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88 オスティア港での祝宴

キャラック船の処女航海が無事成功に終わったその夜。

オスティアの港にあるクラッススの別宅で、予定通り祝宴が開かれることになった。


クラッススの執事フィロムサスと、その次席執事のティトゥスが手際よく指示を飛ばし、広間には豪奢な寝椅子と卓が並べられていく。


祝宴に招かれたのは、船大工長マリーヌスと造船所の幹部、そしてクラッスス家に忠誠を誓う商人──

いずれもクラッススの利権に深く関わっている者たちばかりだ。


クラッススは上座に寝そべり、葡萄酒を口にしながら満足げに言った。


「レン、今日は最高の船を見て、最高の提案を聞いた。この宴は、お前のためのものと言っても過言ではない」


レンは軽く頭を下げた。


「クラッスス様のお褒めにあずかり光栄です。……実はもう一つ、この場を借りて、皆様にご紹介したいものがあります」


クラッススが眉を上げる。


「ほう? まだ何かあるというのか」


「はい。新たな料理と、醤油という新しい調味料です」


レンはラノベの知識を頼りに、半年ほど前から、村で醤油作りを始めていた。


大雑把な再現ではあったが、半年間熟成させたレンの醤油は、十分に芳醇(ほうじゅん)な香りを放っていた。


※ーーー

★レンの作った醤油

① そらまめを茹でる

(大豆がヨーロッパにないため)

② 麦を炒めて砕く

③ ①と②混ぜて麦わらで包み、数日間暖かい所に置いて自然の麹菌を育てる

④ 塩水に漬けて熟成させる

⑤ 数か月後に絞る

(半年で使える品、1〜2年待てば高級品)

ーーー


クラッススは頷いた。


「よかろう。その料理はすぐに作れるのか?」


「はい。既に執事のフィロムサスさんにお願いし、厨房で作って貰っています」


レンはフィロムサスに目配せした。

執事は静かに頷き、奥の厨房へと合図を送る。


すると、奴隷たちが料理を乗せた銀盆を持って現れ、香ばしい匂いが広間に広がり、皆がざわついた。


「なんだ、この香りは……?」

「ローマの料理ではないな……?」


皆の前にあるそれぞれのテーブルの上に、三種類の料理が置かれる。


一つ目は、表面に醤油の黒い照りをまとった焼き魚。

二つ目は、醤油を染み込ませ、肉汁を閉じ込めた焼き豚。

三つ目は、下味に醤油を使った黄金色の衣をまとった、鶏のから揚げだった。


皆が引き寄せられるように、自分の前に置かれた料理に手を伸ばした。


「ほう、この焼き魚は変わった味をしている! うん、美味い。これは確かに新しい味だ」


「焼き豚も食べてみろ、凄く美味いぞ」


「……いや待て、こっちの鶏肉は、とんでもない美味さだ!!」


レンは予想通りの反応に満足気に笑う。


その時、一人の商人が興奮気味に席を立ち、レンに詰め寄った。


「この鶏肉料理の作り方が知りたい! それがダメなら私の家の近くに、この料理を作る店を出してくれないか! 私がいくらでも出資しよう!」


レンは出資の必要はない、と首を振った。


「私はこの料理で儲けるつもりはありません。なのでお近づきの印に、無料でお教えしましょう」


「本当か!」


「はい。この鶏肉の料理は『唐揚げ』と言います。鶏肉を醤油と酒、香草で下味をつけ、大麦などの粉をまぶして大量の油の中に漬けて揚げたものです。あと値段が高くなりますが、香草の代わりに香辛料を使った方が美味しいですよ。まあ、詳しい作り方はクラッスス家の料理人に教えていますので、そちらでお聞き下さい」


「なんと気前のいいお方だ! これほどの料理をただで教えてくれるとは!」


料理に手を出さず、様子を見ていたクラッススが、眉を寄せて、身を起こした。


(レンが無料で技術を渡しただと? レンは確かに気前の良い男だ。だが――非常にセコい男でもある⋯⋯)


