↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
賽の目の約束  作者: いち
第2部
17/27

第6話

いいにおいがする……。

これは。珈琲?


目を開いた。

見慣れない白い天井。


……ああ。そうだった。


ゆっくりと体を起こす。少し離れたところに立っているナギがこちらを向いた。

「起きたか」

「……はい」


……最悪。思い切り、寝起きの顔を見られた。


窓際の遮光カーテンで、外の明るさが分からない。時計を見ると15時。

かなり寝ていたらしい。


「あの、トイレに」

「ああ」


なんとなく許可を取ってから、洗面室へ向かう。

ナギの横を通る時に、髪を触りながら少しだけうつむく。

ふと、手元に目が行った。

銀色の袋。スーパーで買っていた珈琲だ。

さっきの香りは、これか。

「いい匂いですね」


普通に話しかけてしまった。

寝ぼけていたのか、そのままの感想が口から出る。

慌てて口を押さえたが、もう遅い。

私は、逃げるように歩き出す。


「……飲むか?」

「え」

その声に、振り向いた。

私は少し迷ってから、小さく頷いた。

「はい」

「淹れておく」

ナギはそれだけ言って、目を逸らした。


洗面台の前で、顔と髪を少し整える。

何もしていない顔は、どうも落ち着かない。

せめてリップくらいはと、薄く色をのせる。


部屋に戻ると、食器が置かれている台の前にナギが立っていた。

2つのコーヒーカップの上に、紙コップを加工したような即席のドリッパーがそれぞれ乗っている。丁度、フィルターに湯を注いでいるところだった。


なんとなく、手の動きを追う。

右手が、ゆっくりと円を描く。湯は細い線になって、フィルターへと落ちていく。

手慣れているのだろうか。


「……お前」

ナギは視線を向けずに口を開いた。

「生まれはあの町か?」


なんでそんなことを。


「いえ、県外です」

「そうか……どこかで会ったか?」

「……いえ」


見覚えなんてもちろんない。

こういう世界の人とは無関係の人生だったし。


「そうか」


ナギはそこで口を閉じた。

私も何も言わず、ナギの手元を見つめた。

湯気が立ち上り、しずくがカップへ落ちる音だけが響いていた。


少しして、出来上がった珈琲を、ナギがテーブルの上に置いていく。

私は少し迷ってから、ソファの端に腰を下ろす。

ここでいいのかな。

そう思った矢先、ナギが隣に座った。

この人と、ひとつのソファに、横並び。なんだか落ち着かない。


ちら、と横目で見る。

ナギは特に気にしている様子はない。本を片手に、珈琲へ口をつけている。

私もそれにならって、カップを持った。


立ち上る湯気。

香りを嗅いでから、いただきます、とひと口飲んでみる。


いつも飲んでいるのとは違う味。

思っていたより苦い。でも、嫌じゃない。

というか好きかも。

「……おいしい」


私が呟くと、ナギがカップを置きながら返す。


「珈琲、好きなのか?」

「はい。あ、コンビニのとか、スタバのとかくらいですけど」


『私、珈琲好きなんですよ』

『お、何が好きなんだい?』

『何って?』

『ほら、豆だよ』


ふいに、バーでの会話が浮かぶ。

思い出してしまった。


パラリ、と、ナギがページをめくる音にはっとする。


「……あの」


私はコーヒーカップをソーサーに戻す。


聞いていいのか悪いのか。

唇を噛んで、少ししてから言葉にした。


「……そういえば、アヅマさん。食い物にされてたって、言ってましたよね」


ナギの指が、動きを止めた。


「弱みとか、握られてたってことですか?」

「……違う」

少しだけ、ナギの声色が変わる。


「じゃあ、どういうことですか?」

体を向けた。

目が、合わない。


ナギは本から顔を上げ、息を吐いた。

「お前には関係ない」


なにそれ。

胸の奥がツンと痛む。


「関係ある!」


私の声に、ナギがこちらを見た。

思ったより強い口調になってしまった。


「……もう、私、関係あるじゃないですか」


私は小さく言って、視線をずらした。


「……普通の人でしたよね、アヅマさんは。してたのも、怪しい店じゃない……喫茶店だった。お店も閉めるって言ってたし。それがいきなり、組とかUSBとか……意味が分からないです」


ナギは、しばらくして手元の本をテーブルに置く。

そして、煙草とライターを掴み、ソファに背中を預けた。

視線をテーブルに落とし、言葉を探すように間を置く。


「……復讐だ」


そう言った横顔を見る。ナギは言葉を続けた。


「カスリが膨らんで、店も回らなくなってた。……後がなかったんだろうな。

アヅマは、買った組の情報を、警察に流そうとした。あれが出回れば、組は飛ぶだろう」

「そんな……」


あの人がそんなことを計画してたなんて。

あの時、もう、後がなかったなんて。


奥歯を噛みしめる。


「……でもそれ、正しいことなんじゃないんですか」

「……正しい?」

「警察に行って、情報を提供して、何がいけないんですか?」


ナギは少し目を伏せ、小さく首を横に振る。

「……あのやり方じゃ、危な過ぎる。本人もだが、こうやって他も巻き込む」

「そうなる前に止めなかったの?」


私の言葉に、ナギが唇を噛んだ。

紙箱から煙草を1本取り出し、指に挟んだままそれを見つめた。

「……穏便に済ます予定だった。だが、サクに知られた。それから手出しができなくなった。アヅマは……俺の目の前で、サクに」

「……それって」


ナギは目を逸らしたまま、小さく頷いた。

「分かるだろ……俺の手の届く範囲も限られてる。全部は無理だ」


なんとなく、無事ではないって、分かっていた気もする。

……それでも。

納得なんて、できない。


「……違うでしょ」


言いようのない感情がこみ上げた。


「あなただって、加担してたんじゃないの? 全部そっちから始めたんじゃない! だからこんなことに――」


ナギの息が詰まった。

思わず、口をつぐむ。


……言い過ぎた。


この人には、助けてもらってるのに。

そんな顔、させるつもりじゃなかったのに。


ナギの口が動いた。

「……そうだな」

言葉が、続かない。

手のひらが、強く握られている。


分からない。人を傷付ける立場にいるくせに。

私なんかの青い正義で叩かれて、なんで、こんなに苦しそうなんだろう。


「あなたは……どっちなの?」


ナギは、煙草とライターをテーブルに置いた。


「どっちって……黒にしか見えないだろ、俺は」

「……分かりません」

「……なんだよ、それ」


ナギは長く息を吐いた。

そしてコーヒーカップを手に持ち、口に運ぶ。


「……珈琲、冷めるぞ」


ナギはそれ以上、何も言わなかった。

その視線は、元通り本へ戻る。


ほんの少しだけ、寂しそうにも見える。

私の目には。


そんなわけもないのに、昔どこかで見たことがあるような気がして。なぜか目が離せなかった。


珈琲の熱が、少しずつ冷めていく。この時間も長くは続かない。


明日の夜には、私たちはA市にいる。

そこで、“受け取り”がある。

何を意味するのかは、分からない。


でも、きっと――私のこれからが、大きく動く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。