第7話
車のエンジンが、静かに止まる。
ライトが消え、視界が暗くなった。
立体駐車場。無機質なコンクリートに囲まれた空間。
遠くで別の車のライトが揺れ、白い光が柱をなぞって消える。
もうすぐ、時間だ。
私は渡されていたマスクを顔につけた。
視界の端で、ナギが紙袋から何かを取り出し、ジャケットの内側へと入れている。
カチャリ、と金属音がした。
「……降りるぞ」
私はその隣でシートベルトを外した。
ドアを開けると、少しひんやりとした空気が流れ込んでくる。
蛍光灯は半分ほど消えていて、白い光が途切れ途切れに床を照らしている。
歩き始めたナギの後ろを追う。足音が、甲高くコンクリートに響いた。
ナギがこちらを振り返る。
「離れるな」
私は頷いて、その背中の近くへと駆け寄る。
それを確認すると、ナギはまた前を向いた。
A市中央通り。
私たちは、人の流れに紛れていく。
週末なのもあって、人の往来は絶え間ない。
頭上の街灯モニターの映像が、次々に色を変えながら光る。
笑い声。信号のメロディ。行き交う車のヘッドライト。ネオンの光。
ビルと人の熱がこもったような空気の中を歩く。
今日は受け取り当日。
まもなく、約束の時間。この通りで行われるとナギは言っていた。
ここA市はサクの管理下の街だ。すれ違う人たちはこちらを見向きもしていないのに、見られているような気がしてくる。
「離れるな。何かあれば言え」と、ナギから念を押されている。
車で待つことも提案したが、何かあった時に間に合わないと却下された。
ふと、ナギが足を止める。
顔を上げると、「金券ショップ」と書かれていた。
華やいだ店の並びの中で、そこだけ時間が止まったような古びた店構えだ。
ナギは私を一度見てから、ドアを押した。
軋むような音を立てて、扉が開く。
中に入ると、さっきまでの喧騒が嘘みたいに静まっている。
ガラスのショーケースの中には、まばらに商品が並んでいるだけだ。
こもった空気が、わずかに鼻につく。
奥から、丸い眼鏡をかけた線の細い老人が出てきた。
にこにこと笑っているが、どこか感情が読めない。
「お客さん。予約番号、あるかな」
「E0915」
ナギが番号を口にする。
「……はい。定刻通りだね。よろしい」
待ってなさい、と言って、老人は狭い棚と棚の間に消えていった。
「……サク君が、探しているみたいだよ」
「……」
知り合いなのか。そもそも、敵なのか。味方なのか。
じりじりとした沈黙に、息が詰まりそうだ。
ほどなくして、老人がよく見るお土産の小さな紙袋を持って戻ってきた。
「商品だよ。全部入ってる」
「ああ」
ナギは私に背を向け、紙袋の中を確認した。パラパラと紙の音がする。
「確かに」
ナギはそう言って、外を一瞥してからドアを開けた。
「まいど」
老人の声が後ろから聞こえる。
思わず会釈をして、私もナギの後を追った。
通りを歩きながら、私はほっと息を吐いた。
受け取り、終わった。
拍子抜けするくらい、あっという間だった。
来た道を戻るように、駐車場に向かって歩いていく。
通りは、さらに活気を増しているように見える。
飲食店や、車の排気ガスの入り混じった匂いの中、信号が変わると、人の波に押し戻されそうになる。
ナギと距離を詰めないと。
そう思った矢先、正面から誰かと肩がぶつかった。
「すみませ――」
振り返った瞬間、マスクが引き剥がされた。
「え」
目の前に男が立っている。
私を見て、にやりと口を歪めた。
「見つけた」
腕が掴まれた。
そのまま、後ろへ強い力で引きずられる。
恐怖で体が固まりそうな中、必死に手を前に伸ばす。
前を歩くナギの背中が、遠ざかっていく。
待って……待って……。
「ナギさん!!」
声に出した瞬間――
ナギが、止まった。
一瞬、彼の姿が人の影で隠れた。
その時に、視界の端で何かが動く。
腕を掴んでいた男の体が、横へ弾かれた。
ドン、と鈍い音。すぐ近くの壁に、男の顔が叩きつけられる。
掴まれていた手が外れた。
「走れ!」
ナギに手を引かれ、そのまま走り出す。
足がもつれそうになる。それでも、止まれない。
「待て!」
後ろから怒鳴り声が飛ぶ。追ってくる気配が増えている。
怖い!!
人にぶつかりながら、全力で足を動かす。
強く握られたナギの手、それだけを頼りに前に進む。
「こっち」
引かれるまま、脇道へ。一気に視界が暗くなる。
駐車場だ。
そのまま、スロープへ駆け込んだ。ナギの手が離れる。
「上だ、先走れ!」
言われるがまま車用の坂を走る。すぐ後ろにナギが続く。
罵声と足音が迫ってくる。振り返る余裕なんてない。
息が苦しい、心臓が飛び出そうだ。
走っても走っても、まだ足音が離れない。
3階に駆け上がった時、乗ってきた車が見えた。
「止まれ!」
階段の蛍光灯の下、前から男が1人走ってくる。
足が止まった。
後ろも、もうすぐそこまで来ている。
ナギが前後に視線を走らせ、後ろの2人を睨む。
「持ってろ」
紙袋を押しつけられ、それを反射的に抱きとめた。
ナギが男たちへ走る。
1人の懐に踏み込み、短い打撃音。
「ぐっ」
男の体が折れ、そのまま崩れた。
バチバチとスタンガンの音をさせ、もう1人が横から飛び出す。
ナギが体を返し、肘を男の顔に叩き込む。
男はよろめき、後ろへ倒れた。
「死ね!」
すぐに足音が迫る。階段から来た男が、今度は私に向かってくる。
何か光った。
あ――。
声になる前に、ナギが間に割り込む。
鈍い衝突音。金属が床に跳ねる。
「う、くそ……」
男の声。気づけば、ナギは男の顔を床に押さえつけていた。
「来い!」
ナギにすぐに手を掴まれ、引かれるまま車へ向かう。
後ろで、男が立ち上がる気配がする。
立ち止まらずドアを開け、紙袋を抱えたまま助手席に倒れ込んだ。
同時に、運転席のドアも閉まった。
エンジンがかかり、そのまま急発進。圧力に、体がシートへと押しつけられる。
つんざくようなタイヤの音。男の影をかわし、スロープを一気に下る。
「待て!」
後ろから、まだ声が飛んでくる。
出口のバーが見えた。減速しない。
「え――」
バキっと乾いた音とともに、バーが跳ね上がる。
車に走る衝撃。けたたましく鳴り響く警告音。
それを置き去りにするように、車は通りへと飛び出した。
耳の奥で高く耳鳴りが響く。
バックミラーの向こうで、人々が振り返っているのが見えた。