クラッススは、これまでのレンの行いから、その性格を正しく把握していた。


シルフィウム栽培では、自分では作れないから連合を組み、人脈と利益の一部の利権をちゃんと得た。造船では見返りは、文化功績によるローマ市民権と、僅かだが見返りを求めている。

他も同様だ。

鋼の知識と、水車式製材機の知識は金で売った。サトウの知識では、綿花の種や種もみ(米)などをサトウキビのついでにインドから持ち帰って欲しいと求めた。

見返りの違いに大きな違いはあるが、レンは必ず見返りを求めていたのだ。


そのためクラッススは、今回の船上での提案についても、成功の暁には、いずれ何か見返りを求めてくると思っていた。

それがクラッススの中での、レンと言う男の人物像だった。


(レン、お前の狙いはいったい何だ? 人脈作りのためのサービスなのか? それとも、この唐揚げに何かあるのか?)


クラッススは自分用の鶏肉の唐揚げを摘んだ。


「唐揚げ⋯⋯フリクススのように少量の油でじっくりと焼く料理ではなく、大量の油に漬けて揚げた料理か⋯⋯」


クラッススが唐揚げを口の中に入れ、咀嚼する。


──カリッ。


その瞬間、口の中に熱々の肉汁がじゅわりと広がり、クラッススの目が見開いた。


「っ……う、うまい! 見事に肉の旨味が閉じ込められている!」


レンはしてやったりと微笑んだ。


「クラッスス様、この唐揚げと言う料理には醤油という、とても貴重な調味料を使っています」


「うむ。最初に言っていた、新しい調味料だな」


「はい。こちらに見本を用意してあります」


レンは奴隷たちに、醤油が少しだけ入った小さな小皿を、客たちに配らせた。


クラッススが小皿を手に持ち眺める。


「黒い液体の調味料か⋯⋯ガルムによく似ている。これもガルムと同じで、魚から作られているのか?」


「いいえ、この醤油の原材料は植物です」


クラッススは小皿に鼻先を近づけ匂いを嗅いだ。


「⋯⋯うむ。確かにガルムとは全く違う。これは初めての香りだな」


商人たちが、新しい商品の登場に目の色を変えて詰め寄る。


「レン殿、この黒い液体、醤油とは何ですか? どこで手に入れられたのですか!?」


「これは、私だけが作れるもので、ガルムを超える調味料です。一応ガルムでもこれらの料理に使えますよ? ただし、ガルムは完全に下位互換になりますがね」


※ーーー

ガルムはローマで大人気の、アミノ酸の旨味のある高級調味料。


魚を発酵させた調味料で、凄い悪臭がするが、高温で調理すれば殆ど匂いはなくなり、香ばしい香りへと代わる。


※高級な理由

①年に一度、夏しか作れない。

(醤油は年中可能)。

②原料が漁獲量に左右され、保存が効かない

③完成まで時間がかかり回転効率が悪い(醤油も同じ)


