92 『ウォレヌス』
紀元前74年8月下旬。
村のまとめ役であるブレンヌスが、悩ましい顔つきで、レンの屋敷へとやってきた。
応接室に通され、椅子に腰掛けたブレンヌスは、少し緊張した面持ちで話しを切り出した。
「レン様。実はレン村の奥の方に住んでいる浮浪者たち100人ほどが、レン様の配下に加わりたいと言って来ているのですが……」
レンは椅子の背もたれに体を預け、笑顔で答えた。
「俺は来る者は拒まずだ、受け入れよう」
「はい⋯⋯」
ブレンヌスの浮かない返事にレンが訊ねる。
「何か懸念があるなら遠慮なく言ってくれ」
「いえ、懸念と言いますか⋯⋯実は……」
ブレンヌスは一度言葉を区切り、窓の外に目を向けた。
「彼らは、レン村に移住の希望ではなく……自分たちが今住んでいる場所に滞在したまま、レン様の加護を受けたいみたいです」
「なるほど、別にいいんじゃないか。レン村もそろそろ『村』ではなく『町』と呼んでいい規模になってきている。さらに絹産業を大きくするためにも、もっと人手も土地も欲しい。支配下に入り交流が盛んになれば、いずれはレン村に移住したいと言う者も大勢出るだろう」
レンの考えに、ブレンヌスは頷いたが、すぐに言いにくそうな様子で口を開いた。
「私もそう思います。……ですが、少々厄介な条件を言っておりまして⋯⋯」
「なんだ?」
「浮浪者たちのボスに『ウォレヌス』と言う者がいるのですが……。レン様の傘下に入った後も、これまで通り、自分がその浮浪者たちの集団を治めたい、と申しているのです」
レンは眉を顰めた。
「つまり、俺に自治権を渡したくない。でもおいしい思いはしたいと言うことか?」
レンが静かに問いかけると、応接室の空気がわずかに張り詰めた。
ブレンヌスは額の汗を拭いながら頷いた。
「……あの、ウォレヌスにお会いになられますか? 村の入口で待機させていますが⋯⋯」
「そうか。なら連れて来てくれ。実際に会って話した方が話は早い」
「承知しました」
ブレンヌスは深く一礼して部屋を退出した。
しばらくして再び戻ってきたとき、その後ろには浮浪者たちのボス――ウォレヌスがいた。
彼は、獣皮の衣服を身に纏い、その体躯は頑強そのものだった。
幾多の修羅場を潜り抜けてきたのであろう、日に焼けた顔には深い傷跡が刻まれており、どこか傭兵崩れの隊長のような、油断ならない雰囲気を放っている。
「あんたがこの辺りを治める、大村長のレン殿か?」
ウォレヌスは鋭い眼光で、椅子に座るレンの姿を値踏みするように捉えて言った。
「ローマ市民権を貰ったんで、今は村長では無く、地主だがな」
ウォレヌスはレンの正面にやって来て、臣下の礼をとる代わりに、軽く顎を引いて胸に拳を当てた。
不遜とまでは言わないが、安易に膝を折るつもりはないという意志の現れだった。
「お初にお目にかかる、レン殿。俺はウォレヌス。仲間を代表して挨拶させてもらう」
レンは赤ワインの入ったグラスを置き、値踏みするようなウォレヌスの視線を受け止め、軽く笑みを浮かべた。
「よく来てくれた、ウォレヌス。そこのブレンヌスから話は聞いている。俺の保護下に入りたいそうだな」
「ああ、そうだ。あんたの村は勢いがある。農具も信じられないほど凄いと聞いている。『備中鍬』だったか? その農具は、これまでの何倍も早く畑を耕せるし、どんな荒地でもすぐに畑にできるって噂だ」
「ほう。よく調べてあるな」
「当然だ、仲間だけじゃなく、子供たちの未来も掛かっているんだ。レン村は税金を納めなくていい、言われた仕事をすれば、働きに応じた金をくれると聞いたが本当か?」
「ああ、本当だ。国への税金は俺が全て払う、その代わりお前らを使って得た利益は全て俺のものだ。これが俺のやり方だ」
「あんた変わってるな。まあ、生活が豊かになって、食い詰める心配がないならレン殿の傘下に入らせて貰う。だがな――」
ウォレヌスは一歩足を進め、レンを真っ直ぐに見据えた。
「俺を信じてついて来てくれた、100人の仲間の命を完全に任せる訳にはいかない。指示にも規則には従おう。だが、仲間たちの命と寝食を管理するのは、これまで通りこの俺でありたい。レン殿から見れば、ただの浮浪者の群れに見えるかもしれないが、俺たちには俺たちの掟と絆があるんでね。そこをレン殿の家来がやって来て、引っかき回されるのは御免だ」
はっきりと自治権の維持を要求するウォレヌスに、まとめ役のブレンヌスはハラハラとした様子でレンの顔色を伺った。
レンは冷たい瞳でウォレヌスを見据えていた。
「はっきりと言っておく。俺の支配下にある4つの村の土地の所有権は俺にある。そして、そこにいる人間は全員、俺が賃金を払い雇っている。それと同じように、お前の村の土地の所有権も俺が買い取らせて貰う」
「所有権を買い取る?」
「まあ、正しくは土地の所有権はローマにあるから、土地の永続的な使用権を都市議会から俺が買い取るってことだ。お前たちの土地は今はただアグドの領域にあるだけで、誰も使用権を持っていない状態だ」
「使用権をレン殿が持つとどうなるんだ?」
「そうだな。店で例えるなら俺が店を持つオーナーで、お前は店の雇われ店長。そして村人は店の従業員だ。店の管理はお前がするけど、解雇するとか、最終的な権限はオーナーである俺に移るってことだ」
