95 ベルガス
紀元前74年10月初旬。
ルテニ族の族長セルノマルスとの宴を終えたレンは、馬に乗り荷馬車4台を率いて帰路についた。
数日後、ローマとの国境を守る族長の四男ベルガスの領土に入ると、次席家臣のエルンストがレンに馬を寄せてきた。
「レン様、ここからは族長の御子息、ベルガス殿が治めている領地です。……館に立ち寄られますか?」
レンは迷った。セルノマルスに全ての土産を渡したため、手土産がない。
「そうだな。現場の領主が族長の命令を守らなければ和議に意味はない。どんな男か、一度挨拶をしておきたいが土産がないからな⋯⋯」
「そうですね⋯⋯」
エルンストはポンと手を叩いた。
「なら私たち護衛の剣を渡してはいかがでしょう。私たちの剣も族長に渡した剣と同じ表面が鋼の名剣です。きっと喜びます」
「いいのか?」
「はい。レンさまがいれば山賊に襲われても安全ですから」
レンは笑って返す。
「ふっ。それじゃあどっちが護衛か分からないな」
「ははは。レン様に護衛なんて要らないですからね」
こうしてレンたちは帰路の道を少し外れ、ベルガスが拠点を構えている村へと足を向けた。
昼過ぎ、村の門前まで来ると、門番たちがレンに向かい槍を構えた。
「お前達は何者だ。ここにいったい何の用だ!」
レンは馬を降り、落ち着いた声で答えた。
「私の名はレン。ここから南のセヴェンヌ山脈を抜けた先の、ローマ領の村を治める村長だ。セルノマルスの族長から伝令が届いてないか?」
レンの名を聞いた瞬間、兵士たちは槍を少し下げ、ひとりが領主の屋敷へと走った。
暫くして、奥から十名ほどの集団が出て来た。
エルンストが目を細める。
「レン様……真ん中にいる方が領主でしょうか?」
「そうだな。あれだろうな」
レンは視力強化のスキルを使った。
(銀髪か、珍しい髪色だな⋯⋯)
ベルガスはレンの所まで来ると、礼儀正しく胸に拳を当てた。
「……レン殿。父上から話は聞いている。ここに来るとは思っていなかったがな」
「ベルガス殿。あなたの領地の南のセヴェンヌ山脈を超えたところに、私の村があります。セルノマルス族長との平和条約も結んだことだし、隣人として挨拶をしておこうと思ってやって来ました」
ベルガスは静かに頷いた。
「そうだったか。私はしがない銀山を持つ領主に過ぎない。客人も滅多に来ない身だ。久しぶりの客人を歓迎しよう」
「感謝します。実はここに立ち寄る予定がなかったので、土産はあまりないのですが⋯⋯」
「父が認めた隣人だ、そんなことは気にする必要はない。さあ、今日は我が屋敷に泊まり、酒でも飲もうぞ」
(……今のところは良さそうなヤツだな。兄貴たちとは大違いだ)
「感謝します。使い古しで申し訳ないが、これを納めて貰いたい」
レンはエルンストに目配せする。
護衛たちが布に包んだ4つの剣を差し出した。
「これは護衛に持たせていた名剣ですが、族長に送った剣と同等の品です。どうかお受け取り下さい」
ベルガスが目を大きく開ける。
「使者から、ガリアで最高の剣だと父上が言っていたと聞いたがよいのか?」
レンは軽く笑った。
「うちの村の鍛冶屋はまだまだ成長中だ。剣ならもっといいのがすぐに出来るでしょう。気にしなくていいです」
ベルガスは驚きながらも、わずかに目を細めた。
その表情には、剣の価値を瞬時に見極めようとする“領主としての計算”が滲んでいた。