このためガルムは品質により、アンフォラ一壺(約26リットル)で5デナリウス〜1000デナリウス以上と凄まじい価格差があった。

普通の品質ならば25〜40デナリウスで取り引きされる。


「なんと! あのガルムが下位互換と!」


「確かに臭くない! それにこの味なら、絶対に売れる!」


「この醤油とやらは、売って頂けるのでしょうか!」


レンが最高の営業スマイルで応える。


「ええ、勿論お売りしますよ。予定通りに進めば、ひと月にアンフォラの壺3000個をお売り出来ます」


レンは信頼出来ると推薦された12人に、醤油の作り方を教えて作らせていた。

彼らには水車を利用した仕込み用の倉を6棟用意した。

そして樽(たる)はローマにはまだ伝わっていなかったが、ガリアにはあったのでこれを改良し――1mほどの高さの樽の上部をくり抜いて、醤油を仕込ませた。


レンの供給量に商人たちが満足気に微笑んだ。


「月に3000なら十分な数があるな。高級品として1壺200〜1000デナリウスといったところか?」


「いや、それはローマ周辺だけで見た場合だろ。エジプトまで持って行けば2000デナリウスを超えるかも知れん!」


「おい待て、エジプトまでひと月はかかるぞ。腐れば売り物にならん」


その言葉で、商人たちはどれくらい醤油の期限が持つのかと、レンを見た。


ひとりの商人が代表して言う。


「ガルムは持っても1年か2年で腐ります。場合によっては数カ月。もし密閉しなければ数日でうじが沸きます。この醤油はどのくらい持つのですか?」


レンはニヤリと口角を上げた。


「密閉しなくても半年は持ちますよ。この場合、2ヶ月ほどで白い膜が出来始めますので、これはすくって捨てれば問題ありません」


商人たちは驚愕した。


「密閉しなくても半年持つのか!」


「いや待て、それは半年しか持たないと言う意味ではないのか!?」


レンは鼻で笑う。


「いいえ、キチンと密閉すれば数十年は楽に持ちますよ」


「なんと! それなら1壺500デナリウス以上で絶対売れるぞ」



商人たちがレンに詰め寄った。

「レン殿、1壺100デナリウスで売ってくれ!」

「私は110出す!」

「なら私は120!」


レンは頬を引きつらせた。


(お前らの取り分がデカいな! 何で俺が100程度で、お前らが400なんだよ!)


「まあまあ皆さん。詳しい商談は後日にしましょう。クラッスス様の御前ですよ……」


そういいながらレンは損益計算に入った。

1壺の原価は人件費込みで2デナリウスもしない。つまり利益は100以上見込める。


月の利益は、

100デナリウス×3000=30万


(マジか! 年間利益が360万デナリウスになるぞ!? パキポサの利益を余裕で越えたんだけど!)


そこでレンはふと思った。


(これ、技術流出したら滅茶苦茶ヤバいヤツだ!! あとで12人の職人には賃金アップして口を塞いで置かないとダメだな。ここは千デナリウスいや、3千やろう! あとはセルギウスたちは5千、13人衆は4千にアップだな)


商人のひとりが腹黒い笑みで訊ねる。


「出来れば唐揚げ以外の料理方法も教えていただけませんか。醤油の使い道は多いほうが良いと思うのです」


レンは笑顔で応えた。


「ええ、構いませんよ。無料でお教えしましょう。あなた方は新しい料理と、醤油の転売で儲けてください。私は醤油を高値で買い取って頂ければ十分ですから」


「なんと気前のいいお方だ!」


クラッススはニヤリと笑った。


(なるほど、やはり裏があったか。料理は醤油を広めるための布石。しかも、商人どもに無料で教えて恩まで売った。まあ、その恩がどの程度影響するかは怪しいがな)


レンは営業スマイルで続ける。


「油料理ばかりだと胃に重いので、今回は出しませんでしたが、野菜の天ぷらやエビの天ぷらと言う料理もあります。これも醤油をかけると美味しいですよ」


「「天ぷら!」」


「はい、大麦粉と卵を使った料理です。その料理方法もお教えしましょう」


商人たちが一斉にざわめいた。


「これは油の需要がさらに上がるな!」


レンがニヤリと笑う。


「よろしければ、油を安く作る方法も教えましょうか?」


「「っ!?」」


※ーーー

この時代のローマの油は、オリーブを石臼(いしうす)で潰して作ったオリーブ油だった。


石臼で潰す作業にはとても時間がかかるため、油は高級品で、油1リットルの値段は1~4デナリウスほどだった。


またローマ人1人が1年に使うオリーブ油の量は推定20〜30リットルと、油が大好きな文明だった。

(料理、明かり、オイルマッサージなどに使用)


つまりローマ人は、1年に1か月分の給料以上を油代に使っていた計算になる。



古代ローマでオリーブ油を安く作れなかった理由は、オリーブ自体の生産量ではなく、『収穫してから腐るまでの、極めて短い時間(タイムリミット)』と『圧搾にかかる時間の長さ』だった。


