第1話
さびれた駅。
終電が来る前の静かな時間。
コインロッカーの前、男は周囲を窺いながら、ゆっくりと鍵を開けた。
中には小さな封筒がある。
男は、それを手に取った。
遠くで、踏切の音が鳴っていた。
***
「ちょっといい?」
私が振り向くと、申し訳なさそうな顔をした上司が左に立っていた。
髭を指でいじっている。
これは、嫌な予感。
「経理の入力、ちょっと手伝ってくれない?」
「……分かりました」
やっぱり。
入力していた書類をひとまとめにして、少し離れた経理デスクへと歩いて行った。
ここは小さな卸売業の会社。
誰の差し金か、1人が休むとたちまち仕事が滞る世界。
私は業者に発注書を流したり、商品を受注したりする係。
今日は、経理の女性が体調不良で休みだった。
そのせいで、明日の月次監査を前に上司は慌てふためいている。
私以外は、入社して比較的日の浅い人たちばかり。
だから、問答無用にこちらへ白羽の矢が向いてくる。
「この領収の分をシステムに入れてくれたらいいから。精算用紙と領収証を引っ付けてる、それね」
私は経理の女性の席に腰かけ、PCの電源を入れた。
時計は夕方の4時過ぎをさしていた。
自分の発注を早いうちに終わらせておいてよかった。
黙々と手を動かす。
入力を進めていくと、少しずつ憂鬱な気分になる。
いいもの食べてるな、上司。
接待交際費で、食事。お肉、と。
接待交際費で、お土産。ワイン、と。
……え、高。
というか、このお酒。
こないだ2次会で連れていかれた、クラブの店のお姉さんに渡してなかった?
私が領収証を睨んでいると、
「……あぁ、チェックはね、いいのいいの。入力してくれたら」
上司がこちらを見ずに声を落としながら呟いた。
「はい」
佐藤物産様、ね。
まぁ、こんなもんか。
私には関係ないし。
……あぁ。やだな。
結局経理の手伝いを終え、自分の仕事に戻れたのは6時を過ぎてからだった。
「ありがとう! ツバキちゃん」
上司が満足そうに微笑んで、じゃ、と帰っていく。
私はぽつんと事務所に取り残される。
やりかけのまま残ったデスクの紙束を見た。
仕方ない。とりあえず、これだけ入力終わらせて帰ろう。
私は大きく伸びをした後、席に座る。
そして、マウスを少し乱暴に動かし、真っ暗になった画面を起動させた。
ブブブ、ブブブ……。
スマホのバイブ音。
鞄から取り出すと、電話だ。
気づけば夜の8時だった。
そこには、元カレの名前。
「……出ません」
私は思いっきり赤いボタンを押すと、鞄に戻した。
椅子にもたれかかって、ぼんやりと長いため息を吐く。
なんだか、集中切れたし、ここまでにしよ。
事務所の戸締りをし、帰路に就く。
外に出ると、9月の心地よい風が髪を揺らした。
あんなに暑かったのに、ぼんやりしているうちにいい季節になったものだ。
このまま帰ってもいいけれど。
朝のことを思い出して、苦笑いする。
ポケットに入れたまま洗ってしまったティッシュ。
洗濯物に絡みついたまま、放置してきたんだった。
「今日は1人で飲んじゃおうかな」
電車で2駅先の、小さな繁華街。
そこにあるダイニングバーのドアを開ける。
「いらっしゃい」
薄暗い店内。
奥のカウンターから初老のマスターが微笑みかける。
私はテーブル席の横を抜け、カウンターへ腰かけた。
「ツバキさん、平日に珍しいね。今日1人?」
「はい。ちょっと飲みたくなって。明日も仕事なんだけど」
平日なだけあって、いつもよりお客が少ない。
テーブル席に会社員の男性グループ1組。
そして、カウンター席の椅子ふたつ分開いた場所に、おしぼりとウイスキーグラス。
席の主はお手洗いだろうか。
ここは、友達とよく来るダイニングバー。
私は、黒板に書かれたフードメニューを見ながら少し唸る。
「マスター、4種のチーズとマルゲリータお願いします。あと、合いそうなワインも」
空腹に負けて、がっつりめに注文を入れた。
その時、店のトイレから男性が出てきた。
セカンドバッグを小脇に抱えている。
そして、ウイスキーグラスの席へと座った。
マスターは私の目の前にチーズとワインを置くと、マルゲリータの準備のため奥へと入っていった。
名前のよく知らない白ワインとチーズを口に運び、息をつく。
お通しの生ハムとオリーブをつまむ。
おなか減ったな。
お昼ご飯に食べた特製の作り置き弁当は、もう跡形もないようだ。
「お嬢さん」
フードメニューを見つめていると、右横から声がして振り向いた。
ウイスキーの男性だ。
「1人で飲んでるのかい?」
年は50代くらいだろうか。白髪混じりの髪を横に流し、整えている。
七分袖のシャツから、少し丸みのある腕がのぞく。
「はい。ちょっと飲みたくなって」
マスターに言った同じセリフを並べてみる。
「おじさんもさ」
なんだか、寂しそうな声。
なんとなく放っておくこともできず、私はワイングラスを小さく掲げた。
「乾杯しますか」
男は少し目を見張った後、嬉しそうにグラスを持ち上げた。
カチン、と静かな音が店内に響く。




