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賽の目の約束  作者: いち
第2部
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第4話

私は車の後部座席で、おとなしく座っていた。

となりには小さめの旅行鞄。肩にはいつもの斜め掛けバッグ。ポケットにはUSB。

斜め前には、名前も知らない男がいる。


車内に流れるのはエンジン音とウインカー。

時折、煙草に火をつけるライターの音。

それ以外はラジオも音楽もなく、耳の奥で、心臓の音だけが鳴っている。


分からない。

もう、諦めたほうがいいのか。

それでも、少しは望んでいいのか。

男は何も話さない。

私は、どこに連れていかれているのだろうか。


家を出てから、どれくらい走ったのだろう。

この辺は、だいぶ車の往来が少ないようだ。

窓から見えた青い標識から、A市へと向かっている感じはする。

街灯はまばらになり、建物も途切れていく。

直線だった道は、次第に緩やかなカーブを描き始めた。


山か。

これ……もしかして。

この前見たドラマの、土とスコップがフラッシュバックする。


ふいに、車の速度が落ちていく。ゆっくりと路肩に寄り、そのまま止まった。

エンジンの回転音が、低く沈んでいく。


体が、固まる。


「おい」

前から声がして、ビクリと肩が動く。


「USB」

男はこちらも見ず、片手を差し出している。

どうしよう。

渡したら、本当に終わる。

「……あの」

「早くしろ」

有無も言わせない。


……怖い、怖すぎる。


おそるおそるポケットのUSBを取り出し、男の手のひらに置く。

男はそれを受け取ると、ダッシュボードからノートパソコンを取り出した。画面が開く。

目がくらみそうな光に、私は片目をつむった。

USBが、差し込まれる。


「……本物か」

ぽつりと男が呟く。画面を盗み見ると、名簿みたいなものが並んでいた。

男はすぐに操作を始める。ファイルを開き、いくつか確認してから、削除画面へ進む。

――あれ?消すつもりなんだ。


だが、パスワード入力画面が表示される。

「何も聞いてないか。パスワードだ」

「……分かりません」


舌打ちした後、男は眉間に指をあてて、息を吐いた。

「お前、これ捨てなくて良かったな」

「……はい?」

よく分からないけれど、間違ってなかったってこと?


