変わりだとか」
なんとなくナギの顔を見ずに、聞いてみる。
「俺も信じられねぇけど……常識なんか、あてになりそうにねえし」
否定も肯定もせずに、口を濁している。
ナギも混乱しているんだ。
そして、ナギはため息をついて空を仰いだ。
「しかし……最後に灯せって、どうやってやるんだよ」
「ほんとそれだよね。あの白い揺らぎのことかなぁ。……あ、入り口」
重たそうな城の扉は、片方が外れて倒れている。
ナギが先に足を踏み入れ、私もその後に続いた。
中の空気は少しだけひんやりとしていた。
広い廊下に足音が響く。
ところどころ崩れてはいるが、天井はまだ残っていた。
壁には装飾が施され、その欠けた破片が足元に散らばっている。
やがて視界が開けた。
広い空間。
大きな広間だったのだろうか。
高窓は割れ、あの不気味な空が見える。
壁に掲げられていたであろう旗は、色がほとんど抜け、裂けて垂れている。
壁沿いに、いくつもの額縁が並んでいた。
人物画だ。
王や貴族だろうか、似たような構図の肖像が続いている。
その中に、少しだけ雰囲気の違う1枚があった。
豪奢な衣装ではない。
白い装束に、剣を手にした女性。
思わず足が止まる。
額の下に、小さなプレートが取り付けられている。
『勇者ルミナ――大賢者の系譜の加護のもと、魔王討伐を成し遂げし者』
「……ルミナ」
トク、と胸が鳴る。
隣にナギが並んだ。
同じく肖像画を見上げている。
「……この人なのか。ちょっと似てるな、お前に」
「え、似てるかなぁ」
この人がきっと、昔の私なんだろう。
そこにある顔は、私よりもずっと美しかったけれど。
「昔のナギさんが、全部かけて遺したんだよね。この人のことを」
ナギが、少しだけ視線を落とした。
「……そのためなら、自分なんてどうなってもいいって思うんだよな」
私は思わず、彼のシャツの袖をきゅっと掴む。
「……ダメだから、もう、そういうの」
「分かってるよ」
私は、肖像画へと視線を戻した。
魔王討伐だとか。
彼が遺したこの世界で、英雄みたいに語られて。
「……ねえ。ルミナは、闇がなくなった世界で、普通の女の子に戻れたと思う?」
もし剣を置けても、全部を忘れるなんてできない。
彼女の記憶がそうさせない。
笑っているけど、本当は一緒にいたかったよね、きっと。
私はただ、ほほ笑むばかりの肖像画を見つめる。
ナギは何も言わなかった。
目を伏せると、その下にはガラスに覆われた台座。
中には、1本の剣が納められていた。
「……これ」
私は吸い寄せられるように手を伸ばす。
思ったより重い。鞘から半身だけ、抜いてみる。錆びてはいない。
「持っていく」
「どうすんだよ」
「……なんか、役に立つかも」
ナギが困ったように肩をすくめた。
「無理すんなよ」
パラ……と、上から砂ぼこりが落ちた。
視界が暗くなる。
見上げると、天窓いっぱいに、白いものが並んでいた。
――目だ。
認識した瞬間、血の気が引く。
目が、瞬きもせずに、全部こちらを見ていた。
「さがしたよぉ」
あの蛇の声。
「ひっ!」
「――こっちだ!」
剣を握ったまま、ナギに手を引かれて廊下へ戻る。
さっきまでいた場所に、天井が崩れ落ちた。
石が弾けて、背中に風圧が叩きつけられる。
「また逃げるの?」
屋根の上を、何かが滑る気配。
ついてきている。
「めんどくさいなぁ、ハハハハっ」
――ドンッ。
目の前の天井が内側にめり込み、前方の廊下が塞がった。
「う、っ」
「ナギさん、あっち!」
私は反対側の出口を指す。
「外は危ねえ!」
「でも、ここ潰れる!」
壁に音を立ててヒビが走る。ナギが舌打ちして外を見た。
「くそ! 仕方ねぇ、出るぞ!」
また上から衝撃。天井が崩れ、廊下ごと沈む。
私たちは転ぶように外へ飛び出した。
背後の土煙の中で、茶色の鱗がうごめいている。
「待って……地面、崩れてる!」
足を踏み出しかけて止まる。
その先は、崖だった。霧が立ち込めているのか、底が見えない。
「追い詰めたよ」
声に振り返る。
背後は崖。前には化け物。
紺の舌が口の周りをなぞる。
「ぼくは蝕刃の魔王、イグナ。さぁ、美味しく食べてあげるからね!」
次の瞬間、大きな頭が真っ直ぐこちらへ突っ込んでくる。
顔に風が叩きつけられる。
前へ出ようとしたナギを、私は思わず横に押し飛ばした。
そのまま手のひらをイグナへ突き出す。
「止まれーっ!」
喉が裂けるくらい叫ぶ。
その途端にカッと体が熱くなり、手のひらの先へと流れる。
あの白い揺らぎが広がった。
牙がぶつかり、すんでのところで食い止まる。
「ツバキ、お前……」
「……出た……!」
自分でも、信じられない。
でも、崖の方にすごい力でズルズルと押されていく。
「ツバキ!こっち来い!」
私はイグナを食い止めながら、ナギが示した街の方へ走り出す。
次第に集中が切れて、揺らぎが消滅してしまった。
「逃さないって」
イグナが大きく口を開いた。
唾が弾けるように飛び散り、鉛玉のような勢いでこちらへ襲いかかる。
「さっきのあれ出せ!」
「っ!? 出ない……!」
私はかわしきれず、右腕を次々と撃ち抜かれた。
骨まで響くような衝撃と激痛。
悲鳴を上げながら転んだ。
「次はそっちだ!」
私に駆け寄ろうとするナギへ、イグナが再び無数の飛沫を放った。
「うっ! くそ!」
ナギが咄嗟に肘を上げた。
空気が歪んで白い揺らぎが立ち上がり、玉を弾いて散らす。
「……これか!」
ナギは防ぎながら私を見る。
「立て!ツバキ!」
立てない。右腕に力が入らない。
ブラウスが血で真っ赤に染まっていく。
「……防がれちゃった。いいや、こっち先に食べよ」
イグナが大きく口を開けて、私に迫る。
無我夢中で、左手で剣を突き出した。
応えるように、黄色い光がその刃に沿って一気に広がり、牙とぶつかる。
イグナの目が一斉に動いた。
「勇者の剣か」
けれども、ギリギリと音を立てて押し返してくる。
「っ……!」
このままじゃ、腕が……
イグナがにやりと目を細める。
「出来損ないの変な魔力……腕ごと潰してあげる!」
「やめろ!」
ナギの鋭い声が響く。
それに呼応するように、ナギの足元の影が音もなく広がった。
生き物のように地面を這い、漆黒の帯がイグナの体に絡みつく。
「闇の魔力……? いや……違う」
イグナが、驚いたようにわずかに身を引いた。
私はその隙に、剣を杖にしてなんとか立ち上がる。
ナギがすぐに私を引き寄せた。
あの影を出しているせいか、ナギの呼吸が乱れている。
「お前も出せるか? あの黒いの。まずい、このままじゃ破られる」
「黒いの? ……分かんない、出せない!」
「なんなんだ、さっきから。光でも闇でもない。ああもう、うっとうしい!」
イグナが苛立ったように尻尾をぶん回す。
地面に亀裂が入り、足元が崩れた。
視界が大きく回転する。
「ああああっ!!!」
ナギに掴まれた手を強く握ったまま、私たちは崖下へと真っ逆さまに落ちていった。