ベルガスは笑顔で言う。
「……そなたの村の鍛冶は優れているのだな。ならば、遠慮なく頂こう」
「はい」
その夜。
ベルガスの従者たちが領主屋敷に集まり、レンたちを歓迎する祝宴が開かれた。
宴が始まり、宴もたけなわとなった頃、ベルガスが男たちに大きな箱を運ばせて来た。
「レン殿、贈り物の剣の礼に領内で取れた銀を少しばかり用意した。これを返礼に受け取って貰いたい」
「よいのですか? セルノマルス族長から、ここの銀山は岩石や銅が多く、純粋な銀はあまり出ないと聞きましたが」
ベルガスは苦笑する。
「それでも我が領内には銀くらいしかこの剣に見合う返礼の品がないのだ。他に特産品もないからな⋯⋯」
一瞬にして広間の空気が重くなった。
ベルガスの家臣、ドルニクが一歩前に出て、レンににじり寄った。
「レン殿、貴殿の話では、貴殿はその知恵で村を豊かにしているそうだな! なにか我が領地を豊かにする知恵を授けてくれぬか!」
筆頭家臣のアルゲリオが止める。
「ドルニク止めろ。客人に醜態をさらすな!」
レンが笑って手で制する。
「いえいえ、大丈夫ですよ。みなさん、領地を豊かにしたいなら、私と交易をしませんか?」
ベルガスがレンの顔を見た。
「交易?」
「はい。まずはセヴェンヌ山脈の西側の山道をちゃんと整え、私の村と活発に交易ができるようにします」
筆頭家臣のアルゲリオが眉を寄せた。
「無理だ。あの山道は険しい。相当な金と労力が必要になるぞ」
「大丈夫です、金は私が出します。その代わり労力はそちらでお願いします」
「本気か? あそこを整備するなら少なくとも10万、多ければ30万デナリウスは必要になるぞ」
「そのくらい出しますよ。ただし私と、私が指定する者からは通行税は取らないと約束して下さい」
ベルガスが頷く。
「勿論だ。道が整えば、我が領内はさらに豊かになる」
レンは営業スマイルで続ける。
「それと私の村から剣や絹、醤油、粉石鹸、ワイン、陶磁器などを買ってください。それをガリア全域に転売するのです」
「なるほど、ハエドゥイ族のようにローマとの交易で利益を得るのだな」
※ーーー
ハエドゥイ族は親ローマ派の筆頭で、ローマからは兄弟と呼ばれ、ローマとの交易で大儲けしていた。
ハエドゥイ族の領地は現代のスイスのすぐ西にあり、レンたちのいるセヴェンヌ山脈からは東に約200キロほど離れたソーヌ川周辺にあった。
ルテニ族とハエドゥイ族の間には反ローマ派のアルウェルニ族がおり、ルテニ族はアルウェルニ族に従属している。
アルウェルニ族とハエドゥイ族はガリアの覇権を争う二大部族であり、カエサルのライバルと言われるウェルキンゲトリクスはアルウェルニ族の出身である。
ーーー
「はい。そしてガリアからは金や銀、農畜物を買い、これを私に転売するのです。そうすれば、ベルガス殿は双方との交易で儲け、領地は交易拠点として発展していくでしょう」
ドルニクが歓喜の声を上げベルガスを見た。
「ベルガス様! レン殿のお話は筋が通っております。いかがでしょうか!」
ベルガスは近くに座る、白い長衣の上に白いマントを着た若い男を見た。
「ボリクス先生はどう思われますか?」
(先生⋯⋯いったい何者だ? あっ!?)
レンは前のレンの記憶から先生と言われる人物の正体を知った。
(こいつドルイドって呼ばれるガリアの神官だ!