男はそれきり、話さない。

吐いた言葉の説明をするわけでもなく、またパソコンをダッシュボードの中にしまう。

そして、USBを自分のジャケットの内側へと入れた。


車は、また動き出した。ガードレールが後ろへ流れていく。

窓の外は、竹林。突き出た枝が、闇の中で揺れている。あの暗闇に、手招きされているみたいだ。


しばらく上りが続いた後、ふっと視界が開ける。木の隙間から、遠く夜景が見えた。


あれは、私のいた町だ。


男は、そこから少し進んだところで車を停めた。

古びた看板に「中古車・解体」という文字が並んでいる。

さびた車が並び、その間にトタンのような建物が見えた。半開きのシャッターの下から、黄色い光が漏れている。


「ここで待ってろ。絶対に顔を見られるな」

私に言い残して、男は車を降りて行った。その動きを目で追う。

シャッターの前で、男は何かしているようだ。


しばらくすると、中から大柄な男が姿を現した。

私は息を潜めて、その様子をうかがう。


「久しぶりだねぇ、ナギ君」

そう言って大柄の男は腰に手を回そうとするが、その手を払いのけられ、ごつごつした肩をすくめた。

「避けんなよ。なぁ、相手してくれるなら、多少割り引くけど」

「いらねぇ。定価でいい。商談だ、早く中に入れろ」

「冷たいなぁナギ君は」

2人は、シャッターの中に入っていった。


完全に声が聞こえなくなったのを確認し、私は大きく呼吸をする。

「はぁ……」

やっと男の監視から解放された。

商談、と言っていた。私にとって都合のいい話なわけがない。


どうしよう。ここから降りて、逃げたとして。

でも、どこに行く? スマホがないから、道も分からない。

引き返してどこかの民家で保護してもらおうか。

最後に確認できた民家は、かなり麓の方だったけれど。


考えていると、ふと横から視線を感じた。

ゾクリとして、咄嗟に身をかがめる。


――ガチャ。


ドアに、何かが触れた音。

一瞬、呼吸が止まる。


次の瞬間、乱暴に引かれる音。

ガチャガチャと、ドアノブが揺れる。


「女がいる。女だあ!!」

「ひっ」


恐怖に耳を抑え、目を閉じる。さっきの大柄の男の声ではない。別の男だ。

ドアのすぐ外で息を荒げている。

「も……無理……」

ひとつずつドアを回って、ガチャガチャと音を鳴らしている。

足音が、何度も車の周りを回る。

もう、やめて……誰か……。

歯が、ガチガチと音を立てる。


「おい、何してる」

鋭い声。

私は、はっと目を開ける。

ナギと呼ばれていた、あの男の声。

どうやら戻ってきたようだ。


「チッ……」

車にしがみついていた男が、舌打ちをした。声色を変えながら車体から離れる。

「ああ、お客さん、すみません。……でも、こいつどうせ始末するんじゃ?」

「何してんだ」

今度はあの大柄の男の声も、近づいてきた。

「お坊ちゃんのペットに触るなよ。怒られるぞ?」

「うるさいぞお前ら。商談は終わったんだ。戻れ」

ナギは、2人を追い返しているようだ。足音が離れていく。

シャッターの中にその姿が消えていくのを見ると、ナギは車の鍵を開けた。


「降りろ。車を乗り換える」

「……は、はい」


心臓がまだ激しく打っている。本当に、口から出そうだった。

ドアを開け、外へと一歩踏み出した瞬間、めまいがした。

その場に崩れるようにしゃがみ込む。

胃が持ち上がり、一気に込み上げてくる。


「うぅ……」


――吐いてしまった。

ナギは何も言わない。肩で息をする私に、ペットボトルの水を差し出した。

「……すみません」

情けない。涙が出そうになる。


口をゆすぎ、よろよろと立ち上がる。

ナギは自分の車から荷物を取り出し、紙袋にまとめていく。

作業を終えると、私を見ずに「付いてこい」と呟いた。

私も旅行鞄を手に、その後ろを追った。


少し歩いたところに、黒いミニバンが停めてあった。

ナギが後部座席のスライドドアを開く。開けた瞬間、甘ったるい芳香剤の匂いが鼻についた。


「ここで寝ろ」

そう言いながら、座席のシートを少し倒す。

「……はい」

私が座ると、ナギが私のバッグの上に何か投げてきた。ブランケットだった。

「……すみません」

ナギは無言で運転席へと行き、荷物を戻し始めた。


喉の奥に、まだ嫌な感触が残っている。

外で、虫の鳴く音が聞こえた。

作業を終えると、ナギは煙草に火をつける。

エンジンがかかり、車がゆっくりと動き出した。


私は頭からブランケットをかぶり、息をする。

ゆっくりと目を閉じてみる。

でも、その瞬間に不安が押し寄せてくる。思考をどれだけ巡らせても、不吉な結末にしか結びつかない。


いつなんだろう。その時が来るのは。


ぐるぐると、最悪のパターンのイメージを繰り返していくうちに、いつしか私の意識は途切れていた。




……まぶしい。


目を開く。

車の中だ。寝てしまっていたのか。

まだ、生きてる。


車はどこかに停車していた。

木々の間から差し込む光が、車内にまだらに落ちている。窓の外は相変わらず、見渡す限り同じような緑ばかりだった。


前の席で、ナギがドアの窓枠に肘をついている。

動かない。

起きているのか、眠っているのか分からない。


ふと、バイブ音がした。


ナギがスマホを取り出し、耳に当てる。

「ナギさん」

聞こえる……男の声だ。

「ナギさん?」

「ケイ……お前、こっちにかけてくるな」

ナギが、ようやく応えた。

「組のスマホ出ないじゃないですか」


相手の声が、少しだけ改まる。

「ナギさん、すみません。アヅマの件……俺、サクさんに脅されて吐きました。データがアヅマに売買されたこと、ナギさんが収めようとしてたこと……すみません」


「……サクは?」

ナギは小さく息を吐いてから、言った。


サクという名前、昨日から何回か聞いている気がする。


「サクさん、ハッカー雇いましたよ。データを売ったハッカーと、目撃者の女を探すために。女の方は素性が分かって、自宅に行ったんすけど、もぬけの殻でした」


――私のことだ。血の気が引く。

バックミラー越しに、ナギがわずかに眉を寄せるのが見えた。


「というか、ナギさん。その女連れ出したこと、割れてますよ。サクさんは、ナギさんがデータ回収と女の拘束をしてるんだろう、って。でも、不審がってました。ナギさん、電話出ないし」