レンの絶対的な主従関係の宣言に、部屋の空気が凍りついた。
ウォレヌスは鋭い眼光で睨む。
「それは……俺の自治を認めないってことか?」
「お前が村を管理することは認める。だが所有者は俺だ」
「⋯⋯」
どうするか悩むウォレヌスに、レンは安心させるように言う。
「心配しなくても俺は暴君じゃない。基本的な村の管理はお前がやって、村人が重い犯罪を犯して処刑するとか、重要な件については会議で決める」
ウォレヌスが眉を寄せる。
「会議? お前たちのか?」
「いいや、お前を含めた俺の配下たちの村長と重臣たちの会議だ。そこで多数決で重要な事を決める。俺は実際の運営は人任せが多いんだ、面倒くさがりだからな」
そう言って笑うレンに、ウォレヌスは驚いた顔で訊ねた。
「⋯⋯お、俺も会議に参加できるのか?」
「そうだ。お前は100人を従える村長だ。その資格は十分ある」
ウォレヌスは自分達を平等に扱うと宣言するレンに、悪くないと感じた。だが生殺与奪権を握られることへの不安は残る。
「しかし…⋯土地を明け渡して、万一すぐに出ていけと言われては困る。何か保障が欲しい」
レンは顎に手を当てて考える。
「そうだな⋯⋯。犯罪を犯した者以外で、働かないことを理由に村から追放する場合は1人に付き、200デナリウス払うと言うのはどうだ?」
「⋯⋯考えたくないが。その場合、俺たちを犯罪者に仕立てる可能性が残るんじゃないか?」
「バカを言うな。俺には他にも支配している村が近くにあるんだぞ。難癖をつけて追放なんかしたら騒ぎになる。考えてもみろ。もし罪をでっち上げて反乱でも起きれば、最悪、土地の使用権が剥奪されるんだぞ」
「⋯⋯そうだな。あんたが来てから1年以上になるが、浮浪者のボスを返り討ちにしたこと以外は、人を殺したことがないと聞いている」
レンはすっかり忘れていたため、首を傾げて思い起こす。
「⋯⋯そう言えば。ここに来た時に襲って来たボスを殺したような気がするな⋯⋯」
「⋯⋯」
ウォレヌスは『そりゃ、急に俺の土地だと言うヤツが現れたら、襲うだろ』と思ったが口にはしなかった。
「あと俺の傘下になるなら真面目に働かないと意味はないからな。賃金は基本的に出来高制だ。サボると食うにも困ることになる。多少の副業はいいが、お前が命じた村の仕事を完全にサボっている奴は、お前の手で追放して貰うことになる」
「それは構わない。だが働けない病人や老人はどうする?」
「病気は治るように面倒をみるし、働けない年寄りをどうするかは、村長のお前に任せる。だが、俺の基本方針は最低限の食事と寝床を与え、死ぬまで世話をすることだ。ただし、よその村が動けない老人を捨てに来た場合は面倒をみない。他人のケツを拭く義理はない」
「なるほど、ちゃんとした決まりがあると言うことだな」
「そうだ。お前には取り敢えず月に200デナリウスの賃金を与える。他の村人は月に10デナリウスだ」
「……なっ」
ウォレヌスは絶句した。
隣にいたブレンヌスさえもが、その桁外れの金額に息を呑んだ。
「待ってくれ。今、俺の賃金が月に200と聞こえたが、年間の間違いだよな?」
「いいや、お前は100人の長だ。村人たちをやる気にさせ、働かせる義務がある。そのくらいは当然の報酬だ」
「……俺たちにそんな価値はないぞ。何が狙いだ⋯⋯」
驚愕のあまり、先ほどまでの不遜な態度が崩れ去ったウォレヌスに、レンは鼻で笑ってみせた。
「俺がお前たちを使って稼ぐ。お前は下の者を管理する。それで豊かになる。だが村が豊かになるほど不正をする者も出やすい、お前がそれを防ぎ、捕まえるんだ」
レンがそう言い放つと、ウォレヌスは完全に気圧された。
土地の所有権がレンの物になる。もともと自分たちの土地ではないが、実質的に、自分たちの縄張りを丸ごとレンに売り渡すということだ。
だが、その見返りとして提示されたのは、自分たちがただの小作人に成り下がるような搾取ではなく、想像を絶する経済的庇護と、破格の「給料」だ。
ウォレヌスはしばらくの沈黙の後、大きく息を吐き出すと、その頑強な膝をゆっくりと床へと突き立てた。
主君を見出した、忠実な配下の顔になっていた。
「……負けたよ、レン殿。いや、レン様。あんたの器は、俺たちが考えていたより遥かにデカいらしい。土地の名義だろうが何だろうが、丸ごとあんたに差し出そう。このウォレヌス、100人の仲間と共に、あんたに絶対の忠誠を誓う」
レンは満足そうに微笑み、ウォレヌスの肩に手を置いた。
「いい返事だ。ブレンヌス、さっそくお前達の縄張りの改革に取りかかろう。まずは簡単なところから⋯⋯石鹸草だ。大量に集めて欲しい」
「その辺りに生えてる石鹸草のことですか?」
「そうだ。うちの村の特産のひとつが石鹸なんだ。あとは『備中鍬』と当面の食料などを運ぶ手配をさせよう。俺は人を遊ばせたりはしない。だが働きたくない人間を無理に働かせたりもしない。そこは好きにしてくれ。最低限の給料は払うが、それ以上は出来高次第だ」
「はっ! 死に物狂いで働かせます!」
レンの勢力は、セヴェンヌ山脈の南側に沿って拡張した。
セヴェンヌ山脈を越えたその先には、レンの生まれ故郷である――ルテニ族の勢力があった。