ドルイドは、中世のキリスト教並みに幅を利かせてるから丁重に接しないとろくなことにならない。気を付けないとな……)
ボリクスは白い髭をさすりながらレンを見た。
「⋯⋯この者の目。恐らく嘘を付いてはいないだろう。この者と交易をすれば、東のハエドゥイ族とまではいかずとも大儲けできよう」
ベルガスはレンに向き直った。
「先生も賛成しておられる。レン殿、我が領地の発展のため、道の整備と交易を頼めるか!」
レンは笑顔で応える。
「もちろんです」
だが、そこでレンは声を潜めた。
「私がベルガス殿を推すのは、実はベルガス殿の兄君たちと交渉の際にひと悶着ありまして⋯⋯」
「⋯⋯それは⋯⋯初耳だな⋯⋯」
ベルガスが急に話の風向きが変わり、困惑した表情で応えた。
「それで出来れば次期族長には、温厚なベルガス殿になって頂きたいなと⋯⋯」
「っ⋯⋯!?」
ベルガスだけでなく、周囲の者たちも驚いた顔でレンを見た。
「アハハ。まあ、あくまで私の希望です。聞き流して下さい」
そう言ってレンはビールに口を付けた。
沈黙のあと、ベルガスは笑って応える。
「わっはっは、面白い。だが私には兄上たちと争う力がない。このままでは到底無理な話だ」
「分かっています。あくまで私の希望です。しかし――」
レンはそこで作り笑いを止め、真面目な顔をした。
「私は貴方の兄君たちとの関係が良くない。彼らが族長に成れば、私との交易を邪魔する可能性があります。それはご理解下さい」
ドルニクはレンが味方だと判断し、身を乗り出した。
「レン殿。あなたの考えは正しい! ベルガス様こそ、次期族長に相応しいお方なのだ! なのに、族長はベルガス様をこのような辺境に追いやり、いったい何を考えておられるのだ!」
アルゲリオがドルニクの腕を掴む。
「ドルニク、ビールの飲み過ぎだ。客人の前だぞ!」
「何を言うか! アルゲリオはベルガス様に族長になって欲しくないのか!」
「っ⋯⋯!」
ドルニクがレンに詰め寄る。
「レン殿! 俺はベルガス様に族長になって頂きたい! どうか力を貸してくれ!」
「え、えっと⋯⋯」
レンは迷った。
(直接手を貸すのはダメだよな。あまり深く関わったら、カエサルのガリア遠征に加わって功績を上げるのが難しくなるかもしれない。いや、逆に南方は俺が担当するチャンスになるか?)
「レン殿、頼む!」
「ウ~ン。これ以上の肩入れをするなら私にもメリット――得になるものが必要です」
ドルニクが真顔で問う。
「何が欲しい!」
「そうですね⋯⋯銀山の採掘を私に任せませんか? 採掘された銀の4割がベルガス殿の取り分でいいですよ」
その瞬間、ドルニクが激昂した。
「何を言うか! 他の銀山に比べれば大したことがなくとも、銀山はベルガス様のメインの収入源なのだぞ!」
レンは鼻で笑った。
「別にいいですけど。私なら少なくとも今の採掘量の5倍。場合によっては数10倍の銀を採掘できますよ」
「「5倍!」」
ベルガスたちが驚きの声を上げると、レンは満足気に微笑んだ。
「はい。なので少なくとも今の2倍の銀を得られますよ。しかも、採掘のための費用は私持ちです」
「し、信じられん⋯⋯いったいどうやって」
「私には本で覚えた灰吹法と言う、素晴らしい技術があります」
(クックック。灰吹法は1533年に島根県の石見銀山に伝わった戦国時代の重要技術だ。この時代のガリア人が見れば驚愕することは間違いない!)
「灰吹法だと?」
「はい、灰吹法です!」
レンは『お前らには理解不可能なオーバーテクノロジーだよ』と鼻で笑った。
ドルニクは一瞬唖然としたあと、顔を真っ赤にしてビールの入った木製のコップを床に叩きつけた。
「お前舐めてんのか!!」
「⋯⋯え?」
ドルニクの手の平返しの態度にレンは一瞬怯んだ。
「灰吹法なんてな! 何代も前の爺ちゃんの代からガリアじゃ使ってんだよ!」
(はあ!? 嘘だろ、紀元前のガリアに、なんで戦国時代の技術があるんだよ……)
――次回につづく。
※余談
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灰吹法の歴史はとても古く世界各地に痕跡がある。
紀元前3300年頃――メソポタミア南部(方鉛鉱から銀を抽出した跡)
紀元前2000年頃――スペイン
(灰吹炉が発見)
紀元前800〜500年――フランス南部(灰吹炉の痕跡が複数発見)
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※日本では長らく、灰吹法は1533年に石見銀山へ伝来したのが最初と考えられていた。
だが日本でも飛鳥時代に灰吹法を用いていた痕跡が発見された。この時の技術は日本が独自に開発したものか、海外から伝来したものかはまだ不明である。その後、衰退し、消えた理由も判明していない。
消滅した理由の候補
①当時は自然銀が豊富で、灰吹法を用いる必要性が低かった可能性。
日本では不純物の少ない銀鉱石も産出し、そのまま製錬するだけで比較的純度の高い銀が得られた。
②鉱山開発の縮小による技術断絶説
③特殊技術者依存説
技術を持つ職人集団の数が少なく、その集団が消えたため技術継承が途絶えた可能性。
などいくつかの説がある。