電話の向こうの言葉が詰まる。

「……ナギさんのやり方と違うのは解ってますけど。女、早いとこ殺して、死体とUSBをサクさんに見せましょうよ」

「……ああ」


「!!」

完全に目が覚めた。

死体とか、殺すとか。無理だ。

やっぱり、死にたくない。


私は急いで、車のドアに手をかけた。スライドドアを強引に開く。

ナギが通話を切って、振り返った。

外に飛び出したが、すぐに腕を掴まれてしまう。

「騒ぐな。殺さない」

ナギが私の肩を掴んだ。茶色の瞳と目が合う。

殺さない? 嘘だ。

「聞こえていました!」

「静かにしろ……」


ナギは私を後部座席に押し込み、そのまま隣に乗り込んできた。

「違う。ああ言わないと、すぐ捕まる」

「違うって言われても」

ナギは小さく舌打ちした。

「ああ、面倒だな。どうしたら信じる」


一体さっきから何を言っているんだ、この男は。

私は殺されるんじゃないのか。


もう……なんなんだ。


「説明してください!」

理解できない状況に、思わず大きい声が出る。


「は?」

「言ってくれないと分からない!」

ナギが黙った。


反抗してしまった。怖い。どうしよう。

……だけど。

目を逸らさずに言葉を待つ。


「……」

ナギは、無言のまま前の座席に手を伸ばした。

保冷バッグを掴み、中に入っていた赤黒い液体のパウチを取り出す。

そしてそのまま、車を降りた。


「あの……」

「……いいから、見てろ」


ナギはそう言うと、崖のようになった道路脇にその液体を少しばらまく。赤い斑点が、それっぽく広がった。


踵を返す。歩きながら、別のスマホを取り出した。

「……サク、俺だ」

相手の声は聞こえない。

ナギはそばまで戻り、シートに座る私を上から見下ろしながら通話を続ける。

「ああ、USBは回収した。女は転落した。……死んだはずだが、深くて見えない。ああ。探す」


ナギは電話を切ると、前の座席に戻った。

「後ろ、ドア閉めろ」

開け放たれたままのスライドドアを、私は閉めた。

ぼんやりと前の座席を見る。


「私は、死んだ……そういうことですか」

「……そうだ」

ナギは静かに答え、指先で乱れた黒髪をかき上げる。

「お前はもう、死んだことになった」


それはつまり、殺されずにすむ。そういうことなのだろうか。


少しの沈黙を挟んで、ナギがバックミラー越しに私を見る。

「前にも言ったが、お前は目撃者だ。組にとっては、それだけでも消す理由になる。お前の素性も割れてる。聞こえていたんだろ」

「……」

「それに、USBだ」

淡々と続ける。


「アヅマが誰かに『渡した』と吐いた以上、現場にいたお前はもう黒扱いだ。加えて、このUSBは書き換えもできない。ダミーを受け取ったって線も使えない。だが、逆に死んだことにすれば、まとめて処理できる」

「処理……」

言葉の意味が、うまく飲み込めない。


「目撃者は死に、USBは俺がサクに渡す。それで全部片が付く」


……そういう、筋書き。


「……サクって、誰なんですか」

私の問いに、ナギの視線がわずかに逸れる。

「……若頭やってる俺の兄だ。今回のUSBの件も、本来は俺が処理するはずだった。だが、割り込んできて、あいつがそのまま仕切ってる」


若頭の兄。夜中に言われてた「坊ちゃん」

この人、そういう出身の人なのか。


少しだけ間が空く。

「……アヅマさんはどうなったんですか」

「アヅマは……」

言いかけてナギは言葉を止めた。

「知らない」

ひと呼吸置いてから続ける。

「あいつは、俺らの組に食い物にされてた側だ」


アヅマさんの安否も気になるけど……それよりも。

「あの……」

一番気になることを口にしてみた。

「私を、なんで殺さないんですか?」


殺されないのも、それはそれで怖い。

ナギはすぐには答えず、窓の外を見た。


「あそこで終わらせるのが、一番楽だった」

「あそこ?」

「お前と最初に会った時だ。殺すしかないかもしれねぇ、とは思った。逃げるお前に追いついて、連れ去ることもできた……でも、できなかった」


「なんで、ですか」

「お前が一般人だからだ。俺にも、越えない線はある」


「……そういうこと、なんですね」

全部は、分からないけれど。


ナギが煙草をくわえながら、ハンドルを握った。

「だから……お前をここから出す」



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