だがレンはラノベで、オリーブを石臼(いしうす)より数倍早く圧搾する機械――足踏み式圧搾機と水車式圧搾機の存在を知り、ネットで作り方を調べて習得していた。


★足踏み式圧搾機:

処理量:石臼の3〜4倍

歩留まり:石臼の 1.2倍。

(オリーブの実から取れる油の量)


★水車式圧搾機:

処理量:石臼の10倍以上

歩留まり:石臼の 1.4倍。

(オリーブの実から取れる油の量)

ーーー



「油を安く作る方法があるのですか!?」


レンはニヤリと笑い、頷く。


「はい、あります。あなた方はクラッスス様に親しい方たちです。お近づきの印に、この油を数倍安く作れる技術も、無料で教えて差し上げましょう」


広間が一瞬で静まり返った。


商人たちはいくら何でも無料で教えるなどあり得ない。と互いに顔を見合わせた。


クラッススも驚いていた。


(まさか本当にレンは善意で技術を教えているのか? 私が深読みし過ぎていただけなのか!?)


もちろんレンには狙いがあった。


さすがのクラッススもレンの性格を掴めても、現代人のレンの思考回路までは理解出来ていなかった。


油を安く作る技術を秘匿して自分だけ生産すれば、油でも確実に儲けられる。


だが――油市場で既存の者たちを駆逐してシェアを伸ばすのには時間が掛かるし、とんでもなく恨みを買うことになる。あらゆる分野を独り占めするのは危険だ、譲るべきものは譲り他人に任せるべきだ。


それがレンの考えだった。


レンがサトウの製造方法をクラッススに教えたのも、サトウを使った料理を食べたい――だが自分でサトウ事業を立ち上げて成功させるのは難しく、手が回らない。そう考えて譲っただけだ。


商人のひとりがレンに聞き直した。


「あなたは本当に、油を安く作る方法を無料で教えてくれると言うのか?」


「はい、そうです」


レンの即答に、商人たちが『この男は正気か? そんな技術を人に無料で教えるなどありえん! そもそも本当にそんな技術があるのか?』と互いに顔を見合わせた。


その時――クラッススが立ち上がった。


「皆の者、よく聞け。この者の技術は私が保証しよう。レンが安く作る技術があると言えば必ずある。」


「「おおっ!」」


商人たちは、クラッススがレンの技術を保障するという言葉に歓声をあげた。


そしてクラッススはレンを見て告げる。


「レン、新しい料理も見事だった。それに先日届けられた新しい石鹸に、新たな造船技術。これらをローマに齎した実績があれば、技術を開示せずとも文化功績により確実にローマ市民権が得られるだろう」


「本当ですか!?」


クラッススは自身ありげに頷いた。


「ああ、全て私に任せておけ、我が友よ」



ーーー

2週間後、定期的に開催される民会の議案のひとつに、レンへの市民権付与が提出された。


今回は奴隷剣闘士からの強制解放ではなく、年に数千人が与えられるローマ市民権の付与である。そのため元老院ではなく、民会で決定される案件だった。


やがてレンの議案の番となり、議長がレンの文化的功績を読み上げ採決を求めた。


マニウス派の議員が周りの顔色を伺ったが、クラッススが事前に執政官や有力者への根回しを完璧に済ませていたため、反対するだけ無駄だった。


状況を悟ったマニウス派の者たちは、市民権の付与に賛同し、形式的な挙手によって一瞬で承認された。


こうしてレンは、ついにローマ市民となった。


なお、レンの姓名はローマの法に則り、マルクス・リキニウス・レンと名乗ることになった。


マルクスが名、リキニウスは氏族名、レンは家名である。


これはマルクス・リキニウス・クラッススが推薦人だったためである。


キケロの奴隷秘書ティロも、奴隷から解放されて市民権を得た時、マルクス・トゥッリウス・キケロから、名と氏族名を貰い。マルクス・トゥッリウス・ティロと名乗っている。


レンは、レン・ミヤモト・フジタと名乗るつもりだったため、マルクス・リキニウス・レンとなった事を知ってガックリと項垂れた。

